NOVEL
剣の国の黒猫
23) がああああっ!
があああああっ!
突然鳴り渡ったその轟音に、コノハは最初雷が落ちたのかと思った。
しかし、夜空を見上げてもそこには雲ひとつ無い。まさに青天の霹靂であり、眉をひそめるしかなかった。
その隣にいたアハト領公子コーディリアも、あれほど熱中していた話をバッタリとやめ、周囲を不安そうに見回している。
「な、なんですか今の音は……コノハさん、大丈夫でしたか?」
「ええ、コーディリア様。お話の途中申し訳ありませんが、あた――私、何があったか見てきます」
「き、危険ですよ」
コーディリアの静止を無視し、これ幸いとばかりにコノハはその場を後にした。そして、エルカの姿を探すためパーティ会場を見回す。
原因不明の轟音は会場全体を騒然とさせていたが、エルカとは落ち合い場所を決めており、すぐに見つけることが出来た。
コノハは足早に近づき、顔にかかる髪をうっとうしそうに払いながら尋ねる。
「エルカ、あの音は何だったの?」
「私にも分からない。落雷にしては光もなかったし、雷雲も見えない。そろそろ作戦決行だというのに、不確定要素が入るとはな」
「じゃあ、原因を確かめてみる?」
とコノハが確認した直後だった。
がああああっ!
再びあの轟音が響きわたった。
一瞬肩をすくめた二人だったが、すぐさま音のした方角を確認すると、やはり先ほどと同じ方角だ。
エルカはやれやれと肩をすくめてコノハに頷く。
「そうだな。なにやら嫌な予感がするが、確認だけはしておくか」
「了解」
こうして二人はパーティ会場を抜け出し、音のした方へと木陰に紛れながら進んだ。
すると、それほど歩かないうちに豪華な休憩所が目に入り、そこから男の声が聞こえてきた。
「領主公っ! どうか落ち着いてくださいっ!」
よく響く、低く威厳のある声。
それはエルカには馴染みのある声だった。
「師父の声? ……と言う事は、さっきのは父上かっ!」
「は? 父上? エルカ、あなた何をバカなこと」
「来れば分かる」
エルカは歩を進め、休憩所のそばにある茂みへ身を隠した。
さすがにそこからでも休憩所の中までは見る事ができないが、壁ごしに凄まじい気配――いや、殺気が発せられている。
と、大理石で出来ているはずの壁がゴトンと揺れ、ガラムの切羽詰まった声がそれに続いた。
「領主公! まずは開会の挨拶をっ――――うおっ」
「あんの盛りのついた黒猫めがあああああああっ!!」
コノハは茂みの中でビクリと体を縮め、ようやくエルカの言っていた事を理解する。
雷鳴のような雄叫び――間違いない、あの轟音は、人の声だったのだ。
血の気の引いた顔で恐る恐るエルカに尋ねる。
「ねぇ、黒猫って、フェイのこと?」
「たぶん、そうだ。それよりあの父上が完全にキレている……こんなことは、初めてだ」
エルカの体もブルリと震えた。
信じられなかった。
かつてはゼクスの凶獣と恐れられ、素手で砂漠の地竜を絞め殺したとも言われる父だったが、公務にだけは忠実だったはずなのだ。
それが、この重要な外交の場で完全に我を失っている。
――いったい、何があったのだ?
とにかく今あの中に入っては危険だ。
これ以上絶対に近づくなとコノハに目で合図を送る。
その真剣さにコノハも唇を引き結んで頷き、身を低くした。
「領主公っ! 各国の方々が待ちかねておりますっ! ここは堪えてっ――」
「セラを孕まされて黙っていろと言うのかっ!? ふざけるなあああっ!」
領主の血の混じりそうな叫び声にエルカは眉をひそめた。
――はらます?
そして、その言葉の意味を理解した瞬間、コノハへと視線を向ける。
当初、彼女は無表情だった。
まだ事態を飲み込めていないのだ。
今のうちに何か言葉をかけねば――そう思った直後、
クワッ
突然、コノハの形相が一変した。
化粧で隠していたはずの険相が一気に浮かび上がり、肩へたらしていた黒髪が風も無いのにゆらりと浮き上がる。
コノハは静かに茂みから立ち上がると、人形のようにグルリと向きを変え、パーティ会場に向けてゆっくりと歩き去っていった。
やがて、コノハの姿が、エルカの視界から外れる。
そこで初めて、エルカは息を忘れていた事に気付いた。
息を吐き出した瞬間、体からあらゆる力が抜け、代わりにガタガタと体が震えだした。
――フェイ、お前は、な、なんという事をおおっ!
