覇皇伝
第四章 直轄領行幸
第四章 直轄領行幸
1 出発
帝国暦三三二年、六月八日。皇帝に即位してから一ヶ月余。
皇帝ラインハルト=シーザーの直轄領行幸が公表された。帝都周辺の直轄領を廻る、四泊五日の予定だ。
随行するのは滞在中の隣国ルシタニア連合王国の王子レオン=ルシタニア、宰相オルンヘル=クリケット伯爵、財務尚書ウェンヒルグ=ローレンス男爵等文官およそ百名、第二軍第一歩兵師団及び近衛騎士団の計三万名。ただの巡回にしては随行する軍勢が多すぎる。
だが、少しでも事情を知っている者達はこの随員兵の多さを不思議とは思わなかった。
オルンヘル=クリケットの掌握している帝国府とアリーニ=アウグウェルツが会長を務めている貴族連盟の間に根深い対立があり、しかも最近では君側の奸を討つと公言する者達も多い。
帝都防衛隊がそれらの不逞な輩を拘束して廻っているが、既に反乱の噂は帝都中に広まっていた。
きな臭さを感じて、帝都を引き払い、田舎に引っ越す気の早い者も出始めている程だ。
帝国府にある宰相執務室にて。宰相オルンヘル=クリケットは白髪の眼光鋭い男と向き合っていた。
オルンヘルはコーヒーカップを手に取り、一口中身を啜って、男に聞いた。
「それで、スタルナスの動きとは?」 「はっ………」
鋭い眼光もそのままに、エシュアは語り始めた。彼はここ数週間という物、スタルナス帝国に部下を送り込み、調査していたのだ。そして、スタルナス帝国の帝都ガーフィールドの帝宮、その後宮へと潜り込んだ部下から報告が届いた。スタルナス帝国皇帝バイエルン=スタルナスはかつて、「毒蝮」と呼ばれて、隣国に恐れられていた。だが、先のエルベス川の戦闘によって大敗を喫したスタルナス帝国は深刻な国内の疲弊という問題に直面した。なにしろ彼らが戦っているのは大陸最強の超大国フロレシア帝国なのだ。フロレシア帝国ですら破綻寸前に追い込まれた財政難。スタルナス帝国はより深刻な状況にあった。そこでバイエルンは外交努力によってこの劣勢を挽回しようと考えた。
いや、あるいはただ単なる時間稼ぎのつもりだったのかもしれないが。
スタルナス帝国の南を境に接している小国ルーナ帝国。総兵力二十万足らずのこの小国と対等の同盟を結んだのだ。そして、一年前に皇位を継いだばかりの皇帝カール三世の妹、ベニア=ルーナを正妻として娶った。時に、バイエルン=スタルナス四十八歳。ベニア=ルーナ十七歳である。
誰がどう見ても政略結婚。さしずめバイエルン=スタルナスの狙いはまだ若いルーナ帝国皇帝の後見人という立場を得て、しまいにはルーナ帝国をスタルナス帝国に併合しようというもの。
それがわかっていながら、小国であり、しかも隣国のネヴァット帝国と紛争を起こしていたルーナ帝国は仕方なくこれを諒解した………。これが、主な知識人の一般的な見解であった。
だが、ここに恐らくはバイエルン自身も予想外と思われる事態が起こる。
バイエルンが、ベニアを溺愛したのだ。十七歳の少女とは思えぬ妖艶さを秘めたベニアの美しさに、牡としての本能を呼び覚まされたバイエルンは夜毎の交わりで与えられる、ベニアの性技が齎すめくるめく悦楽の世界に溺れた。婚姻を結んでからまだ僅かに半月あまり………。
既に、バイエルンはベニアの、そして影で糸を引くルーナ帝国皇帝カール三世の思いのままに動く操り人形と化していた。無論、スタルナス帝国の宮廷内に人物が居なかったわけではない。
だが、大抵の者は魔性としか呼べぬベニアの色香に魅了され、諫言する勇気のある者もバイエルンの怒りを買って処刑されるだけであった。そして、後宮内に忍び込んだ暁の諜報員が見た物は、豪華な寝台の上に力なく横たわる、かつての生命力に溢れていた面影の欠片も無いバイエルンと、彼の腰に跨って、妖しく腰を揺さぶるベニアの姿だった。蝋燭の火だけという、暗い空間に、ベニアの妖しくぬめるように輝く裸身だけが、浮かび上がっていた。そして、エシュアははっきりと聞いたのだ。
バイエルンの耳元に口を寄せ、息を吹き込みながら囁いたベニアの言葉を。
「―――それで?なんと言ったのだ?」
オルンヘルが聞く。エシュアは淡々と、事実だけを述べる。それがどんなに卑猥で、生々しくとも。
「―――わたくしめに、フロレシアをください、と」
「う~む………」
オルンヘルが難しい顔をして黙り込む。
「ルーナ帝国。怪しいと睨みましたゆえ、部下を数人送りました」
「うむ………しかし、ルーナのカール三世、か………」
南西部の小国だと思っていたが、何を企んでいるのか。
「………。それで?スタルナスの動きとは?」
「バイエルン皇帝はすぐさま近臣を呼び、こう御命じになられました―――キエフ=ロドリナスを呼べ、と」
「キエフ=ロドリナス………!あの男を、か!」
「はっ」
キエフ=ロドリナス。
それはフロレシア帝国臣民にとって恐怖の代名詞であった。スタルナスの英雄、キエフ=ロドリナス。戦術・戦略・軍政共に目覚しき才能を有する、スタルナス最高の名将だ。
「それで、キエフ=ロドリナスがどう動いたのだ?」
「兵五万を与えられ、国境に向かっております」
「五万?」
オルンヘルが眉根を寄せる。
軽く小当たり、というには多すぎるし、この機に乗じて一気に攻めようというには少なすぎる。
なにしろスタルナスと境を接している西の国境には第六軍が張り付いている。
この微妙な数字は何かを意味しているのか。
それともただ単に、今スタルナス帝国が動員できる最大兵力が五万だったのか。
「そうか。ならば第六軍に警告を―――」
「それは止した方が良いでしょうな」
「どうしてだ?エシュア」
「我々がスタルナスの動きに気付いたと知れば、反乱は未発に終わる可能性もあります」
「う~む………」
「むしろ、彼らにはやりたいようにやらせるべきです。さすれば、安心して獲物は穴から出てきます。無論、キエフ=ロドリナス殿を簡単に御国に帰す必要もありません」
淡々と語るエシュアの目は、やはり鋭かった。
帝都の裏町にある小さな酒場。ここは小さいながらも料理が旨く、酒の種類も多く取り揃えている為、帝国軍の中級士官を中心に愛好されていた。
「こんな反乱の噂が出回っている時期に直轄領巡回ってのは一体、何を考えてるんだ?」
心底わからないと言う口調で呻いたのは、赤髪の青年だった。黒っぽい帝国軍の軍服を着ているが、上着のボタンを全て外している。カウンター席に座り、グラスに注がれた琥珀色の液体を口に含む。
喉が焼けそうな強いアルコールが、胃に落ちていく。
「こんな時期だからなんじゃないかな」
赤髪の青年の質問に答えたのは赤髪の青年の隣の席に座っていた青髪の青年だ。
こちらは上着のボタンもしっかり上まで留めている。赤髪の青年が単純そうな体力馬鹿みたいな性格をして居るのに対し、青髪の青年は頭を動かすのが得意で、大人しそうな性格をしているように見えた。
「どういう事だよ?」
「反乱の目的は何さ」
「君側の奸―――宰相を殺す事だろ?」
「だったら、その宰相が帝都に居なかったら、カーンならどうする?」
「どうするって、お前なら俺の性格を把握してるだろ?オットー」
「そりゃね。君なら帝都を出て、宰相を追う。違うかい?」
「違わない」
「つまりはそういう事だよ」
二人の名前は赤髪の方がカーン=オルベニー。年は二十一歳。第二軍第一歩兵師団第一歩兵連隊第一歩兵中隊長という役職にある。青髪の方はオットー=セルバン。年は同じく二十一歳。第二軍第一騎兵師団第一騎兵連隊の第二中隊長という役職にある。二人は士官学校の同期生である。
「今回の巡回に第一歩兵師団が随行するんだってよ」
「それがなんだよ、もったいぶらずに早く言えって」
オットーの遠まわしな言い方に、焦れたようにカーンが急かす。
二人は髪の色や顔立ちだけでなく、性格も正反対だ。
それゆえに、衝突する事がなく、友人関係を続けていられるのかも知れない。
オットーは口元に微かな笑みを浮かべて、無色透明の酒を舐めるように飲んで、焦らす。
「巡回の間に、第一軍が反乱を起こすって事だよ」
「なんだって?おまえ、そんな情報何処で―――」
「しっ。静かに」
大声を上げかけたカーンの口を、オットーが塞ぐ。
酒場の中には、第一軍の士官も居る。カーンもすぐにその事を察して頷いた。
手を離し、辺りを窺う。幸い、こちらに注意を向けている人間は一人も居なかった。
カーンはグラスに残っていた酒を一気に飲み干し、
「マスター、もう一杯」
「畏まりました」
白髪、白髭、長身痩躯の酒場のマスターは礼儀正しく答え、棚から瓶を取った。
瓶の中には、細長い生き物が入れられている。
「蝮は精力がつくからな。お前も飲んだらどうだ?」
マスターが酒を注ぐのを見ながら、カーンが勧める。
オットーは自分のグラスの中に入っている酒をぐるぐると回転させながら苦笑し、
「僕は別に良いよ。とりあえず、精力を毎夜のように磨り減らす訳でもないし」
「ったく、女を抱かないなんて、男として人生がつまらなくないか?お前んとこの連隊長は結構美人だって評判じゃねぇか」
「レフィナが?まだ子供だよ?」
「その子供に階級で負けてるお前はなんなんだ?」
「ギルもそう言ってるよ」
「ああ。お前の同僚な、あいつは最近調子どうなんだ?」
「相変わらず。レフィナに振り回されてる」
「はい、お待たせ致しました」
「おう」
マスターからグラスを受け取り、カーンはいきなり真面目な表情になり、
「それで、さっきの情報の出所は何処なんだよ」
「さっきの情報って?」
「惚けるなよ、オットー。直轄領巡回中に反乱が起こるって話しだ」
「別に情報源なんかないよ」
「なんだ、勘か?」
「せめて推測って言ってよ。でも、宰相とかはそう思ってるんじゃないかな?」
「うーん………まあ、もし反乱が起きれば俺が《風の槍斧-ヤーナス》で叩き斬るだけだ」
「僕も実戦に出たいよ。僕だって《獣の槍-ハンニス》で暴れて見たいよ」
二人はエルベス川の戦闘において大きな功績を挙げ、その褒美として精霊具を与えられたのだ。
「反乱か………皇帝即位後の、初の大きな戦になりそうだな」
「わくわくする?」
「今回の皇帝は良い奴かもな。もしくは、宰相が、か」
「どうして?」
「巡回に出るってのは要は反乱が起こったときにルーガの市民を巻き添えにしない為って事だろ?」
「さあね。そうかもしれないし、もしかしたら市街戦だと殲滅が難しくなるからかもしれないよ。それに反乱の情報を得ているのなら未然に首謀者だけを拘束する事だってできるはずだよ。それをしないと言うのは、つまりは反乱勢力を完璧に潰したいってだけなのかもしれない」
「うーん………わからねえな」
「カーン?」
「俺は軍人だ。軍人は政治の事は考えねえもんだ。反乱軍が立つんなら、俺はそれを潰すだけだ」
「カーンらしいね」
オットーは苦笑して、蝮酒を飲むカーンを見やった。
出陣式のような物も何もなく、整列した第一軍第一歩兵師団の先頭集団が動き出した。
朱雀通りの沿道は皇帝の姿を一目見ようと集ってきた人々で大変な騒ぎになっていた。
帝都防衛隊の兵が必死に通りに入ろうとする者達を抑える。歩兵達の先頭には鹿毛の馬に跨った師団長の姿があった。鋭い武人らしい輝きを宿す金色の瞳、髪は銀で風にかすかに揺れている。
第一師団長、シオン=クリケットだ。
「三万で、十八万を相手にする、か」
「面白いじゃないすか」
独り言に返事を返されて、シオンは視線を声のした方に向けた。
赤髪の青年が、黒毛の馬を歩ませていた。第一歩兵連隊長のアレク=ハーベストだ。
「アレク。俺は戦が嫌いなんだよ」
「なんで?俺は好きだけどな」
「女を抱けない夜なんて俺にとっては拷問以上にキツイ」
真面目な顔をしてシオンはそんな事を口走った。アレクも思わず苦笑いを浮かべ、
「ったく、シオン兄には適わないな。俺も女好きだけどあんたには勝てないよ」
「当たり前だ。経験が違うだろ、経験が」
シオンも笑う。二人はフロレシア帝国軍でも双璧を成す程の女垂らしとして有名なのだ。
「だが、それだけが理由じゃねぇよ。第一軍の連中はエルベス川でも肩を並べて戦った戦友だろう。その戦友を殺さなきゃいけないなんて思うとな」
さすがに貴族出身の軍人なだけあり、シオンは戦に正義を求める傾向がある。
それに比べてアレクは平民出の為か、それとも『父親の七光』と言う悪評から逃れるために常に己の身を死地に置いてきた為か、シオンに比べて遥かに世間と言う物を知っている。
