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覇皇伝

第四章 ラマーンの乱

第四章 ラマーンの乱
1 公爵の決断
皇帝が突然の勅令を発してから、およそ一週間の時が流れた、帝国暦三三二年十月四日。
ラマーン=オルド侯爵を首謀者とする反皇帝派貴族達はそれぞれの私兵部隊を率いて、ラマーン=オルド侯爵の居城、ニヒトフォーフェン城に集結し始めていた。
暁の報告によって、それらの情勢は逐一皇帝の耳へと入れられ………皇帝は軍令部総長ハーン=ハーベスト元帥に警戒態勢を強化するよう命じた。
ハーン=ハーベストはその命令を受け、各地に散らばる第二軍の各部隊に警戒命令を発令。
帝都駐在の第一軍は元々貴族中心の軍団だったため、予備役に編入された者ももっとも多く、引継ぎにもっとも時間を必要とした為、一週間が経っても即動状態に移行できた師団は少なかった。
しかし、そんな中で、ハーン=ハーベストは二つの師団を動かすことを決定した。
すなわち、アレク=ハーベスト少将の率いる第一歩兵師団とレフィナ=フュークル少将の率いる第一騎兵師団の計一万五千名である。
これに皇帝ラインハルト=シーザーが直接指揮するアミリア=ホーン団長率いる近衛騎士団二万名が加わった総計三万五千名が臨戦態勢を整えた。
帝国の緊張は極度に高まりつつあった。
そして、アリーニ=アウグウェルツ公爵領のうち帝都にもっとも近い場所にある荘園。
彼は広大な範囲に幾つもの荘園を抱えているのだが、この荘園はその中でも大きな方に分類される。この荘園に、彼と彼を取り巻く貴族達の私兵部隊が集結しているのだった。
その兵力はおよそ五万余。第三勢力としてはあまりにも無視できない程の兵力だ。
なにしろ反乱勢力であるラマーンの兵力はやはり五万余。
皇帝ラインハルト=シーザーが現在動かせる兵力は三万五千。
後は各地の砦を守備している第二軍の兵力だけ、しかしこれらの兵力は各根拠地を守るためにも動かすわけにはいかない。荘園内の屋敷、その一室に屋敷の主人たるアリーニ=アウグウェルツとカブラ子爵をはじめとする彼の取り巻き達が集まり、議論を重ねていた。
「すぐにでも我々も反皇帝の旗を揚げるべきです!」
「今ならば皇帝派の軍勢を圧倒することができますぞ!」
「今この時を逃せば、皇帝派は軍部を掌握してしまい、我々は真っ向からぶつかり合う手段を失います!」
「ラマーン=オルド侯爵は既に行動を起こされておいでですぞ!」
若き青年貴族達がアリーニに詰め寄る。
彼らはエルベス川の戦闘で父親や兄を失い、家督を継いだばかりの若造ばかりだ。
しかしそれだけに彼らはこの国の貴族がどれほど腐敗しているのかを知らず、貴族こそが正しいと言う教育を信じ、故にその貴族を廃そうとする皇帝派の動きを悪だとみなし、それを倒そうとしている己たちを正義と信じて疑わないのだ。
貴族が統治する事こそ、この国にとってもっとも理想的な形であると彼らは信じ、国のために戦おうと純粋な輝きを瞳に宿している者も少なくはない。
(迷いを知らぬ瞳………か)
アリーニ=アウグウェルツはそんな彼らを見回して、瞳を細めた。
(青いな………呆れるほどに、青臭い)
世の中綺麗事では動かない。
策謀、謀略、暗殺………ありとあらゆる事をしなければ、成功を手中にすることは出来ないのだ。
(ラマーンは既に動いている、か)
ラマーンはもはや公然と動き出している。
ニヒトフォーフェン城内に食料や矢玉を次々に運び込んでいるのだ。
「我々は貴族連盟として、貴族のこの国での権益を守ると言う務めがある」
アリーニが一同を見回しながら口を開き、淡々と話すだけで、場は静まり、すべての貴族達が彼の話しに耳を傾ける姿勢を示した。
「―――故に、我々は慎重に態度を決さねばならない。確かに今、戦えば我々は兵力において皇帝派を圧倒できるだろう。………しかし、その後は?たとえ一時的に帝都を制圧する事に成功したとしても、ルト=リューベンの反乱の二の舞にならないと言う確証はあるのかね?」
居間に静かな沈黙が満ちた。アリーニの威厳の前に、誰も口を開く事が出来ない。青年貴族達は気まずげに互いの顔を見合わせる。アリーニは一同を見回し、結論を口にしようとした。
「ならば、今は―――」
「反対です!」
