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NOVEL

剣の国の黒猫
35) 嫌な予感がする

「嫌な予感がするぜ、ニルヒナ」

 タタロンはまた、そう言った。
 前にそうつぶやいたのは、王子のいなくなった小屋にうずくまるニルヒナを見た時だったか。いつものサボり口上ではない、確信にも似た疑惑の言葉だ。
 ニルヒナは走っていた足を止め、キッときびすを返す。

「何が言いたい」

 振り返った先、タタロンの顔が予想以上に近くにあり思わずギクリとした。
 その動揺を覗き込むように、タタロンがさらに顔を近づける。

「とぼけるなよ、ニルヒナ。お前から嫌な予感がするんだよ」
「……くだらない。今は逃げた王子を奪還することが先決だ。そんな事も分からないか?」

 言い返した言葉を裏付けるように、夜を裂いて指笛が鳴り渡った。仲間からの敵発見の合図である。
 しかし、その甲高い音が聞こえないかのように、タタロンの右手はニルヒナの小さなあごを無遠慮につかんだ。

「いいや、こっちの方が先決だ。お前に背後から襲われたら、たまったもんじゃねえからな」

 その声に抑圧された怒気を感じてニルヒナはつと目を逸らした――が、その先にあったのは不安そうなグズノロの顔だ。

「ねえ、ニルヒナ。敵がいたならどうしてすぐに知らせてくれなかったの? 僕ら、すぐ近くにいたのに」
「……別に。オルフェルを助けるのを先決にしただけよ」
「嘘だよ! だって、あんなにオルフェルに叩き込まれたじゃないか! まず何を置いても仲間を呼べって!」
「そのオルフェルが縛られていたから気が動転しただけなの! ただのミスよ!」

 苛々と言い返すニルヒナの目を静かに見つめた後、グズノロは悲しそうに眉根を寄せた。

「――フェイに、会ったんだね」

 わずかに走った震えを、二人の男は見逃してくれなかった。
 あごを掴んでいたタタロンの手に力が入り、グズノロは両手を振りながら叫ぶ。

「やっぱり、フェイに会ったんだね! 王子が奪われたのに、オルフェルが無事だったから変だと思ったんだ!」

 普段は足跡すら見逃すほど間抜けなのに、どうしてこんな時ばかり鋭いのか。
 顔を歪ませたニルヒナの視線を、タタロンは乱暴に自分に向けさせた。

「おい、ニルヒナ。まさかフェイだったから黙ってたのか? あいつだから、仲間も呼ばずに逃がしたってのか?」
「…………」
「分かってるのか! それは、裏切りだぞ!」

 怒鳴られても何も言い返さないニルヒナを見て、やがてタタロンは手を離し、深々とため息を吐いた。

「……ニルヒナ、まさかフェイに頼んでゴルゴンを抜ける気じゃないだろうな?」
「ちがう、私はただ――」

 ただ――なんだろうか?
 フェイの事など思い出すことすら少なくなっていたというのに、何故殺す事をためらってしまったのだろう。これが公になれば処罰されて当然の事態なのにだ。
 感情の渦で惑うニルヒナの肩を引き寄せたタタロンは、その耳元へ悪魔のようにささやいた。

「お前は絶対にここを抜けられない。フェイに取り入ろうたって、あいつは領主公女の婚約者。それに比べてお前はいったい何だ?」

 その言葉はさっきからずっと自分自信に言い聞かせていたはずの事なのに、なぜか心はえぐられるように痛んだ。

「なあ、お前はいったい何人殺したと思ってる? 罪のねえ奴らも俺達は迷わず殺ったよな? 俺は知ってるぜ。まだ立てもしねえガキをお前が殺した事もな」
「やめて、私は――」