「軍人ってのはそう言うもんだろ。昨日の敵が今日の友。その逆もまたしかり」
「わかってる。少なくとも、わかっているつもりではある」
「頼むぜ、師団長閣下。あんたが指揮官なんだ」
「わかってる。おまえは自分の連隊をしっかり纏めろ」
「残念ながらリーナが居る限り、俺の連隊は死線へも平気で飛び込んでいく馬鹿ばかりなんでな。纏めるのは楽だよ」
「おまえが纏めてる訳じゃないんだろ?」
からかうような口調で、シオン。アレクが肩を竦め―――そのまま、彼らは凱旋門を抜けた。
「いよいよだね、父さん」
「ああ。心の準備は出来ているな?」
白馬に跨り、進む皇帝正装に身を包んだラインハルトと彼の隣で馬を歩ませるオルンヘル。
逆側には近衛騎士団の白銀の甲冑に身を包んだアミリア=ホーンが馬を歩ませ、後ろには直護衛のヴァン=ブレイスが続く。周りは近衛騎士団の一個中隊がぐるりと取り巻き、物々しい雰囲気だ。
第一歩兵師団も近衛騎士団も何処となく緊張感が漲っており、とてもただ巡回に行くだけのようには見えなかった。だが、反乱がまことしやかに噂されている現在の状況を考えれば別におかしな事でもないと誰も気にしなかった。
オルンヘルは前を向いたまま、ラインハルトの耳にだけ届くような調整された声で続けた。
「帝都を離れても、帝都の情報は逐一暁が伝えてくれる。反乱が起これば近在の第二軍部隊と合流し、迎撃体勢を整える。私は文官で、戦の事はわからないから、そこまではとりあえずシオンに任せてある。ハーンが合流すれば速やかに指揮権はそちらに移る。近衛騎士団は基本的に旗本としてお前の護衛に徹する」
「覚悟は出来てる………と思う」
ラインハルトの言葉にはあまり自信と言う物が感じ取れなかった。
オルンヘルはちらっとラインハルトの方を見やり、言った。
「―――ならば良い」
2 直轄領巡視
帝都ルーガを出発した皇帝一行はラスカーナ大陸を東西に横断するアルカディア街道を通って、今回巡回する直轄領、その最初の目的地トリコへ向かった。ゆっくりと進めば一日掛かる道程だ。
街道は草原の中をまっすぐに伸びている。
広大な草原地帯をまっすぐに貫く、大街道アルカディア。
豊かな穀倉地帯を抱えるフロレシア帝国だったが、そのほとんどはこのアルカディアの耕作地だ。
ただ穀倉地帯であるだけでなく、交易の枢要地でもある。
貿易国家フロレシアの利点はこのラスカーナ大陸の中央部にその国土を有している事だ。
南北東西、すべての街道がフロレシア帝国内で合流する。
その合流地点こそが、帝都ルーガ、不滅の都、永久の都と呼ばれる場所なのだ。
それゆえに、アルカディア街道の周辺は全て皇帝直轄領となっている。
「アルカディア街道だけでなく、貴族の荘園領内を通過する街道にも多数の関所が設けられており、商人達は多額の通行税を支払わなければならず、難儀しています」
体型上馬に乗れず、一人だけ輿に乗って居るウェンヒルグ男爵が言った。
「そうなんだ」
ラインハルトは一瞬だけオルンヘルと視線を合わせ、彼が何も言わないのを確認した。
つまりはラインハルトに一任すると言う事だ。
ラインハルトは簡単に頷いて、
「全廃しよう。貴族の領内の関所はまだ無理かもしれないけど四街道だけでも廃せば隊商とかも少しは楽になるでしょう?」
「大いに変わると思います。隊商が交易に必要な経費を減らす事になれば、その分、物価が下り、資金が潤沢に回転するようになります」
「トリコに着いたら正式な文書にサインするよ」
「早速のお聞き届け、誠にありがとうございます」
「いや、こっちこそ。国を良くするための献策ならいつでも受け付けるよ」
輿の上で窮屈そうに身を屈める男爵に、皇帝は気さくな微笑を向けた。
トリコの街は帝都に近い為もあって、辺境の村々に比べればまだまだ豊かな方ではあったが、それでも昨年は多くの餓死者が出たと言う。
エルベス川の戦闘に備える為に、備蓄していた食糧を徴発されたのがその主な原因だった。
トリコを管轄している市長の官舎は街の真ん中の広場に面した場所にあった。
実際の巡視はオルンヘルを初めとする帝国府の人間が行い、ラインハルトは早々に宿舎に引き上げた。
室内には直護衛のヴァン=ブレイスしか居ない。
「―――ヴァン」
「―――はい」
十五分ほどじっとしていた皇帝がそう言って立ち上がった。
黒髪とエメラルドグリーンの直護衛は扉の脇に立ったまま、微動だにせずに答える。
「余も町に出るよ」
「―――その姿では目立ち過ぎます」
賛成も反対もせず、ヴァンは言った。
確かに今のラインハルトの姿は皇帝正装の、白鎧の上に純白の戦衣を纏うと言う派手な物だ。
元々が黄金の髪に蒼い瞳、そして繊細な顔立ちと目立つ容姿なのだ。
例えこれが皇帝正装だと知らなくともこれはかなり目立つ。
結局、服を庶民用の物に替え、髪は帽子を被る事で隠した。
扉の前には近衛騎士団の騎士が居る。
ラインハルトは彼らに外出する事を告げた。
騎士達は自分達もついて行くことを望んだが、近衛騎士団の白銀の甲冑は皇帝正装と同じく目立つので、ラインハルトは断った。
護衛ならばヴァンが居れば十分なのだ。
市長官舎を出たラインハルトはヴァン一人だけを連れて、歩き出した。
市長官舎を中心に、トリコの中心にある広場には近衛騎士団の兵士達が警戒にあたっている。
第一歩兵師団は帝都からの反乱勃発の連絡が入り次第活動が可能なように街の外で野営している。
しかし、歩兵師団長のシオン=クリケットとアレク=ハーベストを初めとする連隊長達はトリコに入っていた。
トリコの住人達はかつての先帝時代などの軍の横暴さを知っているだけに、軍に対し警戒や敵意の眼差しを向ける者も多い。
しかし、皇帝直属である近衛騎士団やハーン=ハーベスト、シオン=クリケット、アレク=ハーベストなどの首脳が軍規を正し、厳しく統制している第二軍団、特に第一歩兵師団の兵士達は住人達にも礼儀正しく接していた。
石で舗装された街路は馬車などの往来によって轍が刻まれている。
この轍の幅に合わず、溝に車輪を取られ、立往生してしまった馬車を溝から出し、車輪を直したり。
大きな荷物を抱えて歩く老婦人を背負い、荷物も運んだり。
最初は警戒していた人々も、とりあえず体の緊張だけは抜いたように見える。
人々の間には笑顔も見え、街には帝都ルーガの忙しい活況とは異なる、長閑な明るい空気が流れていた。
と、その時。
「ねえ、君、可愛いね?一緒にお茶でもどうだい?俺はこの街に来た事がないからいろいろと案内して欲しいんだけどさ」
「ええ、どうしようかなぁ」
「奢るからさ。良いだろ?」
「うん………でも、変な事しない?」
「しないしない、した事もない」
いかにも女垂らしな感じの話し声が聞こえてきた。
声は表通りから一本入った裏路地から聞こえてきた。
ラインハルトは何の躊躇いもなく、角を曲がり、
「アレク=ハーベスト第一歩兵連隊長!」
「うげっ!?」
金髪の女の子をナンパしていた赤髪の青年が跳ね上がるようにして振り向いた。
「な、なんだ………ラインか」
「うわぁ………綺麗な顔ぉ………」
女の子はぼうっとした顔で、潤んだ瞳をラインに向けて呟いた。
まだ十五、六歳、ラインともそう年が離れていないであろう少女だ。
アレクはちっと舌打ちを漏らして、
「人がせっかく声を掛けてた女をそう簡単に取ってくなよな」
「御免御免。えと………シオン兄は?」
「シオン兄ならさっき二人の美女の腰を抱きながらでかい家に入って行ったぜ」
「二人も!?」
「あの人ならそん位当たり前だろ?んで、お前も女を抱きたいのか?」
「違うよ。町を見て廻ってるんだ」
「そうかい。それじゃ、俺もこれからこの子と楽しむから」
「うん」
「さあ、行こうか」
「私はあの御方と―――」
「ああ、駄目駄目。あいつ、女には興味ないんだ。男にしか」
「はぁ、そうなの?でも、そうよね、これだけ美しいなら」
「こらこら、アレク!変な噂を吹き込むのは止めてよ」
「構わないだろ。お前の正体がばれてる訳でなし」
「だけどさ………」
「気にすんな。さあ、行こうか」
「ええ」
少女はまだ未練たらしい眼差しをラインに向けながら、アレクに腰を抱かれて去って行った。
ラインははぁ、と嘆息して表通りに戻った。
そこに元の体勢のまま待っているヴァンの姿があった。
ラインは少しだけ悪戯心を起こして、
「ヴァンも女の子と遊びたい?」
「…………」
ヴァンは答えず、ただエメラルドグリーンの瞳でラインハルトを見据えるだけだった。
ただ見つめているだけなのかもしれないが、ラインはその視線に一種の圧力を感じ取った。
「御免。ただの冗談だよ、気にしないで」
「―――はい」
ラインハルトはトリコの街を一通り見て廻り、市長官舎に戻った。
豪華な夕食が用意された食堂にはオルンヘルやウェンヒルグ、アミリアやレオンなどが集っていた。
一同はそれぞれ軽い挨拶を交わし、席に着く。
レオンもオルンヘルの巡回には付き合わず、レフと共に自分達で町中を回っていたらしい。
彼は褐色の肌の中で、赤い宝石のように輝いている瞳を見開いて、
「素晴らしいところですね。帝都に近くて隊商なども多く滞在しているのに、忙しくもなく長閑な空気が流れていて、非常に平和な雰囲気でした」
「うん。余もそう感じたよ」
盟邦の王子が自分と同じ感想を抱いている事が、ラインハルトは嬉しかった。
宰相は喜々として自分の見聞きした事を話すレオンの様子を冷静な目で見つめて。
「ルシタニア連合王国にとって易になるような事が発見できましたか、殿下?」
レオンはくるりとオルンヘルに向き直って、大きく頷いた。
「ええ、非常に良い経験になりました。それにこの町に来る途中に陛下が採決成された四街道の関所廃絶など実に見習うべき事だと思います」
「ルシタニア連合王国側の関所も廃止されれば、両国間の貿易はさらに盛んになりましょう」
「はい。国に帰ったら父上に諮って実施したいと思います」
「宜しく御願いします」
ウェンヒルグが額に噴き出た汗を盛んに手拭で拭いながら頭を下げた。
「―――それで、宰相、結果はどうだったの?」
食事を続けながら、皇帝が問う。
「―――はい。税に関する不正の証拠はありませんでした。帝都のすぐ傍だったから不正を働けなかったのか、それとも我々が訪れる前に証拠を隠滅したか、いずれかでしょう」
「でも、帝国府に規定書類をしっかり提出してあるんでしょ?」
「はい。書類に不審な点はありませんでした」
「だったらここの市長がしっかりとした統治をしていたと言う事ではないの?」
「そう言う見方もありますな」
鹿肉と思しきステーキを優雅に切り分けながら、オルンヘルが頷く。
そして話題を変えた。
「どうやら最近、治安の状況が良くないようです」
「治安が?」
「僕が見た限りでは別に治安は悪くないようでしたけれど?」
オルンヘルの言葉が解せず、ラインハルトとレオンが顔を見合わせる。
オルンヘルは微かな苦笑を漏らして、
「町の内部は問題ありません。トリコにも第二軍の部隊が駐屯し、治安維持にあたっていますから。だが、トリコに駐屯している第二軍部隊は一個中隊に過ぎず、とても町の外にまでは手が回らない。町の外では盗賊などが横行し、隊商などにも被害が出ているようです」
「それで、盗賊の討伐隊を編成するの?」
横目でレオンを見てから、聞く。
レオンには第一軍の反乱の事は話していない。レオンもそんなラインに視線を向けてきた。その赤い瞳が少し潤んでいるようにも見えるのはいきなり話しが物騒になって来たからであろうか?
しかし、そうではなかった。彼は既に反乱の事を知っていたのだ。
(さて、陛下、どうするんですか?)
彼はそんな、ラインハルトの事を試すような思いで皇帝の事を見つめていたのだ。
「今は直轄領の巡回中であり、兵力を割くのも不適当でしょう。帝都に戻ってより、トリコ駐屯の部隊増強を考えるべきだと思います」
現在、トリコには近衛騎士団、第二軍第一歩兵師団と言う計三万名の兵力が居る。
これだけの兵力が有れば盗賊を討伐する事など数日で事足りる。しかし、その数日が肝要なのだ。その数日の間に帝都で第一軍が立てば、速やかに迎撃の体勢を整えなければならない。そのような状況で兵力を細分化しなければならない盗賊討伐などに兵を割く事は出来ない。
エシュアからの報告では反乱の結構予定日は六月十日。もう間近なのだから。
「予定も詰まっています。今日はゆっくりと休み、明日には出発した方が良いでしょう」
(………結局、宰相の操り人形に過ぎないのかな?)
