日本とフランスの関係史
日本とフランスの関係史
(『パリとフランスの歴史Histoire de paris et de la France』から抜粋 )

1585
1854
1871
1878
1895
1899
(『パリとフランスの歴史Histoire de paris et de la France』から抜粋 )

1585
- この年、正使伊東マンショ・千々石ミゲル、副使中浦ジュリアン・原マルチノらの「天正遣欧使節」一行、スペインEspagneのマドリードMadridでフランス王アンリ3世HenriⅢの大使に会う。 ① 大使は日本使節をフランスに招きたいというアンリ3世HenriⅢの意向を伝えたが訪問は実現しなかった。
- 9月30日、「慶長遣欧使節」として2年前に日本を出航した支倉六右衛門(常長)一行、スペインEspagneのマドリードMadridを出発しイタリアItalieに向かう途中、暴風雨を避けるため、南フランスのサン・トロペSaint-Tropezに寄港する。
- 8月、フランスの探検家「ラ・ペルーズ伯Comte de La Pérouse」ジャン・フランソワ・ド・ガローJean François de Galaup、「宗谷海峡」を通過する。 ① 国際的名称「ラ・ペルーズ海峡Détroit de La Pérouse」はこの人物の名をとったもの。
- この頃、長崎のオランダ語通詞により日本で初めてフランス語が学ばれるようになる。
- この年、フランスの画家Peintre・ディオラマ作家Écrivain diorama・写真家Photographeルイ・ジャック・マンデ・ダゲールLouis Jacques Mandé Daguerreが、1837年に発明した「ダゲレオタイプdaguerréotype」の「銀板写真術Photographie sur plaque d'argent」が、オランダ船Navire néerlandaisにより、長崎に輸入される。 ① 買い手がつかず、積み荷のままで持ち帰られ、5年後の1848年に、再輸入される。
- この年、フランスの画家Peintre・ディオラマ作家Écrivain diorama・写真家Photographeルイ・ジャック・マンデ・ダゲールLouis Jacques Mandé Daguerreが、1837年に発明した「ダゲレオタイプdaguerréotype(「銀板写真術」)が、オランダ船Navire néerlandaisにより、長崎に再輸入される。 ① 1843年の渡来時には買い手がつかず、積み荷のままで持ち帰られ、5年後のこの年、再輸入される。 ②「ダゲレオタイプdaguerréotype」カメラは、薩摩藩の御用商人上野俊之丞が手に入れ、薩摩藩に献上する。 ③ 1857年、薩摩藩家臣市来四郎が藩主島津斉彬の撮影に成功する。
1854
- この年、洋学者村上英俊により、フランス語・オランダ語・日本語の辞書『三語便覧』が作成される。
- 8月13日、フランスの外交官ジャン・バティスト・ルイ・グロ男爵Jean-Baptiste Louis Gros、清国で「天津条約Traité de Tien-Tsin (1858)」締結後、3隻の軍艦を率いて品川沖に来航する。
- 10月9日、フランス、日本と「日仏修好通商条約Traité d'amitié et de commerce entre la France et le Japon」を締結する(フランスは江戸幕府を支援)。 ① フランス側全権はジャン・バティスト・ルイ・グロ男爵Jean-Baptiste Louis Gros。 ➁ 日本側全権は外国奉行水野筑後守忠徳、外国奉行永井玄蕃頭尚志、外国奉行井上信濃守清直、外国奉行堀織部正利煕、外国奉行岩瀬肥後守忠震、野々山鉦蔵の6名。 ③ 条約の翻訳を担当したのは、洋学者村上英俊。
- 3月30日、江戸で「日仏修好通商条約Traité d'amitié et de commerce entre la France et le Japon」の「批准書」が交換される。 ① フランスは皇帝ナポレオン3世NapoléonⅢの「批准書」。 ➁「批准書交換証書」には外国奉行酒井隠岐守忠行の署名・花押と初代駐日総領事ギュスターヴ・デュシェーヌ・ド・ベルクールGustave Duchesne, Prince de Bellecourtの署名・印があり、和文・仏文のほか、それらを片仮名文にしたものもある。
- 8月、「フランス公使宿館」(「フランス総領事館」)が周光山長寿院済海寺(港区三田、浄土宗)に置かれる。
- 9月6日、フランスの外交官ギュスターヴ・デュシェーヌ・ド・ベルクールGustave Duchesne, Prince de Bellecourt、初代駐日フランス総領事(1861年に公使となる)として来日する。 ① 通訳はフランス人宣教師プリュダンス・セラファン=バルテルミ・ジラールPrudence Seraphin-Barthelemy Girardが担当する。
- この年、周光山長寿院済海寺(港区三田、浄土宗)の「フランス公使宿館」(「フランス総領事館」)が「公使館」となる(~1874年)。
