覇皇伝
第五章 ルト=リューベンの乱
第五章 ルト=リューベンの乱
1 反乱勃発
帝国暦三三二年、六月十日、未明
午前零時。
帝都の住民のほとんど全てが眠っている時刻。
作戦は発動された。
一言もしゃべらない、武装した兵士達が街の中を駆け抜ける。
帝都防衛隊、第二軍、神官軍団、傭兵軍団の各指令部は瞬く間に制圧されてしまった。
第一軍の兵士達はその後も、帝国府や貴族院、臣民院、食糧貯蔵庫、武器貯蔵庫などを次々に制圧・占拠していった。帝都防衛隊は各拠点で小規模な抵抗を試みた後、ルーガ城内に撤退。
しかし、すぐに降伏した。
もっとも激烈な抵抗が予想された皇城も呆気なく陥落し、明け方まで掛かると思われた制圧作戦は想像以上の速さで完了した。
ルーガを取り巻く城壁の、各門は第一軍の兵によって固められ、誰も出ることは出来ず、誰も入る事は出来ない。ただ、例外が二つ。
一つは堂々と城門を出て、西へ。
一つは第一軍が門を抑える前に城門を忍び出て、東へ。
帝国府の文官達も、その指揮をすべき高級官僚達がみなラインハルトの供をして留守だったため、抵抗しようという意思すらなかった。
自宅に居た文官も、侵入してきた兵によって身柄を拘束された。
城内に残っていた侍女等は、シエナ=クリケットの指導の元、大人しく降伏した。
「帝都制圧、終了しました」
第一軍指令部の作戦室で、ルト=リューベンは半信半疑のまま、アルンヘルの報告を受けていた。
(呆気なさ過ぎる………これが、不滅の都と言われたルーガか)
無論、ルーガの住人の九割以上はまだこの反乱の事を知らない。
彼らは朝起きて初めて、異変に気付くのだろう。
「街の要所要所には既に中隊規模の部隊を展開しております。おめでとうございます、閣下。反乱は九割以上成功したような物です」
「う………うむ」
「捕虜はいかが致しましょう?」
「捕虜?」
「はっ。降伏または捕縛した、帝都防衛隊員、第二軍団員、帝国府文官、城詰の侍女等です」
「武装解除の上、四聖の間にでも閉じ込めておけ」
「はっ」
事は順調に進んでいる。なのに、ルトは胃が異様にむかむかするのを感じた。
武人としての勘が、何かを必死に訴えかけている。
だが、彼にはその警鐘が何を意味するのかわからなかった。
「神官軍団と傭兵軍団はどうした?」
「帝都を脱出、東に遁走しました。皇帝軍との合流を目指す物と思われます」
アルンヘルの報告に、ルトはかっと両目を見開いた。
「神官・傭兵の両軍団を合わせれば兵力は五万五千だ。これに今皇帝の下にある三万、それに周辺の第二軍部隊と合流すればかなりの戦力になる。すぐに全軍を率いて追撃に移る!」
「全軍、ですか?帝都には抑えの兵を残さないので?」
「―――ならば、おまえに一万の兵を与える。私が戻ってくるまで門を固めて誰も帝都内に入れるな」
「スタルナス帝国の援軍が来たらばいかがいたしましょう」
「城門の外で待たせておけば良い。丁重にな」
「―――畏まりました」
そして―――第一軍十七万はルーガを出て、神官・傭兵の両軍団追撃の途についたのだった。
四聖の間には捕らえられた文人、城詰の侍女達、帝都に残存していた一部の帝都防衛隊員や第二軍団の兵などが捕らえられていた。
「うう………うう」
広大な部屋は、元々会議を行うための部屋であるだけに音響効果抜群だ。
抵抗して殴られた兵の苦痛に喘ぐ呻き声も、無意味に拡張されて、怯える侍女達をより不安にさせる。そんな中にあって、一人だけ、毅然としている女が居た。シエナ=クリケット、その人である。
彼女だけは金色の瞳を小動もさせず、周りの人々を励まし続けていた。
「大丈夫。反乱軍とて同じ帝国の人間です。乱暴な事はしません。それにすぐに陛下が戻って来てくださいます。それまでの辛抱です」
何度も何度も、泣きじゃくる侍女の背中を擦ってやりながら、シエナは続けた。
「侍女殿」
掛けられた男の声に、シエナは振り返った。そこには初老の文官が不安そうな顔をして立っていた。
シエナも何度か見かけた事のある文官だ。次から次へと噴出してくる汗を手拭で拭いながら、文官はシエナのすぐそばに膝を落として耳元に口を寄せた。中年男の口臭に思わず眉を曇らせるが、
「本当に陛下は戻ってこられるのか?」
不安げなその質問に対しては、毅然と答えていた。
「当たり前です!我々を見捨てるような方ではありません!陛下の臣たる我々が陛下の事を信じて差し上げなくてどうするのですか!」
窘められて、文官は何度も瞬きして、
「わ、わかった。私は陛下を信じている。陛下は歴代の陛下とは違う。必ずや、来てくださる。じゃろう?」
「ええ。勿論です」
にっこりと笑って、シエナは断言した。二人のやり取りは、四聖の間の抜群の音響効果によって部屋の中に居るすべての人間の鼓膜を震わせ、その心に希望を与えた。
「―――動いたか」
国境間近の城塞であるハウゼン・シュタットで、キエフ=ロドリナスはルト=リューベンが送って寄越した密使に会っていた。彫りの深い顔立ちに、はっきりとした目鼻をしたキエフは、その渋い容貌でも、国内の女性達に人気であった。或いは、皇帝のバイエルン=スタルナスよりも。
スタルナス一の名将、ややもすれば他者の嫉妬を招きそうな彼だが、その質実剛健な性格、武人らしい質素な生活、そして普段の穏やかな物腰、バイエルン=スタルナスへの比類なき忠誠など他者の追随を許さず、尊敬されこそすれ、嫉妬を受ける事は少なかった。
少なくとも表面上は。だが、今回キエフが率いている兵力は五万。決して多い数ではない。
「―――我が主人はキエフ殿の到着を首を長くして待っております」
「そうか………御苦労であった。下がって疲れを癒すが良かろう」
「いえ。すぐに立ち戻りまして、キエフ殿快諾の報を主人に伝えたく存じますので、すぐにでも」
「そうか。それはご苦労な事である」
「そのような御言葉、勿体のうござります」
「うむ」
密使は低頭して、去って行った。キエフは一瞬瞑目したのち、居並ぶ配下の武将達を見回した。
「計画通り、フロレシア側の見張りに気付かれぬよう数人ずつ、フロレシア領内に潜入せよ。オルティア、交戦は避けよ。事態を見極め、好奇と判ずれば国境付近の村落を襲う程度に抑える。ユアンも同じだ。暴走はするな。スタルナスの者である事を示す物は一切身に纏うな」
『ははっ』
左右不揃いの瞳を持つ若者と右目の下から顎の左側まで大きな裂傷が走っているのを手始めに全身に古傷を持つ男が同時に頭を垂れる。
決戦の時、近づく。
エシュアによってルーガの反乱が伝えられてすぐ、ラインハルトは官舎に主だった者を集めた。
宰相オルンヘル=クリケット、近衛騎士団長アミリア=ホーン、第一歩兵師団長シオン=クリケット、それにアレク=ハーベストを初めとする四人の連隊長、それにエシュア。
「反乱など断固断罪すべきです!」
「今はそんな事を言っている場合ではないだろう、近衛騎士団長。落ち着け」
「―――申し訳ありません」
第一軍の反乱を聞いて、激昂したアミリアが顔を赤くしつつ着席する。
それを待って、オルンヘルが口を開いた。
「神官・傭兵両軍団はこちらに向かっている。我々はこのままトリコで待機し、彼らや第二軍の各部隊との合流を待つべきか?」
その問いに答えたのはシオン=クリケットだった。
「無理です。神官・傭兵両軍団の兵は指揮官を除き、歩兵で構成されている。しかし、第一軍には二万の騎兵が居る。トリコに達する前に、両軍団は追いつかれる。騎兵と戦っている間に歩兵にも追いつかれれば十七万対五万五千、しかも正規軍と予備軍とでは勝負にならない。壊滅してしまうのは目に見えています」
「―――ではどうする?」
「文官たちをトリコに残し、軍だけの身軽な姿になって、出撃します。神官・傭兵両軍団を収容し、第一軍を迎撃する。それしかないかと思います」
「馬鹿な―――今トリコに居る兵力は三万だ。神官・傭兵両軍団と合流しても八万五千、第一軍は十七万なんだぞ」
「第一軍は神官・傭兵両軍団を追撃するために帝都から走り続けでしょう。隊列は長細くなり、先行してくる騎兵を叩けば後は長く伸びている敵勢を撃退できる。途中で第二軍団の各部隊と合流できれば兵力は増やせる。近在には騎兵連隊も駐屯してる。合流できれば十万余りの兵力になりえます」
「だとしても―――」
「それで良い、いや、それしかないと思います」
アレクが発言する。彼は一同を見回して、
「先陣は俺が務めます」
「しかし―――」
「宰相」
尚も何かを言おうとしたオルンヘルを、ラインハルトが制した。
「彼らは専門家、宰相は戦に関しては素人。違う?」
「陛下………」
「ここは彼らに任せよう。シオン兄、余も行くよ」
「陛下!」
「―――良いでしょう。総大将が後方でぬくぬくとしていては兵の士気に関わりますから」
オルンヘルとは対照的に、シオンは軍人だった。軍人的思考で物事を考える。
「先陣はアレクの第一歩兵連隊、神官・傭兵の両軍団は無用の混乱を避けるために左翼と右翼に付ける。アミリア団長、近衛騎士団には旗本として陛下をお守りして後詰に」
「承知」
「陛下、僕も行きます」
「レオン!?危険だよ」
「危険なのは承知してます。でも僕も三百人の親衛隊を率いている。同盟国の危機に立ち会って、協力できるだけの力を持っているなら、協力したいのです」
「―――わかった。じゃあ、レオンにも旗本に加わって貰おう」
「ありがとうございます」
シオンはかすかに笑みを浮かべながら、皇帝を見た。
「それでは陛下」
「うん」
ラインハルトは頷いて、立ち上がった。予め用意していたのだろう、扉を開けて市長付きの使用人達が杯に入れた勝ち酒を運んできた。全員でその杯を取り、
「反乱軍を討伐し、皇帝の威を天下に示すべし―――各々の奮闘を祈る。出陣!」
『おおうっ!!』
全員が杯の中の酒を飲み干し―――ラインもレオンも一応飲んだ―――そして、それを床に叩きつけた。
三万の軍勢はトリコの市民の歓声を受けながら出撃した。
アルカディア街道を三万の軍勢が駆け抜ける。沿道には反乱の噂を聞いた人々が集まり、盛んに声を掛けてくる。白馬に跨ったラインが通りかかると沿道の人々の間から一気に歓声が上がる。
「ジークカイザー・ラインハルト!」
「帝国に栄光を!皇帝に名誉を!」
「反乱軍に死の鉄槌を!」
ラインハルトは人々の声援に、いちいち笑顔を向けて手を振った。
その気さくな態度が、さらなる熱狂を生み出す。
群衆の熱狂振りは兵に伝染し、彼らは疲労を忘れた。
軍列の先頭にはフロレシア帝国の国旗である《力強き銀獅子》が風に翻っている。
その旗のすぐ後ろを赤髪を翻し、端麗な顔立ちをした将が進む。
第一歩兵連隊長のアレク=ハーベストだ。
その隣には艶やかな黒髪と温和な顔立ちをした美女が従っている。
アレクの副官のリーナ=セレシコフだ。
ただし、その外見から受ける印象を払拭しているのが彼女が背負っている得物だ。
巨大な鎌。人の首など簡単に切り落とせそうな巨大な鎌だ。
「なあ、リーナ?」
アレクは馬の手綱を緩く握りながら、リーナに声を掛けた。
「なんです?」
「―――なんでおまえって鎌を使うんだ?」
「感触がたまらないんです」
「―――感触?」
「ええ。こう人の首をすぱぁんっと切り飛ばしたときのすぱぁんっていう感触が―――」
「いやもう良い。俺が悪かったからもうそれ以上言うな」
「アレクもどうです?一度―――」
「いや、俺は剣の方が手にも馴染んでるしな」
「いえ、違いますよ」
「違うって、何が?」
「鎌を使って見ると言う事ではなく―――」
「それ以上言うな。ついでにお断りだ」
「まあ、残念―――すぱぁんって感触がたまらないのに」
「…………」
(―――こりゃ、当分、寝られそうにねえな)
自分で聞いた事ながら、著しく後悔を覚えるアレクだった。
「おまえ、もうすぐ倍近くの敵と戦うって言う緊張感みたいな物は無いのか?」
「ありませんよ?」
(うわ。断言しやがった………)
「アレクだって、緊張してるようには見えませんよ?」
「いやだって、俺は戦慣れしてるしな」
「私だって、もう何度も戦には参加してますよ」
「―――まあ、そうか」
「ええ」
その時、遥か地平の彼方に砂埃が見えた。
「―――どうやら神官・傭兵の両軍団だな」
「思ったより近くまで来てますね」
「後続の部隊に伝令。『友軍発見、進撃停止、陣形を整えて邀撃体勢を取れ』。神官・傭兵の軍団にも伝令。『こちら皇帝親卒の討伐軍なり、反乱軍に加担する意思無くば、我が陣列に加われよ』。急げ」
「はい」
2 騎兵隊撃破
伝令を何度かやり取りし、神官軍団が左翼、傭兵軍団が右翼に付き、邀撃体勢は整った。
前方から砂埃が迫ってきた。
ほとんど間隙の無い絶妙のタイミングだ。
やはりトリコで神官・傭兵の両軍団の到着を待っていたら両軍団はトリコまで辿り着けずに追いつかれ、否応無しに戦闘に巻き込まれていただろう。
シオン=クリケットは長柄槍の柄を握り締め、近づいてくる砂埃を凝視していた。
騎兵隊とまともにぶつかれば隊列は大きく乱される。
「槍衾を敷け!」
シオンの指示を伝令が先頭のアレク連隊に伝える。しかし、その時には既にアレクが独断で自分の連隊に槍衾を展開させていた。
千人が槍衾を作り、千人が剣を構えいつでも前に出れるよう準備し、五百人が弓に矢を番えて敵を待ち構えている。シオンの指示を伝えに来た伝令に、アレクはただ笑っただけだった。
「シオン兄に伝えてくれ。俺よりもカヘルとニカルドを自在に動かす事を考えろ、と」
数で劣勢である以上、神官軍団と傭兵軍団の働きが趨勢に大きく関わってくる。
その為には二人の軍団長がシオンの指揮に従う事が絶対的な条件だ。
しかし、軍の序列で言えば、師団長に過ぎないシオンよりも軍団長であるカヘル=アイリッシュやニカルド=ベグアスの方が格上だ。正規軍と予備軍と言う差はあるにしても、この差は埋め難い。
(果たして指示に従うかどうか)
アレクは一瞬肩越しに背後を振り返った。
シオンの姿は見えない。
視線を前に戻し、馬の背に乗せていた兜の紐を解く。
「さぁて―――俺は俺の仕事をするか」
兜を頭に被り、顎紐を締める。
腰の佩刀を引き抜く。ルーガの刀匠に打たせたそれなりの業物ではあるが、精霊具の力には及ばない。
「俺も精霊具が欲しいなぁ」
「近づいてきます」
リーナが言ってくる。そう言う彼女は既に大鎌を構えている。
「―――よし。てめぇら、絶対に突破させるなよ!」
部下を鼓舞する連隊長の大声に、
『おおうっ!!』
兵達は力強く答える。槍衾の中に、カーンは居た。
《風の槍斧-ヤーナス》を握る両手に唾を掛け、
「崩れるなよ!受け止めろ!」
近づいてくる騎兵隊を睨みながら叱咤した。
近づいてきた第一軍の騎兵隊は前方で待ち構える軍の存在に気付き、突進を始めた。
馬の尻から火が出そうなほどに鞭を当て、身を低くして一気に近づいてくる。
騎兵隊はそのまま槍衾の中に突っ込んできた。
槍衾と騎兵隊が激しくぶつかり合う。
槍衾を突き破ろうとする騎兵隊と突き破らせまいと粘る槍衾隊。
「―――よし、弓隊、放て!」
騎兵隊の最初の突進の勢いが槍衾との激突で減殺されたのを見て取って、アレクが鋭く指示を飛ばす。
この時を待っていた五百の弓兵が一斉に矢を放つ。
ぶすぶすと矢が刺さり、騎兵が落馬する。
騎兵隊の間に動揺が生まれた。
この隙を見逃す程、アレクは凡庸な将ではない。
「第二陣、突撃!第一陣も続け!」
指示を受け、さっと槍衾の中心が左右に開く。
その隙間に敵の騎兵が突っ込もうとするが、その後ろから走り出てきた剣を抜いた兵に押し返され、槍衾の手前に押し戻された。
その間にも弓隊は第二矢を番え、放った。
騎兵隊の中に突き入って行く歩兵隊の側面を突こうとしていた騎兵隊に被害が続出する。
槍衾の前面に居る騎兵隊は二、三千騎。
シオンは後方から戦況の全体像を把握しようとしていた。
「アレクの連隊と戦っている敵は一部だ。本隊は何処へ行った?」
馬上で伸び上がっても、最前線の様子は良く見えない。
そこへ前線から伝令が戻ってきた。
「申し上げます!敵騎兵一万余騎、前線寸前で回頭、神官軍団に対して攻撃を開始!神官軍団の第一陣は崩壊!第二陣も苦戦中!」
さらにそこにもう一人の伝令が飛び込んでくる。
「傭兵軍団長ニカルド=ベグアス閣下より意見具申!『我、敵騎兵の側面を突かんとす』」
「なんだと!?」
シオンは思い切って、馬上に立ち上がった。すっと高くなり、遠方まで見通せるようになった視界に、半時計回りに右翼からアレク連隊と戦っている敵騎兵隊の後方を抜け、左翼へ向かおうとしている軍勢の姿が見えた。だが、そのさらに外側を時計回りに移動している部隊がある。
動きが早い。
「騎兵隊!」
アレク連隊と戦っている部隊が三千。神官軍団を潰走寸前にまで押している敵が一万余。
そして、第二軍に居る騎馬兵は二万。
(七千足りない!)
