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覇皇伝

第一章 スタルナスの西進

第一章 スタルナスの西進
1 黒曜の謀臣
帝国暦三三三年九月二日。
空から何十匹もの虫が羽ばたき、羽で空気を掻き混ぜながら降下して来る。
「…………」
ケレース=マッカランは闘牛の如き闘志を今は内に収め、何処となく憮然たる面持ちでこれを迎えていた。彼が今立ち、そして虫達が降下しようとしている場所は元々、ルビーザの里で集会場としても使われていた広場だ。虫が脚を地に付け、羽を折り、体勢を低くする。その光景を見つめながら、マッカランは何処か違う場所の音を聞いているかのようだった。まだ戦闘は続いている。遠くから剣戟の音や悲鳴が断続的に響いてくる。マッカランの率いた第一軍二万五千はルビーザの谷を一分の隙間もなく完全に包囲した後、マッカラン自身を先頭にした騎兵集団で村に突撃した。
谷の斜面にへばりつくようにして作られている畑、谷の底に身を寄せ合うかのような集落。
風を集めて動力とし、穀物を砕く風車小屋。
争いとは無縁で長閑な村落だったはずのルビーザは一瞬にして阿鼻叫喚の地獄と化した。
スタルナス軍は容赦なく家々に火を放ち、逃げ惑う人々を殺戮していった。
村を逃げ出した者。村の外にいた者。彼らは山に逃げ込もうとした。しかし、山は既に、スタルナス兵で溢れていた。村人達はそこかしこで追い詰められ、彼らは戦った。さすがはあのウィール=フォン=フリードリッヒが警戒するだけあって、覚悟を決めた後のルビーザの民は強かった。死を決し、生き残ろうと必死にあがく彼らの抵抗によって、被害が相次いだ。撃破され、潰走させられた部隊すらある。万全の体制を整え、待ち構えていたにも関わらず、だ。だが、スタルナス軍は圧倒的な数の優位を保ち、すぐさま新たな部隊を投入して、疲労したルビーザの人々を狩った。その狩りは今尚続いている。手負いの獣の抵抗は激しくとも、抵抗し続けていられる時間は限られるものだ。
「これはこれは………酷い物ですね」
巨大な蝿から降りたベルデが辺りに漂う血の匂いにかすかに顔をしかめる。いや、しかめて見せたと言ったほうが良いだろう。周りに居る兵達に対する芝居だ。もしくはマッカランを馬鹿にしているのか。
マッカランの目にはしかめた仮面の奥で、ベルデの整った顔が陶然としている様が見えていた。
黒曜の美貌と讃えられるベルデ=グラガンモアはその口元に妖しい微笑を浮かべて、広場を彩る血の饗宴を眺めていた。槍や剣、弓によって殺されたと思しき無数の死体の中に、数体、人間の仕業とは思えないほどに切り刻まれ、原型を留めていない死体が転がっていた。それらの死体を見、辺りに漂う濃い血の香りにうっとりと眼を細め、空間を埋め尽くす死せる者達の怨嗟の声に耳をそばだてる。
「何しにきやがったんだ、てめぇは」
投げかけられた乱暴な言葉に、ベルデはマッカランを見る。その視線が動き、マッカランの右腕に移る。
返り血に染まってどす黒く変色した彼の軍服は右腕の部分だけが裂け、地肌が露になっていた。
剥き出しになった逞しい右腕には複雑な紋様が刻まれており、生乾き状態の血が右腕全体を覆っていた。
彼の右腕には古代の秘法によって、精霊が封じられている。右腕に刻まれた紋様はその精霊の力を押さえつけ、服従させ、操るための物だ。戦場となった広場に転がっている無残に切り刻まれた死骸こそ、マッカランが己が右腕に宿る精霊の力を解き放った証拠。そして、その術式を彼に施した者こそ、今彼の前に立つ、古代の秘法を受け継ぎし一族の者、ベルデなのだった。
「右腕の調子はいかがでしょう、閣下?」
ベルデの言葉に、マッカランが表情を変える。忌々しげに右の二の腕を掴んで、
「ふん。………人の言う事を聞きたがらねぇ、人を切り刻むのを楽しんでやがる糞精霊だ」
「しかし、閣下は見事にその精霊の力を御されているようです。安心しました。暴走しないかと気が気ではありませんでしたから。暴走していれば、甚大な被害を及ぼしたでしょう」
「なんだと?………貴様、この術は絶対に安全な術だと請け負ったのは貴様だろうが!」
「術そのものは絶対に安全です。ただし、宿した精霊が宿主の身体を気に入らなかったり、宿主の精神が精霊を己が身に宿し、操る負荷に耐え切れなければ精霊は暴走し、宿主の身体を引き裂いていたでしょう。だが、精霊は閣下を気に入り、閣下は精霊の負荷に耐えた。喜ばしい限りです」
「貴様ぁ………何故それを予め、教えなかった?」
「教えてどうなるのです?自分が死ぬ事を恐れて、閣下は秘術を施されるのを拒否しましたか?しないでしょう?ならば余計な事です。余計な心配を掛けて精神に負荷を与えれば、それだけ精霊の暴走を招く可能性が高まるのですから」
「くっ………貴様、ここに来た用はなんだ?自分の施した秘術の結果を見定めに来ただけか?」
不機嫌そうに訊くマッカランに対し、ベルデは口元に余裕の笑みを浮かべたまま、丁寧に首を振った。
「違います。それだけならば、虫の報告で十分。ここに来たのは遂に発見したからです」
「発見?………何をだ?」
怪訝そうに訊くマッカラン。ベルデは艶やかな微笑を浮かべて、
「無論、古代の兵器を、ですよ。私は貴方をお迎えに参上したのです。既に殿下とウィール卿は現場に向かっておいでです。急ぎましょう」
「待て。前線指揮官の俺がいなくなれば、これ以上の進撃は出来なくなるぞ?」
「構いません。古代の兵器が稼動するのであれば、少々の遅れなどすぐに取り戻せます。三日も戦い続きの将兵に少しの休息を与えてやるのも、指揮官の役目では?」
「それは無論、殿下の御命令なのだろうな?」
鋭い声音で、マッカランは確認する。
「当然です。私は殿下に忠誠を誓いし者。殿下の命令なくばいかなる行動も起こしはしません」
ベルデは不必要なほどに丁寧な口調で、そう言った。
遠方から響いていた剣戟の音はいつの間にか途絶えていた。
「伝令!閣下はいずれに!」
そう怒鳴りながら、伝令兵が飛び込んでくる。
「おう!俺はここだ!」
マッカランが大声で己の居場所を教えると、伝令兵は彼に駆け寄って、地面に片膝を落とした。
「報告!東側斜面に逃れた敵は全て殲滅しました!被害は凡そ四十、内死者は二十二!」
「御苦労。見張りを厳重にし、前進の準備を整えつつ戦線を纏めろ。終わり次第、待機。野営の支度をし、兵を休ませろ。戦闘配食を配るよう輜重隊に伝えろ」
「はっ」
マッカランの命を受け、伝令兵が駆け戻っていく。
「―――終わったのですか?」
言外に、楽しみが終わってしまったのを惜しむような感じを滲ませてのベルデの言葉に、マッカランは東側の斜面を見上げて首を振った。
「北と南は既に掃討を終えたと報告を受けてる。東は今報告が来た。西がまだだ」
「取り逃がせばのちのち厄介な事になるやも。ルビーザの血には特殊な能力が宿ると言われていますので」
「特殊な能力?………確かにルビーザの者どもは並外れて勇敢ではあったが、そのような特殊能力を持つ者は居なかった筈だ。そのような報告は受けていない」
「そうですか。時の流れには逆らい難きもの………既に喪われたのかもしれません」
ベルデは何かを考えるようにして、虚空を見つめる。
「西も直に終わるだろう。殿下の下へ行くぞ」
「ええ」
そして、虫達は飛び立って行った。
残されたスタルナス兵達は早くも、広場の死体を片付け、野営の支度を始めていた。

木々が隙間なく生い茂る密林の上を虫で飛ぶ事一時間あまり。
「あそこです」
ベルデの言葉に、マッカランは首を伸ばして、向かい風に眼を細めながら前を見た。
それまで隙間なく地表を覆い隠していた木々が何故かそこだけ生えてない、明らかに不自然な空き地を。
まるでそこだけ木々が避けているかのような印象を受ける。虫がその空き地の上空でホバリングした後、垂直に降下していくと膝丈ほどの草が茂る草原が放射状に薙ぎ倒される。着陸した虫のはっきり言ってごつごつしていて座り心地のすこぶる悪い背中から降り、マッカランは周囲を見回し、空から見た景色を今度は地上から再度確認した。北側には崖があり、切り立った断面を見せている。