 耳を塞ごうとした手をつかまれ、その先の言葉はタタロンの叫びによって上書きされる。

「――お前は人殺しだ! その手を月にかざしてみろよ。どろどろに染まったその赤黒い手で、いったい何を掴むつもりだったんだ! ああっ?」

 ニルヒナは耐え切れぬとばかりにタタロンの手を払い、肩を震わせて砂の上にうずくまってしまった。
 その様子を見て舌打ちしたタタロンは、後ろで傍観していたグズノロを振り返る。

「おい、俺たちだけで行くぞ。フェイの野郎を殺すんだ」
「――え?」
「えじゃねえよ! あいつが生きている限りニルヒナは使い物にならねえ。だが、俺達は三人揃ってようやくここまで認められた。もう少しで、上に手が届くんだよ! お前だって、こんな所であきらめたくないだろ?」
「う、うん」
「だから俺達の手で、確実にフェイを殺すんだよ。まさか出来ないなんて言わねえよな?」

 ぶるぶると首を振って答えたグズノロは、再び鳴り響く指笛の合図に顔を上げた。

「敵が、西にいる……だね」
「西に向かっているだと? 奴ら、南の巨道バイスレイトを目指しているんじゃなかったのか?」
「きっと、こっちの裏をかこうとしたんじゃないかな」
「……いいや、違うな。俺達が行くのはあっちだ」

 タタロンはまっすぐ南を指差すと、ニルヒナの小さな背中を見下ろした。

「誰かさんが裏切って暗号を教えていたら、敵はきっとこの向こうにいる」
「私は、そんな事――」
「うるせえよ! お前の過去を、俺が消してやる。それまでここでじっとしてろ」

 それがお前のためなんだ――タタロンはその言葉を飲み込み、グズノロを引き連れて南へと走り出した。
 後ろなど振り向くわけにはいかない。そんな事は許されないほどの罪を繰り返してきたのだ。

――もし振り返る瞬間があるとすれば

 そこでタタロンは小さく首を振った。
 しかし、ねっとりとまとわりつく嫌な予感だけは、相変わらず胸の奥から消えてくれそうになかった。



 ヒュイイイ ヒュイ ヒュウウウ

 エルカは夜空に向かって指笛を吹き鳴らし、その様子をフェイは心配そうに見つめていた。

「なあ、エルカ。本当にそれ大丈夫か。こっちの居場所を教えてるだけじゃないのか」
「大丈夫だ。奴らの口笛は全て長短と高低の二種類で合図を作っている。この手の暗号は法則が決まっていて、パターンさえ把握すれば実に単純だ。最初の一つが主語、次が方角。今回は北西に向かっていると信号を流した。これで少しは時間が稼げるだろう。さあ、急ぐぞ」

 エルカは仲間達を急かし、南に向かって駆け出そうとした――が、その直後、背後から鋭い音がその足を止めた。

 ヒュウイイイイイイ ヒュイイイ

 慌てて振り返ったエルカ達の先に、二人の男がぼんやりと月明かりに浮かび上がる。

「なら、今の合図も分かるよな? 敵はここだって意味だぜ」

 一人がニヤニヤと薄笑いを浮かべながら、腰のショートソードを抜き放った。

「くそ! なぜ感づかれた――おい、フェイ?」
「……タタロン」

 フェイのつぶやきに呼応するように、その脇からもう一人の男が進み出た。

「フェイ、ひさしぶりだね」
「お前、グズノロか?」

 わずかに嬉しそうなフェイの言葉を拒絶するように、グズノロもまた懐から小刀を取り出した。小刀と言っても、刃渡りはフェイのダガーよりも拳二つ分ほど長い。それを構えたグズノロの姿は、小さい頃のおぼつかなさなど微塵も無かった。
 そう、今目の前にいるのは懐かしき幼馴染ではなく、殺気に満ちた二人の追っ手だったのだ。

「嘘だろ……」

 ふらりと一歩下がったフェイの肩を、エルカががっしりと掴む。

「フェイ。この期に及んでまだ『殺すな』とは言わないだろうな? 奴らの増援はすぐにでもやってくる。こいつらだけでもすぐに始末しないと、危険は広がる一方なんだ」
「…………」
「おい、フェイ!」