だとすれば、遥か遠方を大きく迂回している部隊こそ、その七千だ。
傭兵軍団が移動してしまったたため、第一歩兵師団は右側面を晒している。
既にアレク連隊の応援の為に第二連隊を投入している。
「傭兵軍団に伝令!『持ち場に戻れ、神官軍団へは歩兵師団より増援を送る!右翼を守られたし!』だ。急げ!神官軍団には持ちこたえるよう伝えよ!第三連隊を前線へ投入!アレク連隊の戦っている敵部隊を早く壊滅させろ。第四連隊は半数で神官軍団を襲っている敵の側面を撃て!残り半数は待機!」
立て続けに指示を飛ばし、それを前線に伝えるため、伝令達が飛び出していく。
シオンは馬上に立ち上がり、遠方の騎兵隊とそれよりは手前に見える傭兵軍団の動きを見つめる。
(間に合わない―――来る!)
騎兵隊は迂回を終え、方向転換を始めている。
そのまま、こちらの側面を突きに来るだろう。
傭兵軍団に指示が伝わり、ニカルドが指示に従ったとしても、間に合わないだろう。
最前線ではアレク自身も剣を振るって戦っていた。
既に全身返り血に濡れている。
彼の傍には常にリーナが寄り添い、近寄る敵にその死神の鎌を容赦なく振るっていた。
その度に、虚空に血の飛沫が飛ぶ。
と、いきなり視界の隅で数人の敵がほぼ同時としか思えないようなタイミングで落馬した。
巨大な人影が進み出てくる。
巨大な三尖両刃刀を振り回し、次々に馬上の敵を叩き落としつつ、近づいてきたのはレベッカだった。
「どうやら苦戦してるようじゃないか、んん?」
「へん。冗談。何処が苦戦してんだよ」
アレクはさらに一騎を切り倒し、笑みを返した。
リーナも瞬く間に二騎の首を狩り、
「そろそろ敵の勢いも衰えて来てますわ」
既に第二、第三連隊が投入され、相手に倍する兵力で戦っている。
敵はその数を減らし、潰走する寸前だ。
そこへ、前線からカーンが戻ってきた。
カーンもやはり返り血に全身を真っ赤に染めている。
「どうした、カーン?」
「右翼に敵の大部隊が向かってる!」
「右翼?右翼には傭兵軍団が居るだろ?」
「傭兵軍団はどうやら神官軍団の支援の為に戦場を迂回して左翼に向かったみたいだ!」
「なんだと?」
アレクは馬上で伸び上がり、戦場全域を見回そうとした。
全体が見えるわけではないが、確かに右翼に見えるはずの大軍の姿は無い。
その代わり、左翼にはやけに多くの人馬が集っている。
「くそっ………シオンが危ない!カーン、リーナ、レベッカ、さっさと敵を葬るぞ!」
吼えて、アレクは愛馬の腹を両足で蹴った。
「―――来たな!」
右翼に回りこんだ敵騎兵はほとんどシオンの真横から突撃して来た。
「弓隊構え―――」
弓隊が弓を向かってくる敵に向ける。側面には槍衾を敷き、敵の攻撃を受け止める用意はしてある。
問題は七千の騎兵の突撃を一千の槍衾で食い止めうるかどうかだ。
「放―――いや、待て!撃ち方、止め!」
弓隊に放たせようとしたシオンが寸前で中止命令を出す。
第四連隊と敵騎兵の間に割り込むようにして、栗色の髪を翻しながら突進する騎士を先頭に突っ込んできた騎兵の群れがあった。
前路を塞がれ、さらに別の群れに側面を突かれ、敵に動揺が広がっていく。
敵の騎兵の突撃力が一気に失われ、隊列が乱れた。
白銀の甲冑が陽の光を浴びて燦然と輝く。騎兵の群れは近衛騎士団だった。
無論、その先頭を駆けて敵に突っ込んだのは近衛騎士団長のアミリア=ホーンだ。
「近衛騎士団長アミリア=ホーン!先祖アザウェイが八代皇帝ルメウス二世より下された精霊剣、《光輝の剣-ルメーダ》の力、思う存分味わうが良い!」
アミリアが剣を振り上げると白銀の剣身が鋭い輝きを宿した。
振り下ろすと同時に、その光が弾け、八方に跳んだ。光は敵騎兵を次々に串刺しにしていく。
前方を塞がれ、側面を突かれ、圧倒的な戦闘力を見せつけられ、第一軍騎兵の間に動揺が広がる。
彼らが相手にして居るのはフロレシア帝国軍百二十万の頂点に立つ最精鋭部隊なのだ。
瞬く間に騎兵の死体が積み重ねられていく。
その時、左翼では神官軍団・傭兵軍団・第四連隊の総攻撃を受け、騎兵隊の主力部隊が遂に耐え切れずに崩壊・敗走を始めた。
しかし、彼らの退路を塞ぐように、白銀の騎士の集団が待ち構えていた。右翼に回りこもうとしていた敵の阻止に一万を差し向け、ラインハルトは残る一万を率いて戦場をさらに大きく迂回、見事、敵の退路を断つ事に成功していたのだ。
まだ辛うじて部隊としての秩序を保っていた騎兵隊はこの白銀の近衛騎士団に襲われ、完全に崩壊した。
次に崩壊したのは第一連隊・第二連隊・第三連隊の攻撃を受けていた騎兵隊だ。
アレク=ハーベスト、リーナ=セレシコフ、カーン=オルベニー、レベッカ=オブライエンの奮闘により、彼らも壊滅、敗走し、前車の轍を見事に踏んだ。
ちなみにカーン=オルベニーの精霊具、《風の槍斧-ヤーナス》も十分にその威力を発揮し、風の刃を産み出して、敵を蹂躙していた。
そして、最後に近衛騎士団と第四連隊の攻撃を受けていた騎兵隊が潰走。
彼らは退路を塞がれているのを見ると大人しく降伏した。
結局降伏または捕縛した騎兵はおよそ五千名に昇った。
戦闘が終わって、五キロほど後退し、その過程で隊列を整え直して、大休止を取った。
「―――勝手に動かれては困ります、ニカルド=ベグアス閣下」
「あの場合はそうするのがもっとも適当だったのではないか?」
ニカルド=ベグアスは色の黒い男だ。目は猛禽の如き鋭い金。髪は緑。
全身を柔軟な筋肉が覆い、腰には大きく湾曲した三日月刀を佩いている。
「傭兵軍団が移動したが為に、敵騎兵に右翼を突かれる危機に瀕しました」
「だが、我らが左翼の敵の後背を攻撃せねば左翼が崩れていたのではないか?なあ、カヘル=アイリッシュ閣下?」
「あ、ああ………」
カヘル=アイリッシュは色の白い男だ。目は小動物のようにおどおどしている青。髪は黄色。
全身には筋肉がほとんど付いておらず、細かい装飾の施された司教杖を持っている。
ベグアスに睨まれて、視線を逸らしつつ、
「確かに傭兵軍団の援軍はありがたかった………です」
だんだんと声は小さくなっていき、最後はほとんど消え入りそうだった。
ベグアスは勝ち誇ったような笑みを浮かべ、
「ほらな?男爵、指揮権を寄越せとまでは言わないが、俺は俺が是と思った事をやらせて貰うぜ」
「ならば傭兵軍団には変わらず右翼を務めていただこう。御自由に、敵と当たられるが宜しい」
「それはまた名誉な事だな。そうさせて貰おう」
シオンはきつくベグアスを睨み付けた。
が、ベグアスは全く歯牙にも掛けない。
「まだ若いんだから仕方ないのかもしれないが、あまり気負わずに行こうぜ、男爵」
男爵の部分を強調して言って来る。
嫌味のつもりなのだろう。貴族の子弟=軟弱者と決め付けているのだ。
シオンは悔しげに奥歯を噛んだが、反論は出来ない。
指揮権を委任されているとは言え、相手は軍団長、こちらは師団長、あまり強い事は言えない。
指揮権の委任と言うのも文書などがあるわけではないのだ。
シオンは仕方なく視線をカヘルに向けた。
自然とキツイ目つきになっていたのだろう、カヘルがびくっと身を震わせる。
「カヘル卿。卿には変わらず左翼を担っていただきたい。宜しいか?」
「え、あ、ああ―――」
「もしも自信が無いならこちらから兵を割くのも構いませんが?」
「い、いや、結構………」
「そうですか。ならば結構。次にアミリア殿」
「私はどこです?」
「貴方には陛下・殿下と共に後軍を担当していただきたい。戦場全体を見回し、ある程度自由に駆け回っていただきたい」
「承知した」
機動力を活かした作戦を与えられ、アミリアは嬉しそうに頷いた。騎兵の最大の強みはその機動力にあるのだ。既に第一軍の騎兵隊は壊滅しており、機動力ではこちらの方が勝っている。
「第一師団は中央を担当します。宜しいですか?」
「異議なし」
「お、同じく」
「私もそれで良いと思う」
「ならばそれぞれの隊に戻ってすぐに部隊の移動を。そろそろ敵の本隊が来る頃です。正念場ですよ」
「わかってるさ、坊やに戦場という物を見させてやろう」
「お言葉ながら戦場ならエルベス川でも見てますよ」
「そうだったな、それは失礼」
「そ、それでは私はこれで―――」
「私も戻ろう。陛下と殿下に移動を説明せねば」
三人がそれぞれ去って行く。
シオンは嘆息して、終始無言だったアレクを振り返る。
その顔がニヤついているのを見て、顔をしかめる。
「俺がやり込められてるのを見るのがそんなに楽しいか?」
「そりゃそうだ。シオン兄がまともに反論も出来ないなんて、と思ったらな、笑うしかないだろ」
「俺はな、アレク。女を口説く時以外、口下手なんだよ」
3 決戦
騎兵隊とは異なり、ルト=リューベンの本隊は予め前方で待ち構える皇帝軍の存在を知っていた。
戦場から脱した騎兵が報告したためだ。その時点でルーガに引き返すと言う選択肢も当然の事ながらあった。しかし、その選択肢を執る事は彼が掲げた反乱の大義を自ら捨て去る事を示している。
君側の奸を討つという名義上、敵を避ければこの大義は成り立たない。彼は当然の事として皇帝軍の中に君側の奸、オルンヘル=クリケット伯爵も居ると考えていた。実際にはオルンヘルは他の文官と共にトリコの町に残留していたのだが。大義を失えば、今は彼に従っている第一軍の中からも皇帝側に投降する者が出てくるだろう。さらには民衆の支持も得られず、六将軍の他の五人も当然皇帝側に付くだろう。その結果彼は士気を喪失した第一軍を率いて、残るフロレシア帝国軍の全軍を敵に回す事になるのだ。それはもはや選択肢とも呼べないような最悪の選択だ。無論、ルトは皇帝軍との決戦を選んだ。
オルンヘルを捕らえ、皇帝を救い奉る。そうすれば、自分は英雄になり、貴族に列せられるのだ。
先行していた騎兵は皇帝軍と戦闘し、敗れ、壊滅した。戦場を脱し、主力部隊に辿り着けたのは僅かに百騎余りに過ぎなかった。見渡す限り、草原と農耕地が続くアルカディア。その草原で、第一軍と皇帝軍は向かい合った。睨み合ったまま、しばしの間沈黙の時間が流れる。皇帝軍はその後、近在の第二軍部隊が駆けつけ、その兵力は十万に膨れ上がっていた。だが、対峙する第一軍は二万の騎兵を喪失したとはいえ、未だにその兵力は十五万。数で言えばまだまだ第一軍の方が優勢だ。と、その時、皇帝軍の人垣が割れ、馬に跨った艶やかな茶髪の女騎士が進み出てきた。左胸に《力強き銀獅子》の刻印を刻まれた白銀の甲冑。近衛騎士団長アミリア=ホーン。第一軍の兵達にかすかな動揺が広がり、中隊長達が抑える。アミリアは両軍の中間地点辺りまで来ると馬を止め、弓矢を構えた。
「矢文である。受け取られよ!」
宣告して、矢を放った。文を結び付けられた鏑矢が甲高い音を立てながら反乱軍の中に落ちる。
「すぐに持って来い」
ルトは伝令に命じ、伝令は駆け去って行った。アミリアはその場を微動だにせず、返答を待っている。
ルトは伝令が持って帰ってきた矢文をその場で開き、読んだ。
『一筆啓上、逆臣首魁ルト=リューベン殿。恙無きや?逆賊に身を落とせしとて己も元は誇り高きフロレシアの将帥なれば、誤っても卑怯な戦はすまい。正々堂々、雌雄を決そうぞ。―――フロレシア帝国第十五代皇帝ラインハルト=シーザー』
「―――良い度胸だ」
こめかみに青筋を浮かべ、ルトは片頬に笑みを浮かべた。
「閣下!これは皇帝側の挑発です。何らかの策があると見るべきです」
「こちらは数で優っております。軍を二つに分け、一隊で敵を食い止めている間にもう一隊で側面を守っている神官軍団を突き崩せば勝利は自ずから閣下の掌中に収まりましょう」
「お前達は、この私が正々堂々と戦い、あのような若造に敗れるとでも思っているのか?」
参謀達は己の発言のミスに気付いたが、もう遅かった。
ルトはプライドを傷つけられ、完全に頭に血が昇っていた。
「紙!」
顔を真っ赤にして吼えるルト。参謀達は顔を見合わせた。
「どうした、紙と筆を寄越せ!」
参謀の一人が嘆息と共に首を左右に振り、紙と筆をルトに渡した。ルトは紙にさらさらと文字を書き、
「これを矢に結わえ、近衛騎士団長に返せ」
「―――は」
参謀は覚悟を決めたかのように頷いた。
第一軍の陣から放たれた矢はアミリアの乗馬のすぐ鼻先に突き刺さった。それなりの訓練を受けた馬でもいきなり鼻先に矢を射られれば驚いて思わず棹立ちになってしまう物だが、アミリアの愛馬は全く動揺を示さなかった。アミリアはその愛馬の首筋を軽く撫でてやってから、馬を降り、矢を地面から引き抜いた。結わえられた矢文を取り、馬に跨り、馬首を翻す。皇帝本陣に戻ったアミリアは、皇帝ラインハルトの前に片膝を付き、矢文を差し出した。直護衛のヴァンが矢文を受け取り、皇帝へと渡す。
ラインハルトは白磁の如き滑らかな肌にかすかな緊張の色を浮かべて、矢文を開いた。
「―――なんと書いてありますか、陛下」
アミリアの言葉に、ラインハルトは顔を上げた。
「アミリア。シオン、アレク、ニカルド、カヘルの四人に伝令を」
「はっ。それで―――内容は?」
「『委細承知仕り候、武人の本懐は戦場に華と散る事と見つけ足り』―――第一軍は真正面から来る」
「承知」
一礼し、アミリアが本陣から駆け去る。
