NOVEL
剣の国の黒猫
28) 本当に帰ってもいいんだな?
「本当に帰ってもいいんだな?」
フェイがこう聞くのは三度目だった。
その顔は懐疑色にすっかり染まっており、このまま何事もなく帰れることが不思議でならないらしい。
不幸なれとはこういう事を言うのかと、エルカは苦笑を漏らした。
「もちろんだ。私はここでやることが残っているから、フェイは先にエルカーナへ帰って休んでくれ」
「やること?」
「ああ、クエストの依頼を書面として残しておきたいし、報酬の話もまとまっていない。それに、あのディアナと言う女――どう言う意図があるのか調査しておく必要がある」
「で、でも……エルカは、その、体とか大丈夫なのか?」
こんな時でも人の心配かと、フェイのお人好しぶりにエルカは呆れるを通り越して感心すらしてしまった。
「私の事は気にするな。それより明朝には出発するんだ。今晩は十分に休んでくれ」
それでも一人で帰ることを申し訳ないと思っているのか、フェイが迷った顔を見せたので、エルカは肩を落として「ただし」とフェイの背後を指差す。
そこにいたのは、相変わらず落ち込んでいるコノハだった。
「その代わりと言っては何だが、私の代わりに彼女を送って欲しい」
「コ、コノハを、俺が?」
「嫌なのか?」
「嫌って言うか……ほら、さっきのコノハ見たろ? 絶対普通じゃなかったって。コノハのやつ最近ピリピリしててさ、正直、何考えてるか分からないんだよ」
エルカは心の中で、この朴念仁と軽く毒づく。
「だが、コノハは命をかけてお前を助けようと来てくれたんだ。それに、彼女の様子がおかしかった事ならもう心配ない」
「心配ないって、なんでそんなことが分かるんだよ! めちゃくちゃ怖かったんだぞ!」
分からないのはお前だけだ――と言いそうになるのを喉元で抑え、エルカはため息を吐いた。
「もしそこまで心配なら……ふむ、そうだ。彼女を背負っていくがいい。それで昔のように戻れるだろう」
「せ、背負うって――ほんとにそんな事で戻るのか?」
「ああ、大丈夫だ。ついでに助力も頼んで欲しい。コノハがいれば心強いからな」
「……まぁ、エルカがそう言うなら」
しぶしぶと動こうとしたフェイを見て、エルカは「ああ」と忘れていたように声を上げた。
「そういえば、ルナもお前を心配してエルカーナで待っている。今回のクエストは彼女の助けが必須だ。同行を頼んでおいてくれるか?」
「ルナが? よし、分かった! 任せとけ!」
途端に上機嫌なったフェイは、さっさときびすを返すと一目散にコノハを迎えに行く。
その嬉しそうな後姿を見て、エルカの口元がニタリと歪んだ。
――セラは脱落したが、これはまだまだ楽しめそうだな
根本的なところで、エルカはまったく懲りていなかった。
「師範を頼む」
放心するコノハを見守っていたカシムは、やっと開放されたとばかりに立ち去ろうとした。
その見事な背筋に向かってフェイは声を掛ける。
「ちょ、ちょっと待て、カシム!」
「なんだ、俺は忙しいんだ」
「いや、あんたが何でコノハを師範とか言ってるんだ?」
その途端、カシムの表情が怒りに歪んだ。
なにやら炎のような怨念さえ見える。
「お前を倒すために決まっている! ゼクス領一と名高い師範に槍術を鍛え直してもらい、いつの日か貴様にリベンジしてやるのだ!」
「リベンジなら思いっきりしたじゃねーか! 椅子ごとぶっ飛ばしやがって!」
「あんな不意打ちなど勝負の数に入らん。今度こそ正々堂々と真剣勝負をしてもらうからな」
「ふざけんなっ! 数に入れろよ! こっちは死ぬかと思ったんだぞ!」