それ以外の三方は、どれも二百m程先からは密林に変わっていた。無論、その先を見通す事は出来ない。
「なんでここだけ?」
「さあ、それはなんとも。ただ、自然とこうなった訳でない事だけはわかります」
ベルデは淡い微笑を浮かべて、辺りを見回していた。
「古代の技術は我らの常識を凌駕している。彼らを理解する方法は一つだけですよ、閣下」
「なんだよ、その方法って」
崖の方に幾つかの人影を見出し、そちらへと歩きだしながらマッカランが先を促す。
ベルデもまた歩き出しながら、くつくつと不気味に笑って。
「彼らを理解しようとせず、ありのままに受け入れる事ですよ」
「なんだそりゃ………結局、なんもわからねぇって事じゃねぇのか?」
「ええ、勿論。彼らの技術を理解しようなどとは分に過ぎた事です。それにその技術を作り上げた彼らの思想には興味ありません。興味があるのは、その兵器はどのようにして使えば良いのか。そしてその結果、殿下の覇道にどれほど益を齎すのか、と言う事だけです」
「ふん」
ベルデの悟りきった言動に、マッカランは不快気に鼻を鳴らした。
崖の前ではオルテガ=スタルナスとウィール=フォン=フリードリッヒ、それに数人の虫人が彼らを待っていた。
「ケレース=マッカラン閣下をお連れしました、殿下」
「殿下が御呼びと承り、馳せ参じました」
ベルデとマッカランがオルテガの前に頭を垂れる。
「さあ、早く古代の兵器とやらを俺に見せろ、ベルデ」
オルテガは二人の挨拶には一顧だに払わず、崖にぽっかりと穴を開けている洞窟を示した。
「はい。ただちに」
ベルデは頷くと、虫人を先頭に配し、洞窟の中へと進んで行く。
そのすぐ後ろにオルテガが続き、その後ろにウィールとマッカランが並んで進む。
松明を持って居るのは虫人だけだった。
が、どのような原理なのかは不明だったが、洞窟全体が仄明るかった。
「これも古代の技術か?」
オルテガが前を行くベルデに聞く。
「いえ。これはただのヒカリゴケでしょう。暗く湿り、地熱の高い洞窟を好んで生息する植物です」
「そうか」
「確かに蒸し暑いな、ウィール」
「ああ………」
マッカランの言葉に、白皙の美貌と賞賛されるウィール=フォン=フリードリッヒは軍服のポケットから取り出した物を口元に運び、小気味良い音を立てながら噛み砕いて食べる。
「相変わらずだな、おまえは。また煎り豆か?」
呆れたとでも言いたげな表情をするマッカランに、ウィールは真顔のまま、
「これさえあれば私は数日に及ぶ強行軍でも耐えられる」
言って、バリバリと噛み砕く。
洞窟には様々な罠が仕掛けられていた。
踏むと左右から矢が飛び出してくる石と何も起こらない石がぐちゃぐちゃに配された通路。
ここで一人の虫人が全身に矢を浴びて、絶命した。
頭上から差し込んでいる光を遮ると巨大な斧が振り下ろされてくる下り坂。
ここで、さらにもう一人の虫人が身体を縦に二分されて絶命。
さらには古典的な、巨石が通路を転がり落ちてくる物。
「俺に任せろ」
そう言って、マッカランが転がり落ちてくる巨石に向けて右腕を向ける。
その腕に刻まれた紋様が赤く輝き、血が噴き出す。
その痛みに構わず、マッカランは右腕で空を薙ぎ払った。
「全てを切り裂け。我が身に宿りし《斬精霊-リッパー》よ!!」
次の瞬間、彼らを押し潰す勢いで転がり落ちてきていた巨石が、一瞬にして無数の砕片に化すまで切り刻まれた。
「さすがだな、ケレース」
「はっ」
オルテガの賞賛に、身を折って一礼するマッカラン。
「さぁ。先を急ぎましょう」
そう言って、ベルデは虫人たちを急かして洞窟の奥へと進んで行く。
そして、入り口から考えれば一時間ほども歩いた頃。
虫人の持つ松明の明かりが途方もなく広い空間の一部を照らし出した。
向こう側が見えないほど広大な空間が、彼らの眼前に広がっていた。
空間は前方にも、左右にも、そして上下にも広がっていた。
彼らはちょうどこの空間の、二階回廊とも言うべき場所に出たらしい。
その回廊は彼らの眼前で空間の中央へと張り出しており、テラスを形成している。
一行はそのテラスから、眼下を見下ろした。
「見えないな………」
獣が唸るような低音で、オルテガ。松明の光が下まで届かないのだ。
「松明を落とせ」
ベルデが虫人に命ずる。虫人が松明を落とすと、松明はくるくると回転しながら落下していき、空間の底の部分の光景を露にした。とはいえ、見えたのはその一部に過ぎないが。
「これは………」
「素晴らしい!」
ウィールが呻くのを遮って、ベルデがテラスから身を乗り出すようにして下を見た。
「ありゃあなんだ?………人形か?」
松明の光に照らされて複雑な影を成している物は人の形をしているように見えた。
しかし、それにしては全体的に太いし、肩の部分も以上に盛り上がっている。
大きさはすぐそばに落ちている松明と比べて見れば、大体はわかる。
人間よりも、一回りか二回り程度、大きいぐらいだろう。
古代の兵器と言うからには巨大な物だろう、と勝手に想像していただけに、やや拍子抜けするような印象だ。ただ数は多かった。松明の明かりに照らされた範囲だけでも十数体。
この空間全体にびっしり並べられているのだとすれば千体は下らないだろう。
「下へ降りるぞ」
オルテガは興奮を抑えきれない様子でそう言い、さっさとテラスの脇から伸びる階段を降り始めていた。
「あ、殿下!危険かもしれませんので御注意ください!」
慌てて、ベルデと虫人達も後を追う。
ウィールとマッカランはまだテラスの手摺を掴んで、下を見下ろしていた。
「これが全て動くってのか?………信じらんねぇな」
「これは凄い………かもしれないぞ、マッカラン」
呆然として、事態を飲み込めていない様子のマッカランとは異なり、ウィールは事態を飲み込み、そして興奮していた。興奮したまま、ポケットに手を突っ込み、掴みだした煎り豆を口に含んで噛み砕いている。その所作も何処となく慌しい。
「これがすべて動くのであればフロレシアとの戦力差も引っ繰り返るかもしれないぞ」
「ウィール!ケレース!何をしている!早く来い!」
階段の下から、興奮したオルテガの声が響く。
「はい!只今!」
ウィールは答えてから、マッカランの肩を掴んだ。
「私達は正解を選んだらしいな、マッカラン!」
マッカランもようやくにして、事態を飲み込み始めていた。
自分達はあの、超絶した技術を持っていた………らしい古代文明の遺産を手にしようとしているのだ。
しかも、その古代兵器はただの遺産ではない。もしかしたら起動するかもしれないのだ。
「俺達は正解を選んだんだ、ウィール!オルテガ殿下に付いて行けば、勝てる!」

2 機神兵
ウィールとマッカランが古代兵器の並べられている空間の最下層に辿り着いたとき、ベルデは既にその内の一機を調べていた。
近くで見てみると、思っていたよりも大きい事がわかる。
全高は三m程だろう。両腕が身体の他の部位よりも肥大化されており、主な戦闘手段はその両腕による殴打らしい。巨大な甲冑を着込んだ武者のように見えない事もない。
その目は空洞で、言い知れぬ深淵を顕しているかのような闇があった。その人型兵器の肩に攀じ登り、ベルデは人型兵器の首筋の埃を払い、そこに書かれている古代語を読み上げた。
「どうやらここに眠っている兵器は機神兵と言うらしいですね。ここには《軽装甲機神兵》と書かれてあります」
「軽装甲とはどの程度の物なのだ?」
「マッカラン閣下。この機神兵を斬って頂けますか?」
「大丈夫なんだろうな?」
「斬られてしまう程度の装甲だとすれば、かなり心許ないな」
ウィールが冗談めかして笑う。が、目元は笑みを浮かべていなかった。
スタルナス帝国とフロレシア帝国の間にはその軍事力に大きな隔たりがある。
この機神兵とやらに、その両国の軍事バランスを覆すかどうかと言う期待が掛かる所だ。
(それに、この俺がこいつを持つ事で、革命はよりスムーズに運ぶだろう)
と言う考えも、オルテガにはある。
ベルデが機神兵の肩から降り、マッカランが機神兵の前に立つ。
息を整えて、剣を抜き、青眼に構えて、精神を研ぎ澄まし―――。
「おりゃぁぁぁあああああっ!!」
気合一閃。渾身の力を込めた一撃が、機神兵の顔面を襲う。
ガッ!キィィィイイインッ!!
