楽天市場
[無料でホームページを作成] [通報・削除依頼]

覇皇伝

第四章 法皇の異端審問軍

第四章 法皇の異端審問軍
1 聖護院
祭りの夜。城下は未だに喧騒に包まれている。建国祭が始まってから七日目の夜。
ルーガ城の裏門を守備しているのはガルヴィン=ジングリッド率いる帝都守備隊の一個分隊二十名だった。その隊長格の男は曹長で、守備兵の詰め所で毛布に包まって眠っていたところを、部下に起こされた。
「交替ですよ、分隊長」
欠伸を噛み殺しながら部下が彼の体を揺する。
「んん………もうそんな時間か?」
「そんな時間です」
「後五分。頼む、寝かせてくれ」
「駄目です。分隊長が五分長く寝たら我々の睡眠時間が五分減るじゃないですか」
布団を剥ぎ取られる。晩夏なので、夜はさすがに冷える。
曹長は仕方なく身を起こし、両手を天に伸ばして体を伸ばした。
全身をびりびりした感覚が走る。彼らは四交替で五名ずつ門の守備に当っている。
分隊長は軍から配給されている安物の剣を持って、外へ出た。
彼の後にこちらも眠気眼を擦りながら四人の部下が出てくる。
外に居た四人と交替し、守備に就く。
とはいえ―――。
「こんな所、誰も来る訳ねえよな」
閉じた門に寄り掛かりながら、分隊長が不平を漏らす。裏門の先には墓地が広がっているのだ。
平民用ではなく皇族や貴族用の物だが、だからと言って不気味さが薄れる訳でもなく。
そんな不気味な門を守備するのは実はかなり忌避されている仕事だ。夜間など特に。
しかし、ガルヴィン=ジングリッドは容赦なく、命じてくる。
最も毎日配置場所は変わるのだが。
「祭りで皆が騒いでる間に俺達は人目にも付かない裏仕事か」
分隊長は自嘲気味の笑みを漏らした。
表の城門の守備役や街の巡回役の連中はガルヴィン=ジングリッドや上官の目を盗んでは屋台などで食べ物を買うことが出来るのだが、墓場行きの城門守備ではそんな事は出来ない。
こんこん。
「…………」
分隊長は片眉を上げて、自分の傍にある木戸を見た。そこは城門を閉ざした後に、出入りするための物で、今も鍵が掛けられ、閂が掛けられている。その木戸がノックされたのだ。他の四人の兵を手を振って呼ぶ。良く訓練されているのだろう。彼の部下は無言で木戸を半包囲し、腰の剣に手を掛けた。
分隊長の顔にも、先程までには無かった緊張感がある。
「―――誰だ?」
「入れてくださいまし」
分隊長の誰何に答えたのは、少し低いが、女の声だった。分隊長は兵達と顔を見合わせてから、
「一人か?」
「はい。お願いします、開けてくださいまし」
女の返事に分隊長は部下達と顔を見合わせた。
このような深夜に、声からすればまだ若い女が一人、墓地を通って来たと言うのか?
「城の侍女が恋人と会って来て、遅くなりすぎて表から入れなかったのではないですか?」
部下の一人が小声で推測を告げる。
分隊長は一瞬考える。
(確かに無いとは言えないな………)
だとすれば、興味も沸く。どのような女なのか。閉門の時刻に遅れるなど普段ならば入れてやらないところではあるが、今は建国祭だ。ついつい時間を忘れると言う事もよくある事だろう。
(祭りの夜ぐらい、少しぐらい寛大な処置を取っても罰は当るまい)
分隊長はそう考えた。ガルヴィン帝都防衛隊長に知られれば怒鳴られるだろうが、知られなければ良い。
「よし。今開ける」
「ありがとうございます」
木戸の向こうからは女が安堵したように礼を述べる。分隊長が木戸を開け、その向こうへと身を乗り出した。女の顔を良く見ようとしたのだ。その時、彼の視界を何かが過ぎった。
それが、彼が知覚できた最後の感覚だった。いきなり、分隊長がその場に倒れた。
「分隊長?どうしたのですか?」
慌てて部下が駆け寄り、
「分隊長!」
驚愕の声を上げる。分隊長の首が無くなっていた。噴き出した鮮血がどくどくと溢れだし、地面を黒く染め初めている。兵士が慌てて、剣を抜こうとする。しかし、鞘に触れる感触が無い。そこではじめて彼は自分の肘から先が無くなっている事に気付いた。
「う、うあ………」
兵士が意味を成さない声を上げ、顔を上げる。星の光に照らされて、女が立っていた。
鮮やかな紫の髪、紫の瞳、所々破れたかのように褐色の肌を露出させた紫のドレス。
その手には凶悪な刃をぎらぎらと輝かす鎖鎌。女が手を振り上げた。
唸りを上げて、鎖鎌の鎌が兵士の首に巻きつくように飛び―――
ザシュッ!!
その首を切り飛ばした。鮮やかな鮮血が噴き出す。女が木戸を潜り、中へ。
「曲者!」
「何者だ!」
二人の兵が剣を抜き、もう一人が応援を呼ぶために詰め所に走る。
女は紫の瞳で三人を見やると、腕を振って、分銅を飛ばした。
「がっ!」
詰め所へと走っていた兵士が背骨を分銅に砕かれ、壊れた操り人形のように倒れ伏す。
「お、おのれっ!」
「死ねっ!!」
恐怖心に打ち勝つために吼え、二人の兵が女に一斉に襲い掛かる。
女は分銅を引き寄せると僅かに身を沈め、横へ跳んだ。
勢い良く踏み込みすぎたか、兵士達の剣が虚しく空を切る。
彼らに第二撃の機会は永遠に巡ってこなかった。
跳んだ女が着地すると同時に鎌を飛ばし、いとも容易く二人の首を刈り取ったのだ。
鎖を手元に巻き戻し、女が城を見上げる。その表情には何の気負いも無い。彼女はただ与えられた仕事をこなすだけなのだ。彼女達はその為にのみ存在を許されるのだから。

