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NOVEL

剣の国の黒猫
21) 準備はいいか

「準備はいいか、コノハ」

 エルカはコノハの着替が終わるのを、エルカーナの応接室で今か今かと待っていた。
 ライトブラウンのシャツとダークブラウンのサーコートを身に付けたその姿は、どこからどう見ても貴族であり、普段のナンパな雰囲気は微塵も無い。
 顔にはいつに無く緊張の色が浮かび、これから行おうとする作戦の大きさを物語っていた。

「ゴメン、もうちょっとかかりそうなの」

 コノハの着替えている部屋からルナが顔だけを出し、どことなくウキウキとした口調で告げる。
 着付けと化粧なら任せろと、本来の目的そっちのけで張り切っているらしい。

「今日は遊びじゃない、目立たない感じで頼むよ」
「それはわかってるけど、ちょっとは、ね。あと少しだから」
「分かった。だが、パーティは日没と同時に始まるが、陽のあるうちに行って経路を確認しておきたい。なるべく――」
「分かってるって!」

 エルカの口上を切り上げるや、ルナはバタンと扉を閉めてしまった。
 小さく息を吐いて、エルカはテーブルにある衛視の配置図にもう一度目を通す。
 図にはどの衛視がどの範囲をカバーするのか正確に描かれている。これはクロフが今朝持ってきた情報を図面化したものだ。
 経路を指先でなぞりながら、エルカの顔に苦笑が浮かぶ。
 クロフからこの情報を聞き出した時の事を思い出したからだった。
 コノハに連れてこられたクロフは、事情を飲み込むや真顔で言ったのだ。

『俺も、参加できないか?』

 雇い主である領主を裏切ると言ったに等しい言葉だった。
 クロフは正義感ある衛視だ。生半可な覚悟でこうは言うまい。しかも間もなく待ちに待った結婚式を控えての言葉なのだ。
 それほど、フェイの事を大切に思っているという事だろう。
 正直に言って、羨ましい関係だと思う。

『クロフ、君が今衛視をクビになったら、フェイがどれだけ悲しむか、分かるか?』

 エルカがきっぱりと断ると、しつこく食い下がっていたクロフはしぶしぶと諦め、代わりに情報を事細かに提供したのだ。
 『頼む』と、言い残してクロフは衛視の仕事に戻った。重いものを頼まれたものだとエルカは苦笑する。
 これで失敗すれば、どれだけ恨まれるか分かったものではない。
 そもそも、このパーティの発案者はエルカなのだ。妹の恋心をちょっと煽ってみるつもりが、大切なパートナーを危険に晒してしまっている。とんでもない失態だった。

『自分でやった事の責任は自分で取れ、それがこの町のルールだ』

 そうフェイに言ったのもエルカだ。その責任を、今こそ取らなくてはならないのだろう。
 エルカは奥歯をギリと噛み締めると、もう一度衛視の配置図に目を通した。

「お・ま・た・せ」

 これ以上無いほどの上機嫌でルナが応接間に戻ってきた。
 エルカが地図から目を上げて、やれやれとため息を吐く。

「終わったのか?」
「もう完璧よ! さ、コノハ。エルカを驚かせてやりなさい!」
「……で、でも」
「いいから、早く来るの!」

 扉の向こうで恥ずかしがるコノハの手を引いて、ルナは無理やり部屋から引きずり出した。

「これは……」

 エルカが思わずそう漏らしたほど、恥ずかしそうに俯くコノハは、まるで見違えていた。
 武術の邪魔にならないように無造作に後ろで縛ってあった漆黒の髪は、今や綺麗に櫛でとかれており肩から水のように流れていた。その長さは胸元まであり、毛先も重くならないようカットが入っている。それだけでだいぶ印象が違った。
 ドレスは目立たないようオーソドックスなダークパープルのフィットドレスだが、着る人が着れば斬新なドレスになるらしい。大胆に切れ目の入れてあるスカートのスリットが印象的だ。

「ほら、コノハ、顔上げて。化粧が会心の出来なんだから。ほらエルカ、見てよ」

 ルナに促されて、コノハがゆっくりと顔を上げた瞬間、エルカは本当に別人かと思った。
 日に焼けて荒れていた肌は小麦粉のようなきめ細かな肌に変容しており、しかし、化粧を意識させない絶妙な色合いを保っている。
 口には艶やかな朱が、頬には薄いチークが、ややきつめに見られる目元には、柔らかな色のシャドウが施されている。
 それ以上の細かな化粧については、エルカですら何が施してあるのかわからなかった。
 ただ分かったのは、コノハの欠点だった顔のきつい部分がいっさい無くなっており、それが逆に気品へと昇華されている事だ。
 別人だと思ってしまったのは、おそらくそのせいだろう。