一人の青年貴族が声を張り上げた。他の青年貴族達を掻き分け、その貴族はアリーニの前に進み出た。
アリーニがかすかに眼を細める。
「ふむ………何に反対なのかね?」
他の青年貴族ならば震え上がるような、低い、威圧感に満ちた声だった。
しかし、その青年貴族はまったく臆する事無く、アリーニを見返した。
その瞳には誠に国を想う者の純粋な光が輝いていた。
「日和見なさるおつもりならば、私は断固反対いたします」
「なんだね、君は?………無礼であろう!」
カブラ子爵が青年貴族の肩を掴んで下がらせようとする。
「止めたまえ、子爵。彼も又国を想う志篤き志士なのだからな」
「はっ………」
アリーニに止められ、カブラが頭を下げて引き下がる。青年貴族は襟を正して、かすかに頭を下げた。
アリーニはやや瞳を和ませて、その青年貴族を見つめる。
「君は見かけない顔だが?」
「これは申し遅れました。わたくし、アトレフ=レミントンの男爵位を継承せし若輩者にて、名をギリアム=レミントンと申します」
「ほう………アトレフ卿の………彼の事はよく知っている。誠に国を想い、国に尽くした御仁であったな」
「はっ………ありがたきお言葉にございます」
「うむ―――それで、何故日和見に反対なのだね?先ほど私が言ったとおり、今回の場合はよくよく考えて慎重な対応を取るべきだと考えるのだが?」
「慎重に考えた末に、手遅れになる可能性もありましょう。むしろここは積極的に打って出るべきであると考えます。帝都を制圧し、皇帝陛下を我らが手中に収め、退位を迫ればよろしいでしょう。肝心なのは地方の軍団に閣下を討つ大義名分を与えないことでありましょう」
「ふむ………つまりわしに、皇帝になれ、と?」
「それが閣下のお望みになられていること。私の読み違いでしょうか?」
言い切り、ギリアムはかすかに笑みを見せた。
アリーニは鋭く眼を細め、カブラは険悪な雰囲気をその身から発散している。
先ほどアリーニが止めていなければ、今頃彼はギリアムに殴りかかっているところだろう。
険悪感に満ちた睨み合いはほんの三秒間ほどしか続かなかった。アリーニが目尻から力を抜き、
「ふん―――なかなか面白い事を言う。………だがわしは、わし自身が皇帝の玉座を暖めようなどと考えた事はない。わしにそのような大それた野心がある訳あるまい?第一、皇帝即位の打診は最初、わしの元に来たのだ。それをわしは断っている。何故だと思うね、男爵?わしはわしのようなおいぼれがしゃしゃり出るべきではないと思ったからだ。誠に国を想い、民の為と想えばこその決断だ」
断言した。カブラがやや表情を変え、そしてすぐに素知らぬ顔をする。
彼はアリーニが玉座に固執している事を知っているのだ。
しかし、その事を口にすることは自分にとって不利にこそなれ、有利にはならない。
だが彼は、改めて自分の想いと反対の事を平然と口にするアリーニにある種の畏敬の念を抱いた。
「閣下の尽忠報国の志には私としても深く敬意を感ずるところではあります。しかし、暗愚な王の下では国は滅びるしかありません。誠に閣下が国を想われるならば荒治療をも認めていただきたい」
「つまり君は断固皇帝派に対し、武力を持って戦うべしと言うのだね?」
「左様です。そして、武力を用いるならば彼らの動きが束縛されている今しかありますまい。兵は拙速を尊ぶと申します。今を逃せば我々はこそこそと這いずり回るしかない虫に成り果てる。国家に対し、大きな影響力を行使するなど夢のまた夢となりましょう」
「貴様………!我々を虫と呼ぶか!」
「侮辱は許さぬぞ!」
青年貴族達が色めき立つ。彼ら貴族は気位と誇りが異常に高いのだ。
しかしギリアムは平然としたものだ。
そんな貴族達を泰然と見返し、かすかな笑みさえ浮かべて言う。
「そう呼ばれたくないのなら、皇帝派に勝つしかありませんな。そして―――」
何者にも動じない意思を感じさせる瞳がアリーニを見据える。
「勝つには今このとき、すぐにでも立ち上がって敵を討つこと。これのみです」
「そうだ!今こそ起つべきなんだ」
「今起てば、皇帝派を倒せる」
「この国の主権を取り戻すんだ」
「この国を守れるのは、我々貴族だけだ」
「君側の奸を討ち、我らが正当性を世に示すのだ!」
「皇帝何する者ぞ、我らの敵ではない!」
「…………」
アリーニはただ黙って、気勢を揚げる貴族達を見つめていた。