皇帝は良く眠っていた。
朝から夕方まで武闘会の見物をし、夜はシエナやアレクと共に露店を巡ってきたのだ。
帝都にある露店はそれこそ無数に近く、一週間掛かっても全く回りきれない。
露店にも様々な種類があり、飽きる事も無い。
洸安黄のように、これはと思う人材を登用することも忘れない。
そのように精力的に動き回る皇帝だが、さすがに疲れ、夜は眠る。
シエナは最初、そんな皇帝の寝顔を幸せそうに見つめていたが、
「私もそろそろ眠るわ」
と、皇帝直護衛のヴァンに声を掛けて座っていた椅子から立ち上がった。
「―――はい」
ヴァンは動かず、そんなシエナに対してもいつもと同じ口調で頷くのみ。
「ラインの事をよろしくね」
「―――はい」
シエナは穏やかな微笑を浮かべ、欠伸を一つしてから皇帝私室を出て行った。
それから二時間程も過ぎただろうか。時刻は深更。
ヴァンは窓際に椅子を置き、座って星空を眺めていたが、その視線がふと扉の方に向いた。
「―――何者だ?」
「どうして私の気配に?」
開いた気配もしなかったのに、扉の前には一人の女が立っていた。
鎖鎌を構えている。ヴァンが声を掛けていなければ、彼女の鎌が彼の首を飛ばしていたかもしれない。
ヴァンはさしたる興味も無さそうに女を一瞥し、
「どうしてわざと殺気を出して試すような真似を?」
やや緊張感のある口調で尋ねた。普段のように、ゆっくりと間を開ける事もしない。
つまりは、この女がそれだけの実力を持っていると言う事だ。
「わざとだとよくわかったわね」
「ブレンヒルト。聖護院、《紫の女》」
「どうして私の名を?それに聖護院なんて関係者しか―――」
「…………」
ヴァンがゆっくりと立ち上がり、腰に佩いていた剣を抜いた。
「聖護院がただの表敬訪問と言う事も無いだろう」
「確かにね。聖護院の存在意義は暗殺。でも、それは貴方も似たり寄ったりでしょう?ハーケンクロイツ孤児院。フロレシア帝国では有名な殺人機械の製造施設だもの。買う相手が違えば、私の立場に貴方が居たかもしれない」
目ざとくヴァンの二の腕にある鉤十字の紋章に気付いたブレンヒルトが言ってくる。
「ここに来るまでに何人、その精霊に食わせた」
「貴方にますます興味が沸いたわ。この《食肉の鎖鎌-インフェルト》に気付くなんて」
「禍々しい欲に塗れた精霊の姿が見える」
「この子は貴方を食べたがってるようよ―――それに、貴方のその剣。随分と血を吸ってるようね」
「…………」
ヴァンは無言を以って答えた。彼の剣、朱汐が吸った血は皇帝の命を狙った暗殺者達のものだ。
ブレンヒルトが静かに片足を後ろに引く。逆に、ヴァンが片足を前に出した。
空気が凍りつく。緊張に空気が強張る。ブレンヒルトが紫のアイシャドーを塗った目を細める。
心地良い緊張感に身を任せる。このような緊張感は久しく感じた事は無かった。
聖護院の一人として、畏怖と共に語られる彼女に緊張感を感じさせるほどの強者は同じ聖護院の者以外に存在しなかったのだ。
「行け」
ブレンヒルトが小声で命じると《食肉の鎖鎌-インフェルト》が自分の意思で蠢き出す。
蛇さながらの動きで、ヴァンに襲い掛かる。ヴァンは剣を立てて、鎌を弾いた。空に鎌が跳ね除けられ、ヴァンがその下を潜って、ブレンヒルトへ向かう。
ザクッ―――。
「ッ」
ヴァンの動きが止まる。彼の肩を後ろから、鎌が貫いていた。
空に跳ね除けられた鎌がブレンヒルトに操られる事も無く、自分の意思で、ヴァンに襲い掛かったのだ。
「…………」
悲鳴を挙げはしなかったが、かなりの激痛のはずだ。鎌がぐるりと回転する。
「ぐうっ………」
肉が抉られ、激痛に滅多に変わる事の無い黒髪の剣士の顔が大きく歪む。
彼はブレンヒルトを睨み上げた。
「何故殺さない」
「言ったでしょう?貴方に興味があるって。貴方は何者?」
「教えない」
ずぶっ。
鎌がさらに深く潜りこむ。
「っ………」
「ふふ。貴方は本当に私を楽しませてくれるわね。どうやら貴方は自分の苦しみに耐えるだけの訓練をしているようね。だったら、これではどうかしら?」
ブレンヒルトの言葉に合わせ、鎖鎌のもう一端、分銅が、蛇が頭を擡げるかのように持ち上がった。しかし、その先はヴァンには向いていない。
「貴様ッ………!!」
その分銅の先にはこんな騒ぎの中でも健やかな寝息を絶やさぬ、この国の主権者の姿があった。
《食肉の鎖鎌-インフェルト》の分銅の一撃を受ければ、彼の柔らかな頭蓋骨など一撃で粉砕され、血と脳漿を撒き散らして即死するだろう。
「貴方の主人が死ぬところをとっくりと見物なさい」
ブレンヒルトはサディスティックな笑みを浮かべている。
分銅が一度大きく撓った後、高速でラインハルトの頭蓋を砕く為に突進する。
ヴァンは止めようと体を起こした。
しかし、体内の鎌が大きく肉を抉り、激痛が走り、ヴァンは一歩も進めずに膝を付いてしまった。その間にも分銅の突進は止まらず、遂に―――
「や、止めろっ!!」
バスッ!!
分銅はラインハルトの頭蓋ではなく、枕を貫いた。
「何!?」
驚いたのはブレンヒルトも同様だったらしい。
いきなり彼女の背後の扉が開き、飛び込んできた男が分銅を殴って軌道をずらし、眠っていたラインハルトを抱いて飛び退ったのだ。一瞬たりとも無駄の無い、完璧に訓練された動きだった。
「くっ―――なんて威力だ」
刃の欠けた手甲を見て、低い声で毒づいたのは珍しい白髪と鋭い眼差しの男。
暁の頭領、エシュアだ。
「ん………」
と、そこでようやくラインハルトが目を覚ます。
「あれ………エシュア?」
寝ぼけ眼で、彼は周囲を見回す。エシュアに下ろされ、ようやく彼はブレンヒルトと跪いているヴァンの姿に気付いた。彼の上半身が血に塗れて居る事にも。
「ヴァン!」
「―――大丈夫、です」
そこへさらに二人の男女が飛び込んでくる。レイアードとジュナだ。
「聖護院の刺客が帝都に入ったと言う情報が入ってな」
「聖堂の愚か者が」
エシュアの言葉から情報源が何処か瞬時に察し、ブレンヒルトが毒づく。
「最も、情報を伝えた者もその後消息を絶ったが、な。これで聖堂に殺された間者は二人目だ」
「これはどうやら不利のようね。退かせて貰うわ」
「行かせるかよ」
レイアードが構える。ジュナも体勢を低くし、戦闘体勢だ。
「行かせてやれ」
言ったのはエシュアである。レイアードが驚いたように目を見開く。
「どうしてだよ!」
「我々だけじゃ勝てない。退いてくれると言うのだ。退かせてやれ。宜しいですな、陛下?」
「え、えっと、エシュアがそう思うなら、うん」
まだ状況がわかって居ないのだろう、ラインハルトが曖昧に頷く。
「ならば遠慮なく退かせてもらおう」
ブレンヒルトが手首を返すとヴァンに突き刺さっていた鎌が引き抜かれ、彼女の手元に戻った。
肉を再び抉られ、ヴァンが苦悶に顔をしかめ、がっくりとその場に倒れてしまった。
ブレンヒルトは堂々とレイアードとジュナの間を歩き、去って行った。エシュアはヴァンの肩の傷を見ると顔をしかめ、ジュナに向かってわざと抑えたような声で命じた。
「ジュナ。すぐに医者を呼んで来い」