レオンがそう思い、やや落胆していると、ラインハルトがかちゃりとナイフとフォークを皿の上に置いた。
「宰相、盗賊の隠れ家はわかっているのかい?」
「―――何をお考えで?」
オルンヘルの眼光が皇帝を見据える。が、皇帝も負けてはいない。
蒼い瞳をしっかりと開いて、宰相を見つめている。
「予定は一日ほど遅れても余は構わない。それよりも、余の民が苦しんでいるのを看過する事は出来ない。被害が出ているのなら尚更の事。帝都に戻ってからなどと悠長な事を言ってはいられないと思う」
暫く睨み合いが続いた。食堂になんとも言えない緊張感が漲る。観念したように宰相は息を吐き出し、宰相は食器の上にナイフとフォークを置き、ナプキンで軽く口元を拭った。
「東の山です。山と言っても然程の高さがある訳ではない様子。ただ、盗賊の頭領は腕が立つと言う事で、一度送った討伐隊も返り討ちにあったそうです」
「返り討ちって、全滅って事?」
「いえ。死者は一人も出ていません。全員が負傷していたものの、致命傷に至る者も無く」
「―――どういう事?」
「帝国軍兵など手加減していても捻り潰せると力を誇示したかったのでしょう」
「人数は?」
「多くはありません。多くとも数十名」
「そう。………後で僕の部屋にアレクを呼んでくれないかな?」
「畏まりました。陛下」
そして、何事もなかったかのように食事が再開された。
夕食の後、ラインハルトの為に用意された一室に、アレクは不機嫌そうな顔で入って来た。
「おまえ、俺になんか恨みでもあるのか?」
「え?」
「これから七回戦をやろうと思っていたところにいきなり呼び出しなんか掛けやがって」
「―――まだやってたの?」
「ったりめーだろうが。朝までやるつもりだったんだよ」
もう呆れるしかない。
しかし、アレクは当然だと返し、そのまま応接用のソファにどっかりと腰を下ろす。
「んで、なんで呼んだ?」
アレクは勝手に棚から酒を持ち出し、喇叭飲みを始めた。
ラインハルトは別にそれを咎めようとはせずに、アレクの正面のソファに腰を下ろした。
「これから盗賊退治に行くんだ」
酒を飲むアレクの喉の動きがぴたりと止まった。
ゆっくりと酒瓶を離し、瞬き数回。
出て来た言葉は………。
「―――はぁ?」
3 盗賊退治
「―――盗賊退治だぁ?本気で?しかも、今から?」
アレクはまじまじとラインの顔を見据えて。
「酔ってるのか?」
「酔ってないよ、それに本気だよ」
苦笑と共に、ラインハルトはそう答えた。そして、トリコ近郊の盗賊の事を手短に説明する。
説明を受け、どうやらラインが本気だと言う事に気付いたアレクの目が急に輝きだした。
特に討伐隊が死者もなく、全員が撃退されたと言う話を聞いて、彼は興奮の余り不謹慎にも口笛を吹いてしまった。
「面白そうじゃねぇか。気に入った。その盗賊、この俺様が倒してやる」
「うん。アレクはこの盗賊を倒すのにどれぐらいの兵が要ると思う?」
「相手は数十人なんだろ?兵は要らねえ、俺と後は俺の手柄を検分する為にお前、お前の護衛、後は俺の部下を二人。これだけで十分―――」
「待ってください」
声は部屋の外からした。扉の脇に立っていたヴァンが素早く剣に手を掛ける。
「レオンだよ」
知っている声だったので、ラインはヴァンを制し、開けるよう目で指示した。
ヴァンが扉を開けると確かにそこにはややくすんだ金色の髪、耳の辺りにだけ生えている緑色の飾り毛、褐色の肌に真紅の瞳を持つレオン=ルシタニアと鋭い眼差しをした初老の紳士と言った出で立ちのレフ=スタッカートが立っていた。レオンもレフも腰に剣を佩いている。
レオンは純粋な微笑を口元に浮かべて、
「盗賊退治に僕達も加えて下さい、陛下」
「―――でも君は国賓だし」
「それを言ったら陛下は皇帝じゃないですか」
渋るラインハルトに、レオンはあっさりとそう返し、
「これでも一応、剣には自信があります。レフも紅茶を淹れるのと同じ位剣もできます」
「まあ、良いんじゃないか?」
アレクは早く行きたいと言う一心で適当な事を言う。
「わかったよ、レオン。でもあまり無茶をしないでよ?」
「わかってます、陛下。陛下に迷惑が及ぶような事はしません」
「迷惑だなんて思わないけど………ちなみに言って置くと僕は剣、ぜんぜん駄目だからね」
「心配すんな。俺、レオン殿下、レフ殿、それにそこに居るヴァン、俺の部下のリーナとカーンが居れば数十人程度の盗賊に後れを取るような事はねえよ。最もレオン殿下とレフ殿の技量は知らないが」
「ルシタニアの剣技は賊徒などに劣りはしない」
初老とは思えない鋭い眼光で、レフが言い放つ。
アレクはひゅう、と口笛を吹いて。
「すごい自信だな。腕は実戦で見せて貰うぞ」
「良いだろう」
かくして、盗賊討伐にレオンとレフの参加が決定した。
夜陰に乗じて市長官舎を抜け出した一行は途中、街の外に野営している第一歩兵師団からアレクの副官であるリーナ=セレシコフと彼の元で中隊長を務めているカーン=オルベニーを叩き起こし、盗賊が巣食うと言う小山へと向かうのだった。
盗賊の砦はオルンヘルの情報どおり、トリコに程近い小山にあった。
「―――で、どういう作戦で行くの?」
門に近い茂みに潜んで、ラインハルトがアレクに訊く。
門とは言え、扉などは無く、ただ門の枠だけが残っている。
元はそれなりの砦であったが、放棄されたものなのだろうか。
今では、その放棄された砦を盗賊達が使っているのだろう。
門の前には見張りの姿もあり、砦の中からはさらに多数の人間が居ると思われるざわめきが聞こえてきている。
「裏手に回るべきでは?裏側ならば警備も手薄なのではないですか?」
提案したのはレオンだった。腰の剣に手を掛け、いつでも抜けるように構えている。
ラインハルトもそう思っていた。一度に大勢を敵に回すのは愚かな事だ。背後から急襲し、頭目だけ捕らえる。ただの賊ならば頭目が倒されたと知れば逃げ散るだけだろう。
が。
「まだるっこしい。真正面から乗り込むに限るだろ」
アレクはいとも簡単にそう言うや否や、茂みから駆け出して行ってしまった。
予め心得ていたかのように、彼の部下二人、しっとりとした黒髪を持つリーナ=セレシコフと炎の如き赤髪を持つカーン=オルベニーも飛び出していく。
「なんだ、貴様―――!」
見張りが気付いた。さすがは討伐隊を撃退するだけあり、その動きは滑らかだった。
速やかに腰の剣を引き抜き、アレクに切りかかる。
「なっ―――!?」
見張り達の剣が、アレクが高速で移動した後にできた残像を引き裂く。
手応えの無さに、見張り達は思わず声を上げたのだ。
その次の瞬間、見張りは後方に回りこんだアレクによって鞘に収められたままの剣で殴られ、気絶した。
他の見張りもリーナ=セレシコフの鎌やカーン=オルベニーの槍斧によって無力化されていた。
しかも、討伐隊に死者を出さなかった盗賊に対抗意識を燃やしてか、打ち倒された三人とも死んでいなかった。一撃で昏倒させられたのだ。
「出て来いよ」
「―――すごいな」
呆れ果てて苦笑しつつ、ラインハルトは隠れていた茂みから出て行った。
直護衛のヴァン、レオン、レフなども後に続く。
「このまま一気に殲滅する。皆、俺の傍から離れるなよ?特にライン。おまえはヴァンから決して離れるな?」
「わかった」
「よし。―――突っ込むぞ!」
剣を引き抜き、アレクが門の内側に駆け込んでいく。
一同もその後に続いた。
砦とは言え、規模はそんなに大きくない。母屋と厩、物見櫓があるだけだ。
中庭には数十人の男達が焚き火を囲んで、酒を飲み交わしていた。
彼らはいきなり乱入してきたアレク達を見ても、最初は敵だと言う事に気付かず、そのまま宴会を続けていた。しかし、アレクは仁王立ちになって、天に剣を突き上げて、
「俺はフロレシア帝国軍第一軍第一歩兵師団第一歩兵連隊長、アレク=ハーベスト!無辜の民を難儀せしめる悪逆不逞の奴輩は、この俺が成敗してくれる!者ども、散れ!」
「さっきと言ってる事が違う!」
「うるさい!臨機応変こそ名将の条件だ!」
アレクの名乗りに盗賊達が呆然としている間に、アレク=ハーベスト、リーナ=セレシコフ、カーン=オルベニー、レオン=ルシタニアが散開して、盗賊達に襲いかかった。
レフ=スタッカートはレオン=ルシタニアの後方に従い、長刀を振るっている。
アレク=ハーベストの炎の如き乱髪が激しく踊り、それ以上に激しい動きでアレク自身が跳ね回る。
その度に打撃を受けた盗賊が倒れていく。
リーナ=セレシコフのしっとりとした魅力を備えた黒髪が優雅に広がり、品良く纏まる度に、虚空に人の首なんか簡単に切り落とせそうな巨大な鎌が閃き、刃の背で盗賊達を殴り倒していく。
カーン=オルベニーはとにかく駆け回り、刃に覆いを掛けて殺傷力を抑えている《風の槍斧-ヤーナス》で盗賊を打ち倒していく。
レオン=ルシタニアは天真爛漫かつ軽快な動きで剣を振り回し、縦横無尽に動き回って盗賊達を翻弄する。
レフ=スタッカートは常にレオンの死角を補いつつ、強力な一撃で、最小の動きで確実に盗賊の戦闘能力を奪い去る。
ラインハルト=シーザーはそんな者達の戦いぶりをただ呆然と見守っているだけだった。
眼で追うのもやっとなほどの速度で、何がどうなってるのかもわからないうちに盗賊達が減って行く。
「や、野郎ッ!!」
一人の盗賊が、リーナに突進する。拳を握り締めて。女であるリーナを最も与し易いと思ったのだろうか。それを見たアレクとカーンが同時に呟く。
「止めときゃ良いのに」
「哀れ」
リーナは温和な顔に、ほんわかとした笑顔を浮かべて、盗賊に向けて掌を掲げた。
ぱしっ。
「―――なっ」
自分の渾身の拳を簡単に受け止められて、盗賊の表情に驚愕の色が浮かぶ。
リーナはほんわか笑顔のまま、
「―――私は野郎じゃなくて、女ですよ」
「ほえ?………ッギャアアアアッ!?」
盗賊が激痛に絶叫する。リーナが彼の手首を掴み、捻ったのだ。盗賊の体が空に舞い、地面に叩き付けられる。ラインハルトはそんな鮮やかなリーナの手並みに見蕩れていた。
「―――危ない、陛下!」
注意を喚起する声で、ラインははっと我に返った。
気付けば、一人の盗賊が錆刀を構えて駆け寄ってくる姿があった。
「あ―――」
慌てて剣を引き抜こうとするが、動きが遅い。アレク達とは異なり、彼は剣の稽古すらまともに受けた事が無い剣に関しては全くの素人なのだ。しかも、彼の腰にある覇皇剣は子供が扱うような短い物ではなく、大人用の長剣なのだ。と、その時、二人の間に割って入る影があった。
全く気配を感じさせないその男―――ヴァン=ブレイスは錆刀を突き出して突進して来た盗賊の刀を脇の下に挟み、体を反転させた。
「うわっ!?」
刀を絡め取られ、盗賊は体勢を崩した。
「あうっ」
その首筋に、ヴァンが手刀を打ち込み、盗賊はそのまま倒れた。
数十人居た盗賊達は瞬く間に制圧され、残った数人が慌てて母屋に駆け込んでいく。
それを追って、カーン=オルベニーが母屋に飛び込んでいく。後に続こうとしたアレクは、飛び込んで行ったカーンが吹き飛ばされて戻ってきたのを慌てて受け止めた。
「おい!大丈夫か?カーン!?」
「な、なんだ、あの女………」
「女?」
怪訝そうに眉間に皺を寄せるアレク。だが、その疑問は一瞬で氷解した。
「あんたかい、あたい達を成敗しようなんて喚いてる若造は」
野太い声と共に、母屋から一人の女が出てきた。
が、その女は素直に女性であると認めたくないような容姿をしていた。
身長はアレクよりも遥かに高く、横幅も倍近くある。贅肉ではなく、全てが鋼鉄の如き筋肉に覆われている。顔も厳つく、桃色の髪の毛も短く刈り上げている。
彼女は中庭に転がっている自分の子分達の姿を見回して。
「ちっ。だらしないな、おまえら。こんな小勢にそんな一方的にやられるなんて」
「あ、姐さん、あいつらとんでもなく強いんすよ!」
さっき母屋の中に駆け込んで行った子分が必死に言い訳するが。
「言い訳すんじゃないよ!」
「ひぃっ!すんませんっ!!」
大喝されて頭を抱えて、下った。
女はどん、と床に自分の得物を打ち付けた。
刃の先端が三つに分かれており、一見刃が山形を成しているように見える三尖両刃刀だった。
とても女が扱えるようには思えない巨大な武器だが、女頭領は軽々と片手で扱っていた。
「どうやら子分どもが世話になったようだね」
頭領は三尖両刃刀をもち、無造作に母屋の縁から地面に降りた。
アレクとカーンが思わず一歩下がり、リーナ、レオン、レフと並ぶ。
「さっき名を叫んでいたね、なんだった?」
「アレク=ハーベスト」
「そうそう、そんな感じの名前だった」
女は頷いて、山猫のような笑みを見せた。
「ハーベストってのはハーン=ハーベストと関係があるってことかい?」
「ハーンは俺の親父だ」
「へえ」
女はまじまじとアレクを見つめて。
