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NOVEL

剣の国の黒猫
26) 呼びかけたが返事がない

 呼びかけたが返事がない。冷たい大理石の床の上で、ガラムは気持ちよさそうに気絶していた。
 仕方ないとエルカは大きく息を吸い、その耳元に大声を叩き込む。

「師父!」

 さすがにこれは効いたようだ。
 ガラムは顔をしかめると、ゆっくりまぶたを開く。
 そして、意識が覚醒した瞬間、エルカの腕からバッと飛び起きた。

「領主公、お待ちくださいっ! …………む? 殿下がなぜここに?」

 寝起き様にも任務を全うしようとする、そのあまりの忠誠心と責任感の強さに、エルカは思わず苦笑を漏らした。
 ガラムは周囲を見回し、休憩所のどこにも領主の姿が無いのを見て、ようやく全てを理解した。

「そうか、領主公を御止めできなんだか……なんという失態か」
「師父はいつもそうやって自分を責める。それにもう若くないのだ、あまり無理はするなよ」
「何をおっしゃいますか! まだまだ現役で――いや、それより領主公はいずこへ?」
「ああ、私も気になって探していたのだが」

 正確に言えば、エルカが探していたのは父ではなく友だ。
 フェイを窓から放り投げた後、その先は運を天に任せようと思っていたのだが、考えてみればフェイには何の事情も説明していなかった。これこそ失態である。
 このままではフェイは何の弁解も出来ず、命を刈り取られてしまう可能性がある――そう思って探し回っていた訳である。

「おそらく父上はパーティ会場にいると思う。あの雄叫びが庭園から響いてきたからな」
「うぬぬ、あの状態の領主公を客人に晒してしまったか……」

 なんという事だとガラムはその大きな両手で自らの顔を覆った。
 10年前、エルカが12才の時に初めて師父に引き合わされたあの時から何も変わっていない、困った時のガラムの癖だ。
 思えばガラムには色々な事を教わり、その代わりに迷惑しか返せていないような気がする。この癖をいったい何度引き出してしまったことだろう。

「……師父、あまり心配するな。騒ぎは既に無事収まったようだからな」

 そう、おそらくフェイはもう大丈夫だろう。
 夜風にのって届いたフェイの悲痛な叫び――エルカの与えた僅かなヒントで、フェイは見事に結果を出して見せたのだ。あれを聞けば、いくら激情に駆られたコノハに父上と言えど、冷静になってくれることだろう。
 あとは当初の予定通り、貴族達の面前でフェイの口から正式に婚約を解消しさせるだけ。つまりゴルゴン討伐や面会禁止の誓約を、このどさくさに紛れて全て破棄させるのだ。
 そうすれば誓約違反として捕らえられていたフェイは無罪放免、代償としてセラに対する貴族達の印象は失墜しゼクス領の面子は丸潰れだろうが、そんな事は知ったことではない。むしろいい気味であった。
「今回の件、父上のフェイに対する仕打ちはいくらなんでもやり過ぎだった。これくらい良い薬にだろう」

 そう言うと、エルカは満足そうに頷いた。
 そんなエルカの顔をじっとみつめ、ガラムは失礼ながらと口を開く。

「殿下、まだ領主公の事を恨んでおいでなのですか?」
「当然だ……それよりも、あの傍若無人な父上になぜ師父ほどの人が仕えているのか、そっちの方が私には疑問だ。前々から思っていたが、師父は仕える主人を選び間違えたのではないか?」
「そんな事はありません。領主公は自分に厳しく、聡明で公正なお方です」
「融通が利かず頑固で息子に厳しい点も、ぜひ付け足してもらいたいものだな」
「それらは美得でございましょう」

 これが盲信と言うものかとエルカは肩をすくめる。
 そして、最後のもう一仕事をするかと立ち上がった直後――悲鳴のようなどよめきが二人の耳に届いた。

「むっ、これは双月の庭園の方角からですな」
「……フェイめ、またトラブルでも引き寄せたか」
「ん? 殿下、何か言われましたか?」
「いや、ちょっとした愚痴だ。とにかく行ってみよう」

