NOVEL
剣の国の黒猫
24) 親衛隊とは
親衛隊とは、簡単に言えば領主の館を専門に警備する衛視のことだ。
とは言え、有事の際は一般衛視たちの指揮を取る立場にある。そのため、親衛隊に選抜されている者は衛視の中でも特に実績があり、かつ人格者である事を示していた。
当然、給与は通常の衛視よりかなり高額であるが、その代償もまた大きい。なにせ非番以外は領邸内で寝泊りしなくてはならないのだ。
特に牢番と言う仕事を任ぜられた場合には、退屈という難敵と対峙することになる。
邸宅内に囚人が収められる事は稀ではあるのだが、現に親衛隊員アズマはその失態の代償として牢番を命じられていた。
「ぬふふふ」
しかし、アズマは満面の笑みを浮かべていた。牢番用の狭い詰め所に一人でいるのに、今にも踊り出しそうなほど浮かれている。
なぜなら、可愛らしいと評判の侍女であるアイラが、パーティの食事をアズマのためにこっそり持って来てくれたのだ。
今、彼の前のテーブルには滅多にお目にかかれないご馳走が、湯気とかぐわしい匂いを放ち、所狭しと並んでいる。
アズマは料理の香りを胸いっぱいにあつめ、幸せのため息を吐いた。
「アイラちゃん、いい子だなぁ。ひょっとして俺に気があったりして…………おっと、冷めないうちに頂かないとな」
軽くボイルされた巨大なツヴァイエビに、なんとアイラが手作りしたというオニオンソースをたっぷりとかけ、そのまま尻尾へ一気にかぶりついた。
「ふほっ! これはうまい!」
あまりのうまさに頭がくらりとするほどだった。
続いてマッシュポテトの山に突撃しようとして……そのまま額からマッシュポテトの山に突っ込んだ。
バンッ!
音をたて詰め所の扉が開け放たれた。
ぜいぜいと息を荒げて入ってきたのは正装に身を包んだエルカである。
しかし、詰め所の中からは誰も何も反応が無く、ただ美味そうな匂いが漂うだけだった。
「――よし、ここは計画どおりか」
頷いたエルカは、マッシュポテトの山に頭を突っ込んで眠りこけているアズマの懐から、牢の鍵を易々と拝借した。
「アイラには感謝しないとな。三日で落としたかいがあったというものだ」
ようやく計画通りになった事に満足し、エルカは詰め所を後にする。
残されたのは、幸せそうに眠るアズマだけだった。
カチャッ――カチャッ
あわただしい金属音にフェイは目を覚ました。
ボロ布のような布団を払い、体を起こすと物音のする扉を見つめる。
アズマが鍵を開ける音にしては、随分とせわしなかった。
ガチャン バンッ!
開錠の音とほぼ同時に、扉が勢いよく開かれた。
次いで入ってきた人影がうっすらと差し込む月の光に照らされ、フェイは我が目を疑った。
何度も会いたいと願っていた顔がそこにあったからである。
「エ、エルカ! 本当にエルカなのか!」
思わず涙声で尋ねるが、しかしエルカの返答は感動の再開とはかけ離れたものとなった。
「急げ、フェイ! 死ぬぞ!」
切羽詰った顔と声――悲しいかな不幸慣れしてしまったフェイは、それだけで何となく事態を理解してしまった。
フェイは飛び起き、エルカの後に続いて牢を飛び出す。
階段を駆け下りるエルカの焦り様は並大抵のモノではなかった。
他の誰かならともかく、あの冷静沈着なエルカが必死なのである。これはただ事ではない――フェイはざわめく予感を胸に、三段、四段と飛ばしながら階段を駆け下りた。
そして、エルカとほぼ同時に4階の廊下へとたどり着く。
右の通路を見る――何もいない。
左の通路を見る――野獣がいた。
があああああっ!!