- 1月21日(文久元年12月22日)、「江戸幕府遣欧使節団(文久遣欧使節)」が品川港を出発しヨーロッパに向かう。 ① 勘定奉行兼外国奉行竹内保徳が正使、神奈川奉行兼外国奉行松平康英が副使。 ➁ 福沢諭吉、福地源一郎、寺島宗則、箕作秋坪ら36名が同行。 ③ 英国海軍の蒸気フリゲート「オーディン号Odin」で。
- 4月3日、勘定奉行兼外国奉行竹内保徳を正使、神奈川奉行兼外国奉行松平康英を副使(福沢諭吉、福地源一郎、寺島宗則、箕作秋坪らが同行)とする「江戸幕府遣欧使節団(文久遣欧使節)」がフランス南部の港湾都市マルセイユMarseilleに到着する。
- 4月5日、「江戸幕府遣欧使節団(文久遣欧使節)」、マルセイユMarseilleから列車でリヨンLyonに向かう。
- 4月6日、「江戸幕府遣欧使節団(文久遣欧使節)」、リヨンLyonからパリParisに向かう。
- 4月7日19時、「江戸幕府遣欧使節団(文久遣欧使節)」がパリParisの「リヨン駅Gare de Lyon」(12区)に到着する。 ① 宿泊は「チュイルリー宮殿Palais des Tuileries」近くの、1855年創立の「オテル・デュ・ルーヴルHôtel Du Louvre」(1区、現在は「ルーヴル骨董店Le Louvre des Antiquaires」、以前は「ルーヴル百貨店」)。 ➁「オテル・デュ・ルーヴルHôtel Du Louvre」で、フランス外務省主催の「日仏友好歓迎晩餐会」が盛大に行われる。 ③ 開港(新潟・兵庫)・開市(江戸・大坂)延期交渉を行うもフランスの同意を得られず。
- この年、パリに、最上階に浴室15室を備えた「グラン・オテルLe Grand Hôtel」(現9区の「ル・グランLe Grand」)が開業する。
- 7月29日、イギリス、ドイツ(ベルリン)訪問を終えた「江戸幕府遣欧使節団(文久遣欧使節)」が再びパリに到着し、この年完成した「グラン・オテルLe Grand Hotel」(現9区の「ル・グランLe Grand」)に滞在する。
- 9月14日、薩摩藩主島津茂久(忠義)の父島津久光の行列に乱入した騎馬のイギリス人を、供回りの藩士が殺傷(1名死亡、2名重傷)する「生麦事件」が起こる。
- 1月30日(文久2年12月11日)、「江戸幕府遣欧使節団(文久遣欧使節)」一行がフランス船で帰国する。
- 4月26日、フランス海軍提督コンスタント・ルイ・ジャン・バンジャマン・ジョレスConstant Louis Jean Benjamin Jaurès、横浜居留民保護のため、フランス東洋艦隊旗艦「セミラミス号Semiramis」で横浜に到着する。 ① 横浜にフランス軍が駐屯する。 ➁ 前年の「生麦事件」を契機に居留フランス人の生命と財産を守る目的で駐屯。 ③ 有名なフランスの社会主義者ジャン・レオン・ジョレスJean Léon Jaurèsは甥にあたる。

- 6月7日、フランスの外交官ミシェル・ジュール・マリ・レオン・ロッシュMichel Jules Marie Léon Roches、駐日公使に任命される。
- 7月2日、「生麦事件」賠償交渉のための「日英仏会議」がフランス東洋艦隊旗艦「セミラミス号Semiramis」上で行われる。
- 7月8日、長州藩、フランスの通報艦「キャンシャン号Kien-Chang」を攻撃する。
- 7月20日、フランス海軍提督コンスタント・ルイ・ジャン・バンジャマン・ジョレスConstant Louis Jean Benjamin Jaurès、報復のため長州藩の前田、壇ノ浦の砲台に向け、「セミラミス号Semiramis」(砲36門)と「タンクレード号Tancrède」(砲6門)を率いて攻撃を行う。 ① 砲台を占領する。 ➁ その後横浜に帰港する。
- 9月(旧暦)、備中国井原領主(旗本)池田長発(ながおき)、外国奉行に就任する。
- 10月14日、横浜居留地警備のため上海から召集されていたフランス陸軍アフリカ猟歩兵第3大隊所属のアンリ・カミュ少尉J. J. Henri Camusが、攘夷派の浪士に襲撃され死亡する。 ①「井土ヶ谷事件」(現横浜市南区) ➁ 同行の士官2名は逃走して無事。 ③ 犯人は不明のまま。
- 12月29日(1864年2月6日)、幕府、開港場の横浜を再度閉鎖する交渉を行うため、外国奉行池田筑後守長発(ながおき)を正使、外国奉行の河津伊豆守祐邦を副使とする「横浜鎖港談判使節団」(「第2回遣欧使節」、「池田使節団」)をフランスに派遣する。
- 3月13日、外国奉行池田筑後守長発(ながおき)を正使とする「横浜鎖港談判使節団」(「第2回遣欧使節」、「池田使節団」)、パリに到着する。 ① 外務大臣エドゥアール・ドルーアン・ド・リュイスÉdouard Drouyn de Lhuysと横浜鎖港の交渉を開始する。 ➁
- 3月、外国奉行池田筑後守長発(ながおき)を正使とする「横浜鎖港談判使節団」(「第2回遣欧使節」、「池田使節団」)、フランス政府に「井土ヶ谷事件」を謝罪し、195,000フラン(35,000ドル)の扶助金をアンリ・カミュ少尉J. J. Henri Camusの遺族に支払う。
- 4月27日、初代駐日フランス公使ギュスターヴ・デュシェーヌ・ド・ベルクールGustave Duchesne, Prince de Bellecourt、「江戸幕府」にミシェル・ジュール・マリ・レオン・ロッシュMichel Jules Marie Léon Rochesの駐日フランス公使着任を報告する。