もはやどうすればフェイが生き残れるのか検討もつかない。
どんな状態でも対応できる計画を立てたはずが、こんな状況など想定していた予想外のはるか斜め上である。
甘かった。フェイの災厄を呼ぶ体質は桁外れだった。まるで綿が墨汁を吸い上げるように、そこらじゅうの災厄を吸い上げているとしか思えなかった。
だが、一つ心に引っかかった事がある。
――あのフェイが、本当にセラに手を出すだろうか?
事があったとすれば、あの最初の事件のときだ。
確かに家に連れ込んだりと、機会はいくらでもありそうなものだが、その状況を思い描く事ができない。
ひょっとすると、まだ可能性が残されているのかも知れなかった。
――しかし、まずはコノハを説得せねば
コノハが事を急いでは取り返しのつかないことになる。
エルカは気力をふり絞って立ち上がると、パーティ会場へと走りだした。
コノハはすぐに見つかった。給仕の侍女に何か頼んでいるらしい。
エルカが息を整えて近づこうとすると、その会話が耳に入ってきた。
「……ナイフを……下さい」
「あ、はい。どのようなナイフがよろしいでしょうか?」
「……ソーセージを、」
「はい?」
小首をかしげた侍女に、コノハはうつろな目でこたえた。
「ソーセージを……ザクッと、切れるのを……お願い」
それが何を言わんとしているのか理解したエルカは脂汗を浮かべ、鎮痛に目を閉じた。
――だめだ、コノハは声の届かない世界に行ってしまった
やむなく説得をあきらめたエルカは、絶対に使いたくなかった最後の作戦へと切替える覚悟を決めた。
なぜ使いたくなかったか……それは作戦などと呼べるものではないからだ。
すなわち、強行突破である。
「生きていろよ、フェイ」
エルカは泣きそうになりながら、一直線にフェイのいる牢へと駆け出したのだった。
「領……主……公……」
ドンと地響きを立て、ガラムは轟沈した。アゴへの一撃が止めになったのだ。
障害物が動かなくなった瞬間、獣は一際大きく吼えると、ある場所を目指して爆走を始めた。
もちろん、目指すは領邸5階――フェイのいる牢である。
領主公が居なくなり、再び静けさを取り戻した大理石の休憩所に、しかし一つだけ動く影があった。
黒と深紅のドレスを身にまとった少女である。
衝撃の事実を前にして目前の死闘に気付かぬほど呆けていた少女だったが、ようやく我に帰ったのだ。
このままではいけない――少女もまた覚悟を決めると、ゆっくりと立ち上がり、父親とは逆の道へと歩き出した。
その目指す先にある場所は、貴族たちの集う双月の庭園。
真っ直ぐに顔を上げた少女の視線は、輝かしい狂気に満ち溢れていた。
コノハは侍女から渡されたモノを受け取り、無表情に頷いた。
「……ありがとう」
「い、いえ。どうぞごゆっくり」
そのただならぬ雰囲気に怯えた侍女は、早々にきびすを返すと早足で去っていった。
コノハの右手には、鋭く光る銀のナイフが一本。
そして、左手には『切る時』に『抑える』ための銀のフォークが一本。
キン
コノハは、その二つを静かに打ち合わせた。
「……っくく」
何を想像したのか壮絶な笑みを浮かべるや、コノハは放たれた矢のように走り出した。
その目には周囲で驚く貴族達など欠片も入っておらず、映るのはただ建物の一角のみ。
そのため、すれ違った少女の存在にも、コノハは気が付く事が無かったのだ。
「お! おい、来たぞ」
「おや? 最初はラドクリフ公の挨拶ではないのか?」
好奇の視線を浴びながら、セラは庭園の一角に設置された台を、ゆっくりと登った。
やがて、その姿に目を留めた貴族たちがわらわらと集まり出した。
「あれが公女か……たしかに、美しいと言えば美しいが……」
「なんだ、子供じゃないか。16歳ではなかったのか?」
「なんでもゴルゴンの呪いらしいぞ」
「まあ可憐だこと……でも、あの衣装は頂けないわね。もっと……」
ザワザワと言葉を交し合う貴族達に、セラは静かに告げた。
「――皆様」
小さいが不思議とよく通る声に、ざわめきは通り雨が過ぎるようにピタリと止んだ。
「本日は私のためにお集まり頂き、ありがとうございます。ゼクス領を代表して、御礼申し上げます」
外見からは考えられないほど凛とした声であり、一同は思わずその声に聞き入る。
「――ですが、皆様に重大なお知らせがあります」
そう言うと、セラはお腹の前で手を組み合わせ、うっすらと微笑を浮かべたのだった。
[あとがき]
今回もフェイは登場しませんでした。
フェイ好きの皆様、申し訳ありません。
次回はフェイが登場します。
フェイ好きの皆様、申し訳ありません。
突然鳴り渡ったその轟音に、コノハは最初雷が落ちたのかと思った。
しかし、夜空を見上げてもそこには雲ひとつ無い。まさに青天の霹靂であり、眉をひそめるしかなかった。
その隣にいたアハト領公子コーディリアも、あれほど熱中していた話をバッタリとやめ、周囲を不安そうに見回している。
「な、なんですか今の音は……コノハさん、大丈夫でしたか?」
「ええ、コーディリア様。お話の途中申し訳ありませんが、あた――私、何があったか見てきます」
「き、危険ですよ」
コーディリアの静止を無視し、これ幸いとばかりにコノハはその場を後にした。そして、エルカの姿を探すためパーティ会場を見回す。
原因不明の轟音は会場全体を騒然とさせていたが、エルカとは落ち合い場所を決めており、すぐに見つけることが出来た。
コノハは足早に近づき、顔にかかる髪をうっとうしそうに払いながら尋ねる。
「エルカ、あの音は何だったの?」
「私にも分からない。落雷にしては光もなかったし、雷雲も見えない。そろそろ作戦決行だというのに、不確定要素が入るとはな」
「じゃあ、原因を確かめてみる?」
とコノハが確認した直後だった。
がああああっ!