「父親よりもよっぽど男前じゃないか。まあ、腕前が伴ってるとは限らないが」
「んだと!」
「アレク!挑発に乗っちゃ駄目だよ」
前に飛び出そうとしたアレクをラインが制す。
「そっちの坊やは?」
ラインはアレクの前に出て、女と向かい合った。
「ラインハルト=シーザー。フロレシア帝国第十五代皇帝です」
「第十五代………」
「皇帝………」
女と子分は呆然と顔を見合わせ―――。
「わはははっ!いきなり何を言いだすかと思えば!皇帝だって?何を夢みたいな事を―――」
と、それまで笑っていた顔をそこでいきなり真剣な物に変えて。
「それは本当かい?」
「本当です」
やや憮然としながらもラインが答えると、女はいきなりにやぁっと笑って、三尖両刃刀をラインの頭めがけて振り下ろした。
アレクですら反応できないほどの速度。
誰もが体の動きの鈍さに苛立ちを覚えながら、ラインの美しい顔が腐った西瓜のように破裂する様を想像した。その想像は実に生々しく、現実的な物だった。
だが、実際にはそうならなかった。
それまで気配も無くラインの後ろに立っていたヴァンが滑らかな動きで前に出、女の一撃を己の剣で防いだのだ。女が三尖両刃刀を引き、ヴァンも一歩退く。
「彼は余の直護衛ヴァン=ブレイス」
ラインハルトはまるで何も起こらなかったと言わんばかりの落ち着き払った口調で、そう紹介した。
或いは今何が起こったのか気付いていないのかもしれない。女は再び山猫のような笑顔を浮かべて。
「面白い連中だ。どうだ、酒でも飲まないか?」
「私達は貴方方の討伐に―――」
リーナが目的を告げようとするのをアレクが片手で口を塞ぎ、
「良いね。ご馳走になろうか」
「あ、姐さん!こいつらは俺達の仲間を!」
子分達が慌てて言うが、女はじろりと子分達を見据えて。
「慌て者が!全員、気絶してるだけだ。お前は介抱、お前は酒の用意をしろ!」
「は、はいっ!」
「り、了解っ!」
一喝されて、子分達が散る。女はラインハルトを見ながら、名乗りを上げた。
「雇われて盗賊の頭領をやってる。レベッカ=オブライエンだ」
4 レベッカ=オブライエン
場所を母屋の座敷に移し、なぜか討伐に来たはずが、酒宴が始まってしまった。
ラインハルトはまだ酒が飲めないため、白湯である。
彼の隣に座るヴァンは白湯にすら手を付けていない。
そんな彼らをよそに、アレクとカーンは既に顔が赤くなるほどに飲み、女盗賊レベッカと盛り上がっていた。
「どうしてまたこんなちっぽけな盗賊を討伐しようなんて思ったのさ、んん?」
杯に満たした濁り酒をぐいっと豪快に煽って、レベッカが訊く。
負けじとアレクも酒を飲み干して、
「トリコに駐屯してる部隊が討伐隊を送って返り討ちに遭ったって聞いたからさ」
「それだけかい?それだけで、皇帝まで一緒に討伐に出てくるもんかい」
そんなわけ無いだろう、とレベッカの目が笑っている。
アレクも苦笑を浮かべて、
「お見通しか。その通り、俺がわざわざ討伐に出向いてきたのは討伐隊の兵に一人も死者が出なかったって言う話を聞いたからだ」
「そうかい。誰も死ななかったか。それは良かった。なあ、てめぇら」
「へい」
話を振られて、杯に酒を注いでいた子分が嬉しそうに相槌を打つ。
「―――珍しい盗賊さんですね」
声は、これもやはり酒を飲んでいなかったレオンの放った物だった。
彼はラインハルトのヴァンとは逆隣に座っており、その隣にはレフが座っている。
一同は座敷で車座になって飲んでおり、時計回りにレベッカ、アレク、カーン、リーナ、レフ、レオン、ライン、ヴァン、そしてレベッカの子分達が二人座っている。ちょうどレオンの真正面にレベッカが座っている形だ。
「珍しいって?何が?」
子分に酒を注がせながら、レベッカが聞き返す。レオンは品の良い姿勢で座りながら、
「盗賊なのに敵を殺さないようにしてるなんて奇妙だな、と思ったんです」
「ああ、それは余も思ってた」
ラインも頷く。それからその蒼い瞳をレベッカに向けて、
「どうしてなんです?」
どうにもレベッカの迫力に負けて、言葉が丁寧になってしまう。
だが別にラインは言葉使いで相手に威厳を示そうなどとはこれっぽっちも考えていないのだ。
王とは慕われるべきであって、恐れられるべきではないと言うのが彼の考えなのだ。
まあ、威厳が全くないのもどうかとは思うが。レベッカは何処と無く渋面で、子分達を見回した。
「こいつらが人を殺すのを嫌がってな」
「―――なんでだ?」
アレクが摘まみの山菜塩漬けを口に放り込みながら子分達を見る。
だが、子分達は口を開かない。
代わりに答えたのはレベッカだった。
「こいつらも今じゃ盗賊なんてあこぎな商売をしてるが、元はただの百姓なのさ。だが、重税に耐えられず、村を逃げ出し、生きる為に人から物を奪わなきゃならなくなっちまってるってだけの話しだ。元が百姓だから、人を殺す手段も知らない。あたいが雇われたばかりの頃、殺し方を教えようとはしたんだが、どうにも平和主義者なんだな。必要悪として敵を無力化するところまではできる。だが、その先はできねえって訳さ」
「盗賊に向いていないのではありません?」
ただでさえへこんでる子分達の心をぐさりと抉るような言葉を放ったのはリーナだった。
おしとやかで温和な美女からキツイ言葉を言われ、子分達の目に涙が滲む。
「泣くんじゃないよ!」
殴られて、子分達が転がる。レベッカは殴った拳を解き、わしゃわしゃと桃色の短い髪を掻き回して、
「言ったろ?お嬢さん、こいつらは元々百姓で、盗賊になんか向いてないんだ」
「だったら盗賊を止めれば良い―――」
静かな声に、全員の視線が黄金の髪を持つ皇帝へと集った。
レベッカは鼻で笑い、
「盗賊を止めてどうするのさ?野垂れ死ねってのかい?生きてる価値の無い塵なんか、さっさと消えちまえってか?」
「百姓に戻れば良い」
ラインハルトはレベッカの圧力をも跳ね返し、尚も、静かな声で続けた。
気勢を削がれたレベッカが口を閉じて、子分達を見る。
子分達は口をぽかんと開けて、ラインハルトを見つめていた。
ラインハルトも彼らを見返して。
「そもそも、貴方達が村を捨てなければならなかったのは余の父親のせいだ。迷惑を掛けたね」
そう言って、ラインハルトはその場で頭を下げた。
子分達はおろおろと顔を見合わせる。
「謝ったって、何の解決にもなりゃしない」
吐き捨てるように言ったのは、レベッカだった。
ラインハルトは顔を上げると、にっこりと笑って言った。
「この国の税は余が下げる。今はまだ貴族が大きな力を持っているけれど、いずれ貴族を倒してこの国を暮らしやすい国にしてみせる。だから―――だから、もう一度、百姓に戻ってくれないか?国の礎は貴方達百姓が汗水垂らして作る米なんだから」
「税を………下げる」
「暮らしやすい………国」
子分達は互いの顔を見合わせた後、気まずそうにレベッカを見て、
「でも、俺達が止めたら姐さんが―――」
「元を言えば盗賊のやり方も知らなかった俺達が無理矢理雇ったんだし―――」
「何言ってるんだい、おまえらは」
杯の酒を飲み干して、レベッカは吼えた。
「あたいはね、あんたらみたいな軟弱盗賊といつまでも一緒に居ようなんてこれっぽっちも思ってないのさ。お前らには盗賊稼業よりも、よっぽど百姓稼業の方が似合ってる。お前ら自身もそう思ってるんだろうが。おまえらが盗賊を止めるならあたいも晴れてこんなしょぼい盗賊の頭領なんてやらなくて済むって訳だ。清々するね」
乱暴な言葉だったが、そこには子分達に対する彼女なりの思いやりがあった。
子分達の両目から忽ち涙が溢れ出し、
「姐さん!」
「お世話になりました!」
レベッカに抱き着こうとして、
「むさくるしい男が寄るんじゃないよ、鬱陶しい!」
殴られて吹き飛んだ。ごろごろと転がり、廊下で止まる。
レベッカは手酌で自分の杯に酒を満たし、
「そうと決まれば解散の祝い酒だ!朝まで飲むよ!ほら、お前ら、いつまで転がってるんだ!客人達に酒を注いで、お前らも参加しな!」
「へ、へい!」
「了解っす、姐さん!」
「よーし、そうとなったら、じゃんじゃん飲もうぜ!」
アレクが子分に酒を注がせて胃に流し込む。
カーンも、リーナも杯を干し、ラインとレオンは白湯の入った杯を干す。
レフとヴァンは顔を見合わせて、
「我らも飲みましょうぞ」
「―――白湯なら」
「結構」
二人も白湯を互いの杯に注いで、飲み干す。
酒宴は大宴会へとランクアップした。
翌日―――帝国暦三三二年六月十日。
盗賊達は荷物を纏め、三々五々、砦を後にしていく。
最後に二人の子分が荷物を包んだ風呂敷を背負って、レベッカの前にやってきた。
レベッカは自室で、まだ酒を飲んでいた。
「姐さん」
「―――早く行きな。くよくよしてる時間は無いよ。村に戻って、仲間に謝って、荒れ果てた畑を生き返らさなけりゃならねえんだろ?」
「長い間、お世話になりました!」
「おう」
そして、二人の子分も去り、レベッカ一人が残った。
そこへ、ラインハルトがやってきた。
「みんな、行っちまったよ」
レベッカは昨日の口調とは裏腹な、寂しげな笑みを浮かべた。
「もしかして、余は余計な事をしたのかな?」
「んな事はねえだろ。あいつら、商人から分捕った戦利品も何も持たず、さっさと荷物を纏めて行っちまった。そんだけあいつらも百姓に戻りたかったんだろうよ」
「―――そう………頭領さんはこれからどうするの?」
「頭領はもう終わりだ。元の傭兵稼業に戻るさ」
「だったら、雇われて貰えないかな?」
「―――あんだって?」
怪訝そうに眉間に皺を寄せるレベッカ。
「帝国軍には傭兵軍団って言う部隊が居るんだ。どうだろう、余に仕えてくれないかな?」
レベッカはまじまじとラインハルトの顔を見つめて、
「あたいは高いよ」
「構わないよ。それに戦で功績を挙げれば正規部隊の指揮官にもなれる………と思う」
レベッカは尚も考え込んでいたが、ふと顔を上げるとあの山猫のような笑みを浮かべて見せた。
「良いだろう、あんたに仕えよう、皇帝陛下」
「よろしく、レベッカさん」
「レベッカ=オブライエンだ。皇帝が部下にさんを付けるのは格好が悪いだろ」
「そうかな?」
「そこん所はけじめだよ」
「わかった。よろしく、レベッカ」
「あいよ」
「―――と言う事で、レベッカ=オブライエンが傭兵軍団に加わる事になった。良いよね?」
「別に構わないんじゃないか?」
「まあ、彼女が強いのは事実ですから」
「私も良いと思います」
「僕が口を挟める問題じゃないですよ、陛下」
「…………」
「…………」
反対意見零という事で、レベッカ=オブライエンの登用が決した。
「とはいえ、父さんに聞いて見ない事にはわからないなぁ」
宰相の顔を思い起こし、ラインは軽く肩を竦めた。
「さあ、盗賊の討伐も終わったし、トリコに帰ろうか」
「おう!」
「了解」
「なかなか楽しい夜でしたね」
「良い経験が出来ました」
「…………」
「…………」
こうして、一行はトリコへと帰って行った。
「―――ところで、レベッカ?」
「あん、なんだ?」
「盗賊の戦利品は持ってこなくて良かったの?」
「―――あ」
「レベッカも盗賊には向いてないみたいだね」
「うるさい。あたいは初めから一介の傭兵なんだよ」
トリコの市長官舎に戻ったラインを、オルンヘルが出迎えた。
「陛下!お待ちしていましたぞ!―――そちらの大柄な女性はなんだ?」
「レベッカ=オブライエン。今日から余に仕えてくれる事になったんだ」
「傭兵、か?」
「そうだよ。なんか文句があるの?」
「言葉使いを直した方が良いな。私は宰相だ。一介の傭兵ならば言葉遣いに気を付けろ」
「へん。宰相だか最小だか矮小だか貧小だか知らないがあたいに喧嘩を売ろうとは良い度胸だね」
オルンヘルとレベッカはしばし睨み合った後、ふいっと互いに顔を逸らして、
「陛下、エシュアから報告が参っています」
「あ、うん」
「アレク、とりあえずあたいはあんたの部隊に身を寄せさせて貰うよ」
「え?あ、はぁ」
レベッカがアレクの腕を掴んで引きずって行く。
「ああ、アレク!待って」
リーナがその後を追い、
「それじゃ俺も失礼します」
カーンが去って行き、
「僕達も少し休ませてもらいますね、陛下」
「ああ、ゆっくり休んで、レオン。レフも」
「…………」
無言で一礼したレフを連れ、レオンも自分用に与えられている部屋に引き上げていく。
後にはラインとオルンヘル、それにヴァンだけが残った。
「こっちだ」
オルンヘルに伴われて、官舎の奥にあるラインハルトの寝室に入る。
そこには白髪の、異様に鋭い目付きをした男が待っていた。
皇帝直属の諜報機関暁の頭領エシュアだ。ラインハルトがソファに腰を下ろし、エシュアに目を向ける。
「エシュア、良いよ」