- 6月20日、パリで、外国奉行池田筑後守長発(ながおき)を正使とする「横浜鎖港談判使節団」(「第2回遣欧使節」、「池田使節団」)、フランスと「パリ約定」を取り交わす。 ① 長州藩によるフランス船砲撃に対する賠償支払い(幕府は10万ドル、長州藩は4万ドル)。 ➁ フランス船の下関海峡自由航行の保証。 ③ 輸入品の関税率低減(一部の品目は無税)。
- 8月23日、外国奉行池田筑後守長発(ながおき)を正使とする「横浜鎖港談判使節団」が帰国する。 ① 幕閣は使節一行が横浜鎖港の使命を果たせなかったことに怒り、池田筑後守長発(ながおき)を半知召上げ・蟄居、副使の河津伊豆守祐邦も免職・蟄居を命ず。 ➁ 幕府は批准を拒否し、8月25日に「約定」の破棄をイギリス・アメリカ・フランス・オランダに宣言する。
- 9月5日~7日、フランス海軍提督コンスタント・ルイ・ジャン・バンジャマン・ジョレスConstant Louis Jean Benjamin Jaurès、四カ国連合艦隊の一員として、フランス東洋艦隊旗艦「セミラミス号Semiramis」、「タンクレード号Tancrède」、「デュプレクス号Dupleix」の3隻を率いて、再度長州藩を攻撃する。 ①「四国艦隊下関砲撃事件」
- 1月、中国の寧波にいたフランスの技術者フランソワ・レオンス・ヴェルニーFrancois Leonce Verny、フランスの協力による江戸幕府の近代的「造兵廠」の建設のため、日本に派遣される。
- 2月11日、フランスの技術者フランソワ・レオンス・ヴェルニーFrancois Leonce Verny、駐日公使のミシェル・ジュール・マリ・レオン・ロッシュMichel Jules Marie Léon Rochesらと「横須賀製鉄所」の起立(建設)原案を作成し、この日提出する。
- 2月24日、駿河国沼津藩主で奏者番兼寺社奉行の水野忠誠(ただのぶ)と越前敦賀藩主の酒井忠毗(ただます)が「約定書」に連署し、「横須賀製鉄所」の建設が正式に決定する。
- 4月、フランスの技術者フランソワ・レオンス・ヴェルニーFrancois Leonce Verny、物資の購入やフランス人技術者の手配など「横須賀製鉄所」の建設準備のためフランスに帰国する。
- 1月19日、お雇い外国人エドモン・オーギュスト・バスチャンEdmond Auguste Bastien、横須賀製鉄所に勤務するためフランス南部のマルセイユMarseilleを出港する。
- 3月12日、お雇い外国人エドモン・オーギュスト・バスチャンEdmond Auguste Bastien、横浜港に到着する。
- 3月22日、フランス人生糸技術者ポール・ブリュナPaul Brunat、横浜港に到着する。
- 4月16日、フランスの技術者フランソワ・レオンス・ヴェルニーFrancois Leonce Verny、資材調達を終え、南フランスのマルセイユ港を出港し日本に向かう。
- 6月8日、フランスの技術者フランソワ・レオンス・ヴェルニーFrancois Leonce Verny、横浜港に到着する。
- 4月1日、「第2回パリ万国博覧会Exposition Universelle」が開催される。 ① 人々は、皇帝ナポレオン3世NapoléonⅢとジョルジュ=ウジェーヌ・オスマンGeorges-Eugène Haussmannの成し遂げたものに感嘆する。 ➁「シャン・ド・マルスChamp de Mars(練兵場)」(7区)に「帝政」の祝典がル・プレLe Playによって組織される。 ③ 日本(幕府、薩摩藩、佐賀藩)が正式に参加し、「ジャポニズムJaponisme」の原因となる。 ④ フランスの写真家フェリックス・ナダールFelix Nadar(本名ガスパール=フェリックス・トゥールナション Gaspard-Felix Tournachon)、日本人一行の写真を撮影する。 ⑤ フランス人レオン・エドゥーLeon Eduが発明した「水注式エレベーター」が「機械館」の屋上に観客を運ぶのに使われ注目を浴びる。 ⑥ 醸造学者ルイ・パストゥールLouis Pasteur、摂氏55度でワインのバクテリアを殺す低温殺菌法を発表しグランプリGrand prixを獲得する(これが牛乳にも応用される)。
- 4月11日、徳川民部大輔昭武(徳川慶喜の異母弟)、渋沢栄一ら江戸幕府遣欧使節団(慶応3年遣仏使節団)がパリに到着する。 ① 渋沢栄一は、遣仏使節団の会計・書記担当の随員として「パリ万国博覧会」に参加した。 ➁ 渋沢栄一は、在仏中の日記として『澁澤榮一滞佛日記』所収の「巴里御在館日記」・「御巡國日録」・「航西日記」を残している。
- この年、フランス人技師ジャン・フランシスク・コワニェJean Francisque Coignet、薩摩藩の招きで来日する。 ① 鉱業資源調査にあたる。
- 6月23日、駐日フランス公使を解任されたミシェル・ジュール・マリ・レオン・ロッシュMichel Jules Marie Léon Roches、帰国の途に就く。
- この年、フランス人技師ジャン・フランシスク・コワニェJean Francisque Coignet、薩摩出身の五代友厚の紹介により新政府にお雇い外国人として雇用され鉱業資源調査にあたる。