すぐに馬のいななきが起こり、伝令たちが前線の諸将に矢文の内容を伝達するために走り去って行った。
矢文を受け取った諸将の反応はまちまちだった。シオン=クリケット第一軍団第一歩兵師団長は、
「愚かな………」
と一言漏らしたのみ。アレク=ハーベスト第一軍団第一歩兵師団第一連隊長は、
「真正面と言う事はまたまた俺達が主役と言う事だな」
と嬉しそうにカーン=オルベニー第一中隊長に見せた。カヘル=アイリッシュ神官軍団長はあからさまに安堵の吐息を吐いた。皇帝軍において、最も弱兵なのが彼の率いる神官軍団なのだ。そして、第一軍団が最も容易に皇帝軍を破る方法としては第一歩兵師団及び傭兵軍団の攻撃を一隊で抑え、もう一隊で神官軍団を破る事だろう。ニカルド=ベグアス傭兵軍団長は猛禽の如き鋭い金の瞳を細め、口元ににぃっと笑みを浮かべた。
「また俺達が戦況をひっくり返してやろうじゃねぇか。戦功を上げれば報奨金も夢じゃねぇぜ」
と、部下を煽った。
「先制攻撃と兵力集中こそ戦闘の基本だ。全軍、突撃!」
ルト=リューベンは大剣の先で皇帝軍―――本陣に翻る《力強き銀獅子》―――を示し、吼えた。
第一軍の将兵がこれに追随し、第一軍十五万が一斉に雪崩の如く突進を開始した。
十五万の人馬の大軍の突進の迫力はまさに桁違いだ。
「これは………すごいな」
槍衾を並べる中、カーン=オルベニーはごくりと唾を飲み込んだ。迫り来る大軍を前に、全身の毛が逆立つようだ。《風の槍斧-ヤーナス》の柄を握り締め、体の奥底から勇気を奮い起こす。
「突破させるな!食い止めろ!」
第一軍の尖兵と第一中隊とが衝突する寸前、両軍の間から激しい矢が敵陣に向けて放たれた。
第一軍にも被害は出たが、第一軍に降り注いだ矢の数倍もの矢を浴びた第一中隊は槍衾をずたずたに引き裂かれた。そこへ、鋭い錐の刃の如く第一軍の尖兵が突進していく。
「風よ、引き裂け!」
《風の槍斧-ヤーナス》を振りかざしてカーンが怒鳴る。精霊具に封じられた精霊がカーンの意識に共鳴し、その命令を実行する。己の力の一部を解放した精霊具から激しい風の刃が産み出され、今まさに槍衾を突破した反乱軍兵を数十人単位で吹き飛ばした。だが、それとて第一軍の突撃の勢いを押し留める事にはならなかった。第一中隊は第一軍の勢いに呑まれ、隊列も何も無く一瞬にして崩壊した。
第一軍は第一中隊だけではなく、瞬く間にアレク=ハーベストの率いる第一連隊、果てはシオン=クリケットの第一歩兵師団全体をも飲み込みかねない勢いを示した。カーン=オルベニーは敵と交戦しながら後退し、アレクやリーナ、レベッカと合流し、迫り来る敵勢の攻撃をいなしながらさらに後退し、シオン=クリケットの直率する部隊と合流した。反撃に移ろうとするものの、反乱軍の勢いは全く衰える様子を見せず、第一歩兵師団さらには第二軍の各部隊までも飲み込み、押し捲る。
「このままじゃ、直に本陣だぞ!」
《風の槍斧-ヤーナス》を振り回し、時折、精霊具の力を解放する精霊攻撃を放ちながらカーンは吼えた。その額には大粒の汗。アレクとシオンも剣、レベッカは三尖両刃刀、リーナも鎌を振り回して敵を次々に倒していくが、周囲の味方はどんどん減って行き、敵の数はそれに比例してどんどん増えていく。
前線が崩れようとしていた。
「アミリア、近衛騎士団を投入しよう」
「はっ。まずは半数」
「うん」
伝令が飛び、前線の激闘をやきもきとして見つめていた近衛騎士団一万騎が怒涛の勢いで前線へと飛び込んで行った。第一軍の尖兵部隊を本隊から分断し、瞬く間にこれを叩く。
本隊がこれを救おうと隊列を乱して駆けつけるのを、何とか体勢を立て直した第二軍の各部隊と共に反撃、三百m程、第一軍を押し戻す事に成功した。だが、そこへ一人の騎士が飛び込んできた。
大剣を振り回し、瞬く間にフロレシア帝国軍最精鋭の近衛騎士達を薙ぎ払う。その騎士は第一軍団長のルト=リューベンだった。伊達に帝国六将軍の一人に列せられている訳ではなく、彼の剣技は冴え渡っていた。皇帝軍側に傾き掛けていた戦況が再び反転した。反乱軍が勢いを盛り返し、近衛騎士達が守勢に追い詰められ、徐々に先程押し戻した距離を再び押され始めた。
「傭兵軍団と神官軍団はどうした!?」
「傭兵軍団は移動中!反乱軍の後背を狙う模様!神官軍団に動き無し!」
アミリアの焦りを含んだ怒声に、ちょうど駆け込んできた伝令が答える。
「神官軍団に伝令!側面を突かせろ」
前線はどんどん本陣に迫ってくる。もう一キロも無い。すぐ傍で、激しい殺し合いが行われているのだ。
「―――アミリア」
「はっ」
アミリアは皇帝の言葉に、振り返って片膝をついた。皇帝の顔は青白かった。無理も無い。彼にとっては初陣なのだ。恐怖を感じないほうがおかしい。
「陛下。大丈夫です。必ず勝ちます」
皇帝を安心させるための虚言ではない。アミリアは覚悟を決めていた。
立ち上がり、一礼し、背を向ける。
「アミリア。何処へ行くの?」
後ろから、皇帝の声が追ってきた。その声に、震えは無い。振り返って、アミリアはやや目を瞠った。
皇帝の顔には笑顔が浮かんでいたのだ。普段の彼が浮かべる完璧なまでの美しい微笑ではなく、恐怖によって歪んだ、強張ったものだったが、とにかく皇帝は笑っていた。
「―――前線へ出ます」
「全軍を連れて行って良いよ」
「しかし、それでは陛下をお守りする旗本が―――」
「大丈夫だよ、アミリア。必ず勝つから」
その言葉には皇帝の、アミリアへの絶対の信頼が含まれていた。純粋に、単純に、人を信じる事ができる………これも、皇帝の才能の一つだろう。アミリアは心の何処かにあった曇りが一斉に消え去るのを感じ取った。自分も心の何処かでは敗北を覚悟していたのだ。しかし、皇帝の一言で全てが吹き飛んでしまった。アミリアは残る一万の近衛騎士を率いて、前線へと飛び出して行った。彼女も精霊具である《光輝の剣-ルメーダ》を振り回し、敵兵の渦中へと近衛騎士達の先頭を切って飛び込んで行った。
「閃光よ、我らが敵撃つ光の矢となりて、降り注げ!」
アミリアの気魄の声が戦場に響き、《光輝の剣-ルメーダ》の剣身が放った閃光の矢が戦場に降り注ぐ。
光の矢に射抜かれ、反乱軍の兵が次々に倒れていく。しかし、勢いに乗った反乱軍の動きは一万の近衛騎士の投入でも止まらなかった。戦力を一気に集中し、一極的に投入して来た反乱軍に対し、皇帝軍は兵力を分散させていた上に逐次投入となってしまったのだ。十五万の敵軍を四万五千余りの部隊だけで抑える事は不可能だろう。しかし、時間が経過するに従って、戦況は膠着し始めた。ルト=リューベンを先頭に、皇帝の首を取ろうと遮二無二前進しようとする反乱軍とシオン=クリケット、アレク=ハーベスト、リーナ=セレシコフ、レベッカ=オブライエン、カーン=オルベニー、アミリア=ホーンなどを中心に、歯を食い縛って堪える皇帝軍。両軍の間で激戦が続き、反乱軍にも皇帝軍にも疲労が蓄積して行く。しかし、数で劣るだけに、皇帝軍の方が疲労の蓄積が早い。このままではいずれ戦線は崩壊し、反乱軍が怒涛の如く本陣に殺到する事になるだろう。いくらヴァン=ブレイスが剣の達人であろうと、皇帝を守りきる事は不可能だろう。だが、戦況を大きく動かしたのは時間ではなく、出世の野心に燃える一人の武将の決断だった。
「―――そろそろだな」
ニカルド=ベグアス傭兵軍団長は膠着した戦場を見回し、にぃっと笑い、槍を振り上げた。
「行くぞ、野郎ども!」
『おおうっ!!』
戦場の後方に回り、潜伏していた傭兵軍団四万が一斉に駆け出した。それまで前へ前へと押していた反乱軍はいきなり後方に上がった歓声に驚愕して足を止めた。その最後尾に、傭兵軍団が食い込み、食い破った。さらに同時に側面を、カヘル=アイリッシュの神官軍団一万五千が突いた。
瞬く間に動揺が広がり、突進力が低下する反乱軍。それまで防戦一方に追いやられていた第二軍の諸部隊及び近衛騎士団が刃を揃えて一斉に反撃に移った。三方からの攻撃、しかも傭兵軍団と神官軍団と言う全く疲労していない新戦力の投入によって、反乱軍は完全に包囲された。
「慌てるな!数では優っている!皇帝の首を取れば我らの勝ちぞ!」
『おおっ!!』
歓声は、ルトの言葉に反応したものではなかった。歓声は皇帝軍の間から沸き起こっていた。
戦場に白馬に討ち跨った皇帝の姿があった。それまで本陣に居たラインハルトがヴァンを引き連れ、前線に出てきたのだ。皇帝が前線に出てきた事により、皇帝軍の士気は否が応にも天を衝く勢いとなった。
彼らの目に、皇帝の、白鎧に純白の戦衣を着、白馬に跨ったその姿はまさに建国王フェルモア=シーザーを髣髴とさせる光の英雄と映った。だが、その皇帝の姿はルトにとっても光り輝いて見えた。
「皇帝だ!皇帝の首を取れば、我らの勝利だ!」
ルトは立ち塞がる近衛騎士や第二軍団兵を蹴散らし、皇帝へと突進した。全身を返り血に染め、悪鬼の如き表情で皇帝に迫るルト。その姿に、同じく返り血に染まったアレクが気付いた。
「誰か!誰かルトを止めろ!!」
その叫びを聞いたかどうかは定かではないが、ルトの前に数人の近衛騎士が立ちはだかった。
「逆賊め、討ちとってくれる!」
「邪魔だ!」
近衛騎士達が血煙の中に倒れる。大きく視界が開き、皇帝の姿が眼前に迫った。
「うおおおおっ!!」
ルトは刃こぼれした大剣を振り上げ、突進しようとした。
―――が。立ち塞がる男が居た。黒髪に、エメラルドグリーンの瞳、直護衛のヴァン=ブレイスだ。
「邪魔だぁぁぁっ!!」
突進の勢いのまま、大剣を振り下ろす。数十人の血を吸い、肉を裂き、骨を砕いた一撃がヴァンを襲う。
ガッ。
「な―――」
ルトの顔が驚愕に歪む。彼の一撃はヴァンの剣に受け止められていた。ヴァンが動く。人間の反応速度の限界を超える信じられないほどの速さだ。ルトが気付いたときには彼の大剣は打ち落とされ、地面に落ちていた。剣を握っていた右手に激痛が走り、骨が折れたという事実を伝えてくる。
「閣下、お逃げください!」
血刀を下げ、参謀が駆けつけてくる。ヴァンは慌てずに一歩下がり、距離をとった。
彼の仕事は敵を倒す事ではなく、皇帝を守る事なのだ。
「軍は?」
激痛に顔を歪めながら、ルトが聞く。参謀は必死の形相で、ヴァンに牽制の剣を向け、
「既に崩壊寸前です。速く脱出しなければ、完全に包囲されます」
「ならばわしはここで―――」
「何を言っているのです、閣下!ルーガにはまだアルンヘルと一万の兵が居ます。部隊を纏めて戦場を脱し、ルーガに篭ればまだ戦えます!」
「しかし、わしは―――」
「ここで閣下の為に死んだ兵達の死を無駄にするつもりですか!閣下は生き延び、志を貫いてください!」
貴族出身の参謀はそう怒鳴るや、ヴァンに切り掛かって行った。
「さ、お早く!」
「閣下、こちらです!」
連隊長が十名余りの兵を率いて駆けつけてきた。しかし、そこへ二十名余りの兵を率いてアレクも駆けつけてくる。連隊長は五名をそちらへ向け、負傷したルトを収容して、戦場脱出を図るため、比較的敵が手薄な方に向かって駆け込んで行った。ヴァンは切りかかってきた参謀を一刀で切り捨てた。
「―――終わるね」
「―――はい」
皇帝の呟きに、直護衛は短く答えた。彼らの視線の先で、三方から攻撃されて反乱軍は崩壊し、潰走を始めていた。
4 反乱終結
ルト=リューベンは敗残兵を纏めて帝都ルーガへ向かった。己自身、手傷を負っての無様な敗残の身だ。
彼に付いて来る兵の数も五千余り。散り散りとなり、合流できず彷徨っている兵も多いだろうが、大半は彼を見限り、姿を晦ませたか、皇帝軍側に投降したものであろう。
皇帝軍は兵を纏め、すぐに追撃を始め、既に短距離に迫っている。
しかし、このままならば、追いつかれる前に帝都に着く事ができると反乱軍の将兵の間には少しだけ明るい空気が流れていた。
だが、夕陽を背にして、丘陵地帯に聳える帝都ルーガの姿を目にして、彼らの希望は物の見事に打ち砕かれる事となる。
ルーガの各城門及び、ルーガ城の尖塔に、反乱軍の手によって引き摺り下ろされた国旗《力強き銀獅子》が掲揚され、力強く翻っていたのだ。
街道脇で小休止を命じ、ルトはルーガに物見の兵を向けた。
物見は凱旋門に赴き、大声で、
「開門、開門!ルト=リューベン閣下が戻られたぞ、開門しろ!」
と叫んだ。しかし、返答は無い。
尚も同じ事を繰り返すが、開ける代わりに矢を射られた。
物見達が驚いていると門の上に人影が現れた。
灰色の髪をした男、第一軍の参謀アルンヘル=へードだ。
「アルンヘル殿、何ゆえに開門して下されないのだ!」
物見達が聞くとアルンヘルは何処となく陰惨な雰囲気を放つ容貌に薄い笑みを浮かべて、
「ルト=リューベンは反逆者である。私は栄誉ある帝国軍人として反逆者を帝都に入れる事は出来ない」
淡々と答えた。彼はルト=リューベンが本軍を率いて帝都を離れてすぐ、ルト=リューベンを裏切り、捕らえていた帝都防衛隊や文官を解放したのだ。
物見は戻ってルトに帝都の豹変を報告した。尖塔に翻る国旗を見た時点でこの結末を予想していたのだろう、ルトは瞬間瞑目すると静かに目を開いて、
「―――西へ」
と、それだけを命じた。西に逃げ、スタルナス帝国に亡命するつもりだった。
彼らは帝都にも入れず、改めて自分達が敗れた反逆者であると言う惨めさに歯を食い縛りながら、ルーガの前を素通りし、西へ向かった。