 目の前にあるのは、滅多に見せないエルカの焦った表情。それだけ、危険な状況なのだ。このままフェイが我を通すなら、エルカ達をさらなる危険へと突き落とす事になる。そんな事、痛いほど分かっている。
 でも、この二人だけは殺したくない。せめて捕らえて、生きていて欲しい。
 ならば今、どうするべきか。

――自分の責任は自分で取る

 フェイは頷いて、肩を掴むエルカの手をゆっくりと払った。

「エルカ、もう殺すななんていわない。でも、あの二人だけは殺したくないんだ。だから俺があの二人を引き付ける。その間に、なんとか逃げてくれ!」
「お、おい! フェイ!」

 エルカの静止を振り切り、フェイは砂漠の上を疾走した。
 そして、懐かしい二人へと近づくと、震えそうな声で精一杯叫んだ。

「こっちだ! タタロン! グズノロ!」

 怪訝な顔を浮かべた二人だったが、走り去ろうとするフェイを見るや、野犬のようにその後を追いはじめたのだった。



 エドガーは王子らしく、胸を張って尋ねた。

「ゴリネル将軍! なぜ生きているとは、一体どう言う事ですか!」
「……そうか、クラーのヤツめ、さては秘薬を使って王子を操ろうとしたな。俺を用済みにするつもりだろうが、天は我に味方した」

 ゴリネルは答えとは違う言葉をブツブツとつぶやくと、嬉しそうに鈍く光る剣を抜き放った。それを見たエドガーは怯えの表情を浮かべ、横にいたルナはゴリネルとエドガーの間に割って入った。

「あ、あなたっ、将軍なのに、何考えてるんですかっ! こんな可愛い王子様を!」
「なんだお前は?」
「わわっ! 近づかないでください!」

 慌てて手に持っていたボウガンを突きだし、威嚇する。
 その危なっかしい挙動に、ゴリネルは頬を引きつらせて一歩下がった。

「貴様、将軍であるこのわしに何をしているか分かっているのか! 死にたくなければ、さっさとそこをどけっ!」
「どきませんっ!」

 ルナはボウガンを構えたまま、逆に一歩を踏み出した。
 とは言え手も足もガクガクと震え、人殺しなど想像しただけで気が遠くなった。
 それでも、この背後にある者だけは守らねばならない。
 ルナは決死の覚悟を決めると、胸を張り心のままに叫んだ。

「私は何があってもここをどきませんっ! たとえ、神が砕けようと!」
「砕くなっ! 貴様、それでも神官か!」

 ゴリネルは思わず突っ込んだが、ルナは堂々と胸を張って答えた。

「違います! 私は神官見習です!」
「…………」

 ゴリネルは痛そうにこめかみを抑えた。
 だが、それも一瞬の事だ。すぐに剣を構え直すと、ルナに向かって突きつける。

「いいか、わしはゴルゴンを何度も撃退した英雄だぞ。貴様ごとき、相手にすらならんのだ! 分かったらさっさとそこをどかんか!」

 ずいと伸びてきた剣にバランスを崩したルナは、視線を一瞬ゴリネルから地面へと移してしまった。ゴリネルは機を逃さず剣先でボウガンを弾き飛ばし、とどめを刺そうと剣を振りかざす。
 その直後だった。

 ゴゴゴゴッゴゴゴゴゴゴオッ

 腹の奥から突き上げるような轟音が、地を伝って大地を揺るがす。
 そして石臼で粉を引いた音を何倍も大きくしたような、そんな軋んだ地響きが近づいてくるのだ。
 ゴリネルは手を止め、肩をすくめて辺りを見回した。
 そして、接近する黒い物体を見て文字通り飛び上がった。

「なぜあれがっ!」

 悲鳴に似た叫びに続いたのは、王子の嬉しそうな声だった。

「ダンプだ! ルナさん、ダンプですよ!」
「ダン、プ?」

 ルナは目を凝らしてソレを見つめた。
 バイスレイトを疾走するダンプと呼ばれたそれは、まるで巨大な棺おけだった。真っ黒な鉄の塊が大量の白煙を吹き上げ、竜馬の馬車よりも早く接近している。
 と、突然棺おけの下から大量の火花が散った。