しかし、フェイの叫びはまったく届かない。
カシムは月をまぶしそうに見上げ、誓うようにつぶやいた。
「貴様を倒すまで……俺は一歩も進めない」
「そのノリやめろよっ!」
しかし、カシムは結局フェイの言葉など最後まで聞かずに、長を探さねばと去っていった。
ドッとでた疲れにフェイは息を一つ落とすと、早く帰らねばと、傍らでひざを抱えて落ち込みまくっているコノハに小声で呼びかける。
「おーい、コノハ」
試しに呼んでみたが、相変わらず反応は無い。
我を失って暴れた後は大抵こうなるのだが、今日のは特に酷いようだ。
しかし、これ以上遅くなるのもルナに悪い――そう思ったフェイは、エルカの助言通りコノハを背負うことにした。
「頼むから、いきなり殴るなよ……」
フェイは引き上げるためにコノハの両手首をおそるおそる掴む。すると、それは意外なほどに細かった。
とにかく強いイメージしかないコノハだが、その実、非常に華奢な女性だと思い出す。
――九年前、はじめて会った時は男だと思ったのにな
吊り上った怒りの目でフェイの前に突如現れたコノハ、あの頃短かった髪が今では胸元まで届こうとしていた。
何もかもが変わっていく、おかしいのは変わらない自分なのだろうか――戸惑いを打ち消すようにフェイは作業に没頭した。
うつむき続けるコノハの前に座り込むと、肩にその細腕をのせ、足を抱えると慎重に立ち上がった。
コノハの顔が、フェイのすぐ横に迫った。
――あ、あれ?
その瞬間、フェイは違う女性を背負ってしまったかと焦る。
別人のような綺麗な肌、憂いを帯びた表情、いつもと違う髪型。
――ち、違う、これはコノハだ。ただのコノハだ
フェイは必死で自己暗示をかける。
しかし、ことさら意識しないようにすると、逆に色々と気になるものだ。
背中の温もり、甘い香水の匂い、腕にかかる柔らかな重み。
「エルカ、騙しやがったな……」
フェイはエルカの消えて行った方角を睨むと、一刻でも早くこの状況をなんとかしたくて、人気のいない門を早足で出て行った。
満月の夜、巨道バイスアルムにある商店街は遅くまで活気に溢れかえる。
屋台の焼きチーズの匂い。調子外れの歌のような大道芸人たちの掛け声。月明かりを照らす白い巨道の淡い白色光……何もかもがフェイの胸に懐かしかった。
――そう言えば、最近ここに来てなかったな
昔は満月の夜になると、コノハとクロフとの三人で金も無いのに巨道商店街に繰り出したものだった。
大道芸の演劇を遠くから盗み見たり、武器のたたき売りを冷やかしたり、金を出し合って焼きチーズ一本を分け合い、時には自警団を気取ってみたりする。
そんな事が、あの頃は無性に楽しかった。
――まあ、どっちかって言うと、俺とクロフはコノハに引きずられてただけか
コノハは正義感の塊のような人間だった。
困った人を見れば周囲を巻き込みつつも助け、絡んでいるチンピラを見れば、相手がどれだけ強そうでも間に入った。知り合いが犯罪に関われば、どれだけ時間をかけてでも後悔させた。
一言で言えば正義の押し売り屋である。
しかし、そんな彼女の隣にいた事は、決して不快ではなかった。むしろ、何を考えているのか分からない今の方が、よほど嫌である。
すっかり女らしくなってしまい、フェイと話すときなど、始終怒っている様にも感じられる。
そこに来て今日の出来事であった。
このままコノハが平常に戻ったら、どんな事態になるだろうか?
こうやって背負っていることも、弱みに付け込んだハレンチな行為だと烈火のごとく怒るのだろうか?