2 武闘大会
ヴァンの傷は浅くは無かった。
骨までは達していなかったが、かなり肉が抉り取られており、骨が露出している状態だ。
ジュナに連れられてきた宮廷医ツェベック老によってすばやく血止めが施され、包帯が巻かれたが、傷口が高熱を持ち、ヴァンの意識は闇夜と昼間を行ったりきたりしていた。
裏門の守備隊五名をはじめ、城内には十名以上の帝都防衛隊兵士が亡骸と化していた。
朝になると報告を受けた宰相オルンヘル=クリケットが乗り込んできて、遺骸を片付け、痕跡を全て処分した。
「祝うべき祭りの日にこのような凶事を国民に知らせるべきではない」
と彼は言い、この惨事を知った者全てに厳重な口止めを命じた。
しかし、朝になるまでの間に侍女などが死体や悲鳴を聞いており、口止めは難しいだろう。
オルンヘルはガルヴィン=ジングリッドに命じ、城内の警戒を厳重にさせ、エシュアには暁の全力を持って帝都内に潜りこんでいる諜報員の洗い出しと抹殺を命じた。
その間、ラインハルトはエシュアから事情を説明されていた。
「昨夜の女はロデン教法皇庁の特殊諜報部隊聖護院の一人です。聖護院は精霊具を持っており、一人一人がかなりの戦闘力を持っていますが、昨夜の女はその内の《紫の女》と呼ばれているブレンヒルトでしょう」
「うん。紫だったもんね」
寝惚けていたが、それ位は識別できた。
エシュアは頷き、続けた。
「聖護院は通常、聖都を離れる事はありません。彼らは諜報員となっていますが、主に聖都に潜入する他国の間者を洗い出し、抹殺するのがその主たる任務であり、法皇の護衛も兼ねているからです」
「えっ、じゃあ、なんで彼女がここへ?」
彼女こそは、ラインハルトが城内で感じた始めての身近な危険だろう。
エシュアが飛び込んでこなければ、今頃彼の頭は壁に投げつけられた卵のように砕け散り、中身をぶちまけていただろうから。
「聖護院は時折、法皇の命により、外国に赴くことがあります。その目的は―――」
「目的は?」
「ロデン教に敵対し、なおかつ、聖堂が抱えている異端審問軍でも対処できない者を抹殺する為」
「つまり彼女の目的は余の暗殺?」
ラインハルトの表情が強張る。実際には彼の暗殺を狙うものはロデン教だけではない。今までにも何十人、或いは百人近い刺客が送り込まれているのだ。
彼が今までの間、その身近に危険を感じなかったのはひとえにヴァンが、彼の元に辿り着く前に刺客を始末していたからなのだ。その身に刻み込まれた殺しの技術を用い、彼の剣朱汐を赤く染め上げて。
その中にはフロレシア大聖堂異端審問軍の軍団長デ=ヴァレラも含まれる。
(恐らくはデ=ヴァレラを返り討ちにした事で、法皇に聖護院の投入を決断させたのだろう)
エシュアはそう考えたが、ラインハルトには話さなかった。
初めて身近に迫った暗殺の危険に彼は動転しているように見えたからだ。
今までにも何度も命を狙われていたと言う事実を今知るのはさらなる動揺を招くだけだろう。
「ブレンヒルトに関しては暁もその情報を掴み、監視を付けていたのですが」
その情報を聖堂に潜入して調査していた諜報員はどうやら捕らえられたようだ。
諜報員からの報告ではまだ聖護院の投入は推測の域を出ていなかったが、現にブレンヒルトが帝都に出現した事により彼の情報は正しかった事になる。
「その監視は?」
ラインハルトの頬は白くなっている。奥歯を噛み締めているのがわかる。
(気丈な………)
線の細い皇帝だし、恐怖を完全には克服できていないようだが、それでも克服しようといじましい努力をしているのがわかる。
「連絡が途絶えたのは昨夜の深夜です。定時報告が無かったので、もしやと思い、こちらに馳せ参じた次第」
「そうだったの。………おかげで助かった」
「はい」
「帝都にはやはり他国の諜報員が潜り込んでるの?」
「ええ。把握しているだけでも二十人ほど。ただし、その内のほとんどは戦闘力を持たないただの情報員です。無論、放置しておくのは危険ですが、差し迫って対処が必要と言う程ではありません」
「では差し迫って危険なのは?」
「三名です。聖護院のブレンヒルト。それに華中大帝国、致死軍の金龍と銀龍」
「致死軍?」
「フロレシアの暁のような存在です」
「なるほど。それで、エシュアはどうするつもり?」
「金龍銀龍の目的は定かではありませんが、ブレンヒルトは今後も暗殺の機会を狙ってくるかもしれません。しばらくは帝都内の警戒を厳重にするしかないでしょう。ですが、暁の戦闘員ではこの三名の内、誰一人としてまともに相手には出来ないでしょう。ヴァン殿も傷つかれた今、陛下の御身は非常な危険に晒されていると言えましょう。とりあえず、ヴァン殿の代わりとしては些か不安ですが私の部下のレイアードとジュナを陛下の護衛に就けさせていただきます」
エシュアの後ろに控えていたレイアードとジュナが頭を下げる。
「よろしく頼むよ、二人とも」
「はっ」
「命に代えましても」
「陛下には暫く、私事での外出は控えて頂きたいのですが」
「うん………でもそうするとアレクに疑われないかな?まあ、あいつは馬鹿だから大丈夫かもしれないけど、リーナは頭が良いから」
「それはこちらでなんとかしておきましょう。しかし、陛下には公的な席には今までどおり出席して頂かねばなりません。宰相閣下が仰っておられるように、臣民に不安感を与える事は避けねばなりませんから」
「その通りだ」
ずっと帝都守備隊に警備の指示を下していたオルンヘルが会話に加わってくる。
彼は深夜に起こされ、朝になってすぐに駆けつけたため、寝癖も直していない。
「おまえが公的な席を欠席すれば国民が騒ぎ出す。警備は厳重にしてあるが、元々警戒厳重な城内に容易に潜入して来た敵が相手だ。どれほど警戒を厳重にしても、万全と言う訳にはいくまい。事態を内々で処理するためには軍部に知らせる訳にもいかん」
「わかってるよ。と言う訳だから、レイアード、ジュナ、護衛頼むよ」
「やったな、ジュナ」
レイアードが小声でジュナに囁く。
「―――何が?」
ジュナには訳がわからないらしく、怪訝そうな顔色だ。聖護院相手に皇帝を守り通さねばならないという重責を担わされたのに、何をこの男は嬉しそうにしているんだ?と言う表情をしている。
そんな彼女に、にんまりと口元を緩め、
「これで武闘会、特等席で見れるぜ」
「あんた、馬鹿?」
「ははは。勿論、二人にも余の近くの席を用意するよ」
二人の会話をしっかりと聞いていたラインハルトが微笑みながら頷く。
レイアードは嬉しげに、ジュナは少し畏まって、頭を下げた。