- この年、フランス人技師ジャン・フランシスク・コワニェJean Francisque Coignet、帝国主任鉱山技師として但馬生野銀山に派遣される。 ① 鉱山学校「鉱山学伝習学校」を開設し新政府の技術者らを鉱山士として指導する。
1871
- 1月、フランス人技師ジャン・フランシスク・コワニェJean Francisque Coignet、お雇い外国人としての任を解かれ帰国する。 ① 1902年、故郷フランス東部のサン=テティエンヌSaint-Étienne(ロワール県Loireの県庁所在地)で死去する。
- 2月15日、お雇い外国人エドモン・オーギュスト・バスチャンEdmond Auguste Bastien、フランス人生糸技術者ポール・ブリュナPaul Brunatから依頼されていた「富岡製糸場」(群馬県)の「設計図」を完成させる。
- 3月12日、フランス人生糸技術者ポール・ブリュナPaul Brunat、「富岡製糸場」(群馬県)の建設に先立ち、機材購入や技師雇用のために一時フランスに帰国するため日本を離れる。
- 10月29日、一旦帰国していたフランス人生糸技術者ポール・ブリュナPaul Brunat、フランス南部のマルセイユMarseilleを出港して日本に向かう。
- 11月12日(旧暦)、岩倉使節団、横浜港を出港する。
- 12月19日、フランス人生糸技術者ポール・ブリュナPaul Brunat、香港を経由してこの日横浜に入港する。
- 7月、フランス人生糸技術者ポール・ブリュナPaul Brunatの尽力により、「富岡製糸場」(群馬県)が完成する。
- 12月16日、アメリカ、イギリスの訪問を終えた岩倉使節団、ドーヴァー海峡を越えてパリに到着する。 ① 全権大使 岩倉具視 ② 副使 木戸孝允・大久保利通・伊藤博文・山口尚芳 ③ 書記官 福地源一郎 ら ④ 大使随行 久米邦武 ら ⑤ 理事官 山田顕義 ら ⑥ 随行 由利公正・村田新八 ら ⑦ 随員 新島襄(通訳)・牧野伸顕 ら
- 12月26日、岩倉使節団、フランス大統領ルイ・アドルフ・ティエールLouis Adolphe Thiersと会談する。
- この年、フランスの弁護士ジョルジュ・ブスケGeorges Hilaire Bousquet、初めてのお雇い外国人として来日する。
- 2月17日、岩倉使節団、パリを出発し、ブリュッセルBruxellesに向かう。 ① その後ベルギー、オランダ、ドイツ、ロシア、デンマーク、スウェーデン、ドイツ、イタリア、オーストリア、スイスを回る。
- 7月15日、岩倉使節団、スイスのジュネーヴGenèveからフランス南東部のリヨンLyonに到着し、「生糸改会所」などを見学する。
- 7月17日、岩倉使節団、リヨンLyonからフランス南部の港湾都市マルセイユMarseilleに向かう。
- 7月18日、岩倉使節団、フランス南部の港湾都市マルセイユMarseilleに到着する。
- 7月20日、岩倉使節団、マルセイユMarseilleからフランスの郵船「アウア号」に乗り帰国の途につく。 ①「スエズ運河Canal Maritime de Suez」経由で。
- この年、フランスの法学者ギュスターヴ・エミール・ボアソナードGustave Émile Boissonade、お雇い外国人として来日し、司法省明法寮(翌年、司法省法学校に改組)で教鞭をとる。
- この年、フランス人建築家ポール・ピエール・サルダPaul Pierre Sarda、海軍省のお雇い外国人として来日する。
- この年、フランス「印象派」の画家クロード・モネClaude Monet、着物を着た妻カミーユCamilleを描いた『日本娘ラ・ジャポネーズLa Japonaise』(「ボストン美術館」)を描く
- 2月15日、フランス人生糸技術者ポール・ブリュナPaul Brunat、日本政府との5年契約が終わり、横浜港から帰国の途につく。
- 3月3日、フランスの技術者フランソワ・レオンス・ヴェルニーFrancois Leonce Verny、解嘱される。
- 3月12日、フランスの技術者フランソワ・レオンス・ヴェルニーFrancois Leonce Verny、横浜港から帰国の途に就く。
- この年、初めてのお雇い外国人として来日していたフランスの弁護士ジョルジュ・ブスケGeorges Hilaire Bousquetが帰国する。
- 10月10日、ワイン醸造Vinificationの技術を学ぶため、フランスFranceに派遣される、山梨県勝沼の青年高野正誠(25歳)と土屋助次郎(19歳)が、横浜港を出港する。
- 11月27日、ワイン醸造Vinificationの技術を学ぶため、フランスFranceに派遣される、山梨県勝沼の青年高野正誠(25歳)と土屋助次郎(19歳)が、スエズ運河Canal de Suez経由で、南仏マルセイユMarseilleに上陸する。 ① 鉄道TrainでパリParisに向かい、その後、フランス東部Est de la Franceのシャンパーニュ地方Champagneとブルゴーニュ地方Bourgogneで、ワイン醸造Vinificationの技術を学ぶ。
1878
- この年、日本の洋画家山本芳翠、「第3回パリ万国博覧会」の事務局雇としてフランスに留学する。