「――フェイ」
突然コノハが声を出し、フェイの心臓が口から飛び出しそうになった。
「あーっ、なんだ、お前、あの、おまえさ、あの、全然反応しなかったから」
「――うん、ごめんね」
素直に謝られてホッとしたものの、胸の中にはモヤッとしたわだかまりが残る。
昔のコノハは謝ることが何より大嫌いだった、なのに――フェイは胸に溜まった黒いモノを出すように、すこし棘のある言葉をコノハに吐いた。
「お前、今日すごい変だった。まるで悪魔だ」
「…………ごめんね」
泣きそうな声で謝るコノハに、フェイは怒りがこみ上げてきた。
フェイの中でコノハは最強だったのだ。どこまでも真っ直ぐな彼女は痛快で、その生き様には憧れすらあったのだ。
――こんなの、コノハじゃない!
怒りだけではない。
さっき感じてしまった女性の部分。コノハだけが変わってしまったような戸惑い、そして不安、そんなものがグシャグシャと頭の中をかき回し、整理がつかなくなっていた。
だから、フェイはよく分からない気持ちを、よく分からないままコノハへぶつけた。
「おい、コノハ! 元気になったんのなら、さっさと自分で歩けよ!」
「……もうちょっとだけ……お願い」
弱気で、甘えたような声。
心臓が高鳴るのは怒りのせいか、戸惑いのせいか、それとも、
――エルカはコノハを背負えば昔に戻れると言っていたのに……
それどころか、どんどん戻れない場所まで進んでしまっている気がした。
これ以上、訳のわからない所へ行きたくない――そう思ったフェイは、それ以上言葉が出せなくなった。
「ねぇ、フェイ。あそこ覚えてる?」
沈黙に耐えれなくなったように、コノハはその細い指で一点を指した。
その先にあるものは潰れたままになっている娼館だ。
もちろん、フェイはその場所を覚えていた。あそこで人さらいまがいの営業をしていた親父に、キツイ天誅を下したのはコノハだ。フェイも情報収集をやらされ、あげくに覗き少年と勘違いされ衛視に捕まったのだ。忘れる訳がない。
しかし、フェイが答える前にコノハは指を横にスライドさせた。
その先にあるのは一本の木――あの大きな枝の上に三人で座り、よく大道芸を覗いていた事を思い出す。
次に指したのは、深夜の町を闊歩するラマの馬車。あの後ろにコッソリと乗りこみ、この広い町を何度も何度も横断した。
コノハはそれからも次々と町に染み付いた思い出を指差した。
べつにフェイの答えを期待したのではない、ただ――
「昔に、戻りたいな」
コノハのつぶやきに、フェイはようやく気がついた。
コノハだって昔の自分に戻りたかったのだ。
「戻ればいいじゃないか。簡単だろ。昔みたいにふんぞりかえってさ」
「できないの……あたし、今、すごい弱くなってる。自分で分かるの。気付くと今日みたいに無茶苦茶になってて、もう、訳が分からない」
「コノハ……」
それ以上、かける言葉が見つからない。
気まずい沈黙が、しばらく続く。
そして何か言わなくてはと、無理やり言葉を出そうとした時、フェイの首を包むコノハの腕にギュッと力が入った。
「……あたし三年前にね、ルナから聞いたの。フェイがあたしのこと、その、どう思ってるか」
フェイはビクリと身を振るわせた。
何かまずい事でも言ってたのだろうかと、必死で記憶を探る。
しかし、特に陰口を叩いた記憶は無い。ルナに何か言ったとすれば、せいぜいゼクス領で一番強のはコノハなんじゃないかと軽口を叩いたくらいだろう。
後ろから長い長い深呼吸が二度、聞こえた。
「あのね、その…………今でも、あたしのこと、同じように思ってる?」
「――ああ、何だ。そう言う事か」