武闘会は建国王フェルモア=シーザーが年に一度開いたものである。
ラスカーナ大陸中の腕自慢を集め、大会を開き、優勝者や見込みある者を近衛騎士団に登用したのだ。第一回目はまだフェルモアがフロレシアを建国する前である。その目的は軍事力を持っていなかった彼が即戦力化可能な戦力を集める為に開かれた。その最初の武闘大会では数百人の腕自慢が登用されたらしい。それ以後も毎回開かれ、優勝者にはラスカーナ一と言う名誉と《仕官か望みか》と言われるとおり、フロレシア帝国に仕官するか或いは望むままの褒美が与えられる。
しかし、時代を重ねるごとに元々競技会のような色合いの濃かったものが徐々にエスカレートし、先帝スレイマン三世時代には相手が気絶するか死ぬまで行われるようになった。
その血腥さは思わず観衆が吐くほどであったと言う。
さらに優勝者はその後、飢えた猛獣と対戦させられ、そこで命を落とす者が多かった。
ラインハルトは今回の建国祭にて武闘大会を開催するに当り城前広場に高札を立て、
『一つ、武闘大会において、対戦相手を殺すことを禁ず。
二つ、優勝者が猛獣と戦うことを禁ず。
三つ、優勝者は最大の名誉と敬意を与えられるべし』
と通達した。
この為もあってか、ラスカーナ大陸はおろか遥か彼方の海洋国家フェニキア自由都市連合からも武勇の者が己の力量を測るため、或いは己の腕一本で栄達を求め、参加している。
今日はその準決勝が行われるのである。
残っているのは四人。
その中には最有力優勝候補である昨年の準優勝者ロバート=マーティンとフェニキア自由都市連合出身の女剣士レイ=ミアーズが含まれている。
ラインハルトは皇帝の正装姿で、皇帝用の特賓席で二人の試合を観戦する。
彼の傍らには戦う大会参加者に鋭い眼差しを向ける近衛騎士団長アミリア=ホーンの姿がある。
試合を見、登用するかどうかを決するのである。
ラインハルトの背後には護衛役のレイアードとジュナの席が特別に用意されていた。
武闘大会が行われているのは帝都内にあるコロッセウムと呼ばれる闘技場だ。
擂鉢型の闘技場の北側斜面の最上段に皇帝用の特賓席がある。
闘技場の最上段には警備の帝都防衛隊の兵士がずらりと並んでいる。
闘技場にはおよそ十万名余りのルーガ市民が収容され、その熱気は冬だというのに汗を掻くほどだ。
この闘技場への入場料は平均的な労働者の一日分の賃金に相当するが、彼らは久々に血腥くない大会を見ようとこぞって集まったのだ。
擂鉢の底に、ロバート=マーティンとその対戦者が地下の控え室から出てきた。
闘技場の真ん中で向かい合い、軽く互いに一礼する。
観衆が歓声を張り上げる。
ロバート=マーティンは視覚的効果も考慮しているのだろう、白銀に輝く甲冑と幅広な両手剣を持っている。
甲冑の下は裸で、鍛え上げられた隆々たる筋肉が覗いている。
素晴らしい肉体美だが、普段の彼は軍人でもなければ傭兵でもない。
パン職人である。
昨年は決勝戦で敗れたが、彼にとっては幸いだったかもしれない。
何故ならば、彼に勝ち、優勝した麺職人はその後白獅子と戦わされ、殺されてしまったのだ。
白獅子とはフロレシア帝国の国旗にも描かれている白銀の獅子のように純白の毛並みを持ち、並の獅子よりも一回り巨大な獅子だ。
ラスカーナ大陸でもそれほど多く生息しているわけではなく、その獅子の毛皮は町が一つ購えるほどの高値で取引されるが、無論、それを手に入れるのは大変に危険だ。
対戦者も体を鍛えていたし、準決勝に残っただけあってかなり鋭い顔つきをしていた。
相当の実力者なのだろう。
レイアードが手元の対戦表を見て、口笛を吹く。
「パン職人対米農家か。宿命の対決。朝食の主役はいずれかって所だな」
「しっ。黙りなさい!あんた、自分の居る場所、自覚してるの?」
レイアードの軽口を隣からジュナが咎め、頭を叩く。
レイアードは叩かれた頭を抑え、
「って、殴る事無いだろ。この暴力女」
「何よ、場も弁えない駄目男が」
「余の事は気にしなくて良いよ、二人とも。寛いで観戦して」
「は、はい!」
苦笑しながらラインハルトが言うとジュナが固まって答える。
彼女にとって―――いや、レイアードから見てもそうだが―――皇帝など雲の上の存在なのだ。
その皇帝が自分に声を掛けてくれているなどジュナには全く現実感が沸かない現象なのだ。
思わず恐縮し、堅くなってしまっても仕方ないだろう。
むしろ普段通りの自然体であるレイアードの方こそ異常であろう。
おおおおおおっ!!
歓声が沸き立つ。
ラインハルトは慌てて視線を戻した。
そこではちょうど二人が突進しようとしているところだった。
ロバートは両手剣を肩の上に担ぐようにして。
対戦者は斧を刃が地に着くほどに下げて。
「ロバート=マーティンが勝ちます」
アミリアがさして興味も無さそうに言う。
生真面目な彼女にとってこのような娯楽は興味の対象とは成り得ないのだろう。
ラインハルトは一瞬、アミリアに目を向けたが、すぐに視線を戻した。
マーティンと対戦者の姿が一瞬交差し、対戦者の持っていた斧が彼の手元から弾き飛ばされ、尻もちを着いた男の鼻先に両手剣が突きつけられていた。
「勝負あり!」
審判が手を上げて、勝負の終わりを告げ、闘技場を興奮した歓声が包み込む。
ロバート=マーティンも両手を天に突き上げ、勝利の雄叫びをあげる。負けた米農家は悔しそうに拳で舞台を打っていた。米を育てるための八十八の苦労も報われなかったようだ。
「どうしてロバートが勝つってわかったんだい、アミリア?」
「簡単な事です。切り上げるよりも切り下げる方が速度も威力も出ますから」
「なるほど」
勝者と敗者が握手を交わし、退く。
先帝の時代には無かった紳士的な試合形式だ。
「次は彼女の番だね」
ラインハルトの口調に少し、わくわくしたような響きが含まれているのにレイアードは気付いた。
対戦表へと視線を落とす。
(レイ=ミアーズ………フェニキア自由都市連合の出身か………)
やがて、そのレイ=ミアーズと対戦相手が出てきて、やはり頭を下げて挨拶した。
レイ=ミアーズは良く鍛えられた引き締められた細身の体をしていた。
海洋民であるフェニキア人であるだけに、その肌は良く焼けている。
美人ではあったが、レイアードは小首を傾げた。
(皇帝はシエナとか言う侍女とできてるんじゃなかったか?………それともあれか、英雄色を好むとか)
しかし、ラインハルトは別にレイ=ミアーズの美しさに逆上せていた訳ではなかった。
試合が始まるとすぐにレイ=ミアーズはその細身の体には似合わぬ、大胆な動きで対戦相手の大男に迫り、その細い手で扱うには長すぎると思う長刀でめったやたらに殴りつけたのだ。
流麗な動きだった。一つ一つの動きが完全に精錬されており、芸術かと見紛うばかりである。
もし対戦相手を殺すことが認められていれば、対戦相手は三枚に下ろされていたかもしれない。
レイ=ミアーズは刀の腹で、骨が砕けないよう手を抜いた上で、殴りまくっているのだ。
対戦相手はレイ=ミアーズに反撃することも出来ず、ぼこぼこにのされた。
「すごい早い剣捌きだ。余もヴァンに剣を習っているけどとてもじゃないけどあんなに速くは動けないよ。すごいなぁ」
ラインハルトの瞳には純粋な感嘆の輝きが見える。昨夜、命を狙われたことなど忘れたかのようだった。
「これで決勝戦はロバート=マーティンとレイ=ミアーズの対戦と決まりました」
レイ=ミアーズが対戦者に肩を貸し、下っていく様子を見ながらアミリアが告げる。
ラインハルトは頷き、その白い頬を興奮にやや赤くして、言った。
「どんな勝負になるのか楽しみだね」

3 決勝戦
祭り九日目。今日は武闘大会の決勝戦だ。今日もラインハルトの姿は特賓席にあり、昨日と同じ皇帝の正装姿だった。その傍らにはアミリア、後ろにはレイアードとジュナの姿がある。会場の熱気は昨日以上だった。試合が始まる前、決勝戦を戦う二人の戦士が出てくる前から、観客は興奮していた。
ラインハルトもそれは同じで、そわそわと尻を動かして、座り心地を何度も確かめていた。