この時点でルトに付き従う兵は僅かに千名余りに減っていた。
彼らは帝都を離れて二十キロ余りで、前方に大量の砂埃を上げながら接近してくる大軍を見つけた。
それはハーン=ハーベスト軍団長に率いられた第二軍部隊五万余だった。
第二軍の管轄する中央軍管区の西側から集められた部隊だ。
「ルト=リューベン閣下に告ぐ。これ以上は無駄な抵抗である。速やかに降伏し、将としての責を果たせ」
赤い毛並みの馬に跨り、前に進み出てきた赤き鬼神、ハーン=ハーベストはルト=リューベンにそう勧告した。
既にルト=リューベンに従う兵は僅かに三百名余り。
ここに至って、ルト=リューベンもようやく覚悟を決めた。
ルト=リューベンは最後まで彼と共にあった三百名の第一軍兵と共に降伏・武装解除に応じた。
帝国暦三三二年六月十日、『ルト=リューベンの反乱』は僅か一日で鎮圧された。
帝国暦三三二年六月十四日。
反乱終息から四日後。ルト=リューベンの反乱の事後処理が公表された。
ルト=リューベンは生前与えられていた全ての栄誉を剥奪され、国外追放処分にされた。
しかし、他の第一軍の将兵は全員不問とされた。これは貴族の子弟が多く含まれて居る事から、貴族連盟への遠慮と受け取られた。しかし実際には罰すべき反乱計画に深く関わっていたと思われる師団長や連隊長が全員、戦死したか姿を消してしまっていたからだった。
貴族連盟のアリーニ=アウグウェルツ公爵やカブラ子爵などは帝都防衛隊や暁の捜査によっても反乱軍への関与の証拠が発見されず、その罪を問う事は出来なかった。
今回の反乱鎮圧に功績の合った者達はそれぞれ報いられた。
第二軍団長ハーン=ハーベストは軍令部長兼第一軍団長へ。
第二軍団第一歩兵師団長シオン=クリケットは軍令部次長兼第二軍団長へ。
第二軍団第一歩兵師団第一歩兵連隊長アレク=ハーベストは第一軍団第一歩兵師団長へ。
第二軍団第一歩兵師団第一歩兵連隊第一中隊長カーン=オルベニーは第一軍団第一歩兵師団第一歩兵連隊長へ。
第二軍第一騎兵師団長第一連隊長レフィナ=フュークルは第一軍第一騎兵師団長へ。
第二軍第一騎兵師団第一連隊第一中隊長ギルギッド=ルメイは第一軍第一騎兵師団第二騎兵連隊長へ。
第二軍第一騎兵師団第一連隊第二中隊長オットー=セルバンは第一軍第一騎兵師団第三騎兵連隊長へ。
そして、注目の人事は第一軍参謀アルンヘル=へードが皇帝直属幕僚長となった事である。
反乱に加担した事を咎めるどころか、昇進させると言う異例の人事であるが、反乱軍を見限り、帝都の治安維持に当たった功績が認められたのだろうと国民達は受け取った。
第一軍団及び第二軍団はこの反乱で多くの優秀な高級士官と兵を失い、その戦闘能力は大きく減少した。
ちなみに傭兵として雇われたレベッカ=オブライエンはニカルド=ベグアスの副長格として、傭兵軍団に入団した。
反乱を一日で鎮圧したその迅速さ、反乱軍将兵を不問に付した寛大さが評判となり、ラインハルト=シーザーの名声は否が応にも高まり、まだ若い皇帝に半信半疑の眼差しを向けていた地方の有力者なども掌を返したように面謁を求めるようになった。
帝国暦三三二年六月十六日。
帝国府は皇帝勅命として、この度の反乱での主戦場に皇帝軍・反乱軍の戦死者を合同で祀る慰霊碑の設置を公表。
この日、およそ一週間にも渡る戦後処理の激務から解放され、ラインハルトはようやく自室へと戻る事が出来た。それまではずっと帝国府などですし詰め状態だったのだ。ひっきりなしに人々が訪れてくるため、シエナですらこの一週間と言う物、ラインに会っていない。
だからこそ、自室に戻ってきたラインの姿を見た途端、我慢できなくなって抱き付いてしまった。
「陛下!………ライン!よく無事で!」
「ああ、シエナ」
部屋に入るなり、抱きついてくる年上の侍女を抱きしめ、ラインハルトはようやく少し落ち着く事が出来た。
甘いシエナの髪の香りを肺一杯に吸い込んで、と、シエナが身を離す。
「ご、ごめんなさい、取り乱しちゃって」
赤面して距離をとり、衣服の乱れを直す。
「いや、良いんだ。それより、心配かけてごめん」
「うん………確かに怖かったけど、ラインが来てくれるって信じてたから」
「うん。怯える文官や舌を噛んで自殺しようとした女官達を励ましてくれたそうじゃないか。評判になってるよ。皇帝付きの侍女は度胸と勇気に満ち溢れているって」
「まあ………私はただラインが帰ってきて助けてくれるって信じてただけよ」
「まあ、良いじゃないか。それよりも聞かせてくれ、君の武勇伝」
「私のよりも、ラインの武勇伝を聞きたいわ」
「僕は何もしてないよ。そうだなぁ、じゃあ、みんなの武勇伝を話そうか」
「ええ」
シエナが笑う。ラインハルトが無事に戻ってきて、前と同じように自分に微笑んでくれている。
それだけで心の中が温かくなって、華が綻ぶ様に、彼女もまた自然と微笑を浮かべてしまうのだった。
翌日。
謁見の間で、ラインハルトはレオン=ルシタニアと会っていた。
彼の傍らには彼の忠実な従者であるレフ=スタッカートも控えている。
「そんな、帰国するなんて………。こんな事になってしまって、レオンにはもっとこの国で楽しんでもらいたかったのに」
本当に残念そうに肩を落とすラインハルトに、褐色の肌に赤い瞳を持つ少年王子は溌剌とした笑みを浮かべて、首を左右に振った。
「いいえ、陛下。実に楽しい日々でした。僕にとって一番の収穫は、同盟を結ぶ隣国の君主が実に公明正大な方で、心の広く、暖かな人物である事を知る事が出来た事です。父上に報告するのが楽しみです。きっと父上も陛下の事を気に入ってくれると思います。陛下が居られる限り、フロレシア帝国は安泰でしょう」
褐色の肌に、赤い瞳を持つ少年は、ラインハルトが赤面するような事をすらすらと述べ立てて、やや真顔に戻って言った。
「どうやら僕の国でも問題が起きているようなのです。帰って父上をお助けしなければ」
「そうか………だったら引き止めるのは悪いね。もし困った事があるなら、遠慮する必要は無いから、僕に言って。僕は何度もレオンに助けられているから、今度は僕がレオンを助けるよ」
「ありがとうございます、陛下」
レオンは深々と頭を下げて、退出していった。ラインハルトや政府要人、そして帝都の住人達が喝采と共に見送り、隣国の盟友は帰路の途に付いた。
オルンヘルがそっとラインハルトの耳元に口を寄せ、何事かを囁く。
ラインハルトは少しだけ表情を強張らせて頷いた。
暫らくして城に戻ったラインハルトは皇帝私室にオルンヘルともう一人、エシュアを呼び入れた。
鋭い眼差しをした男は片膝をつくと、すぐに報告をするべく口を開いた。
「キエフ=ロドリナス率いるスタルナス帝国軍は完全に撤退。第六軍が警戒網を引きましたが、捕らえた者もすぐに自害して、何の情報も得られなかった由」
「そうか………。これで、真相は闇の中。何とかしてルト将軍から聞き出したいところだけど。帝都を追放されたルトは何処へ向かったの?」
皇帝の質問。
そう、彼がルト=リューベンを放したのはただ寛大な処分と言うだけの理由ではなかったのだ。
泳がせて、その動きを見張ると言う意図もあったのである。
エシュアは一瞬も目を伏せることなく、そして躊躇することなく、淡々と続けた。
「ルト=リューベン閣下は殺害されました」
「………。なんだって?」
ラインハルトの表情が強張る。
その視線が一瞬、傍らに立つ養父に向かうが、エシュアが報告を続けたためにそちらへ引き戻された。
「何者かに暗殺された模様ですが、何処の手の者かを示唆するような証拠は残されていませんでした」
「やっぱり、彼らの?」
ラインハルトが強張ったままの表情で聞く。
「断言は出来ませんが」
エシュアの答えは、消極的肯定だった。
彼ら、とは無論の事ながら今回の反乱を裏で糸を引いて操っていた貴族連盟、特にその盟主であるアリーニ=アウグウェルツ公爵の事を示す。
すなわち、今回のスタルナス帝国の動き、それが果たしてルト=リューベンと繋がっていたのか、それとも貴族連盟と繋がっていたのが間接的にルト=リューベンに協力していたのかを知る事は出来なくなってしまった、という事である。
ルト=リューベンを捕らえて尋問すると言う手もあったが、これにはハーン=ハーベストが反対した。ルト=リューベンとて誇りある帝国軍人であり、たとえ尋問した所で秘密を口にする事は無いであろう、と。
だからこそ、泳がせて、何処で誰と接触するかをエシュアに命じて探らせていたのだが。
まさかこんな事になるとは。
ルト=リューベンとの単独協力ならば、今後の貴族連盟の活動にスタルナス帝国が協力するかどうかは判然としないが、もし貴族連盟と協力関係にあるとするならば、今後も事あるごとにスタルナス帝国が介入してくる可能性はある。
そして、その度に国境の警備を担う筈の国境警備隊や第六軍がスタルナス帝国軍の動きを全く感知出来ないのであれば、それはもはや存在理由の半分以上が失われていると言うことになる。
「第六軍と国境警備隊には警戒を厳重にするように指示を出して」
疲れた声音で、ラインハルトは命じた。
オルンヘルは頭を垂れて、
「畏まりました」
反乱は鎮圧した。
だが、それは巨大な反抗勢力と言う名の大木の、枝葉を切り落としただけなのだ。
大木は幹を倒さねば、根を断ち切らねば、死なない。
貴族連盟、スタルナス帝国、その背後で見え隠れするルーナ帝国の影。
国内の財政逼迫、農民層の困窮、貴族層の腐敗、各地で発生する盗賊や義賊の類。
新皇帝ラインハルト=シーザーの行く手にはまだまだ光は見えない。
あるのはただ、絶望的に広く、深い、闇。
覇皇フェルモアの血を引き、《覇皇剣-サナトゥス》を継承したラインハルト=シーザーの物語はまだまだ始まったばかりなのだった。
そして。
ルーナ帝国帝宮
「―――死兵師団の調子はどうだ?」
薄暗い照明に点された、物の輪郭もあやふやな皇帝の間に響いた声は、青年の張りのある声だった。
「万全です。陛下に頂いた《死の首飾り―ジェト》の力ゆえに」
「力ある精霊は力ある者にしか跪かない。《死の首飾り―ジェト》がおまえに従うのは、おまえに従わせるだけの力量があるゆえの事だ。ミト=ヴァレンツェ」
「もったいなき御言葉にございます」
平伏するは金髪赤目の美女、甲冑姿であったが、その身から滲む妖艶さは拭いきれない。
玉座に座すのは、美しい顔をした青年だった。
名をカール三世と言う、スタルナス帝国皇帝バイエルン=スタルナスの愛妾ベニア=ルーナの兄にして、ルーナ帝国の皇帝。
「ミト=ヴァレンツェ。汝に命ずる。我がルーナに歯向かう愚か者を征伐せよ。汝の死兵師団の力、存分に示せ」
「はっ!」
「ミト」
皇帝の声音が変わる。
今までの張り詰めた威厳ある声から、愛する者を労わる優しい声音へ。
「夜伽を命ずる。参れ」
「は………ありがたき幸せ!」
皇帝の言葉に、女は頬に朱を浮かべ、桃色の吐息を吐き出しながら立ち上がり、鎧を剥ぎ取った。
現れた美しい裸身を見つめ、若き皇帝が笑みを浮かべる。
「ラスカーナ大陸を統一するのは、この俺だ。そして、ミト。おまえは覇皇となるべき男の最初の妾となるのだ」
「有り難き幸せに御座います」
ラスカーナ大陸に大きな野望の渦が巻き起こる。
その矛先を最初に向けられたのは、ルーナと長年敵対関係にあったネヴァット帝国だった。
帝国暦三三二年六月十七日。
静かだが、全くの無音ではなかった。
風が吹き、鐘楼の上の国旗、《力強き銀獅子》の紋章入りの旗を揺らしている。
それとて激しいわけではなく、あるかなしかの風に揺れているだけ………。
皇帝私室の窓を開け、ラインハルトはその美しい顔に風を受けていた。
背後で、扉が開く気配がして、ラインハルトは肩越しに後ろを見やった。
蝋燭立てを持って、シエナが立っていた。
「夏とは言え、夜風は寒いでしょ」
シエナが言ってくる。
蝋燭立てをテーブルの上に置き、ラインハルトの隣に並ぶ。
「うん………頭を冷やしてたんだ。なにしろ、自分の命令一つで人間を殺せる権利を手にしちゃったんだもんな。よくよく考えてないと、なまじ正当化出来るから、自分が英雄なのか殺戮者なのか、あるいはその両方なのか………わからなくなるんだ」
「ライン………深く考えないで。今は疲れを取らなきゃ」
「でも、今夜はラスカーナに似てるんだ」
「ラスカーナに?」
ラインハルトの言葉に、シエナが窓の外を見る。
「街は寝静まってて、真っ暗だろ?まるで全てが動きを休めているかのように。だけど、実は止まってないんだ。静かだけど止まってるわけじゃない。風が吹いて、旗が揺れてる。誰も気付かない内に、ラスカーナも動いてるんだ。誰も気付かないほど静かで、かすかに。だけどその小さな動きがいずれは大きな波涛となって世界を変えてしまう。僕が休んでる間に、世界は大きな変化を迎えるかもしれない。そう考えるとなかなか眠る気分になれないんだ」
微笑みながらのラインハルトの言葉に、シエナはやや小首を傾げた。
風を受けて、繊細な睫が揺れている。
(ライン………)
知らぬ間に、何も知らないと思っていた少年は成長していたのだろうか?
それとも、大陸全ての運命を背負わねばならない………それが皇帝なのだろうか?
