楽天市場
[無料でホームページを作成] [通報・削除依頼]

NOVEL

剣の国の黒猫
33) 王の目は狂気に染まる

 王の目は狂気に染まる。
 たかが公爵の小娘に剣の王たる者が頬を叩かれたのだ。
 こんな事は前代未聞であり、耐えがたい屈辱であった。

「……これが、証拠だと?」

 立ち上がった王の威圧感は、衰弱した老人とは思えぬほど凄まじかった。いや、むしろ病的なまでにやつれた姿と落ちくぼんだ眼こそが、王の怒りをいっそう禍々しいものにさせていたのだろう。後ろで見ていたリーガンとコーディリアですら肌があわ立ったほどだ。

「貴様も公女ならば分かっていような。王に手を上げた者は死罪だと……」

 グロスター王は玉座から一歩踏み出して睨みつけるが、それでもセラは引かなかった。
 怖くないわけではない。それどころか恐ろしさのあまり、目の端からせり上がってくる涙を抑えることが出来ないほどだ。腹の奥がきゅうと縮こまり、足も立っているのがやっとだった。

――でも、フェイも今、命を掛けてる

 その一心でセラは歯を食いしばり「はい」と小さく頷く。

「なれば死ぬ前に答えよ!」

 王は吠え、腰に下げていた剣を荒々しく引き抜いた。
 玉座の間を照らすいくつもの灯火を受け、その重厚な剣は血塗られたように輝く――この剣の国シュバートの起源とも言える『王の剣』だ。
 その切っ先は王の狂気を体現するかのように、セラの眼前でカタカタと震える。

「この愚行の、一体何が証拠だと言うのだ!」

 怒声に全身がこわばり、同時に揺れる切っ先が鼻をかすめ、思わず仰け反りそうになった。
 引いちゃだめ――セラは逃げそうになった心をスカートを固く掴んで、辛うじて心を繋ぎ止める。
 そして、震える小さな声で答えた。

「こ、これで王様は、私を、いつでも殺せます。私は、もう裏切れません。ですから……」
「だから余の親衛隊を出せ――そう言いたいのか?」

 コクンと頷いたセラの鼻先から、王の剣がゆっくりと離れていく。
 驚いて王の顔を見ると、その唇の端がわずかに上がった。

――よかった、これでフェイを助けに行ける

 安堵の息を吐こうとした瞬間、抜き身の剣がセラの足元へ無造作に放り投げられた。

 ギイン――キンッ――カンッ――カラン

 触っただけで切れそうな刃が、床の上で踊るように飛び跳ね、セラは思わず足を引いた。
 そして再び眼を上げて見たものは、さらに色濃い狂気に染まった王の瞳だった。

「なればその剣で、証明して見せよ」
「……え?」
「今ここで、自らの首をはねてみせよ――そう言っているのだ」

 氷水をぶちかけられたような悪寒が走り、しかし、目の奥だけが熱く脈打つ。
 呆然とするセラを、王は底冷えするような言葉で追い詰める。

「できぬのか? 死ぬ覚悟も無いのに、余に手をあげたのか?」

 死ぬ覚悟はあった。いや、あったつもりだった。なのに、手はピクリとも動いてくれない。
 覚悟など言葉だけだったのか――そう自分をどれだけ叱責しても、その鋭い刃を見るだけで身がすくんでしまう。
 悔し涙が一筋、頬を伝った。

――だめ。取らなきゃ、剣を、取らなきゃ

 恐怖をだますように繰り返し念じ、ガクガクと震え続けるヒザを必死で折り曲げる。
 そして、セラの短い手はようやく剣の柄に触れた。

「んっ――」

 剣は、ひどく重かった。
 大人の腕ほどの短い剣なのだが、持ち上げようとしただけで体がよろめく。
 両手で柄を持ち直して引き上げると、垂れ下がった刃をなんとか胸元へ持ち上げた。
 そして、頭上に掲げると、ゆっくり自らの首筋へと近づけようとした。

「っ!」

 剣の重みに手が止まらず、覚悟のままならないまま刃が首に当たった。
 慌てて引き上げたが金色の髪が数本散らばり、次いであごから伝い落ちた血が玉座の前に赤い染みを作る。