再びあの轟音が響きわたった。
一瞬肩をすくめた二人だったが、すぐさま音のした方角を確認すると、やはり先ほどと同じ方角だ。
エルカはやれやれと肩をすくめてコノハに頷く。
「そうだな。なにやら嫌な予感がするが、確認だけはしておくか」
「了解」
こうして二人はパーティ会場を抜け出し、音のした方へと木陰に紛れながら進んだ。
すると、それほど歩かないうちに豪華な休憩所が目に入り、そこから男の声が聞こえてきた。
「領主公っ! どうか落ち着いてくださいっ!」
よく響く、低く威厳のある声。
それはエルカには馴染みのある声だった。
「師父の声? ……と言う事は、さっきのは父上かっ!」
「は? 父上? エルカ、あなた何をバカなこと」
「来れば分かる」
エルカは歩を進め、休憩所のそばにある茂みへ身を隠した。
さすがにそこからでも休憩所の中までは見る事ができないが、壁ごしに凄まじい気配――いや、殺気が発せられている。
と、大理石で出来ているはずの壁がゴトンと揺れ、ガラムの切羽詰まった声がそれに続いた。
「領主公! まずは開会の挨拶をっ――――うおっ」
「あんの盛りのついた黒猫めがあああああああっ!!」
コノハは茂みの中でビクリと体を縮め、ようやくエルカの言っていた事を理解する。
雷鳴のような雄叫び――間違いない、あの轟音は、人の声だったのだ。
血の気の引いた顔で恐る恐るエルカに尋ねる。
「ねぇ、黒猫って、フェイのこと?」
「たぶん、そうだ。それよりあの父上が完全にキレている……こんなことは、初めてだ」
エルカの体もブルリと震えた。
信じられなかった。
かつてはゼクスの凶獣と恐れられ、素手で砂漠の地竜を絞め殺したとも言われる父だったが、公務にだけは忠実だったはずなのだ。
それが、この重要な外交の場で完全に我を失っている。
――いったい、何があったのだ?
とにかく今あの中に入っては危険だ。
これ以上絶対に近づくなとコノハに目で合図を送る。
その真剣さにコノハも唇を引き結んで頷き、身を低くした。
「領主公っ! 各国の方々が待ちかねておりますっ! ここは堪えてっ――」
「セラを孕まされて黙っていろと言うのかっ!? ふざけるなあああっ!」
領主の血の混じりそうな叫び声にエルカは眉をひそめた。
――はらます?
そして、その言葉の意味を理解した瞬間、コノハへと視線を向ける。
当初、彼女は無表情だった。
まだ事態を飲み込めていないのだ。
今のうちに何か言葉をかけねば――そう思った直後、
クワッ
突然、コノハの形相が一変した。
化粧で隠していたはずの険相が一気に浮かび上がり、肩へたらしていた黒髪が風も無いのにゆらりと浮き上がる。
コノハは静かに茂みから立ち上がると、人形のようにグルリと向きを変え、パーティ会場に向けてゆっくりと歩き去っていった。
やがて、コノハの姿が、エルカの視界から外れる。
そこで初めて、エルカは息を忘れていた事に気付いた。
息を吐き出した瞬間、体からあらゆる力が抜け、代わりにガタガタと体が震えだした。
――フェイ、お前は、な、なんという事をおおっ!