「はっ。御報告致します。帝都ルーガにて本日未明第一軍ルト=リューベン閣下が挙兵いたしました。君側の奸を討つと号し、ルーガ城を制圧、帝都防衛隊はガルヴィン=ジングリッド隊長以下抵抗の末降伏・武装解除されて四聖の間に押し込められています。城内の使用人も同じく四聖の間に。神官軍団・傭兵軍団は帝都を脱出してこちらに向かっています」
四聖の間とはルーガ城内にある大会議室だ。その収容人数は五百人とも言われている。普段、国議などに使われている。会議の内容が外に漏れないよう、壁は防音仕様になっており、厚いので、とても内側から破る事は出来ないだろう。
「―――それで?」
「帝都にアルンヘル=へード以下一万余を残し、残る全軍で神官・傭兵の両軍団を追撃中」
「つまりは………予定通り、という事だね?」
「―――御意」
1 出発
帝国暦三三二年、六月八日。皇帝に即位してから一ヶ月余。
皇帝ラインハルト=シーザーの直轄領行幸が公表された。帝都周辺の直轄領を廻る、四泊五日の予定だ。
随行するのは滞在中の隣国ルシタニア連合王国の王子レオン=ルシタニア、宰相オルンヘル=クリケット伯爵、財務尚書ウェンヒルグ=ローレンス男爵等文官およそ百名、第二軍第一歩兵師団及び近衛騎士団の計三万名。ただの巡回にしては随行する軍勢が多すぎる。
だが、少しでも事情を知っている者達はこの随員兵の多さを不思議とは思わなかった。
オルンヘル=クリケットの掌握している帝国府とアリーニ=アウグウェルツが会長を務めている貴族連盟の間に根深い対立があり、しかも最近では君側の奸を討つと公言する者達も多い。
帝都防衛隊がそれらの不逞な輩を拘束して廻っているが、既に反乱の噂は帝都中に広まっていた。
きな臭さを感じて、帝都を引き払い、田舎に引っ越す気の早い者も出始めている程だ。
帝国府にある宰相執務室にて。宰相オルンヘル=クリケットは白髪の眼光鋭い男と向き合っていた。
オルンヘルはコーヒーカップを手に取り、一口中身を啜って、男に聞いた。
「それで、スタルナスの動きとは?」 「はっ………」
鋭い眼光もそのままに、エシュアは語り始めた。彼はここ数週間という物、スタルナス帝国に部下を送り込み、調査していたのだ。そして、スタルナス帝国の帝都ガーフィールドの帝宮、その後宮へと潜り込んだ部下から報告が届いた。スタルナス帝国皇帝バイエルン=スタルナスはかつて、「毒蝮」と呼ばれて、隣国に恐れられていた。だが、先のエルベス川の戦闘によって大敗を喫したスタルナス帝国は深刻な国内の疲弊という問題に直面した。なにしろ彼らが戦っているのは大陸最強の超大国フロレシア帝国なのだ。フロレシア帝国ですら破綻寸前に追い込まれた財政難。スタルナス帝国はより深刻な状況にあった。そこでバイエルンは外交努力によってこの劣勢を挽回しようと考えた。
いや、あるいはただ単なる時間稼ぎのつもりだったのかもしれないが。
スタルナス帝国の南を境に接している小国ルーナ帝国。総兵力二十万足らずのこの小国と対等の同盟を結んだのだ。そして、一年前に皇位を継いだばかりの皇帝カール三世の妹、ベニア=ルーナを正妻として娶った。時に、バイエルン=スタルナス四十八歳。ベニア=ルーナ十七歳である。
誰がどう見ても政略結婚。さしずめバイエルン=スタルナスの狙いはまだ若いルーナ帝国皇帝の後見人という立場を得て、しまいにはルーナ帝国をスタルナス帝国に併合しようというもの。
それがわかっていながら、小国であり、しかも隣国のネヴァット帝国と紛争を起こしていたルーナ帝国は仕方なくこれを諒解した………。これが、主な知識人の一般的な見解であった。
だが、ここに恐らくはバイエルン自身も予想外と思われる事態が起こる。
バイエルンが、ベニアを溺愛したのだ。十七歳の少女とは思えぬ妖艶さを秘めたベニアの美しさに、牡としての本能を呼び覚まされたバイエルンは夜毎の交わりで与えられる、ベニアの性技が齎すめくるめく悦楽の世界に溺れた。婚姻を結んでからまだ僅かに半月あまり………。
既に、バイエルンはベニアの、そして影で糸を引くルーナ帝国皇帝カール三世の思いのままに動く操り人形と化していた。無論、スタルナス帝国の宮廷内に人物が居なかったわけではない。
だが、大抵の者は魔性としか呼べぬベニアの色香に魅了され、諫言する勇気のある者もバイエルンの怒りを買って処刑されるだけであった。そして、後宮内に忍び込んだ暁の諜報員が見た物は、豪華な寝台の上に力なく横たわる、かつての生命力に溢れていた面影の欠片も無いバイエルンと、彼の腰に跨って、妖しく腰を揺さぶるベニアの姿だった。蝋燭の火だけという、暗い空間に、ベニアの妖しくぬめるように輝く裸身だけが、浮かび上がっていた。そして、エシュアははっきりと聞いたのだ。
バイエルンの耳元に口を寄せ、息を吹き込みながら囁いたベニアの言葉を。
「―――それで?なんと言ったのだ?」
オルンヘルが聞く。エシュアは淡々と、事実だけを述べる。それがどんなに卑猥で、生々しくとも。
「―――わたくしめに、フロレシアをください、と」
「う~む………」
オルンヘルが難しい顔をして黙り込む。
「ルーナ帝国。怪しいと睨みましたゆえ、部下を数人送りました」
「うむ………しかし、ルーナのカール三世、か………」
南西部の小国だと思っていたが、何を企んでいるのか。
「………。それで?スタルナスの動きとは?」
「バイエルン皇帝はすぐさま近臣を呼び、こう御命じになられました―――キエフ=ロドリナスを呼べ、と」
「キエフ=ロドリナス………!あの男を、か!」
「はっ」
キエフ=ロドリナス。
それはフロレシア帝国臣民にとって恐怖の代名詞であった。スタルナスの英雄、キエフ=ロドリナス。戦術・戦略・軍政共に目覚しき才能を有する、スタルナス最高の名将だ。
「それで、キエフ=ロドリナスがどう動いたのだ?」
「兵五万を与えられ、国境に向かっております」
「五万?」
オルンヘルが眉根を寄せる。
軽く小当たり、というには多すぎるし、この機に乗じて一気に攻めようというには少なすぎる。
なにしろスタルナスと境を接している西の国境には第六軍が張り付いている。
この微妙な数字は何かを意味しているのか。
それともただ単に、今スタルナス帝国が動員できる最大兵力が五万だったのか。
「そうか。ならば第六軍に警告を―――」
「それは止した方が良いでしょうな」
「どうしてだ?エシュア」
「我々がスタルナスの動きに気付いたと知れば、反乱は未発に終わる可能性もあります」
「う~む………」
「むしろ、彼らにはやりたいようにやらせるべきです。さすれば、安心して獲物は穴から出てきます。無論、キエフ=ロドリナス殿を簡単に御国に帰す必要もありません」
淡々と語るエシュアの目は、やはり鋭かった。
帝都の裏町にある小さな酒場。ここは小さいながらも料理が旨く、酒の種類も多く取り揃えている為、帝国軍の中級士官を中心に愛好されていた。
「こんな反乱の噂が出回っている時期に直轄領巡回ってのは一体、何を考えてるんだ?」
心底わからないと言う口調で呻いたのは、赤髪の青年だった。黒っぽい帝国軍の軍服を着ているが、上着のボタンを全て外している。カウンター席に座り、グラスに注がれた琥珀色の液体を口に含む。
喉が焼けそうな強いアルコールが、胃に落ちていく。
「こんな時期だからなんじゃないかな」
赤髪の青年の質問に答えたのは赤髪の青年の隣の席に座っていた青髪の青年だ。
こちらは上着のボタンもしっかり上まで留めている。赤髪の青年が単純そうな体力馬鹿みたいな性格をして居るのに対し、青髪の青年は頭を動かすのが得意で、大人しそうな性格をしているように見えた。
「どういう事だよ?」
「反乱の目的は何さ」
「君側の奸―――宰相を殺す事だろ?」
「だったら、その宰相が帝都に居なかったら、カーンならどうする?」
「どうするって、お前なら俺の性格を把握してるだろ?オットー」
「そりゃね。君なら帝都を出て、宰相を追う。違うかい?」
「違わない」
「つまりはそういう事だよ」
二人の名前は赤髪の方がカーン=オルベニー。年は二十一歳。第二軍第一歩兵師団第一歩兵連隊第一歩兵中隊長という役職にある。青髪の方はオットー=セルバン。年は同じく二十一歳。第二軍第一騎兵師団第一騎兵連隊の第二中隊長という役職にある。二人は士官学校の同期生である。
「今回の巡回に第一歩兵師団が随行するんだってよ」
「それがなんだよ、もったいぶらずに早く言えって」
オットーの遠まわしな言い方に、焦れたようにカーンが急かす。
二人は髪の色や顔立ちだけでなく、性格も正反対だ。
それゆえに、衝突する事がなく、友人関係を続けていられるのかも知れない。
オットーは口元に微かな笑みを浮かべて、無色透明の酒を舐めるように飲んで、焦らす。
「巡回の間に、第一軍が反乱を起こすって事だよ」
「なんだって?おまえ、そんな情報何処で―――」
「しっ。静かに」
大声を上げかけたカーンの口を、オットーが塞ぐ。
酒場の中には、第一軍の士官も居る。カーンもすぐにその事を察して頷いた。
手を離し、辺りを窺う。幸い、こちらに注意を向けている人間は一人も居なかった。
カーンはグラスに残っていた酒を一気に飲み干し、
「マスター、もう一杯」
「畏まりました」
白髪、白髭、長身痩躯の酒場のマスターは礼儀正しく答え、棚から瓶を取った。
瓶の中には、細長い生き物が入れられている。
「蝮は精力がつくからな。お前も飲んだらどうだ?」
マスターが酒を注ぐのを見ながら、カーンが勧める。
オットーは自分のグラスの中に入っている酒をぐるぐると回転させながら苦笑し、
「僕は別に良いよ。とりあえず、精力を毎夜のように磨り減らす訳でもないし」
「ったく、女を抱かないなんて、男として人生がつまらなくないか?お前んとこの連隊長は結構美人だって評判じゃねぇか」
「レフィナが?まだ子供だよ?」
「その子供に階級で負けてるお前はなんなんだ?」
「ギルもそう言ってるよ」
「ああ。お前の同僚な、あいつは最近調子どうなんだ?」
「相変わらず。レフィナに振り回されてる」
「はい、お待たせ致しました」
「おう」
マスターからグラスを受け取り、カーンはいきなり真面目な表情になり、
「それで、さっきの情報の出所は何処なんだよ」
「さっきの情報って?」
「惚けるなよ、オットー。直轄領巡回中に反乱が起こるって話しだ」
「別に情報源なんかないよ」
「なんだ、勘か?」
「せめて推測って言ってよ。でも、宰相とかはそう思ってるんじゃないかな?」
「うーん………まあ、もし反乱が起きれば俺が《風の槍斧-ヤーナス》で叩き斬るだけだ」
「僕も実戦に出たいよ。僕だって《獣の槍-ハンニス》で暴れて見たいよ」
二人はエルベス川の戦闘において大きな功績を挙げ、その褒美として精霊具を与えられたのだ。
「反乱か………皇帝即位後の、初の大きな戦になりそうだな」
「わくわくする?」
「今回の皇帝は良い奴かもな。もしくは、宰相が、か」
「どうして?」
「巡回に出るってのは要は反乱が起こったときにルーガの市民を巻き添えにしない為って事だろ?」
「さあね。そうかもしれないし、もしかしたら市街戦だと殲滅が難しくなるからかもしれないよ。それに反乱の情報を得ているのなら未然に首謀者だけを拘束する事だってできるはずだよ。それをしないと言うのは、つまりは反乱勢力を完璧に潰したいってだけなのかもしれない」
「うーん………わからねえな」
「カーン?」
「俺は軍人だ。軍人は政治の事は考えねえもんだ。反乱軍が立つんなら、俺はそれを潰すだけだ」
「カーンらしいね」
オットーは苦笑して、蝮酒を飲むカーンを見やった。
出陣式のような物も何もなく、整列した第一軍第一歩兵師団の先頭集団が動き出した。
朱雀通りの沿道は皇帝の姿を一目見ようと集ってきた人々で大変な騒ぎになっていた。
帝都防衛隊の兵が必死に通りに入ろうとする者達を抑える。歩兵達の先頭には鹿毛の馬に跨った師団長の姿があった。鋭い武人らしい輝きを宿す金色の瞳、髪は銀で風にかすかに揺れている。
第一師団長、シオン=クリケットだ。
「三万で、十八万を相手にする、か」
「面白いじゃないすか」
独り言に返事を返されて、シオンは視線を声のした方に向けた。
赤髪の青年が、黒毛の馬を歩ませていた。第一歩兵連隊長のアレク=ハーベストだ。
「アレク。俺は戦が嫌いなんだよ」
「なんで?俺は好きだけどな」
「女を抱けない夜なんて俺にとっては拷問以上にキツイ」
真面目な顔をしてシオンはそんな事を口走った。アレクも思わず苦笑いを浮かべ、
「ったく、シオン兄には適わないな。俺も女好きだけどあんたには勝てないよ」
「当たり前だ。経験が違うだろ、経験が」
シオンも笑う。二人はフロレシア帝国軍でも双璧を成す程の女垂らしとして有名なのだ。
「だが、それだけが理由じゃねぇよ。第一軍の連中はエルベス川でも肩を並べて戦った戦友だろう。その戦友を殺さなきゃいけないなんて思うとな」