 師弟は休憩所から出ると、満月の庭園へと急ぎ向かったのだった。



 ディアナの発言によって、会場は混乱の渦と化していた。
 喚く者、怒りだす者、ディアナの言う事を嘘だと笑う者もいれば、そもそもこんな女が砂漠の長であるわけが無いと否定する者もいた。
 それはむしろ当前の意見とも言えるだろう。なにせ突然の侵入者であるこの女が、砂漠の長であるという証拠は何も無いのである。
 その懐疑派の筆頭が、それまで身を潜めていたゴリネル将軍だった。

「王子が誘拐されただと? いきなり現れて何をふざけた事を! 貴様はここをどこだと思っているのだ!」
「あら、てっきりゼクス領主のお邸だと思ってたけど、違うの?」
「ふっ、ふざけるなっ! だいたい貴様のような青二才の女が砂漠の長だと? そんな嘘、だれが信じるものか!」

 確かに、砂漠の長を名乗るにはディアナは若かった。その素顔から見てもまだ20そこそこだろう。
 そこでディアナが黙ったのをどう受け取ったのか、ゴリネルは唾を吐き散らしながら悪口を畳み掛けた。

「貴様ごときが砂漠の荒くれ男どもを束ねているだと? 笑わせるな! 貴様などせいぜい娼婦がお似合いだ!」

 腹をゆすって笑うゴリネルを、ディアナは無表情で見つめていた。
 そして、その右手がゆっくりと腰に差してある剣の柄に伸びる。

「なるほどね。あたしの強さを証明しろと言うわけか……アンタ、面白い事を言うね」
「な、何をやっておるかっ! 衛視ども! この進入者をさっさと捕えんかっ!」

 ディアナの目がすぅと細められたのを見て、ゴリネルは後じさりながら傍観していた衛視たちに怒鳴りつける。
 そして、衛視達がその命令に従って動き出そうとた時――ディアナの後ろからガラムがひょこりと現れたのだった。

「ディアナ! お前、ディアナか!」

 ガラムは迷わず叫び、ディアナの元へ走り寄った。

「あら、クソ親父じゃない。ちゃんと生きてたのね」
「クッ、クソ親父と呼ぶでないわっ!」
「しょうがないじゃない、あたしが反抗期の時にゴルゴンに入っちゃってそれきりなんだし。でも、元気そうでよかったわ」
「そうか……そうだったな。お前も無事で何よりだ」

 いきなり繰り広げられたアットホームな会話に、一同は唖然とした。
 そんな中、真っ先に口を開いたのはやはりゴリネルだった。

「おい、ラドクリフ公! これはいったいどう言う事だっ! 貴様の家臣はこの侵入者のなんなのだ?」

 唾を飛ばしながら領主に詰め寄る。
 長らくショックで呆けていた領主も、ようやくその目に光を取り戻し、ゴリネルを見た。

「我が家臣ガラムは元砂漠の長――そのガラムが言うのであれば、あのディアナこそ間違いなく砂漠の長でしょうな」
「なっ――ヤツがあの風のガラムだと言うのか? なぜそんな男がここにいる?」
「なぜ、と言われても……あの者が仕官してきたので登用した。それだけの事でしょう」
「なにをバカな! 貴様はゴルゴンの手先を家臣にしているのだぞ!」
「ガラムは砂漠の民の安全と引き換えに、ゴルゴンの副団長になっただけの事。その契約がゴルゴンから一方的に破られた今、ガラムは奴らと一切関係無い」
「だ、だが、わしはそんな事聞いておらんぞっ! なぜ報告せんのだ!」

 ゴリネルの唾が気になったのか、領主は一歩引いて眉を寄せた。

「公爵には自治権が認められている。将軍と言えど、そこまで報告する義務は無いはずだ」
「ええい、うるさいっ! だいたいリア=フェイロンはいたではないかっ! これをどう弁解するつもりだ!」
「王子がゴルゴンに誘拐されたの今、そんな些細な事はどうでもいいはず……さて、砂漠の長よ」