会場の最上段は地上からかなりの高さがあるためか、結構強い風が吹き抜けている。
その風に白髪を激しくはためかせながら、エシュアは鋭い眼差しを中段位の座席に座っている女へ注いでいた。ここからでは後頭部しか見えないが、その特徴的な紫色の頭は間違い無く、聖護院の一人、ブレンヒルトだった。向こうもエシュアの監視には気付いているのだろうが、まだエシュアの居場所までは掴んで居ないらしく、少しその頭が揺れている。目立たない程度に周囲に視線を配っているのだろう。
(しかし、奇妙だな)
エシュアは目に風が当って乾くのを防ぐため、少しだけ目を細めながら、特賓席の方を見た。
ブレンヒルトの席は特賓席の斜め前、かなり離れているし、真正面から様子を窺うにもずれすぎている。
この会場は一千名もの帝都守備隊の兵が入り、警備している。最上段と中段の通路、最下段に二百名ずつ。他に百人が闘技場の外を、三百人が巡回して警備している。これだけ警備を厳重にする事は例年にも無いことだが、観衆は誰も気にも止めていないようだ。しかも警備の他に、この会場には五十人もの暁の戦闘員が入り込み、密かにブレンヒルトを監視している。彼女がこの会場でラインハルトに近づく事は不可能に近い。それどころか、出る事すら出来ないだろう。ならば一体何故、彼女はここに居る?
(最も、居場所がわかっていたところでどうする事もできない)
エシュアは自嘲的に認めざるを得なかった。聖護院の構成員を殺す事を不可能だとは彼も考えていない。
いくら桁外れの戦闘力を有していたとしても、所詮は人間なのだ。
ただ、殺すにせよ捕らえるにせよ大隊規模の人員が必要だろうと言うだけに過ぎない。
しかし、これだけの一般人が居る闘技場で、大隊規模の兵力を展開しての大捕り物等不可能だ。
彼女自身もそれを知っているからこそ、こうして悠々とその姿を晒しているのかも知れない。

歓声が沸きあがる。遂にラスカーナ大陸一と言う名誉を賭け、二人の戦士が舞台へと登ったのだ。
最強のパン職人、ロバート=マーティン。
北の商業海洋国家出身、黒き令嬢レイ=ミアーズ。
二人はゆるりとした足取りで近寄り、古式に則って胸の前で剣を立て、一礼した。
この礼は相手を己と互角の実力者と認め、かつ決闘を申し込むと言う意思表示だ。
武闘大会でもこの礼をするほどの戦いは滅多に無い。二人がこの礼をした事で、会場のテンションは一気に昇り詰めた。ロバート=マーティンは白銀の甲冑に幅広の両手剣。
レイ=ミアーズはその褐色の肌に良く映える真紅の甲冑にその細腕では振り回すのも難しいのではないかと思えるほどの長刀。二人共に実用性と装飾性を兼ねた武装だ。
ただ、やや装飾の方に重点が置かれているようにも見えるが。二人は互いに右足を引いて体を回転させ、相手に背を向け、三歩歩き、再び右足を引いて回転、相手に向き直る。
「始め!」
審判が腕を振り上げ、振り下ろす。遂に決勝戦が開始されたのだ。
ロバート=マーティンが両手剣を肩に担ぐようにして、突進する。
レイ=ミアーズは動かない。長刀を青眼に構え、鋭い視線をロバートの額に射込む。
ロバートがレイ=ミアーズの顔面を狙い、両手剣を振り下ろす。
凄まじい斬撃、殺す気の一撃だとしか思えないほどの威力と速度だ。
「ロバートは本気だ!」
ラインハルトは叫んで、思わず立ちあがっていた。唇を噛む。
「対戦相手を殺すのは禁止なのに!」
「大丈夫です。見てください」
アミリアが冷静に告げ、闘技場を指差す。ラインハルトはレイの顔が真っ二つに割れていると言う凄惨な光景を脳裏に描き出しながら、視線を向ける。
「なっ………」
ラインハルトがその蒼い目を見開く。なんとレイは己の顔面を裂かれる事も無く、ロバートの全体重を乗せた重い一撃を長刀で受け止めていたのだ。長刀の腹に手を沿え、刃で両手剣の刃を押さえ込んでいる。ロバートは歯を剥き出しにして、必死なのがひしひしと伝わってくる。
それに引き換え、レイの表情は静かなものだった。しかしその二の腕にはこんもりと筋肉の瘤が盛り上がり、決して余裕で抑えているわけではない事がわかる。
「ぐぬぬ………何故、俺の剣を抑えられる」
こめかみに青筋を浮かべ、ロバートがレイに聞く。
「あんたの力はこんなもんじゃないだろう。無駄に力を使っている。無駄を省き、全てを捻りだす。そうすればこんな事も出来る」
「んおっ………!?」
ロバートは今までと全く違うレイの手応えに思わず驚きの声を上げていた。
それまではどちらかと言えばロバートが押していた。
レイはようやくロバートの剣を受け止めていると言う状態だったはず。
それがどうしたことか。レイの二の腕の筋肉がさらに盛り上がったかと思いきや、ロバートの方が押され始めたのだ。ロバートの顔が徐々に高潮して行く。
「この国で最強の剣士と言っても、この程度か?」
レイの表情に侮蔑の色はない。
ただ少し落胆しているような表情ではあった。
その表情を見て、ロバートはそのような場合では無いだろうにむっとした。
彼は一人の戦士として己の剣技に自信を持っている。
しかしそれ以前に彼はフロレシア帝国と言う自分の生まれ育った国を愛しているのだ。
先帝時代ですら彼は皇帝を憎みはすれどフェルモア=シーザーによって建国され、多くの先人達によって支えられ、発展して来たこの国を愛していたのだ。
その国を馬鹿にされるのだけは、我慢がならなかった。
「俺なんかがこの国で一番の剣の使い手だと?フロレシアと言う国を馬鹿にし過ぎだな」
「だが、お前は決勝に残った」
レイの目に怪訝そうな色が走る。案に相違して、彼女はもしかしたら純朴なのかもしれない。
「この武闘会にはルールがあるんだ!」
レイの力が一瞬緩んだ隙に、ロバートは渾身の力を込めて押し戻した。
しかし、押しきれない。
「この武闘会には軍に所属している人間は出る事が出来ないんだ」
「軍には貴方より強い人が?」
「ごろごろ居る。帝国六将軍やアミリア=ホーン、ガルヴィン=ジングリッド、ニカルド=ベグアス、師団長や連隊長クラスにだって腐るほど居るだろうよ」
「そう」
レイの視線が一瞬特賓席の方へ向く。
「皇帝陛下は剣を使えるの?」
「知らん。知らんが、あんな小さな体じゃ使えないんじゃないか?」
ロバートの言葉に何も答えず、レイが身を低くする。
「あっ!?」
いきなりそれまであった強固な存在が喪失し、ロバートが思わず前につんのめる。
その鳩尾に、レイが的確に長刀の柄を打ち込む。
「ぐあっ!」
ロバートの瞳が瞬時に焦点を失い、ロバートはそのまま、無様に倒れた。
会場が一瞬静寂に包まれる。倒れたロバートの脇でレイが身を起こし、周囲の観衆を見回す。
『わあああああっ!!』
それまでで一番の歓声が一斉に爆発した。長時間続いた硬直状態からの呆気ないほどの結末。
しかし観衆を沸かすのに絶妙のタイミングだった。
これ以上短ければ呆気なさ過ぎると感じるだろうし、長ければ観衆は動きの無い対戦に飽きてしまうだろう。レイは笑顔を見せる事も無く、天に剣を掲げて見せた。
この瞬間、ラスカーナ一の名誉を与えられる者が決したのだ。