「何だって何よ! あ、あたしにとっては、すごい大切な事で――」
「あの時と一緒だよ。今だって、コノハが一番だと思ってる」
「っ!!」
背中でコノハが身を震わせた。
――強いって思われることが、コノハには大切なことだったんだ……馬鹿だな
馬鹿はお前だ。その時エルカがいたら、間違いなくそう突っ込んでいただろう。
しかし、エルカならざるフェイは、それでコノハの不調の原因が分かったような気になり、ホウと息を吐いた。
「コノハ、もう大丈夫か?」
「え――あ、うん」
「そうそう、明日からのクエスト、コノハも手伝って欲しいんだよ」
「え、クエスト? なにそれ?」
あれだけ目の前で騒ぎになっていたのに、コノハは全く気付いていなかったのだ。
昔からキレると本当に周りが見えなくなる。
フェイは口元を綻ばせると、事情を説明した。
「王子様が誘拐された!? それって一大事じゃない!」
「そうだよ。だから、早速明日から王子を探すんだけど、よかったら手伝ってくれないか?」
「あんた、また巻き込まれたね」
「う……面目ない」
背中からわざとらしいため息が漏れ、やれやれといつものコノハの声が降ってきた。
「しょうがないわね、手伝ってあげるわ」
その言葉を聞いた途端、フェイは急に笑いがこみ上げてきた。
そうだった。コノハはいつも『しょうがないわね』だった。
困っている人が助けを求めれば、いつだって彼女はその一言で全力を尽くすのだ。
「何よ、なに笑ってるの」
「いや、コノハっていつもそのセリフだなって思ってさ。素直にオーケーって言えないのかよ」
「何よっ! だいたいあんた、髪がすごい臭いわよ! 臭いがドレスにうつっちゃうじゃない!」
「なっ――ずっと牢屋だったんだからしょうがないだろ! だいたい臭いなら早く降りろよ!」
「なに? このあたしが重いって言うの? いい度胸してるじゃない!」
「本当の事じゃねーか!」
そう、本当だった。本当にエルカの言ったとおり、昔に戻れた。
――ありがとな、エルカ
こうして、二人はギャアギャアと言い合いながら白い道をゆっくりと帰っていった。
しかし、やはり全てが同じ事ままなどありえない。
ただフェイが気付かなかっただけなのだ。
コノハの顔が月明かりにもハッキリと、赤く染まっていた事に。
フェイがこう聞くのは三度目だった。
その顔は懐疑色にすっかり染まっており、このまま何事もなく帰れることが不思議でならないらしい。
不幸なれとはこういう事を言うのかと、エルカは苦笑を漏らした。
「もちろんだ。私はここでやることが残っているから、フェイは先にエルカーナへ帰って休んでくれ」
「やること?」
「ああ、クエストの依頼を書面として残しておきたいし、報酬の話もまとまっていない。それに、あのディアナと言う女――どう言う意図があるのか調査しておく必要がある」
「で、でも……エルカは、その、体とか大丈夫なのか?」
こんな時でも人の心配かと、フェイのお人好しぶりにエルカは呆れるを通り越して感心すらしてしまった。
「私の事は気にするな。それより明朝には出発するんだ。今晩は十分に休んでくれ」
それでも一人で帰ることを申し訳ないと思っているのか、フェイが迷った顔を見せたので、エルカは肩を落として「ただし」とフェイの背後を指差す。
そこにいたのは、相変わらず落ち込んでいるコノハだった。
「その代わりと言っては何だが、私の代わりに彼女を送って欲しい」
「コ、コノハを、俺が?」
「嫌なのか?」
「嫌って言うか……ほら、さっきのコノハ見たろ? 絶対普通じゃなかったって。コノハのやつ最近ピリピリしててさ、正直、何考えてるか分からないんだよ」