砕けた剣身の破片が、辺りにばら撒かれる。
だが、機神兵には傷一つ付いていなかった。ただ、埃が払われただけだ。
「っ~~~かってぇな、こりゃ」
柄だけになった剣を持つマッカランの両腕はびりびりと痺れていた。
己の剣が完全に砕け散るほどの一撃を放つ彼の膂力も凄い。
「今のマッカランの一撃でも傷つかないと言うなら、実用に耐えられると思います」
ウィールが安堵したように告げ、煎り豆を口に放り込む。
オルテガも満足そうに頷いて、
「ベルデ。出来るだけ早くここにある機体を全て調べろ。起動可能な物と修理可能な物のみ掘り出し、修理も不可能な物はここに残し、洞窟の入り口を塞げ。虫人を総動員してすぐに掛かれ」
「御意」
恭しく、ベルデが頭を下げる。
それからオルテガはウィールとマッカランに向き直り、
「俺とウィールは本営に戻る。マッカランも自陣に戻り、作戦を続行しろ。ルビーザの殲滅は終了したのか?」
「あらかた片付いたと言う状態で、陣を離れました。今頃は終了しているだろうと思います」
「ならばすぐに前進を再開しろ。良いな?」
「御意」
「よし、戻るぞ」
この日、スタルナス帝国軍は機神兵を手に入れた。
だが、この事は極秘扱いとされ、オルテガ周辺の数人のみが知る物となったのだった。

翌日。ベルデは百名余りの虫人を引き連れ、この洞窟を再訪した。
始めて見る機神兵の姿に、虫人たちが息を呑み絶句する。
昨日は自分も興奮していたくせに、ベルデは冷静に虫人達に指示を飛ばす。
「これからこの機神兵の起動方法を教える。やり方を覚え、ここに眠る全ての機神兵を起動させろ。中には老朽化によって壊れている物もある筈だ。起動しない物はそのまま放置しろ。起動したらすぐに機神兵は命令を求めて来る。そこで『洞窟の外に出て待機』と命じろ。良いな?」
まず今後、彼らがしなければならない事を命じ、ベルデは昨日調べて起動しそうだと判断した一機に攀じ登った。
「電源は首の後ろ、うなじの部分にある。わかり難いとは思うが、撫でて見れば突起部分があるのがわかる。そこを押し込めば電源が入る。逆に引けば電源は停止する。ではこれから起動させてみる」
虫人達は固唾を飲んで、ベルデの所作を見つめている。
正直、彼らにとっても機神兵が動くかどうかは半信半疑だった。
彼ら自身、虫を操るという古代文明からずっと伝えられてきた技術の継承者な訳だが、それでも何千年と言う長きに亘って地下で眠り続けていた機神兵が動くとは思えなかった。
しかし、ベルデが機神兵の首筋にある電源を押し込んだ途端―――。
機神兵の太い腕がかすかにぴくりと動いた。
ベルデが慌てて首筋から飛び降り、機神兵の様子を見守る。
彼の胸中には虫人たちとは異なる危惧がある。
(もしや、我々を侵入者と見て攻撃して来ないだろうか?)
と言う物だ。もし、機神兵が暴走すればどうなるか………。
ベルデはかすかにそれを期待するような輝きを瞳に浮かべて、その情景を脳裏に描いた。
しかし、そんな彼の期待を裏切って、機神兵は暴走する事はなかった。
腕の動きがぴたりと止まり………虫人たちがざわめき、説明を求めるようにベルデを見る。
もしや、起動に失敗したのでは?
彼らの目が雄弁にそう言っていた。しかし、ベルデは動かなかった。その姿は何かを確信している様にも、期待しているようにも見える。だが、実際にはベルデも内心で大いに困惑していた。
(失敗なのか?………それとも、起動に時間が掛かるのかもしれない………)
どちらにせよ、何をどうすれば良いのかわからないのだ。
見守るしかない。失敗を断ずるには、未練が残る。確かに機神兵の腕は動いたのだから。
だがやがて。
―――ブゥオオォン………
そんな鈍い音と共に、それまで深淵の闇を映していた瞳に薄緑色の輝きが宿った。
「おおっ………」
虫人たちが揃って、一歩後ずさる。逆に、ベルデは機神兵の前に歩みを進めた。
機神兵の緑色の瞳が、ベルデを映す。そして、ぎこちない男声で、訊いてくる。
『ゴ命令ヲ、マスター』
機神兵が何故、古代語ではなく現代語で聞いてきたのか一瞬わからず、ベルデは間を開けた。
が、すぐにその謎を理解しようとするのではなく、受け入れる。
「………。洞窟の外で待機しろ」
『了解シマシタ』
命令を受諾し、機神兵がきしみ、埃を振り払いながら一歩前進する。
重い躍動が、床を伝わって虫人達の心を震わせた。
彼らはまるで大声を上げるのを憚るかのように互いに肩を抱き、無音で歓声をあげた。
やがて、一歩一歩、ずしんと重く響く足音を残しながら、機神兵が外へと通じる通路に消えていくと。
「やったぁぁっ!!」
「機神兵が動いたぞ!!」
彼らは遂に我慢できなくなって、歓声を爆発させた。
「さあ、これからだ。全ての機神兵を調べろ」
ベルデの命令で、虫人達は勇み立って散っていった。
次々に起動された機神兵が外に出て行く。
ベルデはその様を見ながら、機神兵の数を数えていた。
(各方面に分割して配属するのであればやはり千は欲しい………)
この空間には全部で何体あるのかもわからない。
しかも、虫人からの報告で、この空間のもう一層下にも同じような空間があり、そこにも機神兵が同じように眠っているのだという。
膨大な数の機神兵が、この遺跡には眠っていたのだ。
再びこの洞窟を訪れ、眠りを醒ます存在が現れる日を待って。
だが実際には彼らにとってこの数千年と言う時間の流れはやはり長かったらしい。
電源を押しても全く反応しない機神兵も多い。
しかも、中には―――。
「うわあああああっ!!」
悲鳴が響いた。ベルデがそちらに視線を向ければ、ちょうど虫人の一人が機神兵に捕まっている所だった。左手で上半身を、右手で下半身を握られ、機神兵の頭上へと掲げられている。
「助けてくれえええっ!!」
そんな悲痛な叫びも、機神兵には届かない。
『侵………入者………排除』
暴走した機神兵は、そのまま雑巾を絞るかのように、哀れな虫人を捻じ切った。
人間が呆気ないほど容易に壊され、血や骨、肉や内臓がばら撒かれる。
「べ、ベルデ様ッ!!」
虫人達が悲鳴をあげる。ベルデは軽く舌打ちを漏らし、だがすぐに余裕の笑みを取り戻した。
「これは良い機会やも………」
そして、起動させたばかりの機神兵に向かって、命じる。
「あの暴走した機神兵を破壊しろ!」
『了解シマシタ』
機神兵は応じ、のそのそとした歩みで暴れる機神兵に近づき―――。
両肩の盛り上がったパーツが剥落した。そこから現れたのは、黒光りする砲身。
それは、虫人達の知識の中では名前と評判のみの存在である鉄砲に酷似していた。
しかし、その砲身はただの鉄砲の物とは大きく異なっていた。
六本もの砲身が束ねられていたのだ。そして、その砲身が高速で回転しながら鉛の塊を次々に吐き出していく。鉛の塊は機神兵の装甲をやすやすと貫き、暴走していた機神兵は瞬く間にばらばらに分解されてしまった。轟音と共に鉛の塊を次々に、それこそ雨のように吐き出すその兵器を虫人達は無論、なんと呼べば良いのかわからない。
暴走していた機神兵を破壊し、破壊命令を遂行した機神兵に再び待機命令を出して、ベルデは虫人達を作業に戻らせる。
ベルデは破壊された機神兵の破片を拾い上げた。見た事もない金属だった。
金属特有のずしりとした重みを感じない。軽いのだ。
(この軽さであの強度………だが、その装甲をやすやすと貫くあの兵器は大いなる力となる)
戻っていく虫人を見送りながら、ベルデは改めてこの機神兵の威力を再確認していた。
(あの………何と呼ぶべきか………)
オルテガに機神兵の兵装についても報告しなければならない彼としては、出来るだけわかりやすい、かといって実務的過ぎないほどに装飾性を含んだ名称を考えなければならない。
(高速連射砲では………あまりに素っ気無い………まぁ、良い。いずれゆっくりと考えよう)
とりあえず名称の問題は脇において、この機神兵を戦闘に投入した場合の事を考える。
決定的な破壊力と言わざるを得ないだろう。
この六連高速連射砲(仮称)で、フロレシア帝国兵を薙ぎ払えば、一体どれほどの戦果が挙げられるか計り知れない。だが、軽装甲と言うだけあって、装甲はかなり脆弱なようだ。
剣や槍では傷つかなくとも、鉄砲の弾丸は容易く貫いてしまうようだ。
(だが、城壁などの障害物に身を隠しながら薙射すればどうだろう………)
つまりは城に配備すると言う事だ。城壁に群がるフロレシア帝国兵は文字通り殲滅されるのではないか?