「たしかに、とても綺麗だと思うよ。ただ――」

 エルカが『ただ』と続けたので、二人は何を言われるかと、それぞれ不安な顔を見せる。

「ただ、今のコノハをフェイが見たら……見惚れて動けなくなるな」
「あははっ! うん、そうだよね!」

 ルナは最高の合格点がもらえたことに安堵して笑い、同時にエルカはどんな時でもエルカだと妙に納得した。
 一方、コノハは一切笑えなかった。
 それどころか化粧を施される間から、胸がギリギリと痛み、気が付けば手を硬く握り締めている。
 緊張しているのだ。
 なにせこの違和感のある恥ずかしい格好で貴族達と談笑し、その隙にフェイを救い出さねばならない。
 それを考えるだけで、今さらながらひざが震えた。
 第一、丸腰で行かなければいけないのが落ち着かない。せめて、棒切れの一本でも持っていきたかった。

「コノハ。分かっていると思うが、君の役目は周囲の目を油断させることだよ。派手な立ち回りが必要なのは、本当にどうしようもなくなった最後の手段だ」

 まるで心を見透かされたようにエルカに釘を刺され、コノハは頬を染めてコクコクと頷いた。

「わ、分かってる。落ち着いて笑っていればいいんだろ?」
「ああ、出来れば言葉遣いも上品にしてもらえると完璧だ」

 コノハはもう一度頷く、その緊張した様子をほぐそうとルナはいつもの笑顔で薄手の手袋を渡した。

「じゃあ、コノハ。くれぐれもいつもみたいな無茶はしないでね!」
「う、うん」
「では、行ってくるよ。無事を祈ってくれると助かる」
「もちろん! これでも神官見習いですから! 大丈夫、絶対にうまくいくって!」

 ルナにぽんぽんと背中を叩かれ、コノハは頼りないドレスの裾をギュッと掴んだ。

――うん、大丈夫。絶対に上手くいく!

 自分に言い聞かせると振り返り、励まし続ける親友にゆっくりと頷いた。



 ゼクス領は鉱都と呼ばれている。
 かつてバイスレイト鉱以外にも金や銀等が採掘できたから、そう呼ばれていた。しかし、今では金と銀は既に掘り尽くされ、鉱都と言う名前をそのままに商業都市として発展を続けている。
 ゼクス領の発展は目覚しく、王都と国随一の貿易都市ツヴァイを結ぶ巨道バイスアルムがもたらし続ける利益もまた莫大だ。
 その公女が主催するお披露目パーティとなると、シュバート国全体でも有数の外交場である。
 しかも、来客に将軍や王子も参加すると聞かされたラドクリフ公お抱えの調理人達は色めきたっていた。

「何だこのカス肉は! 王都から最上級のものを仕入れろって言ったじゃねえか!」
「すっ、すみません。昨日から王都の仕入れ馬車が来なくて、一応、ここらでは最高の肉なんですが……」
「ふざけるなっ! 何だこの肉の色、まるでラマみたいじゃねーか! もういい、お前、市場でツヴァイ産の最上級エビと魚を買い占めて来い!」
「ええっ! 今からですかっ?」
「うるさい! セシリア様に恥かかせるつもりか! つべこべ言わずにさっさと行けっ!」

 調理場は戦場のごとく鬼気迫っていた。
 定期便とは言え、少しのトラブルで材料が手に入らないことなど良くある事だが、タイミングがタイミングだけに良くある事で済まされるわけも無い。
 その様子をこっそりと見ていたガラムは、戦場にいた頃には無い不安に襲われていた。

――しかし、失敗する訳には行かない。ゼクス領の、いや、セシリア様の未来がかかっているのだ

 今朝から急に協力的になってくれた公女を思い出し、ガラムは気を引き締めた。
 ようやく公女として覚悟を決めたのだろう。ならばそれに答えなくて、何が忠義だろうか。
 泣いても笑っても、一時間後には招待客が大挙してくる。その前にやれる事はやっておかねばならない。
 しかし、戦とは違い、気合や覚悟だけでは全くどうにもならないことばかりなのだ。

「……まずはセシリア様の様子を見てくるか」

 ここにいても邪魔にしかならぬと、ガラムは調理場を後にして中庭に向かった。
 中庭には邸宅とほぼ同じ広さを誇る円状の舞台があり、舞台は純度の高いバイスレイト製だ。それを細い水路が円を描くように囲んでおり、さらにその周りを四季の花々や樹林が覆っている。
 ゼクス領自慢の『双月の庭園』だ。
 円状の舞台が満月の夜に怪しいほど舞台が輝き、まるで空と地に二つの月があるように見えることから、そう呼ばれている。
 しかし、丹念に磨かれたその舞台のどこにも公女の姿は見えなかった。
 ガラムはもしやと思い牢屋にも行ったが、看守役のアズマも知らないと首を振る。