エルカは心の中で、この朴念仁と軽く毒づく。
「だが、コノハは命をかけてお前を助けようと来てくれたんだ。それに、彼女の様子がおかしかった事ならもう心配ない」
「心配ないって、なんでそんなことが分かるんだよ! めちゃくちゃ怖かったんだぞ!」
分からないのはお前だけだ――と言いそうになるのを喉元で抑え、エルカはため息を吐いた。
「もしそこまで心配なら……ふむ、そうだ。彼女を背負っていくがいい。それで昔のように戻れるだろう」
「せ、背負うって――ほんとにそんな事で戻るのか?」
「ああ、大丈夫だ。ついでに助力も頼んで欲しい。コノハがいれば心強いからな」
「……まぁ、エルカがそう言うなら」
しぶしぶと動こうとしたフェイを見て、エルカは「ああ」と忘れていたように声を上げた。
「そういえば、ルナもお前を心配してエルカーナで待っている。今回のクエストは彼女の助けが必須だ。同行を頼んでおいてくれるか?」
「ルナが? よし、分かった! 任せとけ!」
途端に上機嫌なったフェイは、さっさときびすを返すと一目散にコノハを迎えに行く。
その嬉しそうな後姿を見て、エルカの口元がニタリと歪んだ。
――セラは脱落したが、これはまだまだ楽しめそうだな
根本的なところで、エルカはまったく懲りていなかった。
「師範を頼む」
放心するコノハを見守っていたカシムは、やっと開放されたとばかりに立ち去ろうとした。
その見事な背筋に向かってフェイは声を掛ける。
「ちょ、ちょっと待て、カシム!」
「なんだ、俺は忙しいんだ」
「いや、あんたが何でコノハを師範とか言ってるんだ?」
その途端、カシムの表情が怒りに歪んだ。
なにやら炎のような怨念さえ見える。
「お前を倒すために決まっている! ゼクス領一と名高い師範に槍術を鍛え直してもらい、いつの日か貴様にリベンジしてやるのだ!」
「リベンジなら思いっきりしたじゃねーか! 椅子ごとぶっ飛ばしやがって!」
「あんな不意打ちなど勝負の数に入らん。今度こそ正々堂々と真剣勝負をしてもらうからな」
「ふざけんなっ! 数に入れろよ! こっちは死ぬかと思ったんだぞ!」
しかし、フェイの叫びはまったく届かない。
カシムは月をまぶしそうに見上げ、誓うようにつぶやいた。
「貴様を倒すまで……俺は一歩も進めない」
「そのノリやめろよっ!」
しかし、カシムは結局フェイの言葉など最後まで聞かずに、長を探さねばと去っていった。
ドッとでた疲れにフェイは息を一つ落とすと、早く帰らねばと、傍らでひざを抱えて落ち込みまくっているコノハに小声で呼びかける。
「おーい、コノハ」
試しに呼んでみたが、相変わらず反応は無い。
我を失って暴れた後は大抵こうなるのだが、今日のは特に酷いようだ。
しかし、これ以上遅くなるのもルナに悪い――そう思ったフェイは、エルカの助言通りコノハを背負うことにした。
「頼むから、いきなり殴るなよ……」
フェイは引き上げるためにコノハの両手首をおそるおそる掴む。すると、それは意外なほどに細かった。
とにかく強いイメージしかないコノハだが、その実、非常に華奢な女性だと思い出す。
――九年前、はじめて会った時は男だと思ったのにな
吊り上った怒りの目でフェイの前に突如現れたコノハ、あの頃短かった髪が今では胸元まで届こうとしていた。
何もかもが変わっていく、おかしいのは変わらない自分なのだろうか――戸惑いを打ち消すようにフェイは作業に没頭した。
うつむき続けるコノハの前に座り込むと、肩にその細腕をのせ、足を抱えると慎重に立ち上がった。
コノハの顔が、フェイのすぐ横に迫った。
――あ、あれ?