(面白そうですね………これは)
ベルデはその口元に、妖しい微笑を浮かべ、瞳をぬらりと輝かせた。
その後も、機神兵の起動と運び出しの作業は順調に進んだ。
動かない物も多く、また起動したとしても何らかの故障が原因で動けない物もあった。
オルテガは修理出来そうな物も運び出せと命じたが、実際問題、機神兵の修理が出来る人間など今のラスカーナ大陸には存在しないだろう。結局は自力で動ける物だけを運び出すしかなかった。
中には暴走する物もあり、起動済みの機神兵で撃破する過程で戦闘となり、まだ起動を試していない機体を巻き込む事も多かった。また暴走した機体によって、起動に成功した機体を破壊される事もあった。
しかし、全体的に見れば運び出しは順調だった。
ベルデは一階部分の全機神兵の起動を終えたところで、洞窟の外に出た。
そこではかなりの数の機神兵が整列し、待機していた。
ベルデは外で見張りをしていた虫人に、聞いた。
「数はどれほどだ?」
「現在の所、およそ三百です」
「三百」
存外に少ない。が、一階部分にはおよそ千機あったが、その内の半分は起動すら出来ず、百機ほどは起動できても満足に動けず、五十ほどが暴走し、五十ほどが破壊されたのだから、そんな物なのだろう。
下の層にどれほどあるのかわからないが、恐らくは同数程度だろう。
(だとすれば六百………)
出来れば千機は欲しいところであったが、そうそう上手く運ぶはずもない。
「私は一端本営に戻り、殿下に御報告申し上げる。誰も近づかないとは思うが、警戒を厳重に。下の層の運び出しも急がせろ」
「はっ」
虫人に手早く指示を与えると、ベルデは草原の端で待機していた己の虫に跨り、飛んだ。
垂直上昇しながら、ベルデは眼下の草原に機神兵が整列している様を見下ろした。
壮観と言って何の差し支えもないような光景だった。
「この機神兵の存在が、この大陸の歴史を大きく変革させるに違いない」
満足げにそう零し、彼は虫を操って本営の方向へと飛び去った。
オルテガ殿下に三百機の発掘に成功し、尚も作業は続行中である事を報告し、その兵装の威力を説明し、実戦上での運用法を提案し、今後の機神兵の扱いを訊ねるのだ。
あれだけの巨体、あれだけの数を機密扱いとして本国の参謀部にすら知られないようにするのはかなり難しい。いや、常人ならばまずもって不可能だと断ずるところだろう。
だが、オルテガが革命において、あの機神兵を使いたいのであればそれまでに帝都周辺にまで運ばなければならないのだ。あれだけの巨体では、荷馬車で運ぶのも難しいだろう。
幸い、自力で歩行できるのだから本国に持ち込むのは容易だ。
山間部を抜けさせれば良い。だが、帝都に近づけば近づくほど人口密度は増し、身を隠せるような山も減っていく。そのような状態で、どのようにすればあの機神兵を隠密裏に運ぶ事が出来るのか。
その腹案も、既にベルデの腹の中に納まっていた。
作業には実質三日の時間を掛けた。
後、二、三日中にはケレース=マッカランの第一軍がラスカーナ大陸の西海岸に達するだろう。
帝国の版図は西部辺境領を飲み込み、広大な物となる。
フェニキア自由都市連合との貿易によって齎される利潤は帝国の国力再興に大きく寄与するだろう。
「三年と言う不戦期間は実にあり難い………」
向かい風に眼を細めながら、ベルデは笑った。
この不戦期間があったればこそ、スタルナス帝国は西進政策を打ち出すことが出来た。
そのおかげで、ベルデは機神兵を発掘する事が出来た。
海も手に入れる事が出来る。フロレシア帝国も海を手に入れるだろう。
だが、カズリクからフェニキアよりも、フェニキアからスタルナス帝国が手に入れようとしている西部一の港湾都市スザンの方が近い。交易の利潤はスタルナス帝国の方が上回るだろう。
「不戦期間が終わった後………覇権はいずれの手に帰するのか………」
オルテガ=スタルナスか。ラインハルト=シーザーか。それとも、別の第三者か。
「楽しみだ。楽しみですよ。ふ、ふふふ………」
妖しい笑みを浮かべながら、ベルデは空を翔けて行く。

3 スザン
帝国暦三三三年九月十一日。
運河の街。水と芸術の街。戦争とは無縁な、平和な街。
そこは、そんな風に呼ばれていた。スザン。それがその街の名だった。
西方辺境ウィザ地方より、さらに西。中原に栄えるスタルナス帝国から見ればそこはまさにラスカーナ大陸の果てとも言うべき地だった。海岸線のすぐ傍まで急峻な山地が迫り、幾筋もの川が途中で分かれたり合流したりを繰り返しながら海に注ぐ。山に雨が降れば洪水に全てが洗い流される、人が棲むには厳しい土地だった。かつては。だが、現在、スザンは辺境とは思えぬほどに栄えていた。
フェニキアの船はこのスザンを経て、さらに南のカズリクへと販路を伸ばしているのだ。
この街が栄えるようになったのはやはりフェルモア=シーザーの功績と言うべきか。
彼がその覇業の最終章としてウィザ地方を征服した頃、スザンは僅か数千人の人々がほそぼそと漁業を営んで生活しているだけの貧しい漁村だった。
ここを征服したフェルモアはウィザ地方を合わせたこの大陸西方の僻地を治める為の総督府をこのスザンに置き、治水工事をして、当時『悪魔の七首』と畏怖されていた七本の大河を無数の小さな流れに分け、洪水の可能性を限りなく低減させた。フェニキア自由都市連合の商船がこの街を貿易の中継点にし、ラスカーナ大陸各地へと足がかりを広げていったのもその頃だ。後に、大陸の北方や東方への交易拠点は、現在のルシタニア連合王国北方の一王国であるホンブルク王国へと移ったが、スザンは依然として大陸西方や南方との交易拠点として栄えてきた。現在では大陸中原の諸国との交易はほとんど途絶えていたが、それでもスザンは豊かな交易国としての地位を保持していたのだ。カズリクのような自由都市ではなく、小なりとは言え曲りなりにも国家の形態を取っており、それなりに強力な海軍を持ってもいた。しかし、そんなスザンでもスタルナス帝国の強大な軍事力の前に立ち塞がるには牙が小さすぎた。
奇跡的にルビーザの殲滅を逃れた僅か数人のルビーザの民―――生き残りは僅かに彼らしかいない―――がスザンに逃げ込み、彼らは同国の元老院に降伏を勧めた。戦えば、皆殺しにされる、と。
元老院は最初こそ戦う事に決め、準備を進めていたが、ここで予期せぬ事態が起こった。
ルビーザの民が反元老院派の人々を結集し、元老院を占拠、王を初めとする元老達を殺害してしまったのだ。彼らは市門の前に彼らの首を晒し、スタルナス帝国に降伏した。ルビーザの民達を率い、この行動を起こしたのはジェームズ=ミュラーと言う名の、僅か十六歳の少年だった。無論、この時、彼を含めて、彼が僅か一年半後に、《英雄》と呼ばれるようになることなど予測してはいなかった。