そして―――。
この翌日、ラマーン=オルド侯爵は帝都への侵攻を開始した。

ラマーン=オルド侯爵率いる反乱軍はまずニヒトフォーフェン城の至近にある砦に攻撃を仕掛けた。この砦には第二軍に所属する一個騎兵連隊一千騎が駐屯していた。軍令部長からの警戒命令を受けていた連隊長はまず最初に攻撃を受けるのが自部隊である事を既に予想しており、砦の堀を深くし、城壁を高くし、訓練を重ね、手薬煉引いて反乱軍を待ち構えていた。攻めるはラマーン=オルド侯爵側の男爵に率いられた一万余。兵力差十倍とはいえ、相手は烏合の衆。しかも数日耐えればルーガから皇帝陛下御自らが率いる三万五千が援軍に駆けつける。連隊長は二、三日どころか一ヶ月でも防いで見せると自信を露わにしていた。しかし案に相違して、この攻防戦は僅か半日で終わる。
砦の守備隊長でもある連隊長が暗殺され、副連隊長を兼ねていた中隊長の中佐がすぐさま降伏の白旗を掲げたのだ。この暗殺は貴族側に寝返った副連隊長が行ったもので、彼は貴族側より砦を開城すれば師団長の地位を約束されていたのだ。こうして砦は呆気なく陥落。
貴族側は大いに気勢を張り上げたのだった。
しかしラマーン=オルド侯爵が三万の主力を率いて行った城攻めは守備隊が一個歩兵師団、一個騎兵連隊一万一千名と強大であり、人の良い侯爵が謀略を嫌ったため、苦戦を強いられる事となった。通常攻め手は守備側の兵力の三倍の兵力を用意すれば勝てると言われている。
しかしそれは練度がほぼ同程度の場合に限られ、もし双方の練度に大きな差があるのならばこの比は大いに変動するものなのだ。
その好例を示すかのように、師団長以下一万余名は死に物狂いで戦い、この日の貴族側の攻撃を完全に防ぐことに成功したのだった。こうして、後にラマーンの乱と呼ばれる事になる大反乱が勃発したのだった。反乱開始初日は一進一退のまま、終了した。
反乱軍主力部隊の本営において、ラマーンはまた頭を抱えていた。
「あのような城など三万もの兵力で攻めればいとも容易く落とせましょう」
だの、
「我々憂国の士の心意気に打たれ、投降致すでしょう」
だのと言う青年貴族達の甘言。そして、
「閣下御自らが陣頭に立たれます事により兵の士気は倍増間違いなし。さすれば皇帝派の正規軍など物の数ではありません。閣下の威に必ずや屈することでしょう」
などと楽観的な事を口にするイミナに従って、ラマーンはニヒトフォーフェン城を出撃してきたのだ。
(それがどうだ………一日攻めても城はびくともしないではないか)
青筋立てて怒鳴るほどの度胸も無い侯爵に出来る事と言えば、精々が自棄酒をかっくらって愚痴る程度のことだ。我々の心意気に打たれて敵は降伏するだろうなどと言っていた青年貴族は確かにその心意気を持っていたらしく、貴族には珍しく陣頭で指揮を取っていた。
しかし彼は功を焦るあまり突出しすぎ、好機と判断した守備側師団長の指示で出撃してきた敵軍に包囲され、敢え無く討ち死にしてしまった。
それ以降他の青年貴族達は揃って後衛に下がってしまい、兵の士気は一気に下がってしまった。
彼らは貴族の私兵部隊に過ぎず、元はと言えば軍籍から離れた元軍人か、流れの傭兵か、犯罪人かであり、決して貴族への忠誠心が篤いとも言えない。無論彼らに憂国の情など求めるのは酷と言うものだ。彼らが貴族に従っているのはただ単に報奨金が目当てだけと言うに過ぎない。
その風紀も決して高いとは言えず、今も一部の兵は近くの村へ出かけて強奪してきた酒や食べ物や女を囲んで騒いでいる。しかし兵ばかりを責める訳にもいかない。
貴族達も近くの街の遊郭から女達を連れてきて、飲めや歌えやの大騒ぎをそれぞれの陣屋で行っているのだから。砦が陥落したと言う朗報は既に届いている。
明日になれば砦を攻撃していた一万もこちらに加わり、こちらの兵力は四万になる。
城の守備部隊の四倍の兵力となる。皇帝が直卒する三万五千の部隊が戦場に到着する前に、この城だけは落としておきたい。攻勢に出るという行為が反乱の正当性を高め、各階層の人々の支持を得る最短の方法だ。しかし、もしこの状況で後詰に帝国の最精鋭部隊、近衛騎士団二万を中核とする三万五千が到着すれば、挟み撃ちにされた反乱軍主力は絶望的な戦いを余儀なくされる。
(ああ………やはりこのような反乱、起こすべきではなかったのではないか?)