その瞬間、フェイは違う女性を背負ってしまったかと焦る。
別人のような綺麗な肌、憂いを帯びた表情、いつもと違う髪型。
――ち、違う、これはコノハだ。ただのコノハだ
フェイは必死で自己暗示をかける。
しかし、ことさら意識しないようにすると、逆に色々と気になるものだ。
背中の温もり、甘い香水の匂い、腕にかかる柔らかな重み。
「エルカ、騙しやがったな……」
フェイはエルカの消えて行った方角を睨むと、一刻でも早くこの状況をなんとかしたくて、人気のいない門を早足で出て行った。
満月の夜、巨道バイスアルムにある商店街は遅くまで活気に溢れかえる。
屋台の焼きチーズの匂い。調子外れの歌のような大道芸人たちの掛け声。月明かりを照らす白い巨道の淡い白色光……何もかもがフェイの胸に懐かしかった。
――そう言えば、最近ここに来てなかったな
昔は満月の夜になると、コノハとクロフとの三人で金も無いのに巨道商店街に繰り出したものだった。
大道芸の演劇を遠くから盗み見たり、武器のたたき売りを冷やかしたり、金を出し合って焼きチーズ一本を分け合い、時には自警団を気取ってみたりする。
そんな事が、あの頃は無性に楽しかった。
――まあ、どっちかって言うと、俺とクロフはコノハに引きずられてただけか
コノハは正義感の塊のような人間だった。
困った人を見れば周囲を巻き込みつつも助け、絡んでいるチンピラを見れば、相手がどれだけ強そうでも間に入った。知り合いが犯罪に関われば、どれだけ時間をかけてでも後悔させた。
一言で言えば正義の押し売り屋である。
しかし、そんな彼女の隣にいた事は、決して不快ではなかった。むしろ、何を考えているのか分からない今の方が、よほど嫌である。
すっかり女らしくなってしまい、フェイと話すときなど、始終怒っている様にも感じられる。
そこに来て今日の出来事であった。
このままコノハが平常に戻ったら、どんな事態になるだろうか?
こうやって背負っていることも、弱みに付け込んだハレンチな行為だと烈火のごとく怒るのだろうか?
「――フェイ」
突然コノハが声を出し、フェイの心臓が口から飛び出しそうになった。
「あーっ、なんだ、お前、あの、おまえさ、あの、全然反応しなかったから」
「――うん、ごめんね」
素直に謝られてホッとしたものの、胸の中にはモヤッとしたわだかまりが残る。
昔のコノハは謝ることが何より大嫌いだった、なのに――フェイは胸に溜まった黒いモノを出すように、すこし棘のある言葉をコノハに吐いた。
「お前、今日すごい変だった。まるで悪魔だ」
「…………ごめんね」
泣きそうな声で謝るコノハに、フェイは怒りがこみ上げてきた。
フェイの中でコノハは最強だったのだ。どこまでも真っ直ぐな彼女は痛快で、その生き様には憧れすらあったのだ。
――こんなの、コノハじゃない!
怒りだけではない。
さっき感じてしまった女性の部分。コノハだけが変わってしまったような戸惑い、そして不安、そんなものがグシャグシャと頭の中をかき回し、整理がつかなくなっていた。
だから、フェイはよく分からない気持ちを、よく分からないままコノハへぶつけた。
「おい、コノハ! 元気になったんのなら、さっさと自分で歩けよ!」
「……もうちょっとだけ……お願い」
弱気で、甘えたような声。
心臓が高鳴るのは怒りのせいか、戸惑いのせいか、それとも、
――エルカはコノハを背負えば昔に戻れると言っていたのに……
それどころか、どんどん戻れない場所まで進んでしまっている気がした。
これ以上、訳のわからない所へ行きたくない――そう思ったフェイは、それ以上言葉が出せなくなった。
「ねぇ、フェイ。あそこ覚えてる?」
沈黙に耐えれなくなったように、コノハはその細い指で一点を指した。
その先にあるものは潰れたままになっている娼館だ。
もちろん、フェイはその場所を覚えていた。あそこで人さらいまがいの営業をしていた親父に、キツイ天誅を下したのはコノハだ。フェイも情報収集をやらされ、あげくに覗き少年と勘違いされ衛視に捕まったのだ。忘れる訳がない。