「も、もういいでしょう! 王よ!」

 耐え切れないと言わんばかりに、背後からコーディリアが声を上げた。

「セシリア様! あなたの大切な人は、自分のためにあなたが死んで、それで喜ぶ男だとでも思っているのですか! おやめなさい!」

 必死で止めようとするその声に、それまで現実感のなかった死がハッキリと顔を現す。

――死ぬんだ。私、今から死ぬんだ……

 視界の隅でコーディリアが美しい顔を強張らせていた。
 あの冷静なリーガンですら顔が真っ青だ。
 今更ながら、とんでもない事をしているのだと気付く。

――私が死んだら……フェイも、泣いてくれるかな

 こんな状況なのに、ついそんな考えが頭を過ぎった。
 フェイに迷惑ばかりかけてきた自分が、今になって何を期待しているのかと呆れるばかりだ。

 だが、それでも分かっていた。

 バカだアホだと罵りながら、それでもフェイは、こんな私のためにも涙を零してくれるだろう。
 だから、私はここまで来たんだ――そう思い出して、体の震えが少しだけ収まった。

「コーディリア様……私、フェイのために死ぬんじゃありません」

 もう誰かを言い訳に生きる事はやめたのだ。誰かを理由に死ぬこともしない。
 全部、自分が決めるんだ。絶対に誰のせいにもしない。

「これは私が私であるためにやる事。私が生きている証」

 そうだ。フェイと会うまでは、私はきっと死んでいた。どこにもいなかった。
 それがたった数日で全て変わってしまった。世界は色づき、始めて時が流れるのを悔しいと感じた。
 フェイに逢うたびに鼓動は静まる事を忘れたように加速していき、きっと、もう一生分を打ち終わったのだ。

――だから

 涙が流れるのは止められない。
 腹の奥がよじれるほど怖いのも、消しようが無い。
 しかし、セラは狂気に染まる王の目を、真っ向から見返した。

「王様。必ず親衛隊を、お貸し下さい」

 最期にそう告げると目を閉じ、両手に力を込めた。


――痛く、ない?

 痛みを感じる間もなく一瞬で全てが終わってしまったのか、そう思ったセラはうっすらと目を開けた。
 目の前に王の手があり、セラの手の上から剣の柄を掴んでいた。
 あの老体の細腕一本がセラの腕ごと、肌に触れる直前で止めていたのだ。
 王はセラの手から剣をいとも容易くもぎ取ると、軽々と刃先を振り回し、腰の鞘へと収めてしまった。

「……あ、あれ?」

 同時にセラの体から力がストンと抜け、その場にへたり込んでしまった。
 それきり立ち上がれなくなったセラの頭上に、王の渇いた声が降る。

「何故、そこまでやれるのだ……何故、貴様は死の恐怖に抗える?」

 忌々しげな、しかし、何かを期待するかのような声に、セラは視線を上げた。
 何故、死の恐怖に勝つことができたのか――答えは簡単である。こんなにも明確に、この胸に存在しているのだ。
 セラは胸に手を当てて口を開いた。

「それは――」

 しかし、その先を言葉にすることが出来なかった。
 この胸を埋め尽くしている何かが、言葉にできないものだとセラは知らなかったのだ。
 しばらく悩んだ後で、セラは結局ずいぶんと遠回りな答えを選んだ。

「私は、ついこの前まで、どこにもいませんでした」

 セラはゆっくりと目を閉じた。
 まぶたの裏に浮かんだのは自分の部屋。閉じこもって暮らしていた空虚な日々。灰色の世界。

「私は何も知ろうとせず、何も求めず、何もしませんでした。まるで死んだ人間のように、世界を拒絶していたのです」

 その言葉に王の顔が歪む。今の自分がまさにそれだったからだ。
 セラは知らなかった。王の心から愛していた王妃が、一昨年に毒殺された事など。
 あの時、たまたま遅く食べはじめた王は、苦しむ妻を見て慌てて食事を吐き出し、そのお陰で片方だけが助かってしまった。
 あれ以来、王は誰も信用せず、誰も寄せ付けなくなった。