獲物を見つけた領主は理性のカケラも無い叫び声をあげると、肉食獣そのものの動きでフェイ目掛けて迫ってきた。
「のわあああああっ!」
フェイとエルカは泳ぐように宙を掻き、半泣きになりながら右通路へと逃げだした。
しかし、逃げようとした廊下の先に、ゆらりと細い影が現れる。
その細い影が一歩を踏み出すと、月光がその姿を照らし出した。
女だ。
濃紫のドレスに身を包み、長く黒い髪を肩に落としている。
髪を下ろしているので一瞬誰だか分からなかったが、もう10年近い付き合いであるフェイは、それが誰であるかすぐさま理解した。
「コノハッ! 助けにきてくれたのか!」
フェイは安堵の声を吐き、それに走り寄る。
しかし、鬼気迫る声が背後から放たれた。
「よせっ! フェイッ! それはもう人間じゃないっ!」
エルカの叫びに、思わずフェイは女の顔を見てしまう。
悪魔だった。
キンッと悪魔の手がブレて、光る何かがフェイの下腹部を狙って射出された。
フェイは体を折り曲げ、間一髪でソレを避ける。
光る物体は勢いを落とさず、後ろにいたエルカの脇をかすめ、さらにその背後に迫った野獣へと牙をむく。
ガギッ
かつて領主だったモノは、それをいとも容易く歯で挟んで受け止める。
光る物体の正体は重そうな銀のフォークだった。
バキリ
それを、野獣は苦も無くそれを噛み砕き、ゴリゴリと咀嚼すると、そのまま飲み込んだ。
人外魔境もいいところである。
「な、なんだよこれ……」
怯えるフェイに向かい、第一射を外したコノハが、ギラリと光るナイフに舌を這わせながら音も無く近づいてくる。
後方からは領主が雄叫びをあげ、突進を開始した。
フェイは完全に戦意を喪失し、その場に力なく膝をついた。
「エルカ、俺、なんで生まれたんだろう……」
「あきらめるなっ! いいか、大切な質問がある」
「何を、こんな時に――」
うつむこうとしたフェイの顔を両手で掴み無理やり引き上げると、エルカは有無を言わさぬ気迫で命じた。
「これが命運を決めるんだ! イエスかノーで即答せよ! 沈黙は絶対に許さん!」
「イ、イエッサー」
「よし!」
エルカはフェイの目を覗き込み、真剣そのものの顔で尋ねた。
「お前は、童貞か?」
一瞬、あまりの質問にフェイの頭が真っ白になった。
「…………は?」
「いいから答えろ! 早く!」
「イ……イエス」
するとエルカは大きく頷き、高らかに叫んだ。
「生きろっ! リア=フェイロン!」
そしてフェイの襟元とズボンをむんずと掴み、肩に担ぎ上げる。
「なっ――ちょ、エルカッ!」
抗議の声も虚しく、エルカは開いていた窓から力の限りフェイをブン投げた。
ちなみに、ここは四階である。
「のおおおぉっ!!」
フェイは空飛ぶ亀のようにグルグルと回りながら落下していった。
飛び散る涙が流れ星のように瞬き、やがて、
ドボーーン
遥か下方から鈍い水音が響いてきた。
暗がりで見えないが、双月の庭園を囲む水路のための貯水池がこの下にあるのだ。ここで生まれ育ったエルカならではの荒技である。
しかし、2匹は諦めなかった。
水音からフェイが無事だと断定した野獣と悪魔は、最後の止めを刺すべく我先に階下へ駆けていった。
危機はまだ、終わったわけではない。
だがしかし、
――フェイ、後はお前の運次第だ
エルカは脂汗を拭い、静かにその場にへたり込んだのだった。
歪んだ白い光が見えた。
それが水中から見た月だと気が付いたのは、水を飲み込んだ後だった。
気管支に入った水にむせこみながらフェイは懸命にもがき、闇雲に水面を目指した。
「げ、げほっ! げほっ! くそっ、体中が痛え」
水面に上がって初めて、水面に叩きつけられた痛みを実感できた。
が、それでも止まる事は許されない。
ヤツラはすぐにでも追ってくるのだ。
――最後に泳いだのはいつだっけ
遥か昔の記憶をたどりながら水を掻いて池を進むと、やがて足が地面に触れた。
鉛のように重くなった体を、気力を振り絞って地上へ押し上げる。
どうにか池から上がると水を吸った服がやたら重く感じたが、服を脱いでいる時間も惜しかった。
仕方なく裾だけ軽く絞ってやると、それでも水が滝のように流れる。
ひどく惨めな気分になった。