- この年、日本の洋画家五姓田義松(ごせだよしまつ)、フランスに渡る。 ① 翌年フランスの画家レオン・ジョゼフ・フロランタン・ボナLéon Joseph Florentin Bonnatに師事する。 ② 1881年、パリの「サロンsalon」に日本人として初めて入選する。
- 1月、フランス人画家ジョルジュ・ビゴーGeorges Bigot、来日する。 ① 1882年10月から1884年10月まで、お雇い外国人として採用される。 ➁ 1899年6月、フランスに帰国する。
- この年、フランスの法学者ギュスターヴ・エミール・ボアソナードGustave Émile Boissonade、東京法学校(現法政大学)の教頭に就任する。
- この年、ルイ・ゴンスLouis Gonse、『日本美術L'Art Japonais』を出版する。 ① 日本美術品のコレクターで、ジャポニスム運動の中心となる雑誌「ガゼット・デ・ボザールGazette des Beaux-Arts」の編集長。 ➁ 日本の歴史・地理・民族の概説、絵画、建築、彫刻、武具、陶磁器、漆器など日本の工芸品を紹介する。
- この年、日本の洋画家黒田清輝、法律を学ぶためフランスに渡る。
- この年、前年から政府の命でヨーロッパの森林視察を行っていた日本画家高島北海(35歳)、フランス東部の「ナンシー水利林業学校」に入学し、3年間専門の植物地誌学を学ぶ。 ① 主に植物を描き、アール・ヌーヴォーArt Nouveauを代表するシャルル・マルタン・エミール・ガレCharles Martin Émile Galléに影響を与える。
- この年、日本の洋画家黒田清輝、パリで日本の洋画家山本芳翠の勧めもあり画家を目指し、フランスの画家ラファエル・コランRaphael Collinに師事する。
- この年、オランダ出身で「ポスト印象派(後期印象派)」の画家フィンセント・ファン・ゴッホVincent Van Gogh、「浮世絵」の影響を受けた『タンギー爺さんPère Tanguy』(7区「ロダン美術館」)、『日本趣味(梅の花)Japonaiserie, l'arbre (Prunier en fleurs)』(アムステルダム「ゴッホ美術館」)を描く。
- この年、日本の洋画家山本芳翠、フランスから日本に帰国する。
- 5月、パリの美術商サミュエル・ビングSamuel Bing、日本美術を広く伝えるために複製図版と挿絵が掲載された『芸術の日本Le Japon artistique』という大判の「美術月刊誌」を発行する。 ① 1891年4月までに40冊発行。 ➁ 毎号数多くの美しい浮世絵で彩られた『芸術の日本』は、フランス語、英語、ドイツ語の3か国語で書かれ、美術情報だけでなく、詩歌、演劇、産業美術といった各分野の識者による寄稿によって「日本文化」そのものへの理解に貢献する。 ③「展覧会」も企画する。
- この年、日本の洋画家黒田清輝、フランスから日本に帰国する。
- この年、横浜の俗称「フランス山」に「フランス領事館le consulat de France」と「領事官邸」の建設が始まる。

1895
- 4月23日、フランス、ドイツ・ロシアとともに、日本Japonに対し「三国干渉Intervention tripartite 」を行う。
- この年、日本の美術・芸術を欧米に紹介した、パリの美術商サミュエル・ビングSamuel Bing、パリの「プロヴァンス通りR.de Provence」(9区)に画商店「新しい芸術の店Maison de l'Art Nouveau」を設立する。 ①「アール・ヌーヴォーArt nouveau様式」の名称はこれに由来する。
- この年、フランスの法学者ギュスターヴ・エミール・ボアソナードGustave Émile Boissonade、フランスに帰国する。 ① 1910年に死去するまで、南仏コート・ダジュールCôte d'Azurの保養地アンティーブAntibesに住んだ。
- 7月16日、フランス北東部ナンシーNancy生まれの作家・美術批評家エドモン・ド・ゴンクールEdmond de Goncourtが死去する(1822-、74歳)。 ① 日本美術に関心を寄せ、1891年の『歌麿Outamaro』や1896年の『北斎Hokusai』などで「浮世絵」を紹介。19世紀末のフランスにおける「ジャポニズムjaponismu」の発展に寄与する。 ② 1851年からこの年まで主著『日記Journal des Goncourt』を執筆する。
- この年、横浜の「フランス領事館le consulat de France」が完成する。 ① フランス人建築家ポール・ピエール・サルダPaul Pierre Sardaの設計。

1899
- 6月、フランス人画家ジョルジュ・ビゴーGeorges Bigot、フランスに帰国する。
- 3月、洋画家浅井忠、パリに留学する。
- 6月、川上音二郎、貞奴ら13人の「川上座」の一行がパリに到着する。 ① ニューヨーク、ロンドン公演に続いてパリを訪問する。 ➁ 7月14日から1週間の予定で「ロイ・フラー劇場Loïe Fuller」(定員500人)で公演を行う。
- 8月19日、「エリゼ宮Palais de l'Élysée」の庭園で開催されたパーティーに、パリ訪問中の川上音二郎、貞奴ら13人の「川上座」の一行が演者として招かれる。 ① 演目は「芸者と武士 2幕」だった。