試合の興奮はまだ醒めていなかった。
武闘会場の中央で、皇帝はその左右にアミリア=ホーンを初めとする十名の近衛騎士、レイアードとジュナの十二名を従え、優勝したレイ=ミアーズ、準優勝のロバート=マーティンと向きあっていた。
「汝、レイ=ミアーズ。汝、普段の鍛錬を怠らず、この武闘大会にその実力を遺憾なく発揮し、優勝と言う最高の栄誉を得た事をここに祝し、賞す。故に汝、我が幕下に仕える事を善しとするや否や?善しとするならば余が親率する近衛騎士団への入団を認める。否やならば汝が望むがだけの褒賞を与えよう」
(望むがだけの褒賞とかで、とんでもないもの要求されたらどうするんだろう?)
お決まりの言葉を口にしながら、ラインハルトは内心でそう考えた。
しかし、その心配は不要だった。レイ=ミアーズは地に片膝を付き、頭を垂れて、言った。
「謹んで、陛下の幕下に参じる事を心より願い奉ります」
「相わかった。近衛の一員として益々己の技量の練磨に精錬するよう」
「はっ」
実に巧妙に考えてあるとラインハルトはふと思った。
武闘大会を見物した観衆にとって、優勝者の強さはその脳裏にまざまざと刻まれているだろう。
その優勝者が皇帝である彼の前に跪く。観客は皇帝の権力をその心理の奥深くに刻む事になるだろう。アミリア=ホーン近衛騎士団長が一歩進み出、近衛騎士にのみ授けられる恩賜の銀刀をラインハルトに渡す。この剣は実戦向きと言うよりは装飾用の剣であり、近衛騎士が実戦で使うことはまずない。しかし、正装するときにはこの銀の剣を佩くのが通例となっている。その銀の剣をレイ=ミアーズは皇帝ラインハルト自身から手渡され、神妙な面持ちで引き下がった。
「次いで、汝、ロバート=マーティン。汝、本業の傍ら鍛錬を積み、大なる労苦を費やし、準優勝と言う栄誉を掴んだ事を賞賛する。汝、余の幕下に加わるを善しとするや否や?」
ロバートは先ほどのレイ=ミアーズと同じく、その場に膝を付き、頭を下げた。
「陛下の御身を守るが俺の夢であります。謹みて、陛下の幕下に加わりたく御願い奉ります」
「承知した。汝の力に期待している」
「ははっ」
アミリアがもう一振りの銀の剣をラインハルトに渡し、その剣をロバートに手渡した。
ロバートは感涙に目頭を熱くしながら、剣を押し抱いた。
ラインハルトは観客をぐるりと見回してから外套を翻して、闘技場を去った。
今日この日、近衛騎士団に新たに二名の強者が加わった。

武闘大会が終わって、ラインハルトはレイアードとジュナを連れ、足早に城に向かっていた。
ブレンヒルトに命を狙われてからは出来るだけ城内に居るようにしているのだ。
(って言っても襲われたのも城内なんだけど)
歩くのに邪魔にならないように外套を少し持ち上げながら、ラインハルトは思った。
表通りは人通りが多く、思うように進めない上に、住人や観光客に囲まれればいつ城に戻れるかもわからない。そこで、
『ルーガの裏町なら野良犬より知ってるぜ』
と言うレイアードの言葉に従い、彼らは裏道を歩いているのだ。
皇帝が通るような路ではない。道路端にはゴミが散らばり、野良犬などが飢えた腹を抱えて行き来する。空気の流れが悪いのか、饐えたような空気が漂っている。
しかしラインハルトはそんな臭いが苦になっていないようである。
むしろ神経質に小鼻を引く付かせているのはジュナの方だった。
「全く、裏道を全部知ってるんだったら、もう少し、まともな道は知らないわけ?」
「おまえこそ、裏路地の一つも知らないで良くそう言う事言えるな。帝都の裏路地なんてこんなもんなんだよ。陛下の親父―――おっと失礼、先帝陛下の時代には死体が転がってたもんだ。それが無いだけでも陛下の治世は上手くいってる」
「死体って………そんなに酷かったのかい?」
「ああ。帝都にはいくつか反政府組織があってな。暁が大分殺したらしい。帝都守備隊もだけどな」
「ちょっと陛下としゃべってるんだから敬語使いなさいよ!」
「ああ。良いよ、別に―――」
「良くありませんよ!………あ、ああ、失礼しました!」
宥めようとしたラインハルトにまで怒鳴ってしまい、ジュナが狼狽する。
ラインハルトは最早苦笑するしかない。
―――と、二歩ほど先行していたレイアードの足が止まった。
そのいつも緩んだようになっている垂れ目に緊張が走り、ジュナに合図を送る。
ジュナも頷き、ラインハルトを手で制し、後ろへ下る。
「出てきやがれ、この紫づくめ」
レイアードが路地の影に怒声を叩き付ける。
ゆらり、とビルの影が分裂したように見え、紫色の女が現れた。
紫の髪、紫の瞳、褐色の肌が所々露出した紫のドレス、両手で持った鎖鎌。
ロデン教法皇直属の聖護院の一人、ブレンヒルト。
「…………」
ブレンヒルトは無言のままで、鎖鎌の分銅の方を投じた。
凄まじい速度。当れば間違い無く骨が砕かれる。
その分銅はエシュアが手甲で殴って、ようやくその軌道がずれると言う程の速度と重量なのだ。しかもそのとき、エシュアの手甲の刃は完全に欠けてしまった。
とてもではないが、生身の拳で殴ってどうにかなる相手ではない。
「ちっ―――!」
レイアードは何とか身を捻り、この一撃を回避した。
分銅が灰色の壁を砕く。レイアードの横をすっと抜けていく影があった。
肩で切り揃えた黒髪が大きく揺れる。指を綺麗に揃えた手刀がブレンヒルトの首筋を正確に狙う。
ブレンヒルトはすっと後ろへ引くだけで、このジュナの攻撃を回避してしまう。
ジュナはすぐさま連続して攻撃するが、ブレンヒルトは表情一つ変えることなくその全てを回避してみせる。そして少しだけ距離を開けるために、跳んだ。
ジュナは無理して追撃せず、動きを止めて息を整える。
ブレンヒルトはやや乱れた紫色の髪を掻き揚げ、唇の端を曲げた。
「あの白い人が言ってた言葉を忘れたの?」
「何の事だ?」
訊いたのはレイアードだった。すっとジュナの横に並ぶ。
ブレンヒルトは手首の返しだけで、壁にめり込んだ分銅を手元に引き戻した。
「『我々だけじゃ勝てない』。彼も居ない。剣士も居ない。勝てるかしら?」
「さあな。自信は―――」
ブレンヒルトの真似をするかのように、レイアードは唇の端を曲げて見せた。
「ねえな」

「駄目です!完全に見失いました!」
「馬鹿な!あれだけの監視を付けていたと言うのに」
焦燥に駆られ、普段の彼らしくも無くエシュアは吐き捨てた。
武闘大会が終わり、会場に居る全員の視線が、優勝者に剣を授ける皇帝に吸い寄せられた一瞬の隙にブレンヒルトが姿を消してしまったのだ。すぐに気付き、コロッセウムの周辺を探させたが、霞の如く消えてしまい、その姿は見つからない。
「探せ。皇帝陛下もだ。陛下に危険が迫っているかも知れない。私は宰相にこの事を報せる。見つけたら帝国府に人を送れ」
「はっ」
頭を下げ、暁の戦闘員が去る。エシュアは闘技場の、先ほどブレンヒルトの座っていた席をその鋭い眼差しで射抜いた。
「陛下………どうか御無事で」