「――でも、私に大切な人ができました」

 セラの目が、ここにはいない遠くの誰かを見つめる。
 その目のはかつて、死んでしまった王妃の真っ直ぐな視線に似ていた。

「あの時から、一秒一秒の重さが変わりました。部屋でじっとしていると気が狂いそうになるほどに……そして、愚かな私は、間違った選択をしました」

 途端にセラの顔が悲しみに歪んだ。
 そこにあったのは、取り返しのつかぬ果てしない後悔。

「なのに私は愚かで、そのせいでフェイが苦しんでいるのも知らずに――私のせいでフェイが殺されそうになっていると言うのに、私は守るどころか、苦しめてばかりで……」

 王の顔も同じように後悔に歪んだ。
 愛すべき人を守れなかった事を、悔やまぬ日はなかった。
 そして、今、エドガーまでも守れなかったのだ。

「なのに、それなのに、こんな私に、フェイは言ったのです」

 求めるような王の目を真っ向から見つめ、セラは誇るように胸を張った。

「お前は生きている。生きているなら証拠を示せ。腐っている暇なんかないんだぞ――って」

 王の心臓が跳ね上がった。
 まるで気の強かった王妃が、この少女の体を借りてそう言った気がしたのだ。
 動揺する王へ、セラは立ち上がりながら必死で言葉を続ける。

「フェイは今この時も、エドガー王子を救出しようとゴルゴンと命を賭けて戦っています。どうか、親衛隊をお貸しください!」
「……だが、今さらそんな事をしても、おそらく間に合うまい」

 その言葉にセラは顔を真っ赤にして怒った。

「これが私に許されたたった一つの事です! やれる事があるのに、どうして命を懸けずにいられますか! 間に合うかどうかなど、何の問題になると言うのですか!」

 セラは王に向かって力強く指差した。
 その指は小さくとも、まっすぐに王の心を刺し貫く。

「剣の王よ、あなたはまだ生きています! ならば、その証拠を見せてください! 腐っている暇などありません! エドガー王子は、他の誰でもない、あなたの助けを待っているのです!」

 王の体がブルリと震え、その目に光が戻った。
 よどんでいた瞳が蒼い輝きを発するのを、セラは確かに見たのだ。

「アイオール!」

 王の呼び声に、一人の騎士が駆けつけ玉座の横にひざまづいた。

「アイオール、エドガーがゴルゴンに誘拐された。至急、城中の親衛隊を集めよ」
「し、しかし、王よ。我々親衛隊はあなたの盾、何があってもあなたのそばを離れるなど――」
「痴れ者がっ! 余が出向くと言っているのだ!」

 アイオールと呼ばれた騎士は下げていた頭を跳ね上げた。
 そして、その目に涙を浮かべる。

「王よ、戻られたのですかっ!」
「何を訳の分からぬことを…………おお、そうじゃ! 貴様が自慢していたアレは動かせるようになったか?」
「はい。半年前より王のご下命を待っておりました」
「ふん、ずいぶん埃がかぶっておろうな。事は一刻を争う。急ぎ準備しろ!」
「ハッ!」

 アイオールは歓喜の応と共に、全力で走り去っていった。

「さて、セシリア=ラドクリフよ」
「は、はいっ!」

 セラは名を呼ばれ、ビシリと姿勢を正した。
 その姿は祖父に怒られている孫の図である。

「残念だが、王へ手を上げたものは死罪だ。それは忘れておらぬな?」
「は……はい」
「しかし、王をいさめただけなら、何の問題も無い。いや、むしろ良くぞ言ってくれた。お前のおかげで余は剣の王だと言う事を思い出せたのだ。礼を言うぞ」
「は、はい。いえ、あの、もったいないお言葉です」
「ふぁっはっはっは! その礼にな、この剣の国の取って置きを見せてやろう」

 王は微笑むと、不器用なウインクをセラに贈ったのだった。



ご感想は↑こちらから
誤字報告も助かります


アルファポリスに投票




NNRに投票


アクセス数
ページビュー数