- この年、パリの美術商サミュエル・ビングSamuel Bing、「パリ万博Expositions universelles de Paris」に、アール・ヌーヴォーArt Nouveau作家ジョルジュ・ド・フールGeorge de Feureが内装した「アール・ヌーヴォー・ビング館Hotel de Art Nouveau Bing」を出展する。 ① また、「日仏協会Société Franco-Japonaise」の創立メンバーとなる。
- この頃、横浜にフランス「領事官邸résidence du consul」が建設される。
- この年、日本の学者(動物学・西洋史学)箕作元八、留学中のドイツからパリに移動し、翌年まで9か月間滞在する。
- 1月、パリ滞在中の日本の学者(動物学・西洋史学)箕作元八、この頃、パリの「カルナヴァレ博物館Musée Carnavalet」(3区)を訪問し、フランス革命期の歴史などの資料を見学する(「箙梅日記」1901年1月5日条)。
- 3月、パリ滞在中の日本の学者(動物学・西洋史学)箕作元八、この頃、パリの「クリュニー博物館Musée de Cluny」(3区)を訪問し、展示品のいくつかを模写する(「箙梅日記」1901年3月6日条)。
- 3月、パリ滞在中の日本の学者(動物学・西洋史学)箕作元八、この頃、パリの「カルナヴァレ博物館Musée Carnavalet」(3区)を訪問し、フランス革命期の貨幣について研究する(「箙梅日記」1901年3月30日条)。
- この年、パリに留学していた洋画家浅井忠が帰国する。
- この年、日本の美術・芸術を広く欧米に紹介した美術商サミュエル・ビングSamuel Bing、「プロヴァンス通りrue de Provence」(9区)の「アール・ヌーヴォーの店Maison de l'Art Nouveau」を閉じて「サン・ジョルジュ通りrue St-Georges」(9区)に移転し、経営を息子に譲る。
- この年、私立学校として、現在の美術学校「アカデミー・ドゥ・ラ・グランド・ショミエールL'académie de la Grande Chaumière」(6区「グラン・ショミエール通りrue de la Grande Chaumière」)が創設される。 ① 教授陣に彫刻家アントワーヌ・ブールデルAntoine Bourdelleや画家フェルナン・レジェFernand Légerがいる。 ➁ 芸術家イサム・ノグチIsamu Noguchiや、イタリアの画家・彫刻家アメデオ・クレメンテ・モディリアーニAmedeo Clemente Modigliani、画家菅井汲(1952年渡仏)らが学ぶ。
- 6月10日、パリParisで、駐仏日本大使栗野慎一郎とフランス外務大臣ステファン・ピションStéphen Pichonとの間で「日仏協約」が結ばれる。 ① フランスのインドシナ、日本の韓国・関東州などにおける利益をお互いに認める。 ② ベトナム人留学生による日本を拠点とした「反仏独立運動」(ドンズー運動)の取り締まりを約束する。 ③「秘密交換公文」で、日本の「福建省」での権益を支持させる。 ④ フランスは日本との関係を相互的最恵国待遇に引き上げることに同意する。
- この年、洋画家安井曾太郎、画家津田青楓とともにヨーロッパに渡り、パリの私立美術学校「アカデミー・ジュリアンAcadémie Julian」で学ぶ(1914年帰国)。
- 6月、藤田嗣治(27歳)、3年の約束で単身フランスに留学する。 ① パブロ・ピカソPablo PicassoのモンマルトルMontmartre(18区)の「アトリエatelier」を訪ね、「キュビスムCubisme」に強烈な印象を受ける。
- 10月、藤田嗣治、「ファルギエール通りrue Falguière」(15区)のアパルトマン(貸しアトリエ)「シテ・ファルギエールCité Falguière」(72番地と74番地の間を入った所にあった)で、イタリア出身の画家アメデオ・クレメンテ・モディリアーニAmedeo Clemente Modigliani、ロシア生まれの画家シャイム・スーティンChaïm Soutineらと暮らし始める。
- この年、洋画家安井曾太郎、1907年から留学していたパリから帰国する。
- 10月、日本の洋画家児島虎次郎、クロード・モネClaude Monetのもとを訪問する。
- 7月、「エリゼ宮Palais de l'Élysée」で開催されたレセプションの招待客の中に日本皇太子裕仁(のちの昭和天皇)がいる。 ① 皇太子裕仁(のちの昭和天皇)は、3月3日から9月3日の日程で英仏などヨーロッパ5か国を訪問中だった。
- 11月19日、フランスの外交官ポール=ルイ=シャルル・クローデルPaul-Louis-Charles Claudel、駐日大使として横浜に到着し、着任する(~1927年2月17日)。
- この年、日本の実業家で美術収集家の松方幸次郎がクロード・モネClaude Monetのもとを訪問する。
- 9月1日、横浜の「フランス領事館le consulat de France」と「領事官邸résidence du consul」が、関東大震災のため倒壊する。