 まだ何か言いたそうなゴリネルを無視し、領主はディアナに問うた。

「なんでしょう、ゼクス領主ラドクリフ公爵閣下」

 そう言ってうやうやしく礼をするディアナに、領主は苦笑を漏らす。

「ラドクリフでよい。おぬしら砂漠の民に爵位など何も関係ないのだろう?」
「ふふ、さすがに分かってるわね。では、あたしの事もディアナと呼んで欲しいわ」

 全く気負わないその口調に、領主は満足そうに頷いた。

「ではディアナ、単刀直入に聞こう……エドガー王子を誘拐したのはどこの誰だ?」
「分かってると思うけど、ゴルゴンの盗賊どもよ。今じゃ悪党の九割があそこに所属してるんじゃないかしら」
「ふむ……では何故、王都ではなくこのゼクス領にこの事を伝えた?」
「誘拐された場所が王都よりゼクスに近かった……ってだけじゃ納得はしないわね」
「無論だ」

 あまりの即答にディアナはその唇に微笑を浮かべた。

「このゼクス領が、水面下でゴルゴン討伐を目論んでる――そう聞いたからよ」

 ディアナはそこまで言うと、右手を剣から離し、月光に鈍く光るその髪を無造作にかきあげた。灰色がかった豊かな髪が、月光の下であでやかに舞う。
 もう話すことは無い――ディアナの態度を領主はそう受け取り、再びゴリネルに向き合った。

「聞きましたな、ゴリネル将軍。たかが盗賊に王子が誘拐されるなど言語道断。一刻も早く討伐の軍を派遣していただきたい。無論、このゼクス領も総力を挙げて協力しよう」

 嫌とは言わせんぞ、とばかりの迫力で領主は要請する。
 しかし、ゴリネルはケロッと答えた。

「できんな」
「なっ!」

 この返答に領主だけでなく周りの貴族たちもザワリと驚きを示す。
 領主はその目に怒りを宿し、胸倉を掴まんとする勢いで問い詰めた。

「何を言うか、ゴリネル将軍! エドガー王子が唯一残された王位継承者である事は、貴公も分かっていよう! その命が危機にさらされているのだぞ!」

 一方のゴリネルは耳をほじり、興味無さそうに答える。

「何と言おうと無理だ。王子一人のために国を挙げての戦争などできん。王のために国があるのではなく、国のために王があるのだからな」
「戦争ではない! 討伐だ!」
「同じ事だろう。なにせゴルゴンは一国なみに強大なのだからな――それよりも、ちょうどそこに適任者がいるではないか」

 ゴリネルは自慢のあごひげで、ひょいと領主の後方を指した。
 その先にいたのは、この会話に参加できずに呆然としているフェイだった。

「今こそ黒猫の出番だろう? なにせゼクス領ご自慢の勇者様だ」

 そう言うと、ゴリネルは自分が言った事がよほど気に入ったのか、ゲラゲラと体を揺すった。王子がさらわれたと言う、この緊急事態にだ。
 怒りのあまり再び我を失いそうになった領主は、喉元まで競り上がった罵声を辛うじて飲み込んだ。
 しかし、信じられない事だった。
 もし、エドガー王子が殺されるような事があれば、脈々と続いていた剣の王の家系が断絶すると言うのにだ。

――まさか、それを狙っているのか?

 領主の胸中に疑念が浮かぶ。
 今、王家が断絶すれば、王位継承権は将軍へ移ることになるのだ。
 領主はその恐ろしい考えを否定したかったが、ゴリネルの態度がそれを全て肯定していた。

――なんと、浅ましい男か

 しかし、今は耐えねばならなかった。
 ここでゴリネルを非難したとしても、むしろ、領主自身が侮辱罪に問われる可能性が高い。
 そうなっては今まで積み上げた苦労が、ガラムとの約束が全て水泡に帰すのだ。
 領主は奥歯をかみ締め、こみ上げてくる怒りをひたすらに耐えた。

