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NOVEL

剣の国の黒猫
27) 思わぬ幸運が舞い降りた

――思わぬ幸運が舞い降りたものだな

 一礼を決めた後で、エルカは内心ほくそ笑んでいた。
 思わぬ幸運とは決して貴族相手にエルカーナの宣伝ができた事などではないし、高額な褒章金が期待できる事でもない。
 王子救出のクエストを提案した真の目的――それは、最高の形でフェイを自由の身にする事だ。
 不幸に不幸が積み重なった呪いの迷宮のごとき今の状況から、フェイを後腐れなく開放する事は極めて難しい。例えこのパーティで婚約の破棄を宣言したとしても、様々なところに禍根を残したことだろう。
 だが、このクエストさえクリアすれば例え誰であっても王族の恩人であるフェイを手にかける事はできなくなる。

――そう、たとえ父上であっても

 エルカの視線の先にいる人物は、パーティの終焉を皆に向かって重々しく告げていた。

「王子がさらわれたと言うのにパーティを続けるなど論外だ。今宵はここで解散とする」

 この領主の言葉を皮切りに貴族たちはそれぞれ帰り支度を始める。
 また騒ぐかと心配されたゴリネル将軍も黙って竜馬の馬車に乗ると、あっけなくゼクス領邸を去っていった。
 王都や各領への連絡係として引き止められた一部の貴族達は応接室に案内され、領主も彼らに渡すべき事態を告げる文を書くために執務室へ閉じこもった。
 砂漠の長ディアナは積もる話でもあるのか、父であるガラムとどこかへ消えている。
 フェイも汚れた服の代わりをエルカが要求したので、今頃は邸宅内のどこかで新しい服に着替えているはずだ。
 つまり今、この庭園に残っているのはエルカと片付けに奔走する侍女達、自己嫌悪の中にどっぷりと漬かっているコノハ、そのコノハをしきりに励まそうとしているカシム――そして、白い床にぺたりと座り込んでいるセラだった。
 エルカは一人腕を組み、今すべき事を考える。

――フェイのために、王子救出だけは絶対に成功させる

 この事態を引き起こした一因として、エルカは責任を感じていた。
 せめてクエストを完遂してフェイの安全を確保せねば、到底自分を許す気にはなれない。だから、わずかでもクエスト失敗の要因となりえるものは、徹底的に排除するつもりだった。
 エルカはゆっくりと歩を進めると妹の前に立ち、その前で侮蔑の視線を落とした。

「……セシリア」

 ゆっくりと上げられた少女の瞳には、生気の色がまったく無い。
 よほど、子供ができた事に希望を見出してしまったのだろう。
 これからエルカは、その傷口に剣を突き刺すのだ――そう思うと、胸の奥がちくりと痛む。
 しかし、今回もそうであったようにセラの存在はもっとも大きな不確定要素である。
 万一、強引に付いて来られ計画を狂わされれば、それこそフェイに明日は無いのだ。
 心を、凍らせる必要があった。

「セシリア、フェイがお前をどう思っているのか、知っているか?」

 セラの肩がビクリと震えた。
 その様子を見て、エルカはため息混じりに首を振った。

「知るよしもないか。自分の感情ばかり押し付けるお前にはな…………ならば、教えてやろう」

 エルカの表情からその先にある言葉を想像したのか、セラの目には恐れに染まる。
 しかし、耳を手で防ぐ前に、エルカは言葉の剣を次々に突きつけた。

「お前は好かれていると思っているらしいが、それはお前の妄想だ。真実はそれとは全くの逆――」

 死を告げる死神のように、エルカの指がゆっくりとセラに伸びた。

「お前はフェイに――憎まれている」

 セラは月明かりで分かるほど震えだした。

「嘘だと思うか? ならばお前がフェイに何をしたのか思い返すがいい。勝手に婚約者に仕立て上げ、理不尽な要求を突きつけ、逃げられぬよう契約で縛り付けた。そればかりかお前は事もあろうに契約を破り、その責任をフェイに負わせた。その結果フェイは牢に入れられ、殺されそうになったのだ!」
「う、嘘……なんで、フェイが死……死ぬなんて」
「哀れな、そんな事も知らなかったのか。お前の軽率な行動は、今なおフェイを死に追いやろうとしているのだ。そんな人間を、いったい誰が恨まないでいられる?」