さすがに貴族出身の軍人なだけあり、シオンは戦に正義を求める傾向がある。
それに比べてアレクは平民出の為か、それとも『父親の七光』と言う悪評から逃れるために常に己の身を死地に置いてきた為か、シオンに比べて遥かに世間と言う物を知っている。
「軍人ってのはそう言うもんだろ。昨日の敵が今日の友。その逆もまたしかり」
「わかってる。少なくとも、わかっているつもりではある」
「頼むぜ、師団長閣下。あんたが指揮官なんだ」
「わかってる。おまえは自分の連隊をしっかり纏めろ」
「残念ながらリーナが居る限り、俺の連隊は死線へも平気で飛び込んでいく馬鹿ばかりなんでな。纏めるのは楽だよ」
「おまえが纏めてる訳じゃないんだろ?」
からかうような口調で、シオン。アレクが肩を竦め―――そのまま、彼らは凱旋門を抜けた。
「いよいよだね、父さん」
「ああ。心の準備は出来ているな?」
白馬に跨り、進む皇帝正装に身を包んだラインハルトと彼の隣で馬を歩ませるオルンヘル。
逆側には近衛騎士団の白銀の甲冑に身を包んだアミリア=ホーンが馬を歩ませ、後ろには直護衛のヴァン=ブレイスが続く。周りは近衛騎士団の一個中隊がぐるりと取り巻き、物々しい雰囲気だ。
第一歩兵師団も近衛騎士団も何処となく緊張感が漲っており、とてもただ巡回に行くだけのようには見えなかった。だが、反乱がまことしやかに噂されている現在の状況を考えれば別におかしな事でもないと誰も気にしなかった。
オルンヘルは前を向いたまま、ラインハルトの耳にだけ届くような調整された声で続けた。
「帝都を離れても、帝都の情報は逐一暁が伝えてくれる。反乱が起これば近在の第二軍部隊と合流し、迎撃体勢を整える。私は文官で、戦の事はわからないから、そこまではとりあえずシオンに任せてある。ハーンが合流すれば速やかに指揮権はそちらに移る。近衛騎士団は基本的に旗本としてお前の護衛に徹する」
「覚悟は出来てる………と思う」
ラインハルトの言葉にはあまり自信と言う物が感じ取れなかった。
オルンヘルはちらっとラインハルトの方を見やり、言った。
「―――ならば良い」
2 直轄領巡視
帝都ルーガを出発した皇帝一行はラスカーナ大陸を東西に横断するアルカディア街道を通って、今回巡回する直轄領、その最初の目的地トリコへ向かった。ゆっくりと進めば一日掛かる道程だ。
街道は草原の中をまっすぐに伸びている。
広大な草原地帯をまっすぐに貫く、大街道アルカディア。
豊かな穀倉地帯を抱えるフロレシア帝国だったが、そのほとんどはこのアルカディアの耕作地だ。
ただ穀倉地帯であるだけでなく、交易の枢要地でもある。
貿易国家フロレシアの利点はこのラスカーナ大陸の中央部にその国土を有している事だ。
南北東西、すべての街道がフロレシア帝国内で合流する。
その合流地点こそが、帝都ルーガ、不滅の都、永久の都と呼ばれる場所なのだ。
それゆえに、アルカディア街道の周辺は全て皇帝直轄領となっている。
「アルカディア街道だけでなく、貴族の荘園領内を通過する街道にも多数の関所が設けられており、商人達は多額の通行税を支払わなければならず、難儀しています」
体型上馬に乗れず、一人だけ輿に乗って居るウェンヒルグ男爵が言った。
「そうなんだ」
ラインハルトは一瞬だけオルンヘルと視線を合わせ、彼が何も言わないのを確認した。
つまりはラインハルトに一任すると言う事だ。
ラインハルトは簡単に頷いて、
「全廃しよう。貴族の領内の関所はまだ無理かもしれないけど四街道だけでも廃せば隊商とかも少しは楽になるでしょう?」
「大いに変わると思います。隊商が交易に必要な経費を減らす事になれば、その分、物価が下り、資金が潤沢に回転するようになります」
「トリコに着いたら正式な文書にサインするよ」
「早速のお聞き届け、誠にありがとうございます」
「いや、こっちこそ。国を良くするための献策ならいつでも受け付けるよ」
輿の上で窮屈そうに身を屈める男爵に、皇帝は気さくな微笑を向けた。
トリコの街は帝都に近い為もあって、辺境の村々に比べればまだまだ豊かな方ではあったが、それでも昨年は多くの餓死者が出たと言う。
エルベス川の戦闘に備える為に、備蓄していた食糧を徴発されたのがその主な原因だった。
トリコを管轄している市長の官舎は街の真ん中の広場に面した場所にあった。
実際の巡視はオルンヘルを初めとする帝国府の人間が行い、ラインハルトは早々に宿舎に引き上げた。
室内には直護衛のヴァン=ブレイスしか居ない。
「―――ヴァン」
「―――はい」
十五分ほどじっとしていた皇帝がそう言って立ち上がった。
黒髪とエメラルドグリーンの直護衛は扉の脇に立ったまま、微動だにせずに答える。
「余も町に出るよ」
「―――その姿では目立ち過ぎます」
賛成も反対もせず、ヴァンは言った。
確かに今のラインハルトの姿は皇帝正装の、白鎧の上に純白の戦衣を纏うと言う派手な物だ。
元々が黄金の髪に蒼い瞳、そして繊細な顔立ちと目立つ容姿なのだ。
例えこれが皇帝正装だと知らなくともこれはかなり目立つ。
結局、服を庶民用の物に替え、髪は帽子を被る事で隠した。
扉の前には近衛騎士団の騎士が居る。
ラインハルトは彼らに外出する事を告げた。
騎士達は自分達もついて行くことを望んだが、近衛騎士団の白銀の甲冑は皇帝正装と同じく目立つので、ラインハルトは断った。
護衛ならばヴァンが居れば十分なのだ。
市長官舎を出たラインハルトはヴァン一人だけを連れて、歩き出した。
市長官舎を中心に、トリコの中心にある広場には近衛騎士団の兵士達が警戒にあたっている。
第一歩兵師団は帝都からの反乱勃発の連絡が入り次第活動が可能なように街の外で野営している。
しかし、歩兵師団長のシオン=クリケットとアレク=ハーベストを初めとする連隊長達はトリコに入っていた。
トリコの住人達はかつての先帝時代などの軍の横暴さを知っているだけに、軍に対し警戒や敵意の眼差しを向ける者も多い。
しかし、皇帝直属である近衛騎士団やハーン=ハーベスト、シオン=クリケット、アレク=ハーベストなどの首脳が軍規を正し、厳しく統制している第二軍団、特に第一歩兵師団の兵士達は住人達にも礼儀正しく接していた。
石で舗装された街路は馬車などの往来によって轍が刻まれている。
この轍の幅に合わず、溝に車輪を取られ、立往生してしまった馬車を溝から出し、車輪を直したり。
大きな荷物を抱えて歩く老婦人を背負い、荷物も運んだり。
最初は警戒していた人々も、とりあえず体の緊張だけは抜いたように見える。
人々の間には笑顔も見え、街には帝都ルーガの忙しい活況とは異なる、長閑な明るい空気が流れていた。
と、その時。
「ねえ、君、可愛いね?一緒にお茶でもどうだい?俺はこの街に来た事がないからいろいろと案内して欲しいんだけどさ」
「ええ、どうしようかなぁ」
「奢るからさ。良いだろ?」
「うん………でも、変な事しない?」
「しないしない、した事もない」
いかにも女垂らしな感じの話し声が聞こえてきた。
声は表通りから一本入った裏路地から聞こえてきた。
ラインハルトは何の躊躇いもなく、角を曲がり、
「アレク=ハーベスト第一歩兵連隊長!」
「うげっ!?」
金髪の女の子をナンパしていた赤髪の青年が跳ね上がるようにして振り向いた。
「な、なんだ………ラインか」
「うわぁ………綺麗な顔ぉ………」
女の子はぼうっとした顔で、潤んだ瞳をラインに向けて呟いた。
まだ十五、六歳、ラインともそう年が離れていないであろう少女だ。
アレクはちっと舌打ちを漏らして、
「人がせっかく声を掛けてた女をそう簡単に取ってくなよな」
「御免御免。えと………シオン兄は?」
「シオン兄ならさっき二人の美女の腰を抱きながらでかい家に入って行ったぜ」
「二人も!?」
「あの人ならそん位当たり前だろ?んで、お前も女を抱きたいのか?」
「違うよ。町を見て廻ってるんだ」
「そうかい。それじゃ、俺もこれからこの子と楽しむから」
「うん」
「さあ、行こうか」
「私はあの御方と―――」
「ああ、駄目駄目。あいつ、女には興味ないんだ。男にしか」
「はぁ、そうなの?でも、そうよね、これだけ美しいなら」
「こらこら、アレク!変な噂を吹き込むのは止めてよ」
「構わないだろ。お前の正体がばれてる訳でなし」
「だけどさ………」
「気にすんな。さあ、行こうか」
「ええ」
少女はまだ未練たらしい眼差しをラインに向けながら、アレクに腰を抱かれて去って行った。
ラインははぁ、と嘆息して表通りに戻った。
そこに元の体勢のまま待っているヴァンの姿があった。
ラインは少しだけ悪戯心を起こして、
「ヴァンも女の子と遊びたい?」
「…………」
ヴァンは答えず、ただエメラルドグリーンの瞳でラインハルトを見据えるだけだった。
ただ見つめているだけなのかもしれないが、ラインはその視線に一種の圧力を感じ取った。
「御免。ただの冗談だよ、気にしないで」
「―――はい」
ラインハルトはトリコの街を一通り見て廻り、市長官舎に戻った。
豪華な夕食が用意された食堂にはオルンヘルやウェンヒルグ、アミリアやレオンなどが集っていた。
一同はそれぞれ軽い挨拶を交わし、席に着く。
レオンもオルンヘルの巡回には付き合わず、レフと共に自分達で町中を回っていたらしい。
彼は褐色の肌の中で、赤い宝石のように輝いている瞳を見開いて、
「素晴らしいところですね。帝都に近くて隊商なども多く滞在しているのに、忙しくもなく長閑な空気が流れていて、非常に平和な雰囲気でした」
「うん。余もそう感じたよ」
盟邦の王子が自分と同じ感想を抱いている事が、ラインハルトは嬉しかった。
宰相は喜々として自分の見聞きした事を話すレオンの様子を冷静な目で見つめて。
「ルシタニア連合王国にとって易になるような事が発見できましたか、殿下?」
レオンはくるりとオルンヘルに向き直って、大きく頷いた。
「ええ、非常に良い経験になりました。それにこの町に来る途中に陛下が採決成された四街道の関所廃絶など実に見習うべき事だと思います」
「ルシタニア連合王国側の関所も廃止されれば、両国間の貿易はさらに盛んになりましょう」
「はい。国に帰ったら父上に諮って実施したいと思います」
「宜しく御願いします」
ウェンヒルグが額に噴き出た汗を盛んに手拭で拭いながら頭を下げた。
「―――それで、宰相、結果はどうだったの?」
食事を続けながら、皇帝が問う。
「―――はい。税に関する不正の証拠はありませんでした。帝都のすぐ傍だったから不正を働けなかったのか、それとも我々が訪れる前に証拠を隠滅したか、いずれかでしょう」
「でも、帝国府に規定書類をしっかり提出してあるんでしょ?」
「はい。書類に不審な点はありませんでした」
「だったらここの市長がしっかりとした統治をしていたと言う事ではないの?」
「そう言う見方もありますな」
鹿肉と思しきステーキを優雅に切り分けながら、オルンヘルが頷く。
そして話題を変えた。
「どうやら最近、治安の状況が良くないようです」
「治安が?」
「僕が見た限りでは別に治安は悪くないようでしたけれど?」
オルンヘルの言葉が解せず、ラインハルトとレオンが顔を見合わせる。
オルンヘルは微かな苦笑を漏らして、
「町の内部は問題ありません。トリコにも第二軍の部隊が駐屯し、治安維持にあたっていますから。だが、トリコに駐屯している第二軍部隊は一個中隊に過ぎず、とても町の外にまでは手が回らない。町の外では盗賊などが横行し、隊商などにも被害が出ているようです」
「それで、盗賊の討伐隊を編成するの?」
横目でレオンを見てから、聞く。
レオンには第一軍の反乱の事は話していない。レオンもそんなラインに視線を向けてきた。その赤い瞳が少し潤んでいるようにも見えるのはいきなり話しが物騒になって来たからであろうか?
しかし、そうではなかった。彼は既に反乱の事を知っていたのだ。
(さて、陛下、どうするんですか?)
彼はそんな、ラインハルトの事を試すような思いで皇帝の事を見つめていたのだ。
「今は直轄領の巡回中であり、兵力を割くのも不適当でしょう。帝都に戻ってより、トリコ駐屯の部隊増強を考えるべきだと思います」
現在、トリコには近衛騎士団、第二軍第一歩兵師団と言う計三万名の兵力が居る。
これだけの兵力が有れば盗賊を討伐する事など数日で事足りる。しかし、その数日が肝要なのだ。その数日の間に帝都で第一軍が立てば、速やかに迎撃の体勢を整えなければならない。そのような状況で兵力を細分化しなければならない盗賊討伐などに兵を割く事は出来ない。
エシュアからの報告では反乱の結構予定日は六月十日。もう間近なのだから。
「予定も詰まっています。今日はゆっくりと休み、明日には出発した方が良いでしょう」
(………結局、宰相の操り人形に過ぎないのかな?)