もはやどうすればフェイが生き残れるのか検討もつかない。
どんな状態でも対応できる計画を立てたはずが、こんな状況など想定していた予想外のはるか斜め上である。
甘かった。フェイの災厄を呼ぶ体質は桁外れだった。まるで綿が墨汁を吸い上げるように、そこらじゅうの災厄を吸い上げているとしか思えなかった。
だが、一つ心に引っかかった事がある。
――あのフェイが、本当にセラに手を出すだろうか?
事があったとすれば、あの最初の事件のときだ。
確かに家に連れ込んだりと、機会はいくらでもありそうなものだが、その状況を思い描く事ができない。
ひょっとすると、まだ可能性が残されているのかも知れなかった。
――しかし、まずはコノハを説得せねば
コノハが事を急いでは取り返しのつかないことになる。
エルカは気力をふり絞って立ち上がると、パーティ会場へと走りだした。
コノハはすぐに見つかった。給仕の侍女に何か頼んでいるらしい。
エルカが息を整えて近づこうとすると、その会話が耳に入ってきた。
「……ナイフを……下さい」
「あ、はい。どのようなナイフがよろしいでしょうか?」
「……ソーセージを、」
「はい?」
小首をかしげた侍女に、コノハはうつろな目でこたえた。
「ソーセージを……ザクッと、切れるのを……お願い」
それが何を言わんとしているのか理解したエルカは脂汗を浮かべ、鎮痛に目を閉じた。
――だめだ、コノハは声の届かない世界に行ってしまった
やむなく説得をあきらめたエルカは、絶対に使いたくなかった最後の作戦へと切替える覚悟を決めた。
なぜ使いたくなかったか……それは作戦などと呼べるものではないからだ。
すなわち、強行突破である。
「生きていろよ、フェイ」
エルカは泣きそうになりながら、一直線にフェイのいる牢へと駆け出したのだった。
「領……主……公……」
ドンと地響きを立て、ガラムは轟沈した。アゴへの一撃が止めになったのだ。
障害物が動かなくなった瞬間、獣は一際大きく吼えると、ある場所を目指して爆走を始めた。
もちろん、目指すは領邸5階――フェイのいる牢である。
領主公が居なくなり、再び静けさを取り戻した大理石の休憩所に、しかし一つだけ動く影があった。
黒と深紅のドレスを身にまとった少女である。
衝撃の事実を前にして目前の死闘に気付かぬほど呆けていた少女だったが、ようやく我に帰ったのだ。
このままではいけない――少女もまた覚悟を決めると、ゆっくりと立ち上がり、父親とは逆の道へと歩き出した。
その目指す先にある場所は、貴族たちの集う双月の庭園。
真っ直ぐに顔を上げた少女の視線は、輝かしい狂気に満ち溢れていた。
コノハは侍女から渡されたモノを受け取り、無表情に頷いた。
「……ありがとう」
「い、いえ。どうぞごゆっくり」
そのただならぬ雰囲気に怯えた侍女は、早々にきびすを返すと早足で去っていった。
コノハの右手には、鋭く光る銀のナイフが一本。
そして、左手には『切る時』に『抑える』ための銀のフォークが一本。
キン
コノハは、その二つを静かに打ち合わせた。
「……っくく」
何を想像したのか壮絶な笑みを浮かべるや、コノハは放たれた矢のように走り出した。
その目には周囲で驚く貴族達など欠片も入っておらず、映るのはただ建物の一角のみ。
そのため、すれ違った少女の存在にも、コノハは気が付く事が無かったのだ。
「お! おい、来たぞ」
「おや? 最初はラドクリフ公の挨拶ではないのか?」
好奇の視線を浴びながら、セラは庭園の一角に設置された台を、ゆっくりと登った。
やがて、その姿に目を留めた貴族たちがわらわらと集まり出した。
「あれが公女か……たしかに、美しいと言えば美しいが……」
「なんだ、子供じゃないか。16歳ではなかったのか?」
「なんでもゴルゴンの呪いらしいぞ」
「まあ可憐だこと……でも、あの衣装は頂けないわね。もっと……」
ザワザワと言葉を交し合う貴族達に、セラは静かに告げた。
「――皆様」
小さいが不思議とよく通る声に、ざわめきは通り雨が過ぎるようにピタリと止んだ。
「本日は私のためにお集まり頂き、ありがとうございます。ゼクス領を代表して、御礼申し上げます」
外見からは考えられないほど凛とした声であり、一同は思わずその声に聞き入る。
「――ですが、皆様に重大なお知らせがあります」
そう言うと、セラはお腹の前で手を組み合わせ、うっすらと微笑を浮かべたのだった。
[あとがき]
今回もフェイは登場しませんでした。
フェイ好きの皆様、申し訳ありません。
次回はフェイが登場します。
フェイ好きの皆様、申し訳ありません。
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