彼は酒を飲みながら、さらにどんどん沈み込んで行った。

一方その頃、彼らの攻めている城の城壁の上に、いくつかの人影があった。夜風に靡く栗色の髪をした女騎士だった。彼の隣に並んでいるのは蜂蜜色の髪をした若者。
レイシア=パルディアス、亡命パルディア王国女王とレッセフェルト=イングラム、駐亡命パルディア王国大使だった。レイシアはパルディア騎士団の血が完全に絶えてはいないことを示すため、皇帝ラインハルト=シーザーに直訴し、パルディア王国軍の遺臣軍を率いてこの城の守備隊に編入してもらったのだ。パルディア王国遺臣軍とは言え、その兵力は百名にも満たない。
しかし彼女達は勇猛に戦った。連隊長格の大佐の階級を与えられているレッセフェルトもそのだらけた雰囲気とは対照的に勇猛果敢に戦った。
レイシアは昼間の戦いで敵方の貴族の首級を揚げるほどの武勲を立てていたのだ。
彼女は宴会騒ぎに興じている反乱軍の陣営を見つめて、吐き捨てるように言った。
「今夜襲を掛ければあのような有象無象容易に蹴散らせよう物を………」
彼女は城の居室の方を睨み付けた。そこでは師団長がやはり連隊長や中隊長を集めて宴会を開いていたのだ。目的は士気の鼓舞と言う事だったが、疑わしいものである。
「まあ、そう張り切るなよ。まだ始まったばかりなんだからさ。のんびり行こうや」
レッセフェルトは眠たそうに欠伸を噛み殺しながら、蜂蜜色の髪を掻き混ぜた。
レイシアは一瞬苛立たしげな眼差しをレッセフェルトの横顔に突き刺し、ふっと表情から力を抜いた。
「確かにね。………焦っても、国の復興が早まるわけでもない訳だし。………寝るよ」
「添い寝してやろうか?」
「いらない」
「寂しいじゃないか」
レイシアはレッセフェルトを一瞥し、彼が薄い笑みを浮かべているのを見ると肩をすくめた。
「膾斬りにされたいの?」
「ああ………そういやおまえってそう言う特殊な寝相の悪さを持ってたんだったな」
「ええ、そうよ。それじゃおやすみ」
「ああ、おやすみ。良い夢を」
「ええ。………そう願いたいものだわね」
一瞬夜空に視線を向け………レイシアは城壁から降りて行った。
「良い夢を、か………」
レッセフェルトも同じように空を見上げ、肩をすくめた。
「柄にも無い事言っちまったな」
そして彼も、城壁を降りて行った。

2 皇帝、出陣
帝国暦三三二年十月五日。
ラマーン=オルド侯爵、謀反。帝都に向け、進軍を開始。既に一拠点奪われる。尚も一根拠地包囲中。
この知らせはすぐさま帝都に伝えられたが、誰も驚かなかった。
この事態は予想されていたからだ。
あの皇帝が発した突然の勅令、軍部の人事改革と貴族と領民間の紛争を解決するための貴族私領内への帝国府の役人による強制調査。
貴族達がこのまま引き下がるなどと誰が思うか?