レオンがそう思い、やや落胆していると、ラインハルトがかちゃりとナイフとフォークを皿の上に置いた。
「宰相、盗賊の隠れ家はわかっているのかい?」
「―――何をお考えで?」
オルンヘルの眼光が皇帝を見据える。が、皇帝も負けてはいない。
蒼い瞳をしっかりと開いて、宰相を見つめている。
「予定は一日ほど遅れても余は構わない。それよりも、余の民が苦しんでいるのを看過する事は出来ない。被害が出ているのなら尚更の事。帝都に戻ってからなどと悠長な事を言ってはいられないと思う」
暫く睨み合いが続いた。食堂になんとも言えない緊張感が漲る。観念したように宰相は息を吐き出し、宰相は食器の上にナイフとフォークを置き、ナプキンで軽く口元を拭った。
「東の山です。山と言っても然程の高さがある訳ではない様子。ただ、盗賊の頭領は腕が立つと言う事で、一度送った討伐隊も返り討ちにあったそうです」
「返り討ちって、全滅って事?」
「いえ。死者は一人も出ていません。全員が負傷していたものの、致命傷に至る者も無く」
「―――どういう事?」
「帝国軍兵など手加減していても捻り潰せると力を誇示したかったのでしょう」
「人数は?」
「多くはありません。多くとも数十名」
「そう。………後で僕の部屋にアレクを呼んでくれないかな?」
「畏まりました。陛下」
そして、何事もなかったかのように食事が再開された。
夕食の後、ラインハルトの為に用意された一室に、アレクは不機嫌そうな顔で入って来た。
「おまえ、俺になんか恨みでもあるのか?」
「え?」
「これから七回戦をやろうと思っていたところにいきなり呼び出しなんか掛けやがって」
「―――まだやってたの?」
「ったりめーだろうが。朝までやるつもりだったんだよ」
もう呆れるしかない。
しかし、アレクは当然だと返し、そのまま応接用のソファにどっかりと腰を下ろす。
「んで、なんで呼んだ?」
アレクは勝手に棚から酒を持ち出し、喇叭飲みを始めた。
ラインハルトは別にそれを咎めようとはせずに、アレクの正面のソファに腰を下ろした。
「これから盗賊退治に行くんだ」
酒を飲むアレクの喉の動きがぴたりと止まった。
ゆっくりと酒瓶を離し、瞬き数回。
出て来た言葉は………。
「―――はぁ?」
3 盗賊退治
「―――盗賊退治だぁ?本気で?しかも、今から?」
アレクはまじまじとラインの顔を見据えて。
「酔ってるのか?」
「酔ってないよ、それに本気だよ」
苦笑と共に、ラインハルトはそう答えた。そして、トリコ近郊の盗賊の事を手短に説明する。
説明を受け、どうやらラインが本気だと言う事に気付いたアレクの目が急に輝きだした。
特に討伐隊が死者もなく、全員が撃退されたと言う話を聞いて、彼は興奮の余り不謹慎にも口笛を吹いてしまった。
「面白そうじゃねぇか。気に入った。その盗賊、この俺様が倒してやる」
「うん。アレクはこの盗賊を倒すのにどれぐらいの兵が要ると思う?」
「相手は数十人なんだろ?兵は要らねえ、俺と後は俺の手柄を検分する為にお前、お前の護衛、後は俺の部下を二人。これだけで十分―――」
「待ってください」
声は部屋の外からした。扉の脇に立っていたヴァンが素早く剣に手を掛ける。
「レオンだよ」
知っている声だったので、ラインはヴァンを制し、開けるよう目で指示した。
ヴァンが扉を開けると確かにそこにはややくすんだ金色の髪、耳の辺りにだけ生えている緑色の飾り毛、褐色の肌に真紅の瞳を持つレオン=ルシタニアと鋭い眼差しをした初老の紳士と言った出で立ちのレフ=スタッカートが立っていた。レオンもレフも腰に剣を佩いている。
レオンは純粋な微笑を口元に浮かべて、
「盗賊退治に僕達も加えて下さい、陛下」
「―――でも君は国賓だし」
「それを言ったら陛下は皇帝じゃないですか」
渋るラインハルトに、レオンはあっさりとそう返し、
「これでも一応、剣には自信があります。レフも紅茶を淹れるのと同じ位剣もできます」
「まあ、良いんじゃないか?」
アレクは早く行きたいと言う一心で適当な事を言う。
「わかったよ、レオン。でもあまり無茶をしないでよ?」
「わかってます、陛下。陛下に迷惑が及ぶような事はしません」
「迷惑だなんて思わないけど………ちなみに言って置くと僕は剣、ぜんぜん駄目だからね」
「心配すんな。俺、レオン殿下、レフ殿、それにそこに居るヴァン、俺の部下のリーナとカーンが居れば数十人程度の盗賊に後れを取るような事はねえよ。最もレオン殿下とレフ殿の技量は知らないが」
「ルシタニアの剣技は賊徒などに劣りはしない」
初老とは思えない鋭い眼光で、レフが言い放つ。
アレクはひゅう、と口笛を吹いて。
「すごい自信だな。腕は実戦で見せて貰うぞ」
「良いだろう」
かくして、盗賊討伐にレオンとレフの参加が決定した。
夜陰に乗じて市長官舎を抜け出した一行は途中、街の外に野営している第一歩兵師団からアレクの副官であるリーナ=セレシコフと彼の元で中隊長を務めているカーン=オルベニーを叩き起こし、盗賊が巣食うと言う小山へと向かうのだった。
盗賊の砦はオルンヘルの情報どおり、トリコに程近い小山にあった。
「―――で、どういう作戦で行くの?」
門に近い茂みに潜んで、ラインハルトがアレクに訊く。
門とは言え、扉などは無く、ただ門の枠だけが残っている。
元はそれなりの砦であったが、放棄されたものなのだろうか。
今では、その放棄された砦を盗賊達が使っているのだろう。
門の前には見張りの姿もあり、砦の中からはさらに多数の人間が居ると思われるざわめきが聞こえてきている。
「裏手に回るべきでは?裏側ならば警備も手薄なのではないですか?」
提案したのはレオンだった。腰の剣に手を掛け、いつでも抜けるように構えている。
ラインハルトもそう思っていた。一度に大勢を敵に回すのは愚かな事だ。背後から急襲し、頭目だけ捕らえる。ただの賊ならば頭目が倒されたと知れば逃げ散るだけだろう。
が。
「まだるっこしい。真正面から乗り込むに限るだろ」
アレクはいとも簡単にそう言うや否や、茂みから駆け出して行ってしまった。
予め心得ていたかのように、彼の部下二人、しっとりとした黒髪を持つリーナ=セレシコフと炎の如き赤髪を持つカーン=オルベニーも飛び出していく。
「なんだ、貴様―――!」
見張りが気付いた。さすがは討伐隊を撃退するだけあり、その動きは滑らかだった。
速やかに腰の剣を引き抜き、アレクに切りかかる。
「なっ―――!?」
見張り達の剣が、アレクが高速で移動した後にできた残像を引き裂く。
手応えの無さに、見張り達は思わず声を上げたのだ。
その次の瞬間、見張りは後方に回りこんだアレクによって鞘に収められたままの剣で殴られ、気絶した。
他の見張りもリーナ=セレシコフの鎌やカーン=オルベニーの槍斧によって無力化されていた。
しかも、討伐隊に死者を出さなかった盗賊に対抗意識を燃やしてか、打ち倒された三人とも死んでいなかった。一撃で昏倒させられたのだ。
「出て来いよ」
「―――すごいな」
呆れ果てて苦笑しつつ、ラインハルトは隠れていた茂みから出て行った。
直護衛のヴァン、レオン、レフなども後に続く。
「このまま一気に殲滅する。皆、俺の傍から離れるなよ?特にライン。おまえはヴァンから決して離れるな?」
「わかった」
「よし。―――突っ込むぞ!」
剣を引き抜き、アレクが門の内側に駆け込んでいく。
一同もその後に続いた。
砦とは言え、規模はそんなに大きくない。母屋と厩、物見櫓があるだけだ。
中庭には数十人の男達が焚き火を囲んで、酒を飲み交わしていた。
彼らはいきなり乱入してきたアレク達を見ても、最初は敵だと言う事に気付かず、そのまま宴会を続けていた。しかし、アレクは仁王立ちになって、天に剣を突き上げて、
「俺はフロレシア帝国軍第一軍第一歩兵師団第一歩兵連隊長、アレク=ハーベスト!無辜の民を難儀せしめる悪逆不逞の奴輩は、この俺が成敗してくれる!者ども、散れ!」
「さっきと言ってる事が違う!」
「うるさい!臨機応変こそ名将の条件だ!」
アレクの名乗りに盗賊達が呆然としている間に、アレク=ハーベスト、リーナ=セレシコフ、カーン=オルベニー、レオン=ルシタニアが散開して、盗賊達に襲いかかった。
レフ=スタッカートはレオン=ルシタニアの後方に従い、長刀を振るっている。
アレク=ハーベストの炎の如き乱髪が激しく踊り、それ以上に激しい動きでアレク自身が跳ね回る。
その度に打撃を受けた盗賊が倒れていく。
リーナ=セレシコフのしっとりとした魅力を備えた黒髪が優雅に広がり、品良く纏まる度に、虚空に人の首なんか簡単に切り落とせそうな巨大な鎌が閃き、刃の背で盗賊達を殴り倒していく。
カーン=オルベニーはとにかく駆け回り、刃に覆いを掛けて殺傷力を抑えている《風の槍斧-ヤーナス》で盗賊を打ち倒していく。
レオン=ルシタニアは天真爛漫かつ軽快な動きで剣を振り回し、縦横無尽に動き回って盗賊達を翻弄する。
レフ=スタッカートは常にレオンの死角を補いつつ、強力な一撃で、最小の動きで確実に盗賊の戦闘能力を奪い去る。
ラインハルト=シーザーはそんな者達の戦いぶりをただ呆然と見守っているだけだった。
眼で追うのもやっとなほどの速度で、何がどうなってるのかもわからないうちに盗賊達が減って行く。
「や、野郎ッ!!」
一人の盗賊が、リーナに突進する。拳を握り締めて。女であるリーナを最も与し易いと思ったのだろうか。それを見たアレクとカーンが同時に呟く。
「止めときゃ良いのに」
「哀れ」
リーナは温和な顔に、ほんわかとした笑顔を浮かべて、盗賊に向けて掌を掲げた。
ぱしっ。
「―――なっ」
自分の渾身の拳を簡単に受け止められて、盗賊の表情に驚愕の色が浮かぶ。
リーナはほんわか笑顔のまま、
「―――私は野郎じゃなくて、女ですよ」
「ほえ?………ッギャアアアアッ!?」
盗賊が激痛に絶叫する。リーナが彼の手首を掴み、捻ったのだ。盗賊の体が空に舞い、地面に叩き付けられる。ラインハルトはそんな鮮やかなリーナの手並みに見蕩れていた。
「―――危ない、陛下!」
注意を喚起する声で、ラインははっと我に返った。
気付けば、一人の盗賊が錆刀を構えて駆け寄ってくる姿があった。
「あ―――」
慌てて剣を引き抜こうとするが、動きが遅い。アレク達とは異なり、彼は剣の稽古すらまともに受けた事が無い剣に関しては全くの素人なのだ。しかも、彼の腰にある覇皇剣は子供が扱うような短い物ではなく、大人用の長剣なのだ。と、その時、二人の間に割って入る影があった。
全く気配を感じさせないその男―――ヴァン=ブレイスは錆刀を突き出して突進して来た盗賊の刀を脇の下に挟み、体を反転させた。
「うわっ!?」
刀を絡め取られ、盗賊は体勢を崩した。
「あうっ」
その首筋に、ヴァンが手刀を打ち込み、盗賊はそのまま倒れた。
数十人居た盗賊達は瞬く間に制圧され、残った数人が慌てて母屋に駆け込んでいく。
それを追って、カーン=オルベニーが母屋に飛び込んでいく。後に続こうとしたアレクは、飛び込んで行ったカーンが吹き飛ばされて戻ってきたのを慌てて受け止めた。
「おい!大丈夫か?カーン!?」
「な、なんだ、あの女………」
「女?」
怪訝そうに眉間に皺を寄せるアレク。だが、その疑問は一瞬で氷解した。
「あんたかい、あたい達を成敗しようなんて喚いてる若造は」
野太い声と共に、母屋から一人の女が出てきた。
が、その女は素直に女性であると認めたくないような容姿をしていた。
身長はアレクよりも遥かに高く、横幅も倍近くある。贅肉ではなく、全てが鋼鉄の如き筋肉に覆われている。顔も厳つく、桃色の髪の毛も短く刈り上げている。
彼女は中庭に転がっている自分の子分達の姿を見回して。
「ちっ。だらしないな、おまえら。こんな小勢にそんな一方的にやられるなんて」
「あ、姐さん、あいつらとんでもなく強いんすよ!」
さっき母屋の中に駆け込んで行った子分が必死に言い訳するが。
「言い訳すんじゃないよ!」
「ひぃっ!すんませんっ!!」
大喝されて頭を抱えて、下った。
女はどん、と床に自分の得物を打ち付けた。
刃の先端が三つに分かれており、一見刃が山形を成しているように見える三尖両刃刀だった。
とても女が扱えるようには思えない巨大な武器だが、女頭領は軽々と片手で扱っていた。
「どうやら子分どもが世話になったようだね」
頭領は三尖両刃刀をもち、無造作に母屋の縁から地面に降りた。
アレクとカーンが思わず一歩下がり、リーナ、レオン、レフと並ぶ。
「さっき名を叫んでいたね、なんだった?」
「アレク=ハーベスト」
「そうそう、そんな感じの名前だった」
女は頷いて、山猫のような笑みを見せた。
「ハーベストってのはハーン=ハーベストと関係があるってことかい?」
「ハーンは俺の親父だ」
「へえ」
女はまじまじとアレクを見つめて。
「父親よりもよっぽど男前じゃないか。まあ、腕前が伴ってるとは限らないが」
「んだと!」
「アレク!挑発に乗っちゃ駄目だよ」
前に飛び出そうとしたアレクをラインが制す。
「そっちの坊やは?」
ラインはアレクの前に出て、女と向かい合った。
「ラインハルト=シーザー。フロレシア帝国第十五代皇帝です」
「第十五代………」