4 路地裏の死闘
レイアードは腰を低く落とし、脇にぴったりと拳を付けた。
思い描くのは師エシュアがルーナ帝国でラシュト=ハウンゼン伯爵を打ち倒したときの動きだ。
レイアードの表情に普段の緩みはまったくない。
その垂れ目は鋭く細められ、ブレンヒルトの一挙手一投足までも見透かすかのようだ。
その耳元に輝くイヤリングは小揺るぎもせず、この場の雰囲気を示しているかのようにぴんと張り詰めている。
今の彼は人妻殺しの二枚目優男ではなく、暁頭領エシュアの薫陶を受けた一番弟子だった。
その身は全く殺気という物を発散させていないが、それは彼がブレンヒルトに対して敵意を抱いていないという事ではない。
殺気を露にすることはこちらの考えを相手に見せているような物なのだ。
殺気を完全に内に収めることにより、相手はレイアードの動きを読み難くなる。
「さて、ジュナ」
ブレンヒルトの紫色の瞳と濃い紫のアイシャドーを無遠慮に見つめながら、隣で苦無を構えるジュナに声をかける。
「何」
彼女はレイアードほどには完璧に殺気を押さえ込んでは居なかった。
滲み出るような殺気がブレンヒルトへと向かっている。
「おまえは陛下を連れて逃げろ」
「なっ―――あんた馬鹿!?一人であいつと戦って勝てる訳無いじゃないのよ!」
ジュナが猫科の動物を思わせる大きな瞳をさらに真ん円に開いてレイアードを見る。
驚いているというより、その口調には呆れの色が強い。
「だったら聞くけどよ」
レイアードの口調には淡い自嘲の翳りがあった。
「二人だったら………勝てるのか?」
ブレンヒルトの実力はわからない。わからないが、今までエシュアが敵の実力を見誤ったことなどさしてない。そのエシュアがあの場に居る全員でも勝てないとはっきり言ったのだ。
そしてこの場にはあの時その場に居た者の内、確実に一位二位の実力を有していたヴァンとエシュアが居ないのだ。
「だからって………」
ジュナがなおもごねる。
「俺たちの任務は陛下の護衛だろうが!」
レイアードが激しい口調で、ジュナを後ろへと押しやった。
「陛下を守れ!」
「………レイアード………わかった。死ぬんじゃないよ、馬鹿。………陛下!」
「すぐに兵を集める。それまで頑張って!」
「へへ。そりゃ頼もしい言葉だな」
ラインハルトとジュナはレイアードに背を向け、表通り目指して走る。
が。
「無駄なことを」
「うわっ!」
「何っ!?」
ブレンヒルトが呟いた途端、走っていた二人が尻餅をついた。
まるで何かの壁に勢いよくぶつかり、跳ね返されたかのように。
振り向いて二人を見、レイアードが唇を噛む。
「結界………だと?」
じゃらっと鎖の音を立てて、ブレンヒルトの手から鎌が落ち、地面に落ちた。
「ここからは逃れられない。私を倒すか、もしくは―――」
「要はてめぇをぶち倒せば良いんだろ!」
却って吹っ切れたとばかりに、レイアードの身が低く走る。
「陛下はここに居てください!」
「気をつけて」
ジュナもラインハルトに声をかけた後、走る。
ラインハルトはじっとその戦闘を見つめている。
手は《覇皇剣-サナトゥス》に掛かっている。
『あの二人は殺される』
頭の中に直接、声が響いた。野蛮さを内包した力強き男性の声。それが、彼らの死を予言する。
楽しそうな響きは無かった。しかし、陰気さも無い。淡々と事実を述べる事務官のような口調だった。
「どうしたら良い?僕は………僕には何ができる?」
ラインハルトは性急に問いかけた。《覇皇剣-サナトゥス》は答えなかった。
彼の眼前でまさに圧倒的な戦闘が繰り広げられた。
暁でも実力者の部類に入るレイアードとジュナ。
それが呆気ないほど簡単に退けられる。
レイアードの拳は正確かつ高速にブレンヒルトの胸を狙っていた。
当たればあばらを砕き、肺を潰す程の一撃だ。
ブレンヒルトは無感動な紫の瞳をレイアードの面上に向け、手首を返した。
地に落ち、力なく横たわっていた鎌が突如として生気を取り戻し、レイアードに襲い掛かる。
レイアードは一瞬で攻撃を諦め、鎌を避ける事に専念した。
鎌はレイアードの頬に一筋の赤い線を描き、後ろへと抜けていった。
改めて、攻撃へ―――レイアードがその意識をブレンヒルトに戻した瞬間、左の肩に激痛を覚えた。
「ぐあっ!?」
生き物のごとく旋回した鎌が深々とレイアードの背に突き立っていた。
人間が操るよりも遥かに小さな旋回半径。そして、突如としての加速。
ブレンヒルトの鎌はただの鎌ではない。
古代の技術によって精霊を封じた精霊具。
突然の激痛にレイアードのバランスが崩れる。
その鳩尾にブレンヒルトの膝蹴りが叩き込まれた。
弾き飛ばされ、
「って、うわあっ!?」
後ろからブレンヒルトに迫っていたジュナに激突する。彼女の先読みの能力を超えるほどのブレンヒルトの身体能力と攻撃速度、ジュナの反応がどうしようもなく遅れる。
レイアードを受け止めたために、ジュナの突進が止まる。
そこへ、追撃の分銅。釣鐘型の鉛の塊がレイアードの背を打つ。
その衝撃は甚大だ。
「ぐあっ………」
血反吐を吐き、レイアードがぐったりとなる。
背骨が折れていれば生きていたとしても半身不随になる可能性が大きい。
ジュナはすばやくレイアードの背に手を当てた。
安堵する。分銅は背骨ではなく、心臓の後ろの辺りを打っている。
衝撃による心臓麻痺も起こしていない。しかし、激痛に耐えられず気を失っていた。
レイアードを脇へ退かし、ジュナは構えを取った。苦無を投げつけようかと迷う。
だが、その顔色は蒼白い。はっきりとわかる。天地の差ぐらいにある自分とブレンヒルトの実力の差。なまじ、ブレンヒルトの動きを読める先読みの能力を持っているだけにその差は歴然とわかる。
次の行動を読む事はできる。しかし、その行動を脳が認識し、その行動への対応策を決定し、体に指示を送る前に、既にブレンヒルトは行動しているのだ。読めたとしても、反応が間に合わなければ意味が無い。こんな事は、今までには起こり得なかった。先を読む能力があり、それに頼ってきたため、こう言った場合の直感力と言う物はほとんどない。レイアードが突進してから倒されるまで十秒と掛かっては居ないだろう。しかも、逃げようにも結界に阻まれ、進むことはできない。
レイアードが倒され、ジュナが恐怖心に慄いている様子は後ろで戦いを見ているラインハルトにもわかった。
「僕はどうしたら良いんだ!《覇皇剣-サナトゥス》!」
苛々と訊ねる。《覇皇剣-サナトゥス》はようやくにして、その重い口を開き、ラインハルトの頭に思念を送って寄越した。
『戦うしかあるまい。覇皇フェルモアの血を引く新たなる覇皇よ』
「でも、余では―――」
『出来なければ死ぬ。只それだけの事。汝は所詮、それだけの器であったと言う事。覇皇になる資格は無い。ならばここで死ぬるが良い』
「わかったよ!戦えば良いんでしょう!」
勢い込んで、ラインハルトは腰の剣を引き抜いた。聖剣と言うには禍々しすぎる真紅の剣身が裏路地の饐えた空気に曝される。