「…………」
潮風にその金色の髪を嬲らせながら、オルテガはかつてスザンの王が住んでいた宮殿のテラスから見える眺望を眺めていた。宮殿は丘の上に建てられており、その最上階テラスからは今まさに夕陽が沈もうとしている大陸西方の海、大西洋が見渡せた。視線を左斜め下に向ければ、商港があり、何十隻もの帆船が碇を下ろして待機している。反帝国派・主戦派の掃討が終わるまで、商船の入港はともかく、出港は認められていなかった。視線を転じて、右下に向ければ軍港がある。そこにはスザン海軍の誇る戦艦四隻とそれよりも大分小振りな駆逐艦五隻が碇を下ろしていた。軍艦の乗組員達は今後、スタルナス帝国海軍に編入される事になる。それらの軍艦と並んで、一隻の巨大な黒塗りの軍艦が舫われていた。翻る国旗は《十六の永遠に自由なる鳥》。純白の十六羽の鳥がのびのびと舞っているという構図だ。フェニキア自由都市連合の国旗だ。たまたまスザンに表敬訪問に訪れていたフェニキア海軍の戦艦『グリフォン』だ。フェニキア海軍の軍艦には大砲と言うものが積載されていると言う。その大砲を以ってすれば、大砲を持たない国の海軍など何十隻であろうとも撃沈できるとフェニキアの水兵達は豪語していた。それはさすがに誇大過ぎるとは思うが、確かに『グリフォン』の雄姿は見る者をして圧倒させるものだった。
「殿下」
「ん?」
声を掛けられて、オルテガは振り向いた。その先には、白皙の美貌を持つ将と名高いウィール=フォン=フリードリッヒが立っていた。彼の傍らには、白髭の老人の姿があった。
「スザン海軍卿………フェザー=オリバール卿だな?」
「いかにも」
しわがれた声で、フェザーは頷いた。彼はこの都市国家スザンの海軍最高位、海軍卿と言う地位にあった男だ。元老院にも名を連ねていたが、降伏を仄めかしたために自宅謹慎を命じられていた。
その後降伏派のルビーザ人が元老院を占拠し、元老達を殺害したと聞き及んで彼らに呼応し、海軍を取りまとめて帝国に投降させたのだ。海軍が降伏したと言うのは、スザンにおいては衝撃が大きかった。
海軍はスザンの主要な戦闘力だったからだ。
「何の用で参られた?」
「命乞いだ」
「命乞い?………安心しろ。卿は帝国のスザン進出を容易ならしめた。信賞必罰が俺の信条なんでな。おまえにはスタルナス帝国海軍卿をやって貰う」
「私の事はどうでも良い。それに私は海軍卿を拝命する気はない」
「なんだと?」
フェザーの言葉に、オルテガが眼を鋭く細める。相手を無理やり屈服させるような威を持った眼光。
だが、フェザーは卑屈な雰囲気を微塵も見せなかった。敗北者が勝利者に媚びる様な様子も微塵もない。
(いや、そもそもこの男はスザンが敗れたとは思っていないのであろう………)
心の中だけで苦笑し、オルテガは思った。確かにその通り。スザンは戦って敗れたわけではない。
選択の結果として、帝国の傘下となる事を自ら決め、自ら無能な王や元老を追放したのだから。
むしろ彼らは勝利者でさえあるかもしれない。頽廃的な政治を駆逐し、躍進する機を掴んだのだから。
スザンが栄える為にスタルナス帝国を利用している。そんな気でいるのかも知れない。
「では、誰の助命嘆願をする気だ?」
「ウォルテック=フェルゼンと言う男だ」
「誰だ?」
オルテガは、フェザーの斜め後ろに立って煎り豆を噛み砕いていたウィールに訊いた。
「スザン海軍の軍人です。現在は、主戦派として投獄されていますが」
「海軍軍人としての素質ならば我がスザン海軍中随一の才を持っている男だ。彼を殺さず活かせばスタルナス帝国に与える利益は計り知れない」
「だが、彼は主戦派です。反乱を起こされるかもしれません」
ウィールの発言はもっともだった。オルテガ達の軍は遠征軍である以上、いつまでも本国を離れ、このような辺境に留まっているわけにはいかないのだ。いずれは一部の兵を残したのみで本国に帰還しなければならない。そこでスザンに反乱が起きれば、今回の遠征は水の泡も同じだ。再び遠征軍を編成し、派遣しなければならなくなる。その危険を減らすために、今現在、主戦派の掃討が行われているのだ。オルテガは既にフェニキアの軍艦『グリフォン』の艦長を呼び、フェニキア自由都市連合とスタルナス帝国との間に通商航海条約を締結する事を提案した。この条約が結ばれれば、両国間の交易量は飛躍し、スタルナス帝国の国力回復にも大きな前進となるだろう。だが、四十代の艦長は渋面を作ってこう言ったのだ。
「スザンの治安状況が改善され、民間人が寄港しても危害を与えられる可能性がないと保障されない限り、当面の間、フェニキア自由都市連合の交易船は出せない」
と。海軍軍人ではあるが、他国との折衝の任務もあるせいで、艦長の口ぶりはまるで外交官のようであった。交易するために、オルテガとしては早急にスザンの治安を改善しなければならないのだ。
「確かに有能な人材は欲しいところだが、反乱を起こされる危険性を無視するわけにはいかない」
「ウォルテックは私が責任を持って説得しよう。彼に反乱は起こさせない。それでよろしいか?」
「ならば問題はない」
「殿下!」
即答してしまったオルテガに、ウィールがやや慌てたように口を挟む。
だが、オルテガは例の獅子の如き笑みで口元を飾って。
「俺達に有能な人材が必要なのは事実だろ?多少危険なぐらいが面白いってもんだ」
「面白いって………わかりました。殿下がそう仰るのでしたら、私は何も口を挟みません。ただ、そのウォルテックと言う男が殿下にとって有益足るかどうか、この目で確かめたいと存じます」
「ふむ?………なるほど。それも面白そうだ。構わないな、フェザー=オリバール卿?卿の説得とウィールの身定めを経た後、最終的な断を下そう。それと、貴方にはスタルナス帝国海軍卿になって頂く」
「それは………」
「言った筈だ。俺は優秀な人材を求めている、と。卿には海軍卿となって、海軍を取り仕切って貰う。ウォルテックを採用する事にでもなれば、まずは第一艦隊の司令長官でも任せよう」
「あまり海軍の枢要な地位を他国の人間で占めると言うのはどうかと思うのですが」
ぽんぽんと事を決めていくオルテガに、ウィールもさすがに口を挟まざるを得なかった。それに、オルテガにはそのような人事権は与えられていない。海軍の人事は飽くまでも中央の参謀部の権利だ。
(それともこれは、革命後の話か………?)