否。
必ず誰かが立ち上がる。
これはもはや誰もが予想してしかるべき事態だったのだ。
軍人も庶民も、この事を予想し、自分なりの対応を取っていた。
軍人達は少しでも早く己の部隊が即動状態に移行できるよう訓練に励んだ。
臣民達は己の身や家族の身に危険が迫った場合を考え、家財道具を背負って帝都を脱した。
だが、全ての臣民が帝都から逃れたわけではない。
中には、
『あの皇帝が居る限り、帝都が戦火に包まれる事などありえない』
と公言し、家を離れようとしない者も多かった。
帝都を逃れようとする者も、そこに混乱は無く、整然とした列を成していた。
それもそのはずで、帝都防衛隊の緑色の軍服を着た軍人達が彼らの誘導の任に当たっていたからである。
皇帝は帝都を逃れたい者を弾圧するのではなく、帝都脱出に協力するようガルヴィン=ジングリッド帝都防衛隊長に命じていたのだ。帝都防衛隊の誘導の元に臣民達が粛々と帝都を出て行く最中、この報告は届いた。
皇帝ラインハルト=シーザーはこの報告を受けるとすぐさま近衛騎士団に出陣を命じた。
ハーン=ハーベスト軍令部総長もアレク=ハーベスト少将の第一歩兵師団、およびレフィナ=フュークル少将の第一騎兵師団に出陣を令し、出陣する三万五千はルーガ城内の練兵場に集結した。
レフィナ=フュークルはフロレシア帝国では名高い軍人貴族フュークル一族の当主ルシウス=フュークル男爵の三人の娘の次女である。士官学校を首席で卒業し、僅か十六歳で師団長の地位に就任している。
金髪の巻き毛をした、まだあどけなさの残る少女である。
彼女の元には二人の有能な連隊指揮官が居る。
第二騎兵連隊長のギルギッド=ルメイ大佐と第三騎兵連隊長のオットー=セルバン大佐だ。
フュークル男爵家は早くから皇帝派を宣している。
初代フェルモア=シーザーをも支えた軍人の血筋は少しも衰える事無く、この少女の血肉に通じている。

皇帝私室において、ラインハルトはシエナに手伝ってもらって皇帝の戦装束に着替えていた。
竜の鱗を繋ぎ合せて作られた鎖帷子を着て、その上に白鎧を着る。
そして純白の戦衣を纏って、腰に《覇皇剣-サナトゥス》を佩く。
白鎧は動きやすいように軽量化されてはいる物の、それでも篭手やらなんやらと着るのにかなりの時間を要する。
「ライン、何度も言うけれど気をつけてね」
シエナが心配そうに言う。
ラインハルトは笑顔で頷いた。
そして、懐に手を差込み、大事に布で包まれたロデン神像を取り出して見せた。
「これがあるから、僕の身はシエナが守ってくれる………だろ?」
言って、眩しそうに目を細めて神像を見るライン。
シエナは少し頬を染めながら、
「もちろんよ。私がラインを守る………」
そう言いながらも、シエナの瞳は大きく揺れ、心なしか潤んですら居た。
何度経験しても、別れは慣れないのだ。
「シエナ」
ラインはシエナの肩を抱こうとした。背を叩いてやろうと思った。
「止めて、ライン」
しかし、シエナは拒絶の声をあげ、ラインの差し出した腕をすり抜けるようにして、一歩離れた。
「シエナ………?」
「ごめん………でも、大丈夫だから」
「………うん。じゃあ、行って来る」
ラインは頷いて、歩き出した。
部屋を出る寸前、肩越しに振り向く。
「………いつも待たせてばかりでごめん」
そしてそのまま出て行ってしまった。
部屋の中には今にも泣き出しそうに顔を歪めつつ、それでも唇を噛み締めて耐えているシエナの姿があった。
部屋の外には直護衛のヴァン=ブレイス少尉が待っていた。 相変わらず表情表現の乏しい黒髪の剣士を見返し、ラインハルトは薄い笑みを浮かべて見せた。
「―――さ、行こうか、ヴァン」
「―――はい」
直護衛は素直に頭を下げたが、ラインは彼の視線が一瞬だけ扉に向いたのに気付いた。
「これ以上一緒に居たら、僕もシエナもきっと泣いちゃうからね」
閉まった扉の向こうをわざと振り返らぬよう、歩き出しながら、ラインハルトはその視線に答えた。

「ライン!」
城の外で、一人の青年が彼を待っていた。