 ギギイイイイイイ

 何十万匹のアブラゼミが擦り潰れたような音が、大気を埋め尽くした。
 その音に耐え切れずルナはボウガンを投げ捨てて耳を塞いだが、音はハッキリとした振動となって体を伝ってくる。だが、その音と引き換えに鉄の塊は速度を殺し、ルナが恐る恐る目を開いたときにはすぐ近くで停止していた。
 鉄の塊はシュウシュウと奇妙なうなり声を上げたかと思うと、次の瞬間、中央にあった扉が跳ねあがった。
 そして、中から蒼く輝く鎧兜を身に付けた老人がぬっと姿を現す。

「ゴリネル……」

 怒気を孕んだ声が、低く轟く。

「グッ、グロスター王!」

 ゆっくりとタラップを降りる人物を見て、ゴリネルはそれこそ目が飛び出るように驚愕した。

「我が最愛のエドガーに、何故剣を向けておる?」
「あっ、あの、これは」
「アイオール!」

 王の掛け声と共に、青い影がダンプから飛び出し、そのままゴリネルに突進した。そしてすれ違いざまに剣を天高く払い上げると、次いで息を吐く間もなくその太った腕を捻り、動きを封じた。
 ゴリネルは何が起こったのかすら理解できない表情で地面に転がされ、王は地に這いつくばった将軍を鬼のような形相で見下ろした。

「ゴリネル、言い分は後でたっぷりと聞かせてもらうぞ」

 しかし、その怒りに満ちた王に、なんの警戒も無く走りよる人物があった。

「父上っ!」
「おおおっ、エドガー! 無事だったか!」

 グロスター王は先ほどの怒気の孕んだ声とは別人のような優しい声を上げると、駆け寄り、息子を抱きしめた。

「父上、申し訳ありません。僕が不甲斐ないばかりに……」
「何を言う、よくぞ、よくぞ無事でいてくれた」

 それ以上の言葉は要らなかった。ただひたすら、互いの生を確認するようにきつく抱き合ったのだ。
 感動の再開を見て、後ろからルナはそっと涙を拭った。

 トントン

 その肩を後ろから叩かれる。
 何かと思い振り向くと、金髪に二本の尻尾が左右に揺れていた。

「あああっ! セシリア様!」
「フェイは? フェイはどこ?」
「へ? ……ああああっ! あのね、ちゃんと覚えてたよ? ええと、今、盗賊に追われてて、方角は、ええと、あっち――だと思うんだけど」

 フェイ達の事をすっぽり忘れていたルナは、慌てて支離滅裂な説明をする。
 しかし、セラは重要な部分を聞き取ることに成功していた。

――フェイはこの向こうにいる

 大きく頷き、その小さな指で一点の方角を指し示し、王に向って声を張り上げる。

「王様! あそこで、今あの場所でフェイが戦っているのです。力をお貸し下さい!」
「父上、私からもお願いします。フェイさんは僕を命懸けで助けてくれた恩人なのです」

 王子にも請われ、王は深々と頷くやアイオールに指示を飛ばす。

「ダンプを北に向けろっ! 今すぐ救出作戦を実行する」
「む、無茶です! これはバイスアルムを走るようにしかできておらず――」
「だまれ! 無茶かどうかなど、後で決めればいい事だ!」

 アイオールはその言葉を覚えていた。王に仕えて30年、散々その言葉に泣かされたのだ。
 しかし、今この瞬間だけは、その言葉をこの上なく嬉しく感じた。
 アイオールは両の拳を合わせ王への忠誠を誓うと、機関士に向けて声を張り上げた。

「ダンプ、進路を北へ取れ! 剣の王のご下命ぞ! 命尽きるまで走らせろ!」



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