「ライン………それでも、今は休んで。反乱を鎮圧したばかりで、身も心も疲れているのよ。世界が変化する時、貴方がしっかりしていなければ、この国は滅びてしまう。貴方の力は確かにとてつもなく大きい。でもそれも、貴方一人では使えない力なのよ。民にとっても、軍人にとっても、皇帝は必要な存在なの。だから、休んで。貴方のその力はこの国の人たちを守るための力なのよ」
「………。そうだね、シエナの言うとおりだ。休むよ。でも、もう少しだけ、もう少しだけ、空を見ていたいんだ。明日の夜には嵐になっているかもしれないだろ?今夜の風はとても穏やかで、僕の気分も穏やかになるんだ」
「………ええ。私も一緒に見てるわ。本当に、良い風」
風を受けて、気持ち良さそうに二人は目を細めた。
「………うん」
ラインハルトの青い瞳は、何を映しているのか。淡い微笑を浮かべたその横顔はやはり美しく、シエナにも、ラインハルトの考えている事はわからなかった。
世界は静かに、平和に過ぎている。少なくとも、人々はそう思っている。だがその底流で、世界は常に動いている。緩やかに、だが確実に。
世界は破滅へと向っているのか、或いは、雲が晴れ、隠されていた光の登場へと進んでいくのか。
それを知る者は、未だ居ない。この青い瞳を持つ金髪の少年が、世界を変える力を持っていることも。
そしてこの金色の瞳を持つ銀髪の少女が、皇帝ラインハルト=シーザーを支える力を持っていることを。
部屋の隅からエメラルドグリーンの瞳を細めてそんな二人を見据えている黒髪の剣士にも、他の誰にも、わからないだろう。
『新皇帝即位』 完
1 反乱勃発
帝国暦三三二年、六月十日、未明
午前零時。
帝都の住民のほとんど全てが眠っている時刻。
作戦は発動された。
一言もしゃべらない、武装した兵士達が街の中を駆け抜ける。
帝都防衛隊、第二軍、神官軍団、傭兵軍団の各指令部は瞬く間に制圧されてしまった。
第一軍の兵士達はその後も、帝国府や貴族院、臣民院、食糧貯蔵庫、武器貯蔵庫などを次々に制圧・占拠していった。帝都防衛隊は各拠点で小規模な抵抗を試みた後、ルーガ城内に撤退。
しかし、すぐに降伏した。
もっとも激烈な抵抗が予想された皇城も呆気なく陥落し、明け方まで掛かると思われた制圧作戦は想像以上の速さで完了した。
ルーガを取り巻く城壁の、各門は第一軍の兵によって固められ、誰も出ることは出来ず、誰も入る事は出来ない。ただ、例外が二つ。
一つは堂々と城門を出て、西へ。
一つは第一軍が門を抑える前に城門を忍び出て、東へ。
帝国府の文官達も、その指揮をすべき高級官僚達がみなラインハルトの供をして留守だったため、抵抗しようという意思すらなかった。
自宅に居た文官も、侵入してきた兵によって身柄を拘束された。
城内に残っていた侍女等は、シエナ=クリケットの指導の元、大人しく降伏した。
「帝都制圧、終了しました」
第一軍指令部の作戦室で、ルト=リューベンは半信半疑のまま、アルンヘルの報告を受けていた。
(呆気なさ過ぎる………これが、不滅の都と言われたルーガか)
無論、ルーガの住人の九割以上はまだこの反乱の事を知らない。
彼らは朝起きて初めて、異変に気付くのだろう。
「街の要所要所には既に中隊規模の部隊を展開しております。おめでとうございます、閣下。反乱は九割以上成功したような物です」
「う………うむ」
「捕虜はいかが致しましょう?」
「捕虜?」
「はっ。降伏または捕縛した、帝都防衛隊員、第二軍団員、帝国府文官、城詰の侍女等です」
「武装解除の上、四聖の間にでも閉じ込めておけ」
「はっ」
事は順調に進んでいる。なのに、ルトは胃が異様にむかむかするのを感じた。
武人としての勘が、何かを必死に訴えかけている。
だが、彼にはその警鐘が何を意味するのかわからなかった。
「神官軍団と傭兵軍団はどうした?」
「帝都を脱出、東に遁走しました。皇帝軍との合流を目指す物と思われます」
アルンヘルの報告に、ルトはかっと両目を見開いた。
「神官・傭兵の両軍団を合わせれば兵力は五万五千だ。これに今皇帝の下にある三万、それに周辺の第二軍部隊と合流すればかなりの戦力になる。すぐに全軍を率いて追撃に移る!」
「全軍、ですか?帝都には抑えの兵を残さないので?」
「―――ならば、おまえに一万の兵を与える。私が戻ってくるまで門を固めて誰も帝都内に入れるな」
「スタルナス帝国の援軍が来たらばいかがいたしましょう」
「城門の外で待たせておけば良い。丁重にな」
「―――畏まりました」
そして―――第一軍十七万はルーガを出て、神官・傭兵の両軍団追撃の途についたのだった。
四聖の間には捕らえられた文人、城詰の侍女達、帝都に残存していた一部の帝都防衛隊員や第二軍団の兵などが捕らえられていた。
「うう………うう」
広大な部屋は、元々会議を行うための部屋であるだけに音響効果抜群だ。
抵抗して殴られた兵の苦痛に喘ぐ呻き声も、無意味に拡張されて、怯える侍女達をより不安にさせる。そんな中にあって、一人だけ、毅然としている女が居た。シエナ=クリケット、その人である。
彼女だけは金色の瞳を小動もさせず、周りの人々を励まし続けていた。
「大丈夫。反乱軍とて同じ帝国の人間です。乱暴な事はしません。それにすぐに陛下が戻って来てくださいます。それまでの辛抱です」
何度も何度も、泣きじゃくる侍女の背中を擦ってやりながら、シエナは続けた。
「侍女殿」
掛けられた男の声に、シエナは振り返った。そこには初老の文官が不安そうな顔をして立っていた。
シエナも何度か見かけた事のある文官だ。次から次へと噴出してくる汗を手拭で拭いながら、文官はシエナのすぐそばに膝を落として耳元に口を寄せた。中年男の口臭に思わず眉を曇らせるが、
「本当に陛下は戻ってこられるのか?」
不安げなその質問に対しては、毅然と答えていた。
「当たり前です!我々を見捨てるような方ではありません!陛下の臣たる我々が陛下の事を信じて差し上げなくてどうするのですか!」
窘められて、文官は何度も瞬きして、
「わ、わかった。私は陛下を信じている。陛下は歴代の陛下とは違う。必ずや、来てくださる。じゃろう?」
「ええ。勿論です」
にっこりと笑って、シエナは断言した。二人のやり取りは、四聖の間の抜群の音響効果によって部屋の中に居るすべての人間の鼓膜を震わせ、その心に希望を与えた。
「―――動いたか」
国境間近の城塞であるハウゼン・シュタットで、キエフ=ロドリナスはルト=リューベンが送って寄越した密使に会っていた。彫りの深い顔立ちに、はっきりとした目鼻をしたキエフは、その渋い容貌でも、国内の女性達に人気であった。或いは、皇帝のバイエルン=スタルナスよりも。
スタルナス一の名将、ややもすれば他者の嫉妬を招きそうな彼だが、その質実剛健な性格、武人らしい質素な生活、そして普段の穏やかな物腰、バイエルン=スタルナスへの比類なき忠誠など他者の追随を許さず、尊敬されこそすれ、嫉妬を受ける事は少なかった。
少なくとも表面上は。だが、今回キエフが率いている兵力は五万。決して多い数ではない。
「―――我が主人はキエフ殿の到着を首を長くして待っております」
「そうか………御苦労であった。下がって疲れを癒すが良かろう」
「いえ。すぐに立ち戻りまして、キエフ殿快諾の報を主人に伝えたく存じますので、すぐにでも」
「そうか。それはご苦労な事である」
「そのような御言葉、勿体のうござります」
「うむ」
密使は低頭して、去って行った。キエフは一瞬瞑目したのち、居並ぶ配下の武将達を見回した。
「計画通り、フロレシア側の見張りに気付かれぬよう数人ずつ、フロレシア領内に潜入せよ。オルティア、交戦は避けよ。事態を見極め、好奇と判ずれば国境付近の村落を襲う程度に抑える。ユアンも同じだ。暴走はするな。スタルナスの者である事を示す物は一切身に纏うな」
『ははっ』
左右不揃いの瞳を持つ若者と右目の下から顎の左側まで大きな裂傷が走っているのを手始めに全身に古傷を持つ男が同時に頭を垂れる。
決戦の時、近づく。
エシュアによってルーガの反乱が伝えられてすぐ、ラインハルトは官舎に主だった者を集めた。
宰相オルンヘル=クリケット、近衛騎士団長アミリア=ホーン、第一歩兵師団長シオン=クリケット、それにアレク=ハーベストを初めとする四人の連隊長、それにエシュア。
「反乱など断固断罪すべきです!」
「今はそんな事を言っている場合ではないだろう、近衛騎士団長。落ち着け」
「―――申し訳ありません」
第一軍の反乱を聞いて、激昂したアミリアが顔を赤くしつつ着席する。
それを待って、オルンヘルが口を開いた。
「神官・傭兵両軍団はこちらに向かっている。我々はこのままトリコで待機し、彼らや第二軍の各部隊との合流を待つべきか?」
その問いに答えたのはシオン=クリケットだった。
「無理です。神官・傭兵両軍団の兵は指揮官を除き、歩兵で構成されている。しかし、第一軍には二万の騎兵が居る。トリコに達する前に、両軍団は追いつかれる。騎兵と戦っている間に歩兵にも追いつかれれば十七万対五万五千、しかも正規軍と予備軍とでは勝負にならない。壊滅してしまうのは目に見えています」
「―――ではどうする?」
「文官たちをトリコに残し、軍だけの身軽な姿になって、出撃します。神官・傭兵両軍団を収容し、第一軍を迎撃する。それしかないかと思います」
「馬鹿な―――今トリコに居る兵力は三万だ。神官・傭兵両軍団と合流しても八万五千、第一軍は十七万なんだぞ」
「第一軍は神官・傭兵両軍団を追撃するために帝都から走り続けでしょう。隊列は長細くなり、先行してくる騎兵を叩けば後は長く伸びている敵勢を撃退できる。途中で第二軍団の各部隊と合流できれば兵力は増やせる。近在には騎兵連隊も駐屯してる。合流できれば十万余りの兵力になりえます」
「だとしても―――」
「それで良い、いや、それしかないと思います」
アレクが発言する。彼は一同を見回して、
「先陣は俺が務めます」
「しかし―――」
「宰相」
尚も何かを言おうとしたオルンヘルを、ラインハルトが制した。
「彼らは専門家、宰相は戦に関しては素人。違う?」
「陛下………」
「ここは彼らに任せよう。シオン兄、余も行くよ」
「陛下!」
「―――良いでしょう。総大将が後方でぬくぬくとしていては兵の士気に関わりますから」
オルンヘルとは対照的に、シオンは軍人だった。軍人的思考で物事を考える。
「先陣はアレクの第一歩兵連隊、神官・傭兵の両軍団は無用の混乱を避けるために左翼と右翼に付ける。アミリア団長、近衛騎士団には旗本として陛下をお守りして後詰に」
「承知」
「陛下、僕も行きます」
「レオン!?危険だよ」
「危険なのは承知してます。でも僕も三百人の親衛隊を率いている。同盟国の危機に立ち会って、協力できるだけの力を持っているなら、協力したいのです」
「―――わかった。じゃあ、レオンにも旗本に加わって貰おう」
「ありがとうございます」
シオンはかすかに笑みを浮かべながら、皇帝を見た。
「それでは陛下」
「うん」
ラインハルトは頷いて、立ち上がった。予め用意していたのだろう、扉を開けて市長付きの使用人達が杯に入れた勝ち酒を運んできた。全員でその杯を取り、
「反乱軍を討伐し、皇帝の威を天下に示すべし―――各々の奮闘を祈る。出陣!」
『おおうっ!!』
全員が杯の中の酒を飲み干し―――ラインもレオンも一応飲んだ―――そして、それを床に叩きつけた。
三万の軍勢はトリコの市民の歓声を受けながら出撃した。
アルカディア街道を三万の軍勢が駆け抜ける。沿道には反乱の噂を聞いた人々が集まり、盛んに声を掛けてくる。白馬に跨ったラインが通りかかると沿道の人々の間から一気に歓声が上がる。
「ジークカイザー・ラインハルト!」
「帝国に栄光を!皇帝に名誉を!」
「反乱軍に死の鉄槌を!」
ラインハルトは人々の声援に、いちいち笑顔を向けて手を振った。
その気さくな態度が、さらなる熱狂を生み出す。
群衆の熱狂振りは兵に伝染し、彼らは疲労を忘れた。
軍列の先頭にはフロレシア帝国の国旗である《力強き銀獅子》が風に翻っている。
その旗のすぐ後ろを赤髪を翻し、端麗な顔立ちをした将が進む。
第一歩兵連隊長のアレク=ハーベストだ。
その隣には艶やかな黒髪と温和な顔立ちをした美女が従っている。
アレクの副官のリーナ=セレシコフだ。
ただし、その外見から受ける印象を払拭しているのが彼女が背負っている得物だ。
巨大な鎌。人の首など簡単に切り落とせそうな巨大な鎌だ。
「なあ、リーナ?」
アレクは馬の手綱を緩く握りながら、リーナに声を掛けた。
「なんです?」
「―――なんでおまえって鎌を使うんだ?」
「感触がたまらないんです」
「―――感触?」
「ええ。こう人の首をすぱぁんっと切り飛ばしたときのすぱぁんっていう感触が―――」
「いやもう良い。俺が悪かったからもうそれ以上言うな」
「アレクもどうです?一度―――」
「いや、俺は剣の方が手にも馴染んでるしな」
「いえ、違いますよ」
「違うって、何が?」
「鎌を使って見ると言う事ではなく―――」
「それ以上言うな。ついでにお断りだ」
「まあ、残念―――すぱぁんって感触がたまらないのに」
「…………」
(―――こりゃ、当分、寝られそうにねえな)
自分で聞いた事ながら、著しく後悔を覚えるアレクだった。
「おまえ、もうすぐ倍近くの敵と戦うって言う緊張感みたいな物は無いのか?」
「ありませんよ?」
(うわ。断言しやがった………)
「アレクだって、緊張してるようには見えませんよ?」
「いやだって、俺は戦慣れしてるしな」
「私だって、もう何度も戦には参加してますよ」
「―――まあ、そうか」
「ええ」
その時、遥か地平の彼方に砂埃が見えた。
「―――どうやら神官・傭兵の両軍団だな」
「思ったより近くまで来てますね」
「後続の部隊に伝令。『友軍発見、進撃停止、陣形を整えて邀撃体勢を取れ』。神官・傭兵の軍団にも伝令。『こちら皇帝親卒の討伐軍なり、反乱軍に加担する意思無くば、我が陣列に加われよ』。急げ」
「はい」
2 騎兵隊撃破
伝令を何度かやり取りし、神官軍団が左翼、傭兵軍団が右翼に付き、邀撃体勢は整った。
前方から砂埃が迫ってきた。
ほとんど間隙の無い絶妙のタイミングだ。
やはりトリコで神官・傭兵の両軍団の到着を待っていたら両軍団はトリコまで辿り着けずに追いつかれ、否応無しに戦闘に巻き込まれていただろう。
シオン=クリケットは長柄槍の柄を握り締め、近づいてくる砂埃を凝視していた。
騎兵隊とまともにぶつかれば隊列は大きく乱される。
「槍衾を敷け!」
シオンの指示を伝令が先頭のアレク連隊に伝える。しかし、その時には既にアレクが独断で自分の連隊に槍衾を展開させていた。
千人が槍衾を作り、千人が剣を構えいつでも前に出れるよう準備し、五百人が弓に矢を番えて敵を待ち構えている。シオンの指示を伝えに来た伝令に、アレクはただ笑っただけだった。
「シオン兄に伝えてくれ。俺よりもカヘルとニカルドを自在に動かす事を考えろ、と」
数で劣勢である以上、神官軍団と傭兵軍団の働きが趨勢に大きく関わってくる。
その為には二人の軍団長がシオンの指揮に従う事が絶対的な条件だ。
しかし、軍の序列で言えば、師団長に過ぎないシオンよりも軍団長であるカヘル=アイリッシュやニカルド=ベグアスの方が格上だ。正規軍と予備軍と言う差はあるにしても、この差は埋め難い。
(果たして指示に従うかどうか)
アレクは一瞬肩越しに背後を振り返った。
シオンの姿は見えない。
視線を前に戻し、馬の背に乗せていた兜の紐を解く。
「さぁて―――俺は俺の仕事をするか」
兜を頭に被り、顎紐を締める。
腰の佩刀を引き抜く。ルーガの刀匠に打たせたそれなりの業物ではあるが、精霊具の力には及ばない。
「俺も精霊具が欲しいなぁ」
「近づいてきます」
リーナが言ってくる。そう言う彼女は既に大鎌を構えている。
「―――よし。てめぇら、絶対に突破させるなよ!」
部下を鼓舞する連隊長の大声に、
『おおうっ!!』
兵達は力強く答える。槍衾の中に、カーンは居た。
《風の槍斧-ヤーナス》を握る両手に唾を掛け、
「崩れるなよ!受け止めろ!」
近づいてくる騎兵隊を睨みながら叱咤した。
近づいてきた第一軍の騎兵隊は前方で待ち構える軍の存在に気付き、突進を始めた。
馬の尻から火が出そうなほどに鞭を当て、身を低くして一気に近づいてくる。
騎兵隊はそのまま槍衾の中に突っ込んできた。
槍衾と騎兵隊が激しくぶつかり合う。
槍衾を突き破ろうとする騎兵隊と突き破らせまいと粘る槍衾隊。
「―――よし、弓隊、放て!」
騎兵隊の最初の突進の勢いが槍衾との激突で減殺されたのを見て取って、アレクが鋭く指示を飛ばす。
この時を待っていた五百の弓兵が一斉に矢を放つ。
ぶすぶすと矢が刺さり、騎兵が落馬する。
騎兵隊の間に動揺が生まれた。
この隙を見逃す程、アレクは凡庸な将ではない。
「第二陣、突撃!第一陣も続け!」
指示を受け、さっと槍衾の中心が左右に開く。
その隙間に敵の騎兵が突っ込もうとするが、その後ろから走り出てきた剣を抜いた兵に押し返され、槍衾の手前に押し戻された。
その間にも弓隊は第二矢を番え、放った。
騎兵隊の中に突き入って行く歩兵隊の側面を突こうとしていた騎兵隊に被害が続出する。
槍衾の前面に居る騎兵隊は二、三千騎。
シオンは後方から戦況の全体像を把握しようとしていた。
「アレクの連隊と戦っている敵は一部だ。本隊は何処へ行った?」
馬上で伸び上がっても、最前線の様子は良く見えない。
そこへ前線から伝令が戻ってきた。
「申し上げます!敵騎兵一万余騎、前線寸前で回頭、神官軍団に対して攻撃を開始!神官軍団の第一陣は崩壊!第二陣も苦戦中!」
さらにそこにもう一人の伝令が飛び込んでくる。
「傭兵軍団長ニカルド=ベグアス閣下より意見具申!『我、敵騎兵の側面を突かんとす』」
「なんだと!?」
シオンは思い切って、馬上に立ち上がった。すっと高くなり、遠方まで見通せるようになった視界に、半時計回りに右翼からアレク連隊と戦っている敵騎兵隊の後方を抜け、左翼へ向かおうとしている軍勢の姿が見えた。だが、そのさらに外側を時計回りに移動している部隊がある。
動きが早い。
「騎兵隊!」
アレク連隊と戦っている部隊が三千。神官軍団を潰走寸前にまで押している敵が一万余。
そして、第二軍に居る騎馬兵は二万。
(七千足りない!)