「――もしも」

 重苦しい空気の中、その声を上げたのはディアナだった。
 いつの間にかフェイの傍まで近づいており、その口元には相変わらず妖艶な笑みが張り付いている。
 そして、周囲の視線が集まるのをものともせず、ディアナは歌うように告げた。

「もしも、この黒猫が立ち上がり、ゴルゴンを討伐すると宣言するなら。砂漠の民も共に立ち、命すら惜しまない事を誓いましょう」

 おおおおおっ

 貴族たちから歓声と困惑の入り混じったどよめきが漏れた。砂漠の民が軍事協力など前代未聞だからである。
 しかし、そんなことはフェイにはどうでも良かった。

「ふざけんなっ! 俺は絶対にやらないからな!」

 吐き捨てるように言ったフェイの眼前に、ゴリネルはヅカヅカと詰め寄っていやらしく笑った。

「おやおや、噂に聞く黒猫にしてはずいぶん弱気な発言ではないか」
「うるせぇ、黒猫って呼ぶんじゃねえよ。このブタ野郎!」
「ブッ――貴様、わしが誰だか分かってないようだな!」
「知らねぇよ! てめえも婚約も、黒猫も王子も、俺は全部知らねぇ! ああ、知ったこっちゃねえ!」

 フェイは半ばヤケになり、ゴリネルの胸倉を掴もうとして――しかし、その手は横から途中で掴まれた。
 誰だ――と怒鳴ろうとして、喉元で飲み込む。

「……エルカ」
「よせ、フェイ。事態が悪化するだけだ」
「でもさ、なんだよこれ? みんな自分勝手に好き放題言いやがって……俺はもううんざりなんだ!」

 顔を歪ませて叫んだフェイの肩を、エルカは優しく引き寄せた。

「大丈夫、私に任せろ。必ずエルカーナに帰れるようにしてやる」

 耳元でささやいたその言葉にフェイは唇を引き結ぶと、やがて小さく頷いた。
 エルカはにっこりと微笑むと、矢面に立たされていたフェイの横に、さも当然のように並んだ。
 ガッチリとした体に豪奢なサーコートを完全に着こなしているエルカ、ひょろりとした体にすっかりうす汚れた皮ジャケットを引っ掛けているフェイ。
 横に並ぶと、まるで王子と乞食のようである。
 エルカは片手を振り払うように広げると、庭園にいた全てに告げた。

「聞いたとおりだ! リア=フェイロンにとって、王子などどうでもよい! そんな命令など聞くに値しない!」

 この宣言に、会衆からは憤りや非難の声があちこちから飛んでくる。
 されど、エルカは慌てず騒がず、その騒ぎが一区切りした絶妙のタイミングで、広げていた手を前へと差し出した。

「しかし、クエストとしてなら話は別だ」

 訪れたのは困惑の静寂。
 しかし、息を付かせる暇を与えず、エルカは差し出した手を舞台役者のように領主へと向けた。

「父上――いや、ゼクス領主ラドクリフ公爵閣下! 王子救出のクエスト、このクエスト屋エルカーナにご依頼いただけますか?」

 そう言ってニヤリと笑ってみせた。
 対する領主も、エルカと瓜二つな笑いを浮かべて鷹揚に頷く。

「よかろう。ただし、期限は三日後の夜までだ。それまでに王子の居場所を突き止めよ! お前らにそれができるか?」
「勿論ですとも、公爵閣下」

 エルカは一歩踏み出すと両手を広げ、その引き込まれるような口上で周囲を圧倒した。

「クエスト屋エルカーナのモットーは迅速、確実、徹底的――」

 そこでエルカの視線がちらりとフェイを捕える。
 今はエルカを信じよう――覚悟を決めたフェイは一歩を踏み出し、エルカの横に並ぶと胸を張って大気を震わせた。

「どんなクエストもたちどころに解決し、必ずやご提供いたしましょう――」

 そしてフェイとエルカの右手が、満月に向かってスッと伸びる。

「「あなたに、より良い明日を!」」

 王子と乞食は、寸分たがわぬ一礼を決めて見せた。



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