「皇帝………」
女と子分は呆然と顔を見合わせ―――。
「わはははっ!いきなり何を言いだすかと思えば!皇帝だって?何を夢みたいな事を―――」
と、それまで笑っていた顔をそこでいきなり真剣な物に変えて。
「それは本当かい?」
「本当です」
やや憮然としながらもラインが答えると、女はいきなりにやぁっと笑って、三尖両刃刀をラインの頭めがけて振り下ろした。
アレクですら反応できないほどの速度。
誰もが体の動きの鈍さに苛立ちを覚えながら、ラインの美しい顔が腐った西瓜のように破裂する様を想像した。その想像は実に生々しく、現実的な物だった。
だが、実際にはそうならなかった。
それまで気配も無くラインの後ろに立っていたヴァンが滑らかな動きで前に出、女の一撃を己の剣で防いだのだ。女が三尖両刃刀を引き、ヴァンも一歩退く。
「彼は余の直護衛ヴァン=ブレイス」
ラインハルトはまるで何も起こらなかったと言わんばかりの落ち着き払った口調で、そう紹介した。
或いは今何が起こったのか気付いていないのかもしれない。女は再び山猫のような笑顔を浮かべて。
「面白い連中だ。どうだ、酒でも飲まないか?」
「私達は貴方方の討伐に―――」
リーナが目的を告げようとするのをアレクが片手で口を塞ぎ、
「良いね。ご馳走になろうか」
「あ、姐さん!こいつらは俺達の仲間を!」
子分達が慌てて言うが、女はじろりと子分達を見据えて。
「慌て者が!全員、気絶してるだけだ。お前は介抱、お前は酒の用意をしろ!」
「は、はいっ!」
「り、了解っ!」
一喝されて、子分達が散る。女はラインハルトを見ながら、名乗りを上げた。
「雇われて盗賊の頭領をやってる。レベッカ=オブライエンだ」
4 レベッカ=オブライエン
場所を母屋の座敷に移し、なぜか討伐に来たはずが、酒宴が始まってしまった。
ラインハルトはまだ酒が飲めないため、白湯である。
彼の隣に座るヴァンは白湯にすら手を付けていない。
そんな彼らをよそに、アレクとカーンは既に顔が赤くなるほどに飲み、女盗賊レベッカと盛り上がっていた。
「どうしてまたこんなちっぽけな盗賊を討伐しようなんて思ったのさ、んん?」
杯に満たした濁り酒をぐいっと豪快に煽って、レベッカが訊く。
負けじとアレクも酒を飲み干して、
「トリコに駐屯してる部隊が討伐隊を送って返り討ちに遭ったって聞いたからさ」
「それだけかい?それだけで、皇帝まで一緒に討伐に出てくるもんかい」
そんなわけ無いだろう、とレベッカの目が笑っている。
アレクも苦笑を浮かべて、
「お見通しか。その通り、俺がわざわざ討伐に出向いてきたのは討伐隊の兵に一人も死者が出なかったって言う話を聞いたからだ」
「そうかい。誰も死ななかったか。それは良かった。なあ、てめぇら」
「へい」
話を振られて、杯に酒を注いでいた子分が嬉しそうに相槌を打つ。
「―――珍しい盗賊さんですね」
声は、これもやはり酒を飲んでいなかったレオンの放った物だった。
彼はラインハルトのヴァンとは逆隣に座っており、その隣にはレフが座っている。
一同は座敷で車座になって飲んでおり、時計回りにレベッカ、アレク、カーン、リーナ、レフ、レオン、ライン、ヴァン、そしてレベッカの子分達が二人座っている。ちょうどレオンの真正面にレベッカが座っている形だ。
「珍しいって?何が?」
子分に酒を注がせながら、レベッカが聞き返す。レオンは品の良い姿勢で座りながら、
「盗賊なのに敵を殺さないようにしてるなんて奇妙だな、と思ったんです」
「ああ、それは余も思ってた」
ラインも頷く。それからその蒼い瞳をレベッカに向けて、
「どうしてなんです?」
どうにもレベッカの迫力に負けて、言葉が丁寧になってしまう。
だが別にラインは言葉使いで相手に威厳を示そうなどとはこれっぽっちも考えていないのだ。
王とは慕われるべきであって、恐れられるべきではないと言うのが彼の考えなのだ。
まあ、威厳が全くないのもどうかとは思うが。レベッカは何処と無く渋面で、子分達を見回した。
「こいつらが人を殺すのを嫌がってな」
「―――なんでだ?」
アレクが摘まみの山菜塩漬けを口に放り込みながら子分達を見る。
だが、子分達は口を開かない。
代わりに答えたのはレベッカだった。
「こいつらも今じゃ盗賊なんてあこぎな商売をしてるが、元はただの百姓なのさ。だが、重税に耐えられず、村を逃げ出し、生きる為に人から物を奪わなきゃならなくなっちまってるってだけの話しだ。元が百姓だから、人を殺す手段も知らない。あたいが雇われたばかりの頃、殺し方を教えようとはしたんだが、どうにも平和主義者なんだな。必要悪として敵を無力化するところまではできる。だが、その先はできねえって訳さ」
「盗賊に向いていないのではありません?」
ただでさえへこんでる子分達の心をぐさりと抉るような言葉を放ったのはリーナだった。
おしとやかで温和な美女からキツイ言葉を言われ、子分達の目に涙が滲む。
「泣くんじゃないよ!」
殴られて、子分達が転がる。レベッカは殴った拳を解き、わしゃわしゃと桃色の短い髪を掻き回して、
「言ったろ?お嬢さん、こいつらは元々百姓で、盗賊になんか向いてないんだ」
「だったら盗賊を止めれば良い―――」
静かな声に、全員の視線が黄金の髪を持つ皇帝へと集った。
レベッカは鼻で笑い、
「盗賊を止めてどうするのさ?野垂れ死ねってのかい?生きてる価値の無い塵なんか、さっさと消えちまえってか?」
「百姓に戻れば良い」
ラインハルトはレベッカの圧力をも跳ね返し、尚も、静かな声で続けた。
気勢を削がれたレベッカが口を閉じて、子分達を見る。
子分達は口をぽかんと開けて、ラインハルトを見つめていた。
ラインハルトも彼らを見返して。
「そもそも、貴方達が村を捨てなければならなかったのは余の父親のせいだ。迷惑を掛けたね」
そう言って、ラインハルトはその場で頭を下げた。
子分達はおろおろと顔を見合わせる。
「謝ったって、何の解決にもなりゃしない」
吐き捨てるように言ったのは、レベッカだった。
ラインハルトは顔を上げると、にっこりと笑って言った。
「この国の税は余が下げる。今はまだ貴族が大きな力を持っているけれど、いずれ貴族を倒してこの国を暮らしやすい国にしてみせる。だから―――だから、もう一度、百姓に戻ってくれないか?国の礎は貴方達百姓が汗水垂らして作る米なんだから」
「税を………下げる」
「暮らしやすい………国」
子分達は互いの顔を見合わせた後、気まずそうにレベッカを見て、
「でも、俺達が止めたら姐さんが―――」
「元を言えば盗賊のやり方も知らなかった俺達が無理矢理雇ったんだし―――」
「何言ってるんだい、おまえらは」
杯の酒を飲み干して、レベッカは吼えた。
「あたいはね、あんたらみたいな軟弱盗賊といつまでも一緒に居ようなんてこれっぽっちも思ってないのさ。お前らには盗賊稼業よりも、よっぽど百姓稼業の方が似合ってる。お前ら自身もそう思ってるんだろうが。おまえらが盗賊を止めるならあたいも晴れてこんなしょぼい盗賊の頭領なんてやらなくて済むって訳だ。清々するね」
乱暴な言葉だったが、そこには子分達に対する彼女なりの思いやりがあった。
子分達の両目から忽ち涙が溢れ出し、
「姐さん!」
「お世話になりました!」
レベッカに抱き着こうとして、
「むさくるしい男が寄るんじゃないよ、鬱陶しい!」
殴られて吹き飛んだ。ごろごろと転がり、廊下で止まる。
レベッカは手酌で自分の杯に酒を満たし、
「そうと決まれば解散の祝い酒だ!朝まで飲むよ!ほら、お前ら、いつまで転がってるんだ!客人達に酒を注いで、お前らも参加しな!」
「へ、へい!」
「了解っす、姐さん!」
「よーし、そうとなったら、じゃんじゃん飲もうぜ!」
アレクが子分に酒を注がせて胃に流し込む。
カーンも、リーナも杯を干し、ラインとレオンは白湯の入った杯を干す。
レフとヴァンは顔を見合わせて、
「我らも飲みましょうぞ」
「―――白湯なら」
「結構」
二人も白湯を互いの杯に注いで、飲み干す。
酒宴は大宴会へとランクアップした。
翌日―――帝国暦三三二年六月十日。
盗賊達は荷物を纏め、三々五々、砦を後にしていく。
最後に二人の子分が荷物を包んだ風呂敷を背負って、レベッカの前にやってきた。
レベッカは自室で、まだ酒を飲んでいた。
「姐さん」
「―――早く行きな。くよくよしてる時間は無いよ。村に戻って、仲間に謝って、荒れ果てた畑を生き返らさなけりゃならねえんだろ?」
「長い間、お世話になりました!」
「おう」
そして、二人の子分も去り、レベッカ一人が残った。
そこへ、ラインハルトがやってきた。
「みんな、行っちまったよ」
レベッカは昨日の口調とは裏腹な、寂しげな笑みを浮かべた。
「もしかして、余は余計な事をしたのかな?」
「んな事はねえだろ。あいつら、商人から分捕った戦利品も何も持たず、さっさと荷物を纏めて行っちまった。そんだけあいつらも百姓に戻りたかったんだろうよ」
「―――そう………頭領さんはこれからどうするの?」
「頭領はもう終わりだ。元の傭兵稼業に戻るさ」
「だったら、雇われて貰えないかな?」
「―――あんだって?」
怪訝そうに眉間に皺を寄せるレベッカ。
「帝国軍には傭兵軍団って言う部隊が居るんだ。どうだろう、余に仕えてくれないかな?」
レベッカはまじまじとラインハルトの顔を見つめて、
「あたいは高いよ」
「構わないよ。それに戦で功績を挙げれば正規部隊の指揮官にもなれる………と思う」
レベッカは尚も考え込んでいたが、ふと顔を上げるとあの山猫のような笑みを浮かべて見せた。
「良いだろう、あんたに仕えよう、皇帝陛下」
「よろしく、レベッカさん」
「レベッカ=オブライエンだ。皇帝が部下にさんを付けるのは格好が悪いだろ」
「そうかな?」
「そこん所はけじめだよ」
「わかった。よろしく、レベッカ」
「あいよ」
「―――と言う事で、レベッカ=オブライエンが傭兵軍団に加わる事になった。良いよね?」
「別に構わないんじゃないか?」
「まあ、彼女が強いのは事実ですから」
「私も良いと思います」
「僕が口を挟める問題じゃないですよ、陛下」
「…………」
「…………」
反対意見零という事で、レベッカ=オブライエンの登用が決した。
「とはいえ、父さんに聞いて見ない事にはわからないなぁ」
宰相の顔を思い起こし、ラインは軽く肩を竦めた。
「さあ、盗賊の討伐も終わったし、トリコに帰ろうか」
「おう!」
「了解」
「なかなか楽しい夜でしたね」
「良い経験が出来ました」
「…………」
「…………」
こうして、一行はトリコへと帰って行った。
「―――ところで、レベッカ?」
「あん、なんだ?」
「盗賊の戦利品は持ってこなくて良かったの?」
「―――あ」
「レベッカも盗賊には向いてないみたいだね」
「うるさい。あたいは初めから一介の傭兵なんだよ」
トリコの市長官舎に戻ったラインを、オルンヘルが出迎えた。
「陛下!お待ちしていましたぞ!―――そちらの大柄な女性はなんだ?」
「レベッカ=オブライエン。今日から余に仕えてくれる事になったんだ」
「傭兵、か?」
「そうだよ。なんか文句があるの?」
「言葉使いを直した方が良いな。私は宰相だ。一介の傭兵ならば言葉遣いに気を付けろ」
「へん。宰相だか最小だか矮小だか貧小だか知らないがあたいに喧嘩を売ろうとは良い度胸だね」
オルンヘルとレベッカはしばし睨み合った後、ふいっと互いに顔を逸らして、
「陛下、エシュアから報告が参っています」
「あ、うん」
「アレク、とりあえずあたいはあんたの部隊に身を寄せさせて貰うよ」
「え?あ、はぁ」
レベッカがアレクの腕を掴んで引きずって行く。
「ああ、アレク!待って」
リーナがその後を追い、
「それじゃ俺も失礼します」
カーンが去って行き、
「僕達も少し休ませてもらいますね、陛下」
「ああ、ゆっくり休んで、レオン。レフも」
「…………」
無言で一礼したレフを連れ、レオンも自分用に与えられている部屋に引き上げていく。
後にはラインとオルンヘル、それにヴァンだけが残った。
「こっちだ」
オルンヘルに伴われて、官舎の奥にあるラインハルトの寝室に入る。
そこには白髪の、異様に鋭い目付きをした男が待っていた。
皇帝直属の諜報機関暁の頭領エシュアだ。ラインハルトがソファに腰を下ろし、エシュアに目を向ける。
「エシュア、良いよ」
「はっ。御報告致します。帝都ルーガにて本日未明第一軍ルト=リューベン閣下が挙兵いたしました。君側の奸を討つと号し、ルーガ城を制圧、帝都防衛隊はガルヴィン=ジングリッド隊長以下抵抗の末降伏・武装解除されて四聖の間に押し込められています。城内の使用人も同じく四聖の間に。神官軍団・傭兵軍団は帝都を脱出してこちらに向かっています」
四聖の間とはルーガ城内にある大会議室だ。その収容人数は五百人とも言われている。普段、国議などに使われている。会議の内容が外に漏れないよう、壁は防音仕様になっており、厚いので、とても内側から破る事は出来ないだろう。
「―――それで?」
「帝都にアルンヘル=へード以下一万余を残し、残る全軍で神官・傭兵の両軍団を追撃中」
「つまりは………予定通り、という事だね?」
「―――御意」