だとすれば、遥か遠方を大きく迂回している部隊こそ、その七千だ。
傭兵軍団が移動してしまったたため、第一歩兵師団は右側面を晒している。
既にアレク連隊の応援の為に第二連隊を投入している。
「傭兵軍団に伝令!『持ち場に戻れ、神官軍団へは歩兵師団より増援を送る!右翼を守られたし!』だ。急げ!神官軍団には持ちこたえるよう伝えよ!第三連隊を前線へ投入!アレク連隊の戦っている敵部隊を早く壊滅させろ。第四連隊は半数で神官軍団を襲っている敵の側面を撃て!残り半数は待機!」
立て続けに指示を飛ばし、それを前線に伝えるため、伝令達が飛び出していく。
シオンは馬上に立ち上がり、遠方の騎兵隊とそれよりは手前に見える傭兵軍団の動きを見つめる。
(間に合わない―――来る!)
騎兵隊は迂回を終え、方向転換を始めている。
そのまま、こちらの側面を突きに来るだろう。
傭兵軍団に指示が伝わり、ニカルドが指示に従ったとしても、間に合わないだろう。
最前線ではアレク自身も剣を振るって戦っていた。
既に全身返り血に濡れている。
彼の傍には常にリーナが寄り添い、近寄る敵にその死神の鎌を容赦なく振るっていた。
その度に、虚空に血の飛沫が飛ぶ。
と、いきなり視界の隅で数人の敵がほぼ同時としか思えないようなタイミングで落馬した。
巨大な人影が進み出てくる。
巨大な三尖両刃刀を振り回し、次々に馬上の敵を叩き落としつつ、近づいてきたのはレベッカだった。
「どうやら苦戦してるようじゃないか、んん?」
「へん。冗談。何処が苦戦してんだよ」
アレクはさらに一騎を切り倒し、笑みを返した。
リーナも瞬く間に二騎の首を狩り、
「そろそろ敵の勢いも衰えて来てますわ」
既に第二、第三連隊が投入され、相手に倍する兵力で戦っている。
敵はその数を減らし、潰走する寸前だ。
そこへ、前線からカーンが戻ってきた。
カーンもやはり返り血に全身を真っ赤に染めている。
「どうした、カーン?」
「右翼に敵の大部隊が向かってる!」
「右翼?右翼には傭兵軍団が居るだろ?」
「傭兵軍団はどうやら神官軍団の支援の為に戦場を迂回して左翼に向かったみたいだ!」
「なんだと?」
アレクは馬上で伸び上がり、戦場全域を見回そうとした。
全体が見えるわけではないが、確かに右翼に見えるはずの大軍の姿は無い。
その代わり、左翼にはやけに多くの人馬が集っている。
「くそっ………シオンが危ない!カーン、リーナ、レベッカ、さっさと敵を葬るぞ!」
吼えて、アレクは愛馬の腹を両足で蹴った。
「―――来たな!」
右翼に回りこんだ敵騎兵はほとんどシオンの真横から突撃して来た。
「弓隊構え―――」
弓隊が弓を向かってくる敵に向ける。側面には槍衾を敷き、敵の攻撃を受け止める用意はしてある。
問題は七千の騎兵の突撃を一千の槍衾で食い止めうるかどうかだ。
「放―――いや、待て!撃ち方、止め!」
弓隊に放たせようとしたシオンが寸前で中止命令を出す。
第四連隊と敵騎兵の間に割り込むようにして、栗色の髪を翻しながら突進する騎士を先頭に突っ込んできた騎兵の群れがあった。
前路を塞がれ、さらに別の群れに側面を突かれ、敵に動揺が広がっていく。
敵の騎兵の突撃力が一気に失われ、隊列が乱れた。
白銀の甲冑が陽の光を浴びて燦然と輝く。騎兵の群れは近衛騎士団だった。
無論、その先頭を駆けて敵に突っ込んだのは近衛騎士団長のアミリア=ホーンだ。
「近衛騎士団長アミリア=ホーン!先祖アザウェイが八代皇帝ルメウス二世より下された精霊剣、《光輝の剣-ルメーダ》の力、思う存分味わうが良い!」
アミリアが剣を振り上げると白銀の剣身が鋭い輝きを宿した。
振り下ろすと同時に、その光が弾け、八方に跳んだ。光は敵騎兵を次々に串刺しにしていく。
前方を塞がれ、側面を突かれ、圧倒的な戦闘力を見せつけられ、第一軍騎兵の間に動揺が広がる。
彼らが相手にして居るのはフロレシア帝国軍百二十万の頂点に立つ最精鋭部隊なのだ。
瞬く間に騎兵の死体が積み重ねられていく。
その時、左翼では神官軍団・傭兵軍団・第四連隊の総攻撃を受け、騎兵隊の主力部隊が遂に耐え切れずに崩壊・敗走を始めた。
しかし、彼らの退路を塞ぐように、白銀の騎士の集団が待ち構えていた。右翼に回りこもうとしていた敵の阻止に一万を差し向け、ラインハルトは残る一万を率いて戦場をさらに大きく迂回、見事、敵の退路を断つ事に成功していたのだ。
まだ辛うじて部隊としての秩序を保っていた騎兵隊はこの白銀の近衛騎士団に襲われ、完全に崩壊した。
次に崩壊したのは第一連隊・第二連隊・第三連隊の攻撃を受けていた騎兵隊だ。
アレク=ハーベスト、リーナ=セレシコフ、カーン=オルベニー、レベッカ=オブライエンの奮闘により、彼らも壊滅、敗走し、前車の轍を見事に踏んだ。
ちなみにカーン=オルベニーの精霊具、《風の槍斧-ヤーナス》も十分にその威力を発揮し、風の刃を産み出して、敵を蹂躙していた。
そして、最後に近衛騎士団と第四連隊の攻撃を受けていた騎兵隊が潰走。
彼らは退路を塞がれているのを見ると大人しく降伏した。
結局降伏または捕縛した騎兵はおよそ五千名に昇った。
戦闘が終わって、五キロほど後退し、その過程で隊列を整え直して、大休止を取った。
「―――勝手に動かれては困ります、ニカルド=ベグアス閣下」
「あの場合はそうするのがもっとも適当だったのではないか?」
ニカルド=ベグアスは色の黒い男だ。目は猛禽の如き鋭い金。髪は緑。
全身を柔軟な筋肉が覆い、腰には大きく湾曲した三日月刀を佩いている。
「傭兵軍団が移動したが為に、敵騎兵に右翼を突かれる危機に瀕しました」
「だが、我らが左翼の敵の後背を攻撃せねば左翼が崩れていたのではないか?なあ、カヘル=アイリッシュ閣下?」
「あ、ああ………」
カヘル=アイリッシュは色の白い男だ。目は小動物のようにおどおどしている青。髪は黄色。
全身には筋肉がほとんど付いておらず、細かい装飾の施された司教杖を持っている。
ベグアスに睨まれて、視線を逸らしつつ、
「確かに傭兵軍団の援軍はありがたかった………です」
だんだんと声は小さくなっていき、最後はほとんど消え入りそうだった。
ベグアスは勝ち誇ったような笑みを浮かべ、
「ほらな?男爵、指揮権を寄越せとまでは言わないが、俺は俺が是と思った事をやらせて貰うぜ」
「ならば傭兵軍団には変わらず右翼を務めていただこう。御自由に、敵と当たられるが宜しい」
「それはまた名誉な事だな。そうさせて貰おう」
シオンはきつくベグアスを睨み付けた。
が、ベグアスは全く歯牙にも掛けない。
「まだ若いんだから仕方ないのかもしれないが、あまり気負わずに行こうぜ、男爵」
男爵の部分を強調して言って来る。
嫌味のつもりなのだろう。貴族の子弟=軟弱者と決め付けているのだ。
シオンは悔しげに奥歯を噛んだが、反論は出来ない。
指揮権を委任されているとは言え、相手は軍団長、こちらは師団長、あまり強い事は言えない。
指揮権の委任と言うのも文書などがあるわけではないのだ。
シオンは仕方なく視線をカヘルに向けた。
自然とキツイ目つきになっていたのだろう、カヘルがびくっと身を震わせる。
「カヘル卿。卿には変わらず左翼を担っていただきたい。宜しいか?」
「え、あ、ああ―――」
「もしも自信が無いならこちらから兵を割くのも構いませんが?」
「い、いや、結構………」
「そうですか。ならば結構。次にアミリア殿」
「私はどこです?」
「貴方には陛下・殿下と共に後軍を担当していただきたい。戦場全体を見回し、ある程度自由に駆け回っていただきたい」
「承知した」
機動力を活かした作戦を与えられ、アミリアは嬉しそうに頷いた。騎兵の最大の強みはその機動力にあるのだ。既に第一軍の騎兵隊は壊滅しており、機動力ではこちらの方が勝っている。
「第一師団は中央を担当します。宜しいですか?」
「異議なし」
「お、同じく」
「私もそれで良いと思う」
「ならばそれぞれの隊に戻ってすぐに部隊の移動を。そろそろ敵の本隊が来る頃です。正念場ですよ」
「わかってるさ、坊やに戦場という物を見させてやろう」
「お言葉ながら戦場ならエルベス川でも見てますよ」
「そうだったな、それは失礼」
「そ、それでは私はこれで―――」
「私も戻ろう。陛下と殿下に移動を説明せねば」
三人がそれぞれ去って行く。
シオンは嘆息して、終始無言だったアレクを振り返る。
その顔がニヤついているのを見て、顔をしかめる。
「俺がやり込められてるのを見るのがそんなに楽しいか?」
「そりゃそうだ。シオン兄がまともに反論も出来ないなんて、と思ったらな、笑うしかないだろ」
「俺はな、アレク。女を口説く時以外、口下手なんだよ」
3 決戦
騎兵隊とは異なり、ルト=リューベンの本隊は予め前方で待ち構える皇帝軍の存在を知っていた。
戦場から脱した騎兵が報告したためだ。その時点でルーガに引き返すと言う選択肢も当然の事ながらあった。しかし、その選択肢を執る事は彼が掲げた反乱の大義を自ら捨て去る事を示している。
君側の奸を討つという名義上、敵を避ければこの大義は成り立たない。彼は当然の事として皇帝軍の中に君側の奸、オルンヘル=クリケット伯爵も居ると考えていた。実際にはオルンヘルは他の文官と共にトリコの町に残留していたのだが。大義を失えば、今は彼に従っている第一軍の中からも皇帝側に投降する者が出てくるだろう。さらには民衆の支持も得られず、六将軍の他の五人も当然皇帝側に付くだろう。その結果彼は士気を喪失した第一軍を率いて、残るフロレシア帝国軍の全軍を敵に回す事になるのだ。それはもはや選択肢とも呼べないような最悪の選択だ。無論、ルトは皇帝軍との決戦を選んだ。
オルンヘルを捕らえ、皇帝を救い奉る。そうすれば、自分は英雄になり、貴族に列せられるのだ。
先行していた騎兵は皇帝軍と戦闘し、敗れ、壊滅した。戦場を脱し、主力部隊に辿り着けたのは僅かに百騎余りに過ぎなかった。見渡す限り、草原と農耕地が続くアルカディア。その草原で、第一軍と皇帝軍は向かい合った。睨み合ったまま、しばしの間沈黙の時間が流れる。皇帝軍はその後、近在の第二軍部隊が駆けつけ、その兵力は十万に膨れ上がっていた。だが、対峙する第一軍は二万の騎兵を喪失したとはいえ、未だにその兵力は十五万。数で言えばまだまだ第一軍の方が優勢だ。と、その時、皇帝軍の人垣が割れ、馬に跨った艶やかな茶髪の女騎士が進み出てきた。左胸に《力強き銀獅子》の刻印を刻まれた白銀の甲冑。近衛騎士団長アミリア=ホーン。第一軍の兵達にかすかな動揺が広がり、中隊長達が抑える。アミリアは両軍の中間地点辺りまで来ると馬を止め、弓矢を構えた。
「矢文である。受け取られよ!」
宣告して、矢を放った。文を結び付けられた鏑矢が甲高い音を立てながら反乱軍の中に落ちる。
「すぐに持って来い」
ルトは伝令に命じ、伝令は駆け去って行った。アミリアはその場を微動だにせず、返答を待っている。
ルトは伝令が持って帰ってきた矢文をその場で開き、読んだ。
『一筆啓上、逆臣首魁ルト=リューベン殿。恙無きや?逆賊に身を落とせしとて己も元は誇り高きフロレシアの将帥なれば、誤っても卑怯な戦はすまい。正々堂々、雌雄を決そうぞ。―――フロレシア帝国第十五代皇帝ラインハルト=シーザー』
「―――良い度胸だ」
こめかみに青筋を浮かべ、ルトは片頬に笑みを浮かべた。
「閣下!これは皇帝側の挑発です。何らかの策があると見るべきです」
「こちらは数で優っております。軍を二つに分け、一隊で敵を食い止めている間にもう一隊で側面を守っている神官軍団を突き崩せば勝利は自ずから閣下の掌中に収まりましょう」
「お前達は、この私が正々堂々と戦い、あのような若造に敗れるとでも思っているのか?」
参謀達は己の発言のミスに気付いたが、もう遅かった。
ルトはプライドを傷つけられ、完全に頭に血が昇っていた。
「紙!」
顔を真っ赤にして吼えるルト。参謀達は顔を見合わせた。
「どうした、紙と筆を寄越せ!」
参謀の一人が嘆息と共に首を左右に振り、紙と筆をルトに渡した。ルトは紙にさらさらと文字を書き、
「これを矢に結わえ、近衛騎士団長に返せ」
「―――は」
参謀は覚悟を決めたかのように頷いた。
第一軍の陣から放たれた矢はアミリアの乗馬のすぐ鼻先に突き刺さった。それなりの訓練を受けた馬でもいきなり鼻先に矢を射られれば驚いて思わず棹立ちになってしまう物だが、アミリアの愛馬は全く動揺を示さなかった。アミリアはその愛馬の首筋を軽く撫でてやってから、馬を降り、矢を地面から引き抜いた。結わえられた矢文を取り、馬に跨り、馬首を翻す。皇帝本陣に戻ったアミリアは、皇帝ラインハルトの前に片膝を付き、矢文を差し出した。直護衛のヴァンが矢文を受け取り、皇帝へと渡す。
ラインハルトは白磁の如き滑らかな肌にかすかな緊張の色を浮かべて、矢文を開いた。
「―――なんと書いてありますか、陛下」
アミリアの言葉に、ラインハルトは顔を上げた。
「アミリア。シオン、アレク、ニカルド、カヘルの四人に伝令を」
「はっ。それで―――内容は?」
「『委細承知仕り候、武人の本懐は戦場に華と散る事と見つけ足り』―――第一軍は真正面から来る」
「承知」
一礼し、アミリアが本陣から駆け去る。
すぐに馬のいななきが起こり、伝令たちが前線の諸将に矢文の内容を伝達するために走り去って行った。
矢文を受け取った諸将の反応はまちまちだった。シオン=クリケット第一軍団第一歩兵師団長は、
「愚かな………」
と一言漏らしたのみ。アレク=ハーベスト第一軍団第一歩兵師団第一連隊長は、
「真正面と言う事はまたまた俺達が主役と言う事だな」