「――ったく。出口は、どこだよ」
辺りを見回すと、そこには森の中かと思うほど木々や花々が散在している。
これは出口を探すより身を隠した方がいいかもしれない――そう思いついたフェイは出口を探すのを止め、隠れられそうな場所を探す事にした。
そんな時に、声は聞こえたのだ。
「――私には、大切な人がいます」
澄んだ空に響く鈴のような声。
その声を聞いただけなのに、フェイの鼓動はズキズキと高まった。
続いて胃がしくしくと痛みだす。
「そしてその人に、この世界のルールを教えてもらったのです」
熱を帯びて語るその口調には、最近嫌と言うほど聞き覚えがあった。
――この無駄に確信に満ちた声……間違いないな
そう。
それは間違いなく、セラの声だった。
とは言え、有事の際は一般衛視たちの指揮を取る立場にある。そのため、親衛隊に選抜されている者は衛視の中でも特に実績があり、かつ人格者である事を示していた。
当然、給与は通常の衛視よりかなり高額であるが、その代償もまた大きい。なにせ非番以外は領邸内で寝泊りしなくてはならないのだ。
特に牢番と言う仕事を任ぜられた場合には、退屈という難敵と対峙することになる。
邸宅内に囚人が収められる事は稀ではあるのだが、現に親衛隊員アズマはその失態の代償として牢番を命じられていた。
「ぬふふふ」
しかし、アズマは満面の笑みを浮かべていた。牢番用の狭い詰め所に一人でいるのに、今にも踊り出しそうなほど浮かれている。
なぜなら、可愛らしいと評判の侍女であるアイラが、パーティの食事をアズマのためにこっそり持って来てくれたのだ。
今、彼の前のテーブルには滅多にお目にかかれないご馳走が、湯気とかぐわしい匂いを放ち、所狭しと並んでいる。
アズマは料理の香りを胸いっぱいにあつめ、幸せのため息を吐いた。
「アイラちゃん、いい子だなぁ。ひょっとして俺に気があったりして…………おっと、冷めないうちに頂かないとな」
軽くボイルされた巨大なツヴァイエビに、なんとアイラが手作りしたというオニオンソースをたっぷりとかけ、そのまま尻尾へ一気にかぶりついた。
「ふほっ! これはうまい!」
あまりのうまさに頭がくらりとするほどだった。
続いてマッシュポテトの山に突撃しようとして……そのまま額からマッシュポテトの山に突っ込んだ。
バンッ!
音をたて詰め所の扉が開け放たれた。
ぜいぜいと息を荒げて入ってきたのは正装に身を包んだエルカである。
しかし、詰め所の中からは誰も何も反応が無く、ただ美味そうな匂いが漂うだけだった。
「――よし、ここは計画どおりか」
頷いたエルカは、マッシュポテトの山に頭を突っ込んで眠りこけているアズマの懐から、牢の鍵を易々と拝借した。
「アイラには感謝しないとな。三日で落としたかいがあったというものだ」
ようやく計画通りになった事に満足し、エルカは詰め所を後にする。
残されたのは、幸せそうに眠るアズマだけだった。
カチャッ――カチャッ
あわただしい金属音にフェイは目を覚ました。
ボロ布のような布団を払い、体を起こすと物音のする扉を見つめる。
アズマが鍵を開ける音にしては、随分とせわしなかった。
ガチャン バンッ!
開錠の音とほぼ同時に、扉が勢いよく開かれた。
次いで入ってきた人影がうっすらと差し込む月の光に照らされ、フェイは我が目を疑った。
何度も会いたいと願っていた顔がそこにあったからである。
「エ、エルカ! 本当にエルカなのか!」
思わず涙声で尋ねるが、しかしエルカの返答は感動の再開とはかけ離れたものとなった。
「急げ、フェイ! 死ぬぞ!」
切羽詰った顔と声――悲しいかな不幸慣れしてしまったフェイは、それだけで何となく事態を理解してしまった。
フェイは飛び起き、エルカの後に続いて牢を飛び出す。
階段を駆け下りるエルカの焦り様は並大抵のモノではなかった。
他の誰かならともかく、あの冷静沈着なエルカが必死なのである。これはただ事ではない――フェイはざわめく予感を胸に、三段、四段と飛ばしながら階段を駆け下りた。
そして、エルカとほぼ同時に4階の廊下へとたどり着く。
右の通路を見る――何もいない。
左の通路を見る――野獣がいた。
があああああっ!!