燃えるような鮮烈な赤が陽の光を浴びて燦然と輝いている。
第一軍第一歩兵師団長のアレク=ハーベスト少将だ。
「どうしたの?」
ラインが問うとアレクはやや顔をしかめて、
「悪い報せが届いた」
その言葉に、ラインハルトは瞬時に顔を引き締める。
「何があったの?」
「アリーニ=アウグウェルツの一派がラマーン側に回った。同時に今回の反乱は一侯爵を中心とする反乱じゃなく、貴族連盟派対皇帝派の構図になったって訳だ」
「そう―――彼はやはり、動いたか」
「何?………おまえ、わかってたのか?」
「え?………い、いや、別にそういうわけじゃないよ」
「本当かぁ?」
アレクはラインに疑念の眼差しを向けた。
「本当だよ」
ラインは笑顔で頷く。
かすかにその唇の端が引き攣っていたが、これは確かに嘘ではない。
あの皇帝勅令によって、このような事態が起こる事を予想はしていたが、別にわかっていたわけではないのだ。詭弁だと言われれば言い訳の仕様も無いのだが。
「でも、これで敵はおよそ十万になったね」
ラマーン=オルド侯爵の元に集っていた五万とアリーニ=アウグウェルツの息の掛かった五万が合わさればいくら烏合の衆と言えど侮りがたい兵力になる。
「ああ。………だが、俺に任せとけ。絶対に敵を壊滅させてやる」
獰猛な笑みを浮かべ、アレクは己の力瘤を叩いて見せた。
「うん。頼んだよ、少将」
「おう!」
笑顔のラインに手を挙げ、アレクがラインに背を向ける。
そのまま二歩ほど進み、怪訝そうな顔で振り返って、
「どうした?練兵場に行かないのか?」
「あぁ、うん………ちょっと用があるから、先に行っててくれないかな?」
「別に良いが………早くしてくれよ、兵も将も待ってるんだからな」
「わかってるよ」
「おし。じゃ、先に行ってる」
あまり深くは突っ込まずに、アレクはそのまま練兵場の方に去って行った。
「そんなところで、何をしているんだい?出てきなよ」
「これはこれは………バレてましたか」
苦笑のようなものを浮かべつつ、植え込みの向こうから出てきたのはアルンヘル=へードだった。
灰色の髪に灰色の瞳。
何処と無く黒い影のような物を纏った感のある青年だが、ラインはこの青年に対し以前ほどの隔意は抱いていない。あの墓地で二人で話した事により、ラインはアルンヘルを信頼に足る人材だと判断したのだ。アルンヘルの行動には確たる理由がある。その理由もラインは知ったからだろう。
「すべては予定通りだと思って良いのかい?」
「はい。すべては陛下の掌の上です」
「君の、だろ?」
ラインは苦笑しつつ、歩き出した。
その後ろにアルンヘルが続く。
「それにしても、ラマーン=オルド侯爵はともかく、よくアリーニ=アウグウェルツ公爵まで動いたね」
「大きな流れにはなかなか逆らえないものですから」
ラインハルトはアルンヘルが具体的に何をしたのかは知らない。
しかし、推測する事はできた。
恐らくはこちらに内応している人物を向こう側の中枢に送り込み、扇動させたのだろう。
アリーニは確かに老練な貴族だが、彼の取り巻き達はまだ爵位を継いだばかりの気位ばかりが高い青年貴族ばかりだ。そんな者達を扇動するのはさほど難しい事ではあるまい。
その結果、アリーニですら抗する事が出来ないほど強力な流れが作り出されたとしてもなんら不思議は無い。
「君だけは敵に回したくないな」
それはラインハルトの正直な感想だった。
もしアルンヘルが敵に回ればそれに対抗できる人物は彼の幕下には居ない。
いくら軍事力で勝っていたとしても………。
「私など取るに足らない小物ですよ。それに私にはもう一つやりたい事が出来ましたから。それを果たすまでは陛下に忠誠を誓います」
貴族に復讐することとは別にもう一つ。
この若く、美しい皇帝を覇皇と成す事。
「そうか。ま、これからもよろしくね、アルンヘル」
「御意」

練兵場に集まっている兵の士気は高かった。
特に平民出身の将兵の士気はまさに天を突く程の勢いだった。
それもそのはず、彼らは長年に亘って自分達を支配し、搾取してきた貴族と戦うのだ。
腐敗した貴族制度の犠牲によって、多くの者が死んだ。