と嬉しそうにカーン=オルベニー第一中隊長に見せた。カヘル=アイリッシュ神官軍団長はあからさまに安堵の吐息を吐いた。皇帝軍において、最も弱兵なのが彼の率いる神官軍団なのだ。そして、第一軍団が最も容易に皇帝軍を破る方法としては第一歩兵師団及び傭兵軍団の攻撃を一隊で抑え、もう一隊で神官軍団を破る事だろう。ニカルド=ベグアス傭兵軍団長は猛禽の如き鋭い金の瞳を細め、口元ににぃっと笑みを浮かべた。
「また俺達が戦況をひっくり返してやろうじゃねぇか。戦功を上げれば報奨金も夢じゃねぇぜ」
と、部下を煽った。
「先制攻撃と兵力集中こそ戦闘の基本だ。全軍、突撃!」
ルト=リューベンは大剣の先で皇帝軍―――本陣に翻る《力強き銀獅子》―――を示し、吼えた。
第一軍の将兵がこれに追随し、第一軍十五万が一斉に雪崩の如く突進を開始した。
十五万の人馬の大軍の突進の迫力はまさに桁違いだ。
「これは………すごいな」
槍衾を並べる中、カーン=オルベニーはごくりと唾を飲み込んだ。迫り来る大軍を前に、全身の毛が逆立つようだ。《風の槍斧-ヤーナス》の柄を握り締め、体の奥底から勇気を奮い起こす。
「突破させるな!食い止めろ!」
第一軍の尖兵と第一中隊とが衝突する寸前、両軍の間から激しい矢が敵陣に向けて放たれた。
第一軍にも被害は出たが、第一軍に降り注いだ矢の数倍もの矢を浴びた第一中隊は槍衾をずたずたに引き裂かれた。そこへ、鋭い錐の刃の如く第一軍の尖兵が突進していく。
「風よ、引き裂け!」
《風の槍斧-ヤーナス》を振りかざしてカーンが怒鳴る。精霊具に封じられた精霊がカーンの意識に共鳴し、その命令を実行する。己の力の一部を解放した精霊具から激しい風の刃が産み出され、今まさに槍衾を突破した反乱軍兵を数十人単位で吹き飛ばした。だが、それとて第一軍の突撃の勢いを押し留める事にはならなかった。第一中隊は第一軍の勢いに呑まれ、隊列も何も無く一瞬にして崩壊した。
第一軍は第一中隊だけではなく、瞬く間にアレク=ハーベストの率いる第一連隊、果てはシオン=クリケットの第一歩兵師団全体をも飲み込みかねない勢いを示した。カーン=オルベニーは敵と交戦しながら後退し、アレクやリーナ、レベッカと合流し、迫り来る敵勢の攻撃をいなしながらさらに後退し、シオン=クリケットの直率する部隊と合流した。反撃に移ろうとするものの、反乱軍の勢いは全く衰える様子を見せず、第一歩兵師団さらには第二軍の各部隊までも飲み込み、押し捲る。
「このままじゃ、直に本陣だぞ!」
《風の槍斧-ヤーナス》を振り回し、時折、精霊具の力を解放する精霊攻撃を放ちながらカーンは吼えた。その額には大粒の汗。アレクとシオンも剣、レベッカは三尖両刃刀、リーナも鎌を振り回して敵を次々に倒していくが、周囲の味方はどんどん減って行き、敵の数はそれに比例してどんどん増えていく。
前線が崩れようとしていた。
「アミリア、近衛騎士団を投入しよう」
「はっ。まずは半数」
「うん」
伝令が飛び、前線の激闘をやきもきとして見つめていた近衛騎士団一万騎が怒涛の勢いで前線へと飛び込んで行った。第一軍の尖兵部隊を本隊から分断し、瞬く間にこれを叩く。
本隊がこれを救おうと隊列を乱して駆けつけるのを、何とか体勢を立て直した第二軍の各部隊と共に反撃、三百m程、第一軍を押し戻す事に成功した。だが、そこへ一人の騎士が飛び込んできた。
大剣を振り回し、瞬く間にフロレシア帝国軍最精鋭の近衛騎士達を薙ぎ払う。その騎士は第一軍団長のルト=リューベンだった。伊達に帝国六将軍の一人に列せられている訳ではなく、彼の剣技は冴え渡っていた。皇帝軍側に傾き掛けていた戦況が再び反転した。反乱軍が勢いを盛り返し、近衛騎士達が守勢に追い詰められ、徐々に先程押し戻した距離を再び押され始めた。
「傭兵軍団と神官軍団はどうした!?」
「傭兵軍団は移動中!反乱軍の後背を狙う模様!神官軍団に動き無し!」
アミリアの焦りを含んだ怒声に、ちょうど駆け込んできた伝令が答える。
「神官軍団に伝令!側面を突かせろ」
前線はどんどん本陣に迫ってくる。もう一キロも無い。すぐ傍で、激しい殺し合いが行われているのだ。
「―――アミリア」
「はっ」
アミリアは皇帝の言葉に、振り返って片膝をついた。皇帝の顔は青白かった。無理も無い。彼にとっては初陣なのだ。恐怖を感じないほうがおかしい。
「陛下。大丈夫です。必ず勝ちます」
皇帝を安心させるための虚言ではない。アミリアは覚悟を決めていた。
立ち上がり、一礼し、背を向ける。
「アミリア。何処へ行くの?」
後ろから、皇帝の声が追ってきた。その声に、震えは無い。振り返って、アミリアはやや目を瞠った。
皇帝の顔には笑顔が浮かんでいたのだ。普段の彼が浮かべる完璧なまでの美しい微笑ではなく、恐怖によって歪んだ、強張ったものだったが、とにかく皇帝は笑っていた。
「―――前線へ出ます」
「全軍を連れて行って良いよ」
「しかし、それでは陛下をお守りする旗本が―――」
「大丈夫だよ、アミリア。必ず勝つから」
その言葉には皇帝の、アミリアへの絶対の信頼が含まれていた。純粋に、単純に、人を信じる事ができる………これも、皇帝の才能の一つだろう。アミリアは心の何処かにあった曇りが一斉に消え去るのを感じ取った。自分も心の何処かでは敗北を覚悟していたのだ。しかし、皇帝の一言で全てが吹き飛んでしまった。アミリアは残る一万の近衛騎士を率いて、前線へと飛び出して行った。彼女も精霊具である《光輝の剣-ルメーダ》を振り回し、敵兵の渦中へと近衛騎士達の先頭を切って飛び込んで行った。
「閃光よ、我らが敵撃つ光の矢となりて、降り注げ!」
アミリアの気魄の声が戦場に響き、《光輝の剣-ルメーダ》の剣身が放った閃光の矢が戦場に降り注ぐ。
光の矢に射抜かれ、反乱軍の兵が次々に倒れていく。しかし、勢いに乗った反乱軍の動きは一万の近衛騎士の投入でも止まらなかった。戦力を一気に集中し、一極的に投入して来た反乱軍に対し、皇帝軍は兵力を分散させていた上に逐次投入となってしまったのだ。十五万の敵軍を四万五千余りの部隊だけで抑える事は不可能だろう。しかし、時間が経過するに従って、戦況は膠着し始めた。ルト=リューベンを先頭に、皇帝の首を取ろうと遮二無二前進しようとする反乱軍とシオン=クリケット、アレク=ハーベスト、リーナ=セレシコフ、レベッカ=オブライエン、カーン=オルベニー、アミリア=ホーンなどを中心に、歯を食い縛って堪える皇帝軍。両軍の間で激戦が続き、反乱軍にも皇帝軍にも疲労が蓄積して行く。しかし、数で劣るだけに、皇帝軍の方が疲労の蓄積が早い。このままではいずれ戦線は崩壊し、反乱軍が怒涛の如く本陣に殺到する事になるだろう。いくらヴァン=ブレイスが剣の達人であろうと、皇帝を守りきる事は不可能だろう。だが、戦況を大きく動かしたのは時間ではなく、出世の野心に燃える一人の武将の決断だった。
「―――そろそろだな」
ニカルド=ベグアス傭兵軍団長は膠着した戦場を見回し、にぃっと笑い、槍を振り上げた。
「行くぞ、野郎ども!」
『おおうっ!!』
戦場の後方に回り、潜伏していた傭兵軍団四万が一斉に駆け出した。それまで前へ前へと押していた反乱軍はいきなり後方に上がった歓声に驚愕して足を止めた。その最後尾に、傭兵軍団が食い込み、食い破った。さらに同時に側面を、カヘル=アイリッシュの神官軍団一万五千が突いた。
瞬く間に動揺が広がり、突進力が低下する反乱軍。それまで防戦一方に追いやられていた第二軍の諸部隊及び近衛騎士団が刃を揃えて一斉に反撃に移った。三方からの攻撃、しかも傭兵軍団と神官軍団と言う全く疲労していない新戦力の投入によって、反乱軍は完全に包囲された。
「慌てるな!数では優っている!皇帝の首を取れば我らの勝ちぞ!」
『おおっ!!』
歓声は、ルトの言葉に反応したものではなかった。歓声は皇帝軍の間から沸き起こっていた。
戦場に白馬に討ち跨った皇帝の姿があった。それまで本陣に居たラインハルトがヴァンを引き連れ、前線に出てきたのだ。皇帝が前線に出てきた事により、皇帝軍の士気は否が応にも天を衝く勢いとなった。
彼らの目に、皇帝の、白鎧に純白の戦衣を着、白馬に跨ったその姿はまさに建国王フェルモア=シーザーを髣髴とさせる光の英雄と映った。だが、その皇帝の姿はルトにとっても光り輝いて見えた。
「皇帝だ!皇帝の首を取れば、我らの勝利だ!」
ルトは立ち塞がる近衛騎士や第二軍団兵を蹴散らし、皇帝へと突進した。全身を返り血に染め、悪鬼の如き表情で皇帝に迫るルト。その姿に、同じく返り血に染まったアレクが気付いた。
「誰か!誰かルトを止めろ!!」
その叫びを聞いたかどうかは定かではないが、ルトの前に数人の近衛騎士が立ちはだかった。
「逆賊め、討ちとってくれる!」
「邪魔だ!」
近衛騎士達が血煙の中に倒れる。大きく視界が開き、皇帝の姿が眼前に迫った。
「うおおおおっ!!」
ルトは刃こぼれした大剣を振り上げ、突進しようとした。
―――が。立ち塞がる男が居た。黒髪に、エメラルドグリーンの瞳、直護衛のヴァン=ブレイスだ。
「邪魔だぁぁぁっ!!」
突進の勢いのまま、大剣を振り下ろす。数十人の血を吸い、肉を裂き、骨を砕いた一撃がヴァンを襲う。
ガッ。
「な―――」
ルトの顔が驚愕に歪む。彼の一撃はヴァンの剣に受け止められていた。ヴァンが動く。人間の反応速度の限界を超える信じられないほどの速さだ。ルトが気付いたときには彼の大剣は打ち落とされ、地面に落ちていた。剣を握っていた右手に激痛が走り、骨が折れたという事実を伝えてくる。
「閣下、お逃げください!」
血刀を下げ、参謀が駆けつけてくる。ヴァンは慌てずに一歩下がり、距離をとった。
彼の仕事は敵を倒す事ではなく、皇帝を守る事なのだ。
「軍は?」
激痛に顔を歪めながら、ルトが聞く。参謀は必死の形相で、ヴァンに牽制の剣を向け、
「既に崩壊寸前です。速く脱出しなければ、完全に包囲されます」
「ならばわしはここで―――」
「何を言っているのです、閣下!ルーガにはまだアルンヘルと一万の兵が居ます。部隊を纏めて戦場を脱し、ルーガに篭ればまだ戦えます!」
「しかし、わしは―――」
「ここで閣下の為に死んだ兵達の死を無駄にするつもりですか!閣下は生き延び、志を貫いてください!」
貴族出身の参謀はそう怒鳴るや、ヴァンに切り掛かって行った。
「さ、お早く!」
「閣下、こちらです!」
連隊長が十名余りの兵を率いて駆けつけてきた。しかし、そこへ二十名余りの兵を率いてアレクも駆けつけてくる。連隊長は五名をそちらへ向け、負傷したルトを収容して、戦場脱出を図るため、比較的敵が手薄な方に向かって駆け込んで行った。ヴァンは切りかかってきた参謀を一刀で切り捨てた。
「―――終わるね」
「―――はい」
皇帝の呟きに、直護衛は短く答えた。彼らの視線の先で、三方から攻撃されて反乱軍は崩壊し、潰走を始めていた。
4 反乱終結
ルト=リューベンは敗残兵を纏めて帝都ルーガへ向かった。己自身、手傷を負っての無様な敗残の身だ。
彼に付いて来る兵の数も五千余り。散り散りとなり、合流できず彷徨っている兵も多いだろうが、大半は彼を見限り、姿を晦ませたか、皇帝軍側に投降したものであろう。
皇帝軍は兵を纏め、すぐに追撃を始め、既に短距離に迫っている。
しかし、このままならば、追いつかれる前に帝都に着く事ができると反乱軍の将兵の間には少しだけ明るい空気が流れていた。
だが、夕陽を背にして、丘陵地帯に聳える帝都ルーガの姿を目にして、彼らの希望は物の見事に打ち砕かれる事となる。
ルーガの各城門及び、ルーガ城の尖塔に、反乱軍の手によって引き摺り下ろされた国旗《力強き銀獅子》が掲揚され、力強く翻っていたのだ。
街道脇で小休止を命じ、ルトはルーガに物見の兵を向けた。
物見は凱旋門に赴き、大声で、
「開門、開門!ルト=リューベン閣下が戻られたぞ、開門しろ!」
と叫んだ。しかし、返答は無い。
尚も同じ事を繰り返すが、開ける代わりに矢を射られた。
物見達が驚いていると門の上に人影が現れた。
灰色の髪をした男、第一軍の参謀アルンヘル=へードだ。
「アルンヘル殿、何ゆえに開門して下されないのだ!」
物見達が聞くとアルンヘルは何処となく陰惨な雰囲気を放つ容貌に薄い笑みを浮かべて、
「ルト=リューベンは反逆者である。私は栄誉ある帝国軍人として反逆者を帝都に入れる事は出来ない」
淡々と答えた。彼はルト=リューベンが本軍を率いて帝都を離れてすぐ、ルト=リューベンを裏切り、捕らえていた帝都防衛隊や文官を解放したのだ。
物見は戻ってルトに帝都の豹変を報告した。尖塔に翻る国旗を見た時点でこの結末を予想していたのだろう、ルトは瞬間瞑目すると静かに目を開いて、
「―――西へ」
と、それだけを命じた。西に逃げ、スタルナス帝国に亡命するつもりだった。
彼らは帝都にも入れず、改めて自分達が敗れた反逆者であると言う惨めさに歯を食い縛りながら、ルーガの前を素通りし、西へ向かった。
この時点でルトに付き従う兵は僅かに千名余りに減っていた。
彼らは帝都を離れて二十キロ余りで、前方に大量の砂埃を上げながら接近してくる大軍を見つけた。
それはハーン=ハーベスト軍団長に率いられた第二軍部隊五万余だった。
第二軍の管轄する中央軍管区の西側から集められた部隊だ。
「ルト=リューベン閣下に告ぐ。これ以上は無駄な抵抗である。速やかに降伏し、将としての責を果たせ」
赤い毛並みの馬に跨り、前に進み出てきた赤き鬼神、ハーン=ハーベストはルト=リューベンにそう勧告した。
既にルト=リューベンに従う兵は僅かに三百名余り。
ここに至って、ルト=リューベンもようやく覚悟を決めた。
ルト=リューベンは最後まで彼と共にあった三百名の第一軍兵と共に降伏・武装解除に応じた。
帝国暦三三二年六月十日、『ルト=リューベンの反乱』は僅か一日で鎮圧された。
帝国暦三三二年六月十四日。
反乱終息から四日後。ルト=リューベンの反乱の事後処理が公表された。