革命を起こし、父帝を追い、己が玉座に座した後の話。
(だとすれば納得もいくが、獲らぬ狸のなんとやらだ)
「決めるのは早い方が良い。それに他国の人間に任せるしかないだろう?スタルナス帝国は内陸の国。海軍を任せられる人材など存在しないじゃないか。これから育てて行くにしても、司令官級の人材が育つには十数年以上の時間が必要だろう?」
「う………それは確かにそうですが………」
「問題ない。おまえはウォルテックとやらの品定めをしてこい」
「わかりました。………それでは、オリバール卿。参りましょう」
「了解した」
ウィールの言葉にフェザーは頷き、そして二人は去った。オルテガはテラスから水平線を見透かした。既に陽は沈み、空は徐々に夜に向かいつつあり、紫色を呈している。二十万余りの人口を抱える街並みには既に明かりが灯り、炊飯の煙が空に昇っている。この街を戦火で焼く事無く手に入れられるとは思わなかった。ウィザ地方の諸都市国家や部落に対しては容赦なく殲滅政策を執った。恨みを買う事は承知のことだ。どのように穏便に事を進めようとも、目的が侵略である以上、憎悪を買うのは致し方ない。
ならば―――。
(報復する事すら出来ないよう、徹底的に叩き潰すだけだ)
だが、スザンは違う。この街を焼き払ってしまえば、スタルナス帝国はフェニキア自由都市連合との交易に対し、まず街の再建から取りかからねばならなくなるのである。それでは同じように海を目指しているフロレシア帝国やルーナ帝国に対し、致命的な遅れを取りかねない。いや、確実に遅れを取るだろう。だが、その危険は避けられた。街には厳重な戒厳令が布かれ、主戦派の人々は次々に捕縛、投獄されている。数日中には治安状況も改善し、戒厳令も解除できる見込みだ。
(もし必要ならば、機神兵をスザンに数体おいても良い)
いや、置くべきだろう。機神兵があればフェニキア海軍に対してもそれなりに戦える。
(元より、戦うつもりはないが-………)
が、戦う力を有して臨む条約締結交渉と武力を有さずに臨む締結交渉では全く異なる結果が得られるだろう。問題があるとすれば、機神兵の存在をその時点で全世界に宣伝してしまうことだ。
だが、もしその使用による利潤性が危険性を上回るのであれば………。
(躊躇うつもりはない)
オルテガ=スタルナスとはそういう男だった。

暗く湿った石造りの螺旋階段を降りた先から通路は左右に分かれ、その通路の両側に牢が連なっていた。
「全て個室で、ここには特別に凶悪な者しか入れません」
看守はそう説明しつつ、左折した。その後を、フェザー、ウィールの順で追う。牢屋の中に入れられた者達は、絶望と諦念に彩られた顔で、彼らを見る者がほとんどだった。が、中には。
「この薄汚い帝国の犬が!よくも恥ずかしくないもんだな!」
降伏の手引きをしたとも言えるフェザーに、そう罵声を浴びせてくる者もいる。
「無視してください、閣下」
看守はそう言ったが、フェザーは鉄格子越しに男を見据えて、
「わしはただ、この国を滅ぼしたくなかっただけだ」
「はん!国は滅びただろうが、あんたのせいでよ!もうここは都市国家スザンじゃねぇ。スタルナス帝国の属邑だろうが!」
「それは違う!」
フェザーは大喝してから、優しげな声で語りかけた。
「それは違うのだ。国とは国体ではない。その国に住む民の事だ。スタルナス帝国と争えばどうなる?多くの者が死に、それ以上の者が嘆き悲しむ事になる。それでは駄目なのだ。都市国家としての存続はできなくとも、そこにスザンの民が生き、子を成し、育んでおれば………国は滅びた事にはならない」
「そんなの………あんたの詭弁だろ」
そう言う男の声は、しかし、小さくなっていた。フェザーは小さく顎を引くようにして頷いた。
「そうかもしれないな。わしは所詮、売国奴であるからな」
「オリバール卿」
「これは失礼した。フリードリッヒ卿。貴方は買い手の側の方でしたな。売り手側の恥を露呈してしまった。申し訳ない」
「いえ………構いませんが」
フェザーは看守に案内を続けるよう目で命じた。看守は頷いて。
「こちらです」
ウィールは先を歩くフェザーの背中を、無言で見つめていた。ウォルテック=フェルゼンの牢は一番端にあった。その男を見て、ウィールは少なからず驚いた。フェザーが自分の代わりにと推薦するぐらいだから彼と同年輩の老将だと考えていたのだが、予想に反してウォルテックは若かったのだ。かすかに桃色がかった灰色と言う珍しい色の髪と瞳を持つ青年だった。ウィールよりも若干若いぐらい。二十四、五と言った所だろう。彼の瞳は未だ覇気を失ってはいなかった。その強い輝きを放つ双眼が、鉄格子の向こう側からこちらを見据えていた。
「今更なんの用だ、ジジィ?」
フェザーに投げつけた言葉はこの上もなく粗雑なものだったが、フェザーは格別気にした様子も見せず、
「お前に紹介する人が居る」
「そっちの綺麗な兄さんか?悪いが俺はそう言う趣味はねぇぞ」
さして興味も無いと言った感じで、ウィールを見るウォルテック。
「彼はウィール=フォン=フリードリッヒ閣下。オルテガ=スタルナス皇太子殿下の重臣だ」
「ほう。俗に言う所の『帝国の犬っころ』って奴か?」
その名を聞いた途端、ウォルテックの目が鋭く細まり、ウィールに向けて殺気を放ってきた。
だが、かなり強烈な殺気であったにも拘らず、ウィールはこともなげに受け止めて、
「殿下はお前を、新設されるスタルナス帝国海軍第一艦隊司令長官に任命しようとお考えだ。応じるかどうか、ここで聞きたい」
「閣下。ウォルテックにとっても難しい問題だろう。じっくりと時間を与えたほうが―――」
「私の見た所、彼は決断力に優れている。結論を出すのに時間を必要とはしないだろう。違うか?」
「はん。違わないね。答えは決まってる。俺は過去には囚われない性質の男でね。この国を守ろうと主戦を唱えては来たが、その国が滅びちまった後までは面倒見切れねぇ。今度は自分の身の振り方って奴を考えなくちゃあな。そして、目の前に出世の糸口が転がり込んできやがった。これを逃す奴は馬鹿だ。俺は馬鹿に成り下がるつもりはねぇ。その話、喜んで乗ってやろうじゃねぇか」
「反乱を起こす気ではないな?」
「馬鹿言うな。反乱なんぞ起こしてなんになる?んなくだらねぇことに命を賭ける気はねぇよ」
「その言葉、信じよう」
ウォルテック=フェルゼンの釈放が決まった。だが、ウォルテックは不快気に眉間に皺を寄せて、
「ちっ。綺麗な兄さん、あんたなんで俺の殺気に何の反応もしないんだ?つまんねぇ」