『我の力を解き放て。さすれば、敵は滅び去る』
「帝都まで滅び去らせる訳にはいかない!」
暴れる《覇皇剣-サナトゥス》の思念を鎮め、剣を構える皇帝。
ブレンヒルトの眼差しは恐怖に震えるジュナではなく、彼に向いていた。
「余が相手になる」
恐怖を感じなかったといえば嘘になるだろう。その恐怖を皇帝としての責任と意地で押し包み、皇帝ラインハルトは一歩、また一歩と前進した。
途中で邪魔な外套を脱ぎ捨てる。
ジュナの横に並ぶ。ジュナの顔には複雑な表情が浮かんでいる。不安感がその最たる物だろう。
彼女は皇帝の剣技を知らない。だが、この華奢な皇帝がブレンヒルトを倒せるほどの剣の腕を持っているとは到底思えなかったのだ。ラインハルトは彼女を安心させるかのように微笑を浮かべて見せた。
少々引き攣ってはいただろうが、いくら気丈に振舞おうとしても彼はまだ十五歳の少年でしかない。むしろよくやっているほうだろう。
「皇帝が剣を使えるという情報は知らないわね。楽しみだわ」
鎖鎌を手元に引き寄せ、ブレンヒルトが笑う。
完全にラインハルトを舐めきっている。しかし、それこそ当然の反応だろう。
どう見ても、ラインハルトの姿は頼りなかったのだから。
「でも手加減はしてあげないわ。貴方のその綺麗な頭蓋骨を粉砕して、白い雪みたいに降らしてあげる。もっとも、貴方がそれを見物することはできないでしょうけど。それとも。そっちの黒髪の子から先に粉砕したほうが良いかしら?」
「止めろ、そんなことをしたらおまえを許さない」
ブレンヒルトの脅しを真に受けて、ラインハルトが怒りを露にする。
「だったら、まずは貴方が死ぬしかないわね。どちらが先に死ぬにしても、結果は同じ事」
ブレンヒルトが手首を返し、《食肉の鎖鎌-インフェルト》の鎌がラインハルトの喉を掻き切ろうと迫る。
甲高い金属音が路地裏に響いた。ラインハルトが《食肉の鎖鎌-インフェルト》を弾いたのだ。
困惑したように鎌が空に留まる。
驚いたのはラインハルト自身もそうだった。
(手が勝手に………いや、これは………《覇皇剣-サナトゥス》!?)
《食肉の鎖鎌-インフェルト》が精霊の意思で動くように、どうやら《覇皇剣-サナトゥス》自身も自分の意思で動けるらしい。《食肉の鎖鎌-インフェルト》は精霊としての本能で、あの真紅の剣に宿っている精霊が自分などよりも遥かに上位の存在である事を悟った。《食肉の鎖鎌-インフェルト》の思念によってその恐怖を共有するブレンヒルトの表情に焦りの色が生まれる。
「いくら精霊が強くともそれを操っているのはただの子供に過ぎない。聖護院の一員たる私が負ける訳がない!」
恐怖心を払いのけ、ブレンヒルトが地を蹴った。彼女にとっては恐怖心を感じる己そのものが許せないに違いない。ラインハルトへと突進しながら、手元の分銅を投げつける。
唸りを上げて、骨をも砕く一撃がラインハルトを粉砕するかに見えた。
が、そうはならなかった。
分銅はラインハルトが顔の前に掲げた赤き聖剣によって弾かれ、薄汚い壁に突き立った。
ラインハルトの蒼い瞳は焦点を結んで居らず、《覇皇剣-サナトゥス》にその主導権を渡しているかのようだ。そのラインハルトの口が言葉を紡ぐ。声帯を震わすと言うよりは、思念がそのまま音になっているかのような不思議な波動の言葉だった。
『我、破壊の王、精霊の王。我、フェルモアを覇皇と成さしめる。またその末裔を覇皇と成さん』
「戯言をほざくなぁ!!」
《覇皇剣-サナトゥス》の声を聞かないために咆哮をあげ、ブレンヒルトの全身が薄く紫色に輝く。
その光は鎖鎌の鎌の部分に集約し、明るさを増す。
「いっけぇぇぇっ!!」
その鎌をブレンヒルトが放った。誰が見てもわかる、彼女の渾身の一撃だ。
それを迎え撃つラインハルトの口元には、普段彼が浮かべるような清楚な笑みではなく、どこか禍々しさを湛えた危険な笑みが浮かんでいる。
『《インフェルト》如き下等な存在が、我に勝てると思う事こそ笑止』
《覇皇剣-サナトゥス》の真紅の剣身が、鋭く赤い輝きを放った。
ラインハルトが剣を振り上げ、振り下ろす。赤い衝撃波が放たれた。
衝撃波は路地裏を駆け、《食肉の鎖鎌-インフェルト》を巻き込み、押し戻してブレンヒルトを弾き飛ばした。ブレンヒルトの体は路地裏を十数メートルも吹き飛ばされ、汚れた壁に叩きつけられる。
『むう。これしきの力を使っただけで………長き眠りにより、我もまた力を失いしか………この若き継承者の抑止ゆえか………無念。力さえ解き放てば肉片一つ残さずに消し去りし物を』
《覇皇剣-サナトゥス》の声が徐々に弱まり、消える。路地裏には静寂が戻っていた。
剣を持った両手をだらりと下げ、ラインハルトは呆然と立っている。
ジュナは今目の前で起きた光景が飲め込めず、呆然とラインハルトと壁に貼り付けになっているブレンヒルトとを見比べた。やがて、ラインハルトの全身から力が抜け、倒れる。
「陛下!」
ジュナは悲鳴のような声をあげて、倒れてくるラインハルトの体を受け止めた。
少年の筋肉などほとんど無い華奢な肉体は予想していたよりも遥かに軽かった。ラインハルトは苦しげに眉間に皺を寄せ、うわ言の様に何かを呟き、そして最後の力を振り絞るかのようにして、剣を鞘に収めた。途端、安堵したように眉間の皺が消え、全身が完全に脱力し、彼は気を失ってしまった。全身にぐっしょりと汗を掻いており、肉体的にと言うよりは精神的に疲労しているようだった。小石を蹴る音に、ジュナははっと顔を強張らせて、ブレンヒルトの方を見た。ブレンヒルトが壁から降りたところだった。元々露出の多いドレスはさらに惨憺たる有様となり、褐色の肌はあちこち裂けて血が流れている。
彼女は物凄い形相でラインハルトを睨み据えた末、ほう、と息を吐く。
「自我を失わなかったか………自我の一部を精霊に開放するなど無謀も甚だしい限りだと言うのに」
下手をすれば人格を乗っ取られてしまう。元々人間よりも精霊の方が自我が強いのだから。
足元に落ちていた《食肉の鎖鎌-インフェルト》を拾い上げる。
そのまま彼女は去ろうとした。
「ちょっと!」
ジュナがその背に声をかける。
「今のは一体何!?陛下が何をしたの!?」
ブレンヒルトは足を止め、肩越しにジュナを振り返った。
「この世でもっとも邪悪な存在に魂の一部を食わせたのよ。フェルモアがそうして覇皇となったように」
「それってどういう―――」
「忘れたの?私は敵よ」
ブレンヒルトが疲れたような嘲笑を浮かべて口にした言葉に、ジュナは息を呑んだ。ブレンヒルトはそのまま、去って行った。途方に暮れたようにジュナは膝の上にラインハルトを寝かせ、倒れているレイアードへと視線を向けるのだった。

そんな彼らを見つめる二対の目があった。
「どう思う、銀?」
野獣のような唸り声と共に、男の声が問う。答えたのは妖艶な女の声だった。
「なかなかに面白い見世物だったよ。あたいは戦いたくないよ、あんな化け物と」

QRコード
携帯用QRコード
アクセス数
ページビュー数