しかし、フェイが答える前にコノハは指を横にスライドさせた。
その先にあるのは一本の木――あの大きな枝の上に三人で座り、よく大道芸を覗いていた事を思い出す。
次に指したのは、深夜の町を闊歩するラマの馬車。あの後ろにコッソリと乗りこみ、この広い町を何度も何度も横断した。
コノハはそれからも次々と町に染み付いた思い出を指差した。
べつにフェイの答えを期待したのではない、ただ――
「昔に、戻りたいな」
コノハのつぶやきに、フェイはようやく気がついた。
コノハだって昔の自分に戻りたかったのだ。
「戻ればいいじゃないか。簡単だろ。昔みたいにふんぞりかえってさ」
「できないの……あたし、今、すごい弱くなってる。自分で分かるの。気付くと今日みたいに無茶苦茶になってて、もう、訳が分からない」
「コノハ……」
それ以上、かける言葉が見つからない。
気まずい沈黙が、しばらく続く。
そして何か言わなくてはと、無理やり言葉を出そうとした時、フェイの首を包むコノハの腕にギュッと力が入った。
「……あたし三年前にね、ルナから聞いたの。フェイがあたしのこと、その、どう思ってるか」
フェイはビクリと身を振るわせた。
何かまずい事でも言ってたのだろうかと、必死で記憶を探る。
しかし、特に陰口を叩いた記憶は無い。ルナに何か言ったとすれば、せいぜいゼクス領で一番強のはコノハなんじゃないかと軽口を叩いたくらいだろう。
後ろから長い長い深呼吸が二度、聞こえた。
「あのね、その…………今でも、あたしのこと、同じように思ってる?」
「――ああ、何だ。そう言う事か」
「何だって何よ! あ、あたしにとっては、すごい大切な事で――」
「あの時と一緒だよ。今だって、コノハが一番だと思ってる」
「っ!!」
背中でコノハが身を震わせた。
――強いって思われることが、コノハには大切なことだったんだ……馬鹿だな
馬鹿はお前だ。その時エルカがいたら、間違いなくそう突っ込んでいただろう。
しかし、エルカならざるフェイは、それでコノハの不調の原因が分かったような気になり、ホウと息を吐いた。
「コノハ、もう大丈夫か?」
「え――あ、うん」
「そうそう、明日からのクエスト、コノハも手伝って欲しいんだよ」
「え、クエスト? なにそれ?」
あれだけ目の前で騒ぎになっていたのに、コノハは全く気付いていなかったのだ。
昔からキレると本当に周りが見えなくなる。
フェイは口元を綻ばせると、事情を説明した。
「王子様が誘拐された!? それって一大事じゃない!」
「そうだよ。だから、早速明日から王子を探すんだけど、よかったら手伝ってくれないか?」
「あんた、また巻き込まれたね」
「う……面目ない」
背中からわざとらしいため息が漏れ、やれやれといつものコノハの声が降ってきた。
「しょうがないわね、手伝ってあげるわ」
その言葉を聞いた途端、フェイは急に笑いがこみ上げてきた。
そうだった。コノハはいつも『しょうがないわね』だった。
困っている人が助けを求めれば、いつだって彼女はその一言で全力を尽くすのだ。
「何よ、なに笑ってるの」
「いや、コノハっていつもそのセリフだなって思ってさ。素直にオーケーって言えないのかよ」
「何よっ! だいたいあんた、髪がすごい臭いわよ! 臭いがドレスにうつっちゃうじゃない!」
「なっ――ずっと牢屋だったんだからしょうがないだろ! だいたい臭いなら早く降りろよ!」
「なに? このあたしが重いって言うの? いい度胸してるじゃない!」
「本当の事じゃねーか!」
そう、本当だった。本当にエルカの言ったとおり、昔に戻れた。
――ありがとな、エルカ
こうして、二人はギャアギャアと言い合いながら白い道をゆっくりと帰っていった。
しかし、やはり全てが同じ事ままなどありえない。
ただフェイが気付かなかっただけなのだ。
コノハの顔が月明かりにもハッキリと、赤く染まっていた事に。
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