- この年、ドイツのベルリンBerlinで開催される「国際アナーキスト大会」に参加予定の大杉栄が、パリ郊外のサン・ドニSt-Denisのメーデーで演説する。 ① 大杉は逮捕され「ラ・サンテ監獄Prison de la Santé」(14区「カルチェ・ラタン」の南)に送られ、日本に強制送還される。 ② 大杉、滞在したホテルの、くみ取り式トイレの汚さに驚く(「パリの便所」)。
- 1月、洋画家佐伯祐三、初めてパリに渡り、約2年間滞在する(~1926年1月)。
- 3月7日、フランス駐日大使ポール=ルイ=シャルル・クローデルPaul-Louis-Charles Claudel、日本とフランスの文化交流を目的にした文化施設「日仏会館 Maison franco-japonaise」(渋谷区恵比寿)を設立する。 ① 実業家渋沢栄一の協力を得て。 ➁ 2010年に、「公益財団法人日仏会館」となる。
- 2月17日、フランス駐日大使ポール=ルイ=シャルル・クローデルPaul-Louis-Charles Claudel、任を終え、日本を離れる。
- 8月、洋画家佐伯祐三、再びパリに渡る。 ① 翌年8月16日、パリで死去する(1898-、30歳)。
- この年、画家藤田嗣治、パリの「モンスーリ公園Parc Montsouris」(14区)近くの「家」に移る。
- 1月、宝塚歌劇団の演出家白井鐵蔵、欧米視察のためパリに到着する。 ①「フォリ=ベルジェールLes Folies-Bergère」(9区)のレビュー「ラ・グランド・フォリ」を観劇しながら研究する。
- 8月16日、洋画家佐伯祐三、パリで死去する(1898-、30歳)。
- 5月、「パリ国際大学都市Cité Internationale Universitaire de Paris」(14区)の一角に、実業家薩摩次郎八氏が私財を投じ、フランス人建築家ピエール・サルドゥーPierre Sardouが設計した「パリ日本館Maison du Japon」が「竣工式」を行う。 ① 留学生の宿泊研修施設として建設される。 ➁ フランス政府ははじめ日本政府に建設を呼びかけるが、関東大震災直後で資金を拠出できず、元老西園寺公望の要請を薩摩が受け入れて実現する。 ③ フランス大統領ガストン・ドゥメルグPierre-Paul-Henri-Gaston Doumergueも出席する。
- 8月、画家藤田嗣治、17年ぶりに日本に帰国する。
- この年、横浜にフランス「領事官邸résidence du consul」が再建される。 ① この建物は1947年に火災により焼失する。
- この年、画家藤田嗣治、日本からパリに戻る。
- 3月、欧米視察のため、東大英文科主任教授市河三喜と妻市河晴子(渋沢栄一の孫)、シベリア鉄道Transsibérien経由で、ヨーロッパEuropeに到着する。 ① フランスFranceも訪問し、市河晴子は、1933年6月に、旅のエッセイEssai『歐米の隅々』を刊行する。
- この年、日本の作家Écrivain林芙美子(1903-1951)、シベリア鉄道Transsibérien経由で、パリに到着する。 ① 1932年6月に、帰国する。 ② 1939年に、『私の紀行』を出版する。
- この年、画家藤田嗣治、日本に帰国する。
- 4月、画家・彫刻家の藤田嗣治、三度目の渡仏。
- この年、画家・彫刻家の藤田嗣治、「パリ陥落」直前に脱出し、日本に帰国する。
- 9月、フランス降伏を機に、日本は「北部フランス領インドシナl'Indochine française」に進駐する。 ①「北部仏印進駐」
- 7月、日本、「日仏間議定書」を交換して、「南部フランス領インドシナl'Indochine française」に進駐する。 ①「南部仏印進駐」
- 2月、画家・彫刻家の藤田嗣治、パリの「サン・ラザール駅Gare St-Lazare」(8区)に到着する。
- 6月4日、遠藤周作(27歳)、戦後初めてのフランスへの留学のためフランス船マルセイエーズ号La Marseillaiseで横浜港を出発する。 ① フランスのカトリック教会の招聘による第1回カトリック留学生として。 ➁ 遠藤と同じく慶應義塾出身の三雲夏生(なつみ、倫理学を学ぶ)・三雲昴(たかし、化学を学ぶ)兄弟、と東京大学出身の井上洋治(23歳、カルメル会での修行のため)と、あわせて4人が同行する。
- 7月5日、遠藤周作、フランス南部のマルセイユMarseilleに到着する。
- 7月 日、遠藤周作、フランス北部ルーアンRouenの建築家ロビンヌ家Robinneに滞在する。
- 9月11日、遠藤周作、フランス北部ルーアンRouenからフランス南東部リヨンLyonに向かう(翌日到着する)。
- 9月、遠藤周作、フランス南東部の「リヨン国立大学Université de Lyon」に入学する。
- 11月、エールフランス航空Air Franceが、日本Japonの羽田空港Aéroport de Hanedaに就航する。
- 1月、1950年からフランスに留学していた遠藤周作、肺結核の病状悪化のため「赤城丸」に乗り帰国の途につく。
- 2月、遠藤周作、フランスから帰国する。
- 2月、画家・彫刻家の藤田嗣治、「フランス国籍」を取得する(5月、「日本国籍」を抹消)。