ルト=リューベンは生前与えられていた全ての栄誉を剥奪され、国外追放処分にされた。
しかし、他の第一軍の将兵は全員不問とされた。これは貴族の子弟が多く含まれて居る事から、貴族連盟への遠慮と受け取られた。しかし実際には罰すべき反乱計画に深く関わっていたと思われる師団長や連隊長が全員、戦死したか姿を消してしまっていたからだった。
貴族連盟のアリーニ=アウグウェルツ公爵やカブラ子爵などは帝都防衛隊や暁の捜査によっても反乱軍への関与の証拠が発見されず、その罪を問う事は出来なかった。
今回の反乱鎮圧に功績の合った者達はそれぞれ報いられた。
第二軍団長ハーン=ハーベストは軍令部長兼第一軍団長へ。
第二軍団第一歩兵師団長シオン=クリケットは軍令部次長兼第二軍団長へ。
第二軍団第一歩兵師団第一歩兵連隊長アレク=ハーベストは第一軍団第一歩兵師団長へ。
第二軍団第一歩兵師団第一歩兵連隊第一中隊長カーン=オルベニーは第一軍団第一歩兵師団第一歩兵連隊長へ。
第二軍第一騎兵師団長第一連隊長レフィナ=フュークルは第一軍第一騎兵師団長へ。
第二軍第一騎兵師団第一連隊第一中隊長ギルギッド=ルメイは第一軍第一騎兵師団第二騎兵連隊長へ。
第二軍第一騎兵師団第一連隊第二中隊長オットー=セルバンは第一軍第一騎兵師団第三騎兵連隊長へ。
そして、注目の人事は第一軍参謀アルンヘル=へードが皇帝直属幕僚長となった事である。
反乱に加担した事を咎めるどころか、昇進させると言う異例の人事であるが、反乱軍を見限り、帝都の治安維持に当たった功績が認められたのだろうと国民達は受け取った。
第一軍団及び第二軍団はこの反乱で多くの優秀な高級士官と兵を失い、その戦闘能力は大きく減少した。
ちなみに傭兵として雇われたレベッカ=オブライエンはニカルド=ベグアスの副長格として、傭兵軍団に入団した。
反乱を一日で鎮圧したその迅速さ、反乱軍将兵を不問に付した寛大さが評判となり、ラインハルト=シーザーの名声は否が応にも高まり、まだ若い皇帝に半信半疑の眼差しを向けていた地方の有力者なども掌を返したように面謁を求めるようになった。
帝国暦三三二年六月十六日。
帝国府は皇帝勅命として、この度の反乱での主戦場に皇帝軍・反乱軍の戦死者を合同で祀る慰霊碑の設置を公表。
この日、およそ一週間にも渡る戦後処理の激務から解放され、ラインハルトはようやく自室へと戻る事が出来た。それまではずっと帝国府などですし詰め状態だったのだ。ひっきりなしに人々が訪れてくるため、シエナですらこの一週間と言う物、ラインに会っていない。
だからこそ、自室に戻ってきたラインの姿を見た途端、我慢できなくなって抱き付いてしまった。
「陛下!………ライン!よく無事で!」
「ああ、シエナ」
部屋に入るなり、抱きついてくる年上の侍女を抱きしめ、ラインハルトはようやく少し落ち着く事が出来た。
甘いシエナの髪の香りを肺一杯に吸い込んで、と、シエナが身を離す。
「ご、ごめんなさい、取り乱しちゃって」
赤面して距離をとり、衣服の乱れを直す。
「いや、良いんだ。それより、心配かけてごめん」
「うん………確かに怖かったけど、ラインが来てくれるって信じてたから」
「うん。怯える文官や舌を噛んで自殺しようとした女官達を励ましてくれたそうじゃないか。評判になってるよ。皇帝付きの侍女は度胸と勇気に満ち溢れているって」
「まあ………私はただラインが帰ってきて助けてくれるって信じてただけよ」
「まあ、良いじゃないか。それよりも聞かせてくれ、君の武勇伝」
「私のよりも、ラインの武勇伝を聞きたいわ」
「僕は何もしてないよ。そうだなぁ、じゃあ、みんなの武勇伝を話そうか」
「ええ」
シエナが笑う。ラインハルトが無事に戻ってきて、前と同じように自分に微笑んでくれている。
それだけで心の中が温かくなって、華が綻ぶ様に、彼女もまた自然と微笑を浮かべてしまうのだった。
翌日。
謁見の間で、ラインハルトはレオン=ルシタニアと会っていた。
彼の傍らには彼の忠実な従者であるレフ=スタッカートも控えている。
「そんな、帰国するなんて………。こんな事になってしまって、レオンにはもっとこの国で楽しんでもらいたかったのに」
本当に残念そうに肩を落とすラインハルトに、褐色の肌に赤い瞳を持つ少年王子は溌剌とした笑みを浮かべて、首を左右に振った。
「いいえ、陛下。実に楽しい日々でした。僕にとって一番の収穫は、同盟を結ぶ隣国の君主が実に公明正大な方で、心の広く、暖かな人物である事を知る事が出来た事です。父上に報告するのが楽しみです。きっと父上も陛下の事を気に入ってくれると思います。陛下が居られる限り、フロレシア帝国は安泰でしょう」
褐色の肌に、赤い瞳を持つ少年は、ラインハルトが赤面するような事をすらすらと述べ立てて、やや真顔に戻って言った。
「どうやら僕の国でも問題が起きているようなのです。帰って父上をお助けしなければ」
「そうか………だったら引き止めるのは悪いね。もし困った事があるなら、遠慮する必要は無いから、僕に言って。僕は何度もレオンに助けられているから、今度は僕がレオンを助けるよ」
「ありがとうございます、陛下」
レオンは深々と頭を下げて、退出していった。ラインハルトや政府要人、そして帝都の住人達が喝采と共に見送り、隣国の盟友は帰路の途に付いた。
オルンヘルがそっとラインハルトの耳元に口を寄せ、何事かを囁く。
ラインハルトは少しだけ表情を強張らせて頷いた。
暫らくして城に戻ったラインハルトは皇帝私室にオルンヘルともう一人、エシュアを呼び入れた。
鋭い眼差しをした男は片膝をつくと、すぐに報告をするべく口を開いた。
「キエフ=ロドリナス率いるスタルナス帝国軍は完全に撤退。第六軍が警戒網を引きましたが、捕らえた者もすぐに自害して、何の情報も得られなかった由」
「そうか………。これで、真相は闇の中。何とかしてルト将軍から聞き出したいところだけど。帝都を追放されたルトは何処へ向かったの?」
皇帝の質問。
そう、彼がルト=リューベンを放したのはただ寛大な処分と言うだけの理由ではなかったのだ。
泳がせて、その動きを見張ると言う意図もあったのである。
エシュアは一瞬も目を伏せることなく、そして躊躇することなく、淡々と続けた。
「ルト=リューベン閣下は殺害されました」
「………。なんだって?」
ラインハルトの表情が強張る。
その視線が一瞬、傍らに立つ養父に向かうが、エシュアが報告を続けたためにそちらへ引き戻された。
「何者かに暗殺された模様ですが、何処の手の者かを示唆するような証拠は残されていませんでした」
「やっぱり、彼らの?」
ラインハルトが強張ったままの表情で聞く。
「断言は出来ませんが」
エシュアの答えは、消極的肯定だった。
彼ら、とは無論の事ながら今回の反乱を裏で糸を引いて操っていた貴族連盟、特にその盟主であるアリーニ=アウグウェルツ公爵の事を示す。
すなわち、今回のスタルナス帝国の動き、それが果たしてルト=リューベンと繋がっていたのか、それとも貴族連盟と繋がっていたのが間接的にルト=リューベンに協力していたのかを知る事は出来なくなってしまった、という事である。
ルト=リューベンを捕らえて尋問すると言う手もあったが、これにはハーン=ハーベストが反対した。ルト=リューベンとて誇りある帝国軍人であり、たとえ尋問した所で秘密を口にする事は無いであろう、と。
だからこそ、泳がせて、何処で誰と接触するかをエシュアに命じて探らせていたのだが。
まさかこんな事になるとは。
ルト=リューベンとの単独協力ならば、今後の貴族連盟の活動にスタルナス帝国が協力するかどうかは判然としないが、もし貴族連盟と協力関係にあるとするならば、今後も事あるごとにスタルナス帝国が介入してくる可能性はある。
そして、その度に国境の警備を担う筈の国境警備隊や第六軍がスタルナス帝国軍の動きを全く感知出来ないのであれば、それはもはや存在理由の半分以上が失われていると言うことになる。
「第六軍と国境警備隊には警戒を厳重にするように指示を出して」
疲れた声音で、ラインハルトは命じた。
オルンヘルは頭を垂れて、
「畏まりました」
反乱は鎮圧した。
だが、それは巨大な反抗勢力と言う名の大木の、枝葉を切り落としただけなのだ。
大木は幹を倒さねば、根を断ち切らねば、死なない。
貴族連盟、スタルナス帝国、その背後で見え隠れするルーナ帝国の影。
国内の財政逼迫、農民層の困窮、貴族層の腐敗、各地で発生する盗賊や義賊の類。
新皇帝ラインハルト=シーザーの行く手にはまだまだ光は見えない。
あるのはただ、絶望的に広く、深い、闇。
覇皇フェルモアの血を引き、《覇皇剣-サナトゥス》を継承したラインハルト=シーザーの物語はまだまだ始まったばかりなのだった。
そして。
ルーナ帝国帝宮
「―――死兵師団の調子はどうだ?」
薄暗い照明に点された、物の輪郭もあやふやな皇帝の間に響いた声は、青年の張りのある声だった。
「万全です。陛下に頂いた《死の首飾り―ジェト》の力ゆえに」
「力ある精霊は力ある者にしか跪かない。《死の首飾り―ジェト》がおまえに従うのは、おまえに従わせるだけの力量があるゆえの事だ。ミト=ヴァレンツェ」
「もったいなき御言葉にございます」
平伏するは金髪赤目の美女、甲冑姿であったが、その身から滲む妖艶さは拭いきれない。
玉座に座すのは、美しい顔をした青年だった。
名をカール三世と言う、スタルナス帝国皇帝バイエルン=スタルナスの愛妾ベニア=ルーナの兄にして、ルーナ帝国の皇帝。
「ミト=ヴァレンツェ。汝に命ずる。我がルーナに歯向かう愚か者を征伐せよ。汝の死兵師団の力、存分に示せ」
「はっ!」
「ミト」
皇帝の声音が変わる。
今までの張り詰めた威厳ある声から、愛する者を労わる優しい声音へ。
「夜伽を命ずる。参れ」
「は………ありがたき幸せ!」
皇帝の言葉に、女は頬に朱を浮かべ、桃色の吐息を吐き出しながら立ち上がり、鎧を剥ぎ取った。
現れた美しい裸身を見つめ、若き皇帝が笑みを浮かべる。
「ラスカーナ大陸を統一するのは、この俺だ。そして、ミト。おまえは覇皇となるべき男の最初の妾となるのだ」
「有り難き幸せに御座います」
ラスカーナ大陸に大きな野望の渦が巻き起こる。
その矛先を最初に向けられたのは、ルーナと長年敵対関係にあったネヴァット帝国だった。
帝国暦三三二年六月十七日。
静かだが、全くの無音ではなかった。
風が吹き、鐘楼の上の国旗、《力強き銀獅子》の紋章入りの旗を揺らしている。
それとて激しいわけではなく、あるかなしかの風に揺れているだけ………。
皇帝私室の窓を開け、ラインハルトはその美しい顔に風を受けていた。
背後で、扉が開く気配がして、ラインハルトは肩越しに後ろを見やった。
蝋燭立てを持って、シエナが立っていた。
「夏とは言え、夜風は寒いでしょ」
シエナが言ってくる。
蝋燭立てをテーブルの上に置き、ラインハルトの隣に並ぶ。
「うん………頭を冷やしてたんだ。なにしろ、自分の命令一つで人間を殺せる権利を手にしちゃったんだもんな。よくよく考えてないと、なまじ正当化出来るから、自分が英雄なのか殺戮者なのか、あるいはその両方なのか………わからなくなるんだ」
「ライン………深く考えないで。今は疲れを取らなきゃ」
「でも、今夜はラスカーナに似てるんだ」
「ラスカーナに?」
ラインハルトの言葉に、シエナが窓の外を見る。
「街は寝静まってて、真っ暗だろ?まるで全てが動きを休めているかのように。だけど、実は止まってないんだ。静かだけど止まってるわけじゃない。風が吹いて、旗が揺れてる。誰も気付かない内に、ラスカーナも動いてるんだ。誰も気付かないほど静かで、かすかに。だけどその小さな動きがいずれは大きな波涛となって世界を変えてしまう。僕が休んでる間に、世界は大きな変化を迎えるかもしれない。そう考えるとなかなか眠る気分になれないんだ」
微笑みながらのラインハルトの言葉に、シエナはやや小首を傾げた。
風を受けて、繊細な睫が揺れている。
(ライン………)
知らぬ間に、何も知らないと思っていた少年は成長していたのだろうか?
それとも、大陸全ての運命を背負わねばならない………それが皇帝なのだろうか?
「ライン………それでも、今は休んで。反乱を鎮圧したばかりで、身も心も疲れているのよ。世界が変化する時、貴方がしっかりしていなければ、この国は滅びてしまう。貴方の力は確かにとてつもなく大きい。でもそれも、貴方一人では使えない力なのよ。民にとっても、軍人にとっても、皇帝は必要な存在なの。だから、休んで。貴方のその力はこの国の人たちを守るための力なのよ」
「………。そうだね、シエナの言うとおりだ。休むよ。でも、もう少しだけ、もう少しだけ、空を見ていたいんだ。明日の夜には嵐になっているかもしれないだろ?今夜の風はとても穏やかで、僕の気分も穏やかになるんだ」
「………ええ。私も一緒に見てるわ。本当に、良い風」
風を受けて、気持ち良さそうに二人は目を細めた。
「………うん」
ラインハルトの青い瞳は、何を映しているのか。淡い微笑を浮かべたその横顔はやはり美しく、シエナにも、ラインハルトの考えている事はわからなかった。
世界は静かに、平和に過ぎている。少なくとも、人々はそう思っている。だがその底流で、世界は常に動いている。緩やかに、だが確実に。
世界は破滅へと向っているのか、或いは、雲が晴れ、隠されていた光の登場へと進んでいくのか。
それを知る者は、未だ居ない。この青い瞳を持つ金髪の少年が、世界を変える力を持っていることも。
そしてこの金色の瞳を持つ銀髪の少女が、皇帝ラインハルト=シーザーを支える力を持っていることを。
部屋の隅からエメラルドグリーンの瞳を細めてそんな二人を見据えている黒髪の剣士にも、他の誰にも、わからないだろう。
『新皇帝即位』 完