「セシリア様……いったいどこに」

 と、そこまで考え、肝心のセラの部屋を確認していない事に気付く
 時間の猶予は無いと、ガラムは大慌てでセラの部屋に向かった。

 公女の部屋の扉は半ば開かれていた。
 その中は薄暗く、しかしそこには確かに小さな気配がある。
 わずかに聞こえるのは、しゃくりあげる嗚咽の音。

――まだ、泣いておられるのか

 ガラムは硬い扉をノックし、それでも返事が無いので、そのまま中へと入った。

「……セシリア様、もう、お時間です」

 声を掛けた公女は、ひと言で言うなら哀れだった。
 侍女たちは公女を精一杯大人に見せたかったのだろう。深紅と黒を基調としたドレスを着たセラが、真っ白な帽子を胸に小さく震えていた。
 その帽子には見覚えがある。最後に脱走した際、あのフェイから贈られたものだ。

「セシリア様」

 再度の呼びかけに、セラはこちらを見ないままゆっくりと立ち上がった。
 その動きには生気がまるで感じられない。

「その帽子はお預かりしましょう。もし御辛いのでしたら、私めが処分しますが」
「いやっ! これだけは……これだけは、お願い」

 セラは鏡台の引出しを開けると、まるでむき出しの宝石でも扱うように、丁寧に帽子をに大切にしまう。
 そして、ようやく振り向いたセラの顔は――まるで死者のようだった。
 白粉をかるく振った顔は、その必要が無いほど真っ白であり、目はドレスに負けないほど赤い。
 長い金髪は、きっちりと頭上で結ってあり、確かにいつもより大人に見える。しかし、ガラムはいつものセラの方が、何倍も美しいと感じた。
 無論、忠実な臣下はそんな感想はおくびにも出さない。

「さきほど特注の靴が届きました。早く慣らさねばなりません。さ、参りましょう」
「う……」
「セシリア様?」
「うおえええええええっ」

 過激な掛け声と共にセラは嘔吐した。
 ガラムは急いで布巾を用意すると、汚れたドレスの裾や口元を拭く。
 幸い、ほとんど胃液しか出ていないため、ドレスの着替えだけは免れた。

「セシリア様、どうなされました? 緊張しておいでですか?」
「昨夜から、ずっと気持ち悪いの……大丈夫、なんでもない」

 セラはそのまま、ふらふらと着付け役が待つ部屋へと歩いていった。
 その様子を見て、ガラムの心中にはある予感が生まれたのだ。

――セシリア様……まさかっ!?

 しかし、その疑問はしばらく保留となる。
 なぜなら、セラと入れ違いに衛視の一人が走りこんできたのだ。

「ガラム様、急いで応接間にお戻りください!」
「む、どうした?」
「ドライ領からゴリネル将軍が到着されました」
「ちっ! 予定より早いではないか」

 ガラムは忌々しげに舌打ちすると、大急ぎで応接間へと駆け出した。



「久しぶりだな、ラドクリフ公」
「ご壮健とお見受けします。ゴリネル将軍」
「貴公も相変わらず頑健よな。とても五十を過ぎたようには見えんよ」

 ゴリネルは太った腹をゆすって高らかに笑った。
 どちらが将軍かと他国の人に聞けば、十人中十人がラドクリフ公を指すだろう。それほど、ゴリネルは将軍としての迫力に欠けていた。
 目鼻立ちは脂ぎった丸みを帯びており、赤い髪も既に薄くなっている。特に前頭部は顕著だ。それならまだしも、消えかかった生え際を隠すように横の髪を前頭部に回してある。それが著しく威厳を損なっていた。
 ラドクリフ公の磨きぬかれた体躯とは対照的な肉と酒に肥え太った体型……どれもが将軍として似つかわしくないものだ。
 しかし、世襲制の貴族達とは違い、将軍だけは勲功のあった者が就任する。
 ゴリネルは盗賊団ゴルゴンを何度も退却せしめ、将軍にのし上がった歴戦の猛者だった。
 そして将軍は国王に次ぐ権威があり、公爵より位が上だ。
 九公爵の一人とはいえ、無礼は許されない。

「ふむ、少し早く着きすぎたようだな。無粋な真似を許されよ」
「滅相もございません……ところで、ゴリネル将軍。軍には再三ゴルゴン討伐の要請を出したはずですが、現在はどのように――」
「ラドクリフ公! 今日はそのような無粋な話は止めにしようではないか。ご公女のお披露目であろう?」
「しかし、ゴルゴン討伐はシュバート国の最重――」

 無礼を承知でラドクリフ公が切り出した瞬間、ゴリネルは手を打って声高に言葉をさえぎった。

「おお! そうだった! 来る途中、妙な噂を聞いたのだが、説明していただけるかな」
「……噂、ですと?」

 ラドクリフ公は表情を変えずに聞き返したが、内心では苦いものがよぎる。
 聞くまでも無い。街中で騒がれている噂と言えばたった一つなのだ。
 ゴリネルは勿体つけるように、あごひげをひと擦りし、相手の反応をじっくりと探る。

「とぼけても無駄だ。貴公も分かっているはずだぞ?」
「ですから、なんの噂だと――」

 もう一度聞き返そうとした言葉を手でさえぎり、ニヤリと唇の端を歪め、ゴリネルはその言葉を告げた。

「そら、黒猫だよ」




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