「私は綺麗な兄さんではない。ウィール=フォン=フリードリッヒと言う名がある。おまえの質問には答えよう。確かに強力な殺気だった。が、如何せん、敵意に欠けるようだな。それと憎悪か。私を憎むという事に対し、真剣味が感じられない。よって私はこう結論した。『こいつは私を試してるだけだ』と」
そんなウィールの分析に対し、ウォルテックは虱だらけの髪を掻き毟って。
「だぁぁったく、面倒なこと考える奴だな、あんたは。だがまぁ、確かにそうだ。俺はあのオルテガとか言う―――」
「オルテガ殿下と呼べ」
「はいはい、その殿下様様の重臣とやらがどれほどの者か試しただけだ」
「ふむ。つまり、私の結論は当っていたというわけだな?」
「はん。そういうこった」
言って、ウォルテック=フェルゼンは不敵に笑った。

4 ルーナ帝国西進
同じ西進政策でも、ルーナ帝国とスタルナス帝国ではその条件が大きく異なる。
スタルナス帝国がその領土を海岸に及ぼすには、タイーサ山脈やウィザ地方など地形的に険しい地域を越えなければならなかった。だがその代わり、ウィザ地方には小さな都市国家はあっても、スタルナス帝国の遠征軍に対抗できるような戦力を持った統一国家は無かった。
それに比べ、ルーナ帝国が西進する場合はロブスヌ平原を通らねばならない。
この平原はそのまま海岸線にまで達しており、軍の行軍には何の支障も無い。
しかし、この平原には立派な統一王朝があったのだ。
その名もロブスヌ王国。西部の海沿いにある城塞都市とも言うべきグレッグミンスターを王都とした、かつてのルーナ帝国と現在のルーナ帝国の中間ぐらいの版図を持つ王国だ。
この王国に対し、ルーナ帝国が差し向けた遠征軍は………。
一個師団だけだった。しかも、通常編成の師団ではなかった。
たった二人だけの師団なのだ。その名も、死兵師団。
艶やかなる艶将ミト=ヴァレンツェと彼女の下僕、元ネヴァット帝国の騎士シュタイン=オールドリークの二人だ。そんな彼らの姿はグレッグミンスターの王城前にあった。
ミト=ヴァレンツェは胸元が大きく開いた甲冑とは言い難い程の露出度の高い甲冑を着込んだ金髪赤目の美女。シュタイン=オールドリークは生気と言う物を全く感じさせない蒼白い顔をし、全身鎧に身を包み、腰には長騎剣を佩いている物静かな青年だ。額には不思議な紋様が刻まれていた。
彼女達はごく普通の旅人と同じように街道を通り、この王都に入った。
途中、遠征軍らしい戦いなど何一つする事無く。村一つ、攻め落としてもいない。
彼女はそんなまだるっこしい事をするつもりが無いのだ。
彼女は堂々と王城の門を守る衛兵に近づき、
「王への謁見を賜りたいんですけれど、お取り成しを御願いしてもいいかしら?」
まるで相手の聴覚から入り込み、脳を直接撫で回すような声で訊いた。
既に彼女の姿で悩殺されていた衛兵は顔を赤らめ、荒い息を吐きつつ、
「お、お約束か、な、何かがお有りです………か?」
「いいえ、残念ながら無いの。私達はルーナ帝国からの親善の使者として来たのだけれど」
そう言うミトを見つめる衛兵の表情はまるで欲情した雄そのものだった。
だが、よっぽど職務に忠実なのだろう、彼は全てを投げ出してこの女の前にひれ伏したいと言う屈折した誘惑に見事に抗って見せた。
「う、上役に、相談しま、しますので、しばし、ここでお待ちを」
「ええ、ありがとう」
そう言って、ミトはにっこりと微笑んだ。
衛兵はそのミトの微笑に魂を引き抜かれたかのような陶然とした表情をした後、慌てて門の中へ駆け込んでいった。
暫くして、衛兵は髭面な年配の兵士を連れて戻ってきた。彼の言う、上役と言う奴だろう。
「あー、規則によって約束の無い者を王に会わせる訳にはいかん。出直されよ」
そこまでは立派に彼は己の職務を遂行した。だが、彼もミトがそっと歩み寄って彼の耳元に吐息を吹き込み、囁いただけで男としての獣の本性を引き出されてしまった。
「残念だわ。是非、王様にお取り成し願えないかしら?お礼はしますわよ」
「お、お礼………?」
ミトの身から放たれる甘い香りは、男を堕落へと誘う淫香。
その香りを嗅ぐとまるで身体が軽くなったようになり、気分は何処までも昇りつめていく。
それは禁断の麻薬にも似た症状だ。
だが、その先に待っているのは………或いは奈落。
「し、しかし、規則が………あう」
上役の声はそこで途切れた。ミトの手が彼の股間に触れた途端、彼はその身を電流が貫いたかのような衝撃を感じ、腰を引いてしまっていた。
その耳に、さらなる囁きが吹き込まれる。
「通してくれたら、お礼にもっと凄い事してあげます」
「もっと凄い事………」
「そう、もっと凄い事………ふふ、通してくれたら、ですよ」
この誘惑に、上役は屈した。虚ろな目で『凄い事………』と繰り返しながら門を開け、二人を中へと入れてしまう。彼の部下も似たような状態だ。
「ありがとうございます。ではこちらへ」
ミトが人目に付かない茂みの方へと二人を誘う。
二人は弛緩しきった表情で、茂みの奥に消え―――。
数分後、姿を現したのはミトだけだった。彼女はシュタインに嫣然と微笑んで見せ、
「さ。いくわよ。この国を貰い受けに」
彼女達は途中何度か衛兵に同じような方法で道を聞き、謁見の間へと辿り着いた。
「―――何者だ?次の謁見希望者は八十の老婆と聞いていたが」
王が訝しげに聞く。血筋だけで玉座に座っているような無能な王だ。その腹は醜く前に突き出し、顔には油が浮いている。瞳だけがやけにぎらぎらと輝き、欲望に満ちた目でミトを見つめていた。老人と言うには早いが、若いと呼称するには年を食っている、壮年と言う奴だろう。訝しげではあったが、二人を追い払おうとする素振りは見せなかった。謁見の間には煌びやかな甲冑を纏った兵が五十名余りも居たし、なによりも王の警戒心を蕩かしていたのはミト=ヴァレンツェの妖しすぎる、そして艶やか過ぎる容姿だったろう。王は食い入るようにミトを見詰めていた。まるで彼女の傍らに立つシュタインの事など見えてもいないようだ。そんな中をミトは優雅に進んでいく。そして、王の前で跪いた。
胸元の大きく開いた甲冑から除く、深い谷間が否応無く王の視線を誘う。
「お初にお目に掛かりますわ、ロブスヌ王国王陛下。わたくし、ミト=ヴァレンツェと申しまして、主ルーナ帝国皇帝カール三世より親善大使として陛下の御機嫌伺いに参上した次第です」
「ミト………」
王の目がかすかに正気を取り戻した。彼も王として、隣国ルーナ帝国の最近の急成長振りにはただならぬ不安を感じていた。だから調べもした。
何故、ルーナ帝国はああも容易くネヴァットの軍を破る事が出来たのか?
何故、ルーナ帝国はあの武勇の誉れ高きパルディア城を陥落させることが出来たのか?