獲物を見つけた領主は理性のカケラも無い叫び声をあげると、肉食獣そのものの動きでフェイ目掛けて迫ってきた。
「のわあああああっ!」
フェイとエルカは泳ぐように宙を掻き、半泣きになりながら右通路へと逃げだした。
しかし、逃げようとした廊下の先に、ゆらりと細い影が現れる。
その細い影が一歩を踏み出すと、月光がその姿を照らし出した。
女だ。
濃紫のドレスに身を包み、長く黒い髪を肩に落としている。
髪を下ろしているので一瞬誰だか分からなかったが、もう10年近い付き合いであるフェイは、それが誰であるかすぐさま理解した。
「コノハッ! 助けにきてくれたのか!」
フェイは安堵の声を吐き、それに走り寄る。
しかし、鬼気迫る声が背後から放たれた。
「よせっ! フェイッ! それはもう人間じゃないっ!」
エルカの叫びに、思わずフェイは女の顔を見てしまう。
悪魔だった。
キンッと悪魔の手がブレて、光る何かがフェイの下腹部を狙って射出された。
フェイは体を折り曲げ、間一髪でソレを避ける。
光る物体は勢いを落とさず、後ろにいたエルカの脇をかすめ、さらにその背後に迫った野獣へと牙をむく。
ガギッ
かつて領主だったモノは、それをいとも容易く歯で挟んで受け止める。
光る物体の正体は重そうな銀のフォークだった。
バキリ
それを、野獣は苦も無くそれを噛み砕き、ゴリゴリと咀嚼すると、そのまま飲み込んだ。
人外魔境もいいところである。
「な、なんだよこれ……」
怯えるフェイに向かい、第一射を外したコノハが、ギラリと光るナイフに舌を這わせながら音も無く近づいてくる。
後方からは領主が雄叫びをあげ、突進を開始した。
フェイは完全に戦意を喪失し、その場に力なく膝をついた。
「エルカ、俺、なんで生まれたんだろう……」
「あきらめるなっ! いいか、大切な質問がある」
「何を、こんな時に――」
うつむこうとしたフェイの顔を両手で掴み無理やり引き上げると、エルカは有無を言わさぬ気迫で命じた。
「これが命運を決めるんだ! イエスかノーで即答せよ! 沈黙は絶対に許さん!」
「イ、イエッサー」
「よし!」
エルカはフェイの目を覗き込み、真剣そのものの顔で尋ねた。
「お前は、童貞か?」
一瞬、あまりの質問にフェイの頭が真っ白になった。
「…………は?」
「いいから答えろ! 早く!」
「イ……イエス」
するとエルカは大きく頷き、高らかに叫んだ。
「生きろっ! リア=フェイロン!」
そしてフェイの襟元とズボンをむんずと掴み、肩に担ぎ上げる。
「なっ――ちょ、エルカッ!」
抗議の声も虚しく、エルカは開いていた窓から力の限りフェイをブン投げた。
ちなみに、ここは四階である。
「のおおおぉっ!!」
フェイは空飛ぶ亀のようにグルグルと回りながら落下していった。
飛び散る涙が流れ星のように瞬き、やがて、
ドボーーン
遥か下方から鈍い水音が響いてきた。
暗がりで見えないが、双月の庭園を囲む水路のための貯水池がこの下にあるのだ。ここで生まれ育ったエルカならではの荒技である。
しかし、2匹は諦めなかった。
水音からフェイが無事だと断定した野獣と悪魔は、最後の止めを刺すべく我先に階下へ駆けていった。
危機はまだ、終わったわけではない。
だがしかし、
――フェイ、後はお前の運次第だ
エルカは脂汗を拭い、静かにその場にへたり込んだのだった。
歪んだ白い光が見えた。
それが水中から見た月だと気が付いたのは、水を飲み込んだ後だった。
気管支に入った水にむせこみながらフェイは懸命にもがき、闇雲に水面を目指した。
「げ、げほっ! げほっ! くそっ、体中が痛え」
水面に上がって初めて、水面に叩きつけられた痛みを実感できた。
が、それでも止まる事は許されない。
ヤツラはすぐにでも追ってくるのだ。
――最後に泳いだのはいつだっけ
遥か昔の記憶をたどりながら水を掻いて池を進むと、やがて足が地面に触れた。
鉛のように重くなった体を、気力を振り絞って地上へ押し上げる。
どうにか池から上がると水を吸った服がやたら重く感じたが、服を脱いでいる時間も惜しかった。
仕方なく裾だけ軽く絞ってやると、それでも水が滝のように流れる。
ひどく惨めな気分になった。
「――ったく。出口は、どこだよ」
辺りを見回すと、そこには森の中かと思うほど木々や花々が散在している。
これは出口を探すより身を隠した方がいいかもしれない――そう思いついたフェイは出口を探すのを止め、隠れられそうな場所を探す事にした。
そんな時に、声は聞こえたのだ。
「――私には、大切な人がいます」
澄んだ空に響く鈴のような声。
その声を聞いただけなのに、フェイの鼓動はズキズキと高まった。
続いて胃がしくしくと痛みだす。
「そしてその人に、この世界のルールを教えてもらったのです」
熱を帯びて語るその口調には、最近嫌と言うほど聞き覚えがあった。
――この無駄に確信に満ちた声……間違いないな
そう。
それは間違いなく、セラの声だった。
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