- 4月、この年、東京上野に、フランスの建築家ル・コルビュジエLe Corbusierの設計による「国立西洋美術館」が完成する。 ① フランス政府から寄贈返還された「松方コレクション(「印象派」の絵画およびロダンの彫刻を中心とするフランス美術コレクション)」を展示の中心とする。
- 10月、画家・彫刻家の藤田嗣治、フランス北東部ランスReimsの「ランス・ノートルダム大聖堂Cathédrale Notre-Dame de Reims」でカトリックの洗礼を受け、「レオナール・フジタLéonard Foujita」と改名する。
- この年、レオナール・フジタLeonard Foujita(藤田嗣治)、パリ南西郊外のヴィリエ・ル・バクルVilliers-le-bacleに隠棲する。
- この年、岡山市出身でパリで活躍する洋画家赤木曠児郎、フランスのパリに渡る。
- 8月、小説家Romancier石川淳、「ソビエト連邦作家同盟Union des écrivains soviétiques」の招待を受け、ソ連URSSを訪問し、東ドイツAllemagne de l'est、チェコTchèque、フランスFranceを訪れる。 ① 10月に帰国する。
- この年、画家・彫刻家のレオナール・フジタLeonard Foujita(藤田嗣治)、フランス北部のランスReimsに「ノートルダム・ド・ラ・ペ(平和の聖母)礼拝堂Chapelle Notre dame de la Paix(Chapelle FUJITA)」の建設を決意する。
- 8月、画家・彫刻家のレオナール・フジタLeonard Foujita(藤田嗣治)、フランス北部のランスReimsの「ノートルダム・ド・ラ・ペ(平和の聖母)礼拝堂Chapelle Notre dame de la Paix(Chapelle FUJITA)」の「フレスコ画」を完成させる。 ① 10月に「除幕式」が行われる。
- 12月、画家・彫刻家のレオナール・フジタLeonard Foujita(藤田嗣治)、パリの病院に癌で入院する。
- 1月29日、画家・彫刻家のレオナール・フジタLeonard Foujita(藤田嗣治)、スイスの「チューリヒ州立病院」で死去する(1886-、81歳)。
- 11月15日~17日、ジスカール・デスタン大統領Giscard d'Estaing、「第1回サミットSummit(先進国首脳会議)」を、パリの南西約50㎞の郊外にあるランブイエRambouilletで開催する。 ① 日本からは三木武夫首相が参加する。
- 5月、小説家Romancier石川淳、フランスFrance、イタリアItalie、オランダPays-Basを旅行する(~6月)。
- 10月3日、天皇皇后両陛下がフランスのパリに到着する。 ① パリでは「エリゼ宮」の別館「マリニー館Hôtel de Marigny」(8区、迎賓館)が宿舎となる。 ※「マリニー館Hôtel de Marigny」は、ポンパドゥール夫人Madame de Pompadourの弟「マリニー侯爵marquis de Marigny」アベル=フランソワ・ポワソン・ド・ヴァンディエールAbel-François Poisson de Vandièresの屋敷だった。 ➁ 8日までフランス(パリ、アルビ、トゥールーズ)に滞在。
- この年、パリParisで、山中昌之(大林組)とイギリスの建築家ケネス・アームストロングの設計による「日本文化会館Maison de la Culture du Japon à Paris」(15区)の建設工事が始まる(1997年に完成)。
- 5月、パリParisに、山中昌之(大林組)とイギリスの建築家ケネス・アームストロングの設計による「日本文化会館Maison de la Culture du Japon à Paris」(15区)が完成する。
- 6月10日、この年、サッカーの「ワールドカップ第16回大会coupe du monde」がフランスで開催される。 ① 会期は7月12日まで。 ② 日本、本大会に初出場。 ③ フランスが2得点を挙げたジネディーヌ・ヤジッド・ジダンZinedine Yazid Zidaneの活躍もあり、前回優勝国のブラジルを3-0で破り優勝する。
- 1月、「エリゼ宮Palais de l'Élysée」で「日仏首脳会談」が行われる。 ① ジャック・シラク大統領Jacques Chiracと小渕恵三首相。 ➁ 相撲好きの大統領に千代の富士の「横綱」が贈られる。
- 6月23日、「京都広場Place de Kyoto」の命名式が、パリ市長Le maire de Parisジャン・ティベリJean Tiberi・増田京都市副市長らの出席の下、パリの「日本文化会館Maison de la Culture du Japon à Paris」(15区)前で行われる。
- 12月4日、日本の建築家妹島和代と西沢立衛による設計事務所SANAAが、アメリカの設計事務所とともにプロジェクトに携わってきた「ルーヴル美術館ランス別館Louvre Lens」が、フランス北部パ=ド=カレー県Pas-de-Calaisの都市ランスLensの炭鉱跡地にプレオープンする。
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