調査の結果、浮かび上がってきたのは一人の女の存在だった。
その女の名こそ、ミト=ヴァレンツェ。
調査したのであれば、王はこの場ですぐに兵達に命じるべきであったろう。
『あの女を殺せ!』
と。だが、王は命じなかった。彼はミトの言葉を信じた。
(ルーナ帝国は東に目を向けておる。だからこそ、西方の我が王国とは誼を通じ、後顧の憂いを無くそうとしておるのじゃ)
ミトの美貌に目を奪われながら、王はそう考えた。そう彼が考えることなど見透かしているとでも言うように、ミトは微笑を絶やさない。
「大任御苦労。ちこう寄れ。杯を取らそう」
「これは望外の栄誉。ありがたく頂戴仕ります」
頭を垂れてそう言い、ミトが王に近づく。
「もっとじゃ。もっと近くへ」
「はい」
王が手を伸ばせば届くという近さにまで、ミトが近づいた。
王はミトに杯を持たせ、酒を自ずから注いでやる。
「頂戴仕ります」
ミトはそう言い、杯にその瑞々しい唇を付け、一気に口に含んだ。
王の口元に邪悪な微笑が浮かんだ。が、次の瞬間、笑みが驚愕に強張った。
ミトが身を乗り出し、王の唇に己が唇を押し付けたのだ。
「んむっ………」
驚愕し、慌てて引き離そうとする王。だが、ミトは離れない。ますます身体全体を王に押し付け、舌で王が固く結んだ唇を強引に割り、甘い吐息と共に先ほど飲んだ酒を流し込んできた。
舌で咥内を蹂躙され、王の喉から力が抜け、流し込まれたミトの甘い唾液と共に酒を飲み干してしまった。かっと身体全体が熱く火照り、痺れが走る。ミトが体を離し、嫣然と微笑む。
「あ………うあ………あう………」
王はそれを見て、どんどん強まる痺れにどんどん身体の自由を奪われていく事に、恐怖に目を見開いて、言葉にならない声を発し続けた。
彼がミトに飲ませようとした酒には強烈な痺れ薬と媚薬が混入された物が入っていたのだ。ミトの四肢から自由を奪い、シュタインを殺し、そして彼女を手篭めにしようとして、飲ませたのだ。その酒を逆に飲まされてしまった。致死性は無いが、それでも身体を思うように動かせないのは恐ろしい。
「貴様ぁっ!!」
「陛下から離れろ!」
「この無礼者がッ!!」
兵士達が口々に喚きつつ、剣を抜き、玉座に殺到する。いや、殺到しようとして、その手前で押し戻された。彼らの前に、シュタイン=オールドリークが立ち塞がる。彼の手には、抜き身の長騎剣がある。
兵達は攻撃目標を変え、シュタインへと斬りかかっていく。
シュタインが剣を振るい、二つの首が赤い尾を引きながら空を飛び、赤い絨毯の上に転がったのを見届けてから、ミトは王に視線を戻した。その頬を手で摩りながら、
「この国は我が王に献上いたしますわ」
「ああ………うあ………」
自由にならない口元を動かし、何かを訴えようとする王。
ミトは白くて細くて長い指を王の唇に当て、その震えを感じ取って微笑を深くした。
「大丈夫。貴方は………ここで私の手に掛かって死ぬなのだから。心配する必要は無いのよ」
「ああ!………うあぁ!……あうぅ!」
王の瞳に涙が溢れ、何かを必死に訴えるが………ミトは首を左右に振って。
「命乞いしても駄目。娘さんも奥さんも、助からないわ。だって、殺すもの。でも安心して。貴方達は蘇る。そして、あの方に仕える事ができるのよ」
うっとりと言ってから、彼女は王から身を離した。そして、剣を抜く。
無数の突起が付いた、フランベルジュを。そして、その剣を王の胸に躊躇いなく突き刺した。
「あがっ………っ……かはっ……」
王は吐息の如き悲鳴をあげて、数度痙攣した後、呆気なく絶命した。
王の身体から、剣を伝わって流れてくる血を指で取って舐め、ミトは顔をしかめた。
(不味い………)
日頃から不摂生な生活をしていたのだろう。血はどろどろとしていた。
(まぁ、良いわ………)
自分で自分に言い聞かせ、ミトは振り向いた。そこでは五十人の兵が整列していた。ありえない光景だった。首が無い者。腕が無い者。足が無い者。腹が裂かれている者。袈裟懸けに斬り下ろされている者。
それらが整列して、ミトの指示を待っているなどという、そんなありえない光景が、しかし彼女の前で現に展開されていた。そして、ミトはそれに対し、驚きや嫌悪の感情は示さなかった。ミトの《死の首飾り-ジェト》の力の影響下にあるシュタインによって殺された者は、ミトに殺された者と同じく死兵として蘇る。その死兵に殺された者もまた。背後でむくりと身を起こす気配。ミトが振り返れば、胸からフランベルジュを生えさせたまま、王が立ち上がっていた。その瞳に意思の光はない。
ついさっきまで、淫らな欲望に濁った光を宿していたと言うのに。
ミトは嫣然と笑った。死者と血で溢れかえる謁見の間において。

一週間後。ロブスヌ王国はルーナ帝国との間に、従属同盟を結んだ。ロブスヌ王の姫君がルーナ帝国皇帝カール三世の後宮に入った。ロブスヌ王国の国民達も、貴族達も、軍人達も、文官達も、当然驚いた。
この突然の決定に、戸惑い、困惑し、不安がった。彼らの日常の生活が根本から大きく変わってしまうのではないかと考えたからだ。
だが、王自身と王の側近、軍の幹部達はこの決定に全く疑問を感じていない様だった。
彼らは揃って一様に、生気の感じられない蒼白い顔をしていた。
額には不可思議な紋様が刻まれていた。しかし、おかしいのはそれだけだった。
王は相変わらず、美人を見つけては謁見の間に呼び出し、痺れ薬を飲ませては手篭めにしていたし。
役人や軍人達は自分の出世の障害となる人物の悪評を流して貶めたり、自分を引き上げてくれるであろう相手に贈る賄賂に頭を悩ませたりとそれなりに忙しい日々を送っている。
人々は困惑し、当惑しながらも徐々にこの状態に慣れていき、そして受け入れた。
従属したとは言え、王国の体面は保たれている。
外交権こそ無いが、内政権も外征権も保障されていた。
ルーナ帝国はグレッグミンスターからも程近い港街サウスミンスターを直轄領とし、ここに総督府を置き、一個連隊程の兵力を常駐させ、ロブスヌ王国海軍から軍艦を何隻か購入して海軍を作っただけだった。王都にも兵を入れなかったのだ。一見、何も変わっていないように見える。
そんな街を後にしながら、ミトは妖艶に微笑んでいた。
彼の傍らには相も変わらずシュタイン=オールドリークが付き従っている。
「何も変わっていないようでも、実は大きく変わっている………」
彼女は風によって乱された金髪を押さえながら、うっとりとした声音で呟いた。
「元々この国は生きる王が統治していた。でも、今は―――」
後にしてきた城塞都市の門。それに背を向けて歩き出しながら、そっと囁き声だけを風に乗せる。
「死せる王が統治する国」
王の一族も。主だった貴族も。文官も。武官も。
それなりの発言力と力を持ち、王の変貌に疑問を持った人々は死んだ。一週間かけて殺し尽くした。
そして、生き返った。
《死の首飾り-ジェト》の力により、肉体が朽ち果てないよう邪心に穢れた黒き魂が吹き込まれて。
「絶対王政の国ほど簡単に奪える物は無いわ………」
口元には、男を惑わす魔性の微笑み。
「全てが変わっても、誰も気付かない………」
意思を持たぬ王。意思を持たぬ貴族。意思を持たぬ役人。意思を持たぬ軍人。
意思を持たぬ者が君臨し、支配する国、ロブスヌ王国。
「誰か気付くかしらね」
誰も気付かない間に、国が乗っ取られてしまっていた事を。
「気付いたとして、取り戻せるかしらね」
誰が死んでいて、誰が生きているのか?誰が敵で、誰が味方なのか?
ルーナ帝国の手口はあまりにも巧妙で。気付いた者はきっとこう思うだろう。
「額に変な紋様があって、顔色の青白い奴が死人だ」
と。だがそれは違う。それは《死の首飾り-ジェト》によって魂を吹き込まれた者達だ。
あの国には、ミトが身も心も、命も魂も捧げる絶対君主が作り出した者達も入り込んでいる。
《死兵剣-ジェノ》によって、魂を吹き込まれた者達が。完全なまでに生前の姿と変わらぬ死者が。
或いは反政府組織の頭目として。或いは反体制派の海軍軍人として。或いは改革推進派の貴族として。
「ふふふ、気付けるかしらね?」
誰が味方で、誰が敵なのか?誰が生きていて、誰が死んでいるのか?
ミトは妖しく笑う。どこまでも妖しく、艶やかで、魅力溢れる笑みを。
国がいつの間にか変わっている。緩やかに。着実に。かすかに違和感を感じても、それが疑問に変わる前に慣れてしまう程度の、緩やかさで。国が変わっていく。ロブスヌ王国は徐々に、ルーナ帝国に飲み込まれていく。だが、人々はそれを疑問とは思わない。それを当然だと受け入れるようになる。
ルーナ帝国は新興国だ。ネヴァット帝国を併合し、パルディア王国の南部を領有し、ロブスヌ王国を従属させ、今や押しも押されもせぬ大国の仲間入りだ。
華中大帝国。フロレシア帝国。スタルナス帝国。ルシタニア連合王国。そして、ルーナ帝国。
ラスカーナ大陸はこの五大国がひしめく、五大国時代へと突入していく。
フロレシア帝国がカズリクを手にすれば、五大国全てが海に面する領土を持つ事になる。
「ふふふ、この先、ますます楽しみだわ………」
ミトはぺろりと自分の指を舐めた。かすかに、ごくかすかに、王の血の香りが残っていた。
「…………」
シュタイン=オールドリークはいつもどおり、生気の無い口元を引き結んで、沈黙していた。

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