 両腕を抱え、何かを否定するように首を振り続ける。
 そんなセラの耳元に顔を寄せ、エルカは優しく告げた。

「お前が取るべき唯一の行動――それは何もしないことだ。部屋に閉じこもり、哀れな自分のため好きなだけ泣くがいい」

 セラは立ち上がると、領邸へ向かって駆け出した。
 消えていく背中を見て、エルカは目を閉じる。

――ここまで言えばセラは絶対に何もできないだろう……それに

「憎む相手がいるほうが、気が楽だろうからな」

 エルカはゆっくりと目を開き、次にすべき事に移った。



 フェイは新しい服の感触に戸惑っていた。
 やたらとツルツルして柔らかく、しかも羽のように軽いため、何も着ていないような心許無さがあるのだ。
 だが、流石にデザインは抜群だった。
 ただの無地の白シャツと黒いスラックスなのだが、痩身であるフェイにぴったりとフィットした服など初めてだったのだ。
 市場で探しても大は小を兼ねるとばかりに恰幅の良い人に合わせたサイズばかりで、大抵はダボダボでなのである。
 ついでに上等な革ベルトも頂戴した。
 迷惑料としては足りないが、無いよりはマシだろう。

――なにより、エルカーナに帰れるんだ

 それを思うとフェイの顔は自然と顔がほころんだ。
 クエストについて不安が無い訳じゃない。
 なにしろ三日以内に王子を探さねばならないのだ。ルナの助力があれば何とかなると思うが、失敗が許されないのは正直厳しい。
 しかし、あのエルカがやると言ったのだ。やると言ったことはやり通す。そして彼なら、きっと何とかしてしまうのだろう。

――それがエルカだもんな……ん?

 領邸から出たフェイは、何かが走ってくる事に気付く。
 暗くて良く分からなかったが、眼を凝らすと徐々に相手が見えてきた。
 小さな人影、深紅のドレス、金色の結い上げられた髪――セラだった。
 うつむきながら必死で走っており、こちらに気がついている気配はまったく無い。
 いや、それ以前に……何か様子がおかしかった。

――構うな、放っておけ

 フェイの理性はこれ以上無いほどハッキリと止めた。
 その通りだと思う。こう言う時にこそ、悪に徹さなければならないのだ。
 なにせ、あれだけの災厄を経て学んだ事である。フェイは十分過ぎるほど思い知っていた。

――でも

 このままでは気持ちが悪い。胸のつかえが取れないのだ。
 今無視してしまえば、きっと何日もこの事で思い悩むだろう。せっかく自由になるのに後悔を残していくなど、想像するのも絶えられない。

――そう。だからこれは、ただの自己満足だ

 フェイは自分に言い聞かせ、口を開いた。

「セラ」

 すぐそこまで迫っていたセラは、その声に予想以上の反応をした。
 明らかな無理な姿勢のまま顔を跳ね上げ、なれないヒールにバランスを崩し、体が宙を泳ぐ。

「おっと」

 フェイは正面からセラの両肩を掴み、胸の中でその勢いを殺す。
 かなりの衝撃を予想していたのだが、セラは驚くほど簡単にフェイの胸に収まっていた。

「……お前、本当に軽いな」

 セラは信じられないモノでも見るような目で、自分を受け止めた男を見上げていた。
 その顔は蒼白で、掴んだ肩は小刻みに震えており、歯はカチカチとなっている。
 昨夜、牢で見た状態よりも、ずっと酷かった。

「おい、何があった?」
「あっ……ごめっ、ごめっなさ、い」

 そこまで言うとセラは両目から涙を溢れさせ、フェイの手を振り解いて走り去さろうとした。

「おいっ! セラッ!」

 セラはこちらを見ないまま、しかし、フェイの怒声のような呼びかけに足を止める。
 だが、引き止めたのはいいが、何を言っていいか分からなかった。泣いた理由も分からなければ、気の効いたセリフなどカケラも思い浮かばない。
 だからまず、心に合ったモヤモヤとした不満を言葉にした。

「あのな、親のためとか、領のためとかさ……お前、そういうのやめろよ! 疲れるだけだぞ!」

 セラは振り向かない。頷きもしない。言葉が届いていないのをフェイはハッキリと感じた。
 いつだったか、フェイもセラのように誰の言葉も耳に届かない時があった。
 それまで育ててくれた人が、仲間達がいなくなり、自分も消えてしまいたいと願っていた時だ。
 そんなフェイを引き上げてくれたのが、クロフとコノハの二人だった。
 だから、届かぬと思いながらも、その時に貰った言葉をそのままセラに伝えた。

「セラ。お前、まだ生きてるんだろ? だったら死ぬまでにそれを示せよ! 腐ってる暇なんて無いんだぞ!」
「…………」

 やはり、その言葉も届かなかったのか、セラは何も言わずに走り去ってしまった。
 ポツンと残されたフェイは、バツが悪くて頭をガリガリと掻く。

――ほら、やっぱり放っておけばよかったんだ

「うるせえな、分かってるよ」

 フェイは誰とも無くつぶやいたのだった。




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