この中にも家族や愛する者を貴族の戯れで殺害された者は多い。
彼らはその復讐を果たすべく、瞳に炎を浮かべていた。
壇上に登ったラインハルトは望楼の国旗に一瞬目を向けた。
《力強き銀獅子》。
このフロレシア帝国の栄華の象徴。
臣民の誇り。
「今回の戦いは余にとって、いや、皆にとっても苦しい物となろう。余の臣民同士が戦い、傷つけ合い、殺し合うのだから。皆の親類縁者の中にも貴族側に加わっている者も居ろう。そのような事態になるまで効ある手を打てなかった余の皇帝としての過失は重大だ。謝罪する言葉も見つからない………しかし、国家百年の安泰を願うに、此度の戦い、負ける訳にはいかない。ロデンの神に、栄光あるフロレシア帝国皇帝の名誉と命、すべての財産を賭けて誓う。我々は勝つ。逆賊アリーニ=アウグウェルツ公爵とラマーン=オルド侯爵を討ち、この分裂した国内を統一する事こそ余の悲願。皆の奮闘を祈る」
皇帝の演説に、将兵は沸いた。
身内同士の戦いと言えばルト=リューベンの反乱の折もそうだった。
しかしあの時はほとんど犠牲を出す事無く片付いた。
まるで何者かの計画通りにすべての物事が推移したかのようだった。
それほどまでの、皇帝側の圧勝だったのだ。
しかし今度は事情が異なる。
既に皇帝側と貴族側は二つの城を巡って衝突しており、そのうちの一つは既に陥落しているのだ。
ルト=リューベンの反乱の時とは比べ物にならないほどの人命が失われることだろう。
だが、今の演説によって、将兵は命を賭す事を決断した。
先の皇帝とも、貴族達ともこの皇帝は異なる。
将兵の前に頭を下げる皇帝が今までに居ただろうか。
己の威信などかなぐり捨て、国家の、国民の為を思う、真摯な言葉、真摯な熱情、真摯な魂。
人々の魂はこの皇帝の言葉に揺さぶられた。
中には自分の家族が貴族側に身を投じている者も居る。
家名の存続を図るため、父は貴族側、子は皇帝側に別れて戦う者も居る。
だが、皇帝側に身を投じた者すべて、自分の決断は正しかったと心の底から信じることが出来た。
皇帝の演説が将兵の心の片隅にあったわだかまりを吹き飛ばしたのだ。
「ジーク・ラインハルト!」
「ジーク・フロレシア!」
自然と兵達の間から、自分達の皇帝を、自分達の国家を湛える声が湧き出した。
一人の微かだった声はやがて波紋を広げ、いつしか練兵場全体を揺るがし、帝都中に殷々と響き渡るほどの大合唱となった。
「ジーク・ラインハルト!」
「ジーク・フロレシア!」
その興奮の中、ラインハルトはヴァンが引いてきた白馬に跨った。
「出陣!」
右手に持った《覇皇剣-サナトゥス》を振り上げ、号令を下すラインハルト。
血塗られたかの如く輝く真紅の刀身が鈍く光る。しかし、それは敗北を意味しない。それは勝利を意味する。その色は己の血を意味しない。その色は敵の返り血を意味するのだ。
万雷の轟のような鬨の声が空に響いた。
「陛下」
明るい茶髪を揺らしながら馬を寄せてきたアミリアに促され、ラインハルトはゆっくりと馬を進め始めた。ラインハルトはそうしながら、アミリアの顔を振り向いた。
「な、なんです?」
アミリアが居心地悪そうに聞いてくる。ラインハルトは微かに笑みをこぼしながら、
「カーンには会ったの?」
「なっ………なんでそのような事を」
アミリアは顔面真っ赤にして早口にまくし立てる。
ラインハルトはそれを見て笑みをさらに深くし、
「余としても余が信頼している二人の部下が仲良いのは嬉しいからね」
「なっ………別にあのような男と仲が良いなどと言うことは………」
「そんなに照れなくても良いのに」
「照れてません!戯れは止めてください、陛下!」
真っ赤な顔で、アミリアは全身で否定した。
かくして、皇帝側、三万五千が出撃した。

3 パルディアの騎士団
帝国暦三三二年十月六日。
城は朝靄の海の中に浮かぶ孤島のようだった。
その城を囲んでいるのは四万の反乱軍。
アリーニ=アウグウェルツ公爵の率いる五万は貴族連盟として皇帝を退位させると宣言し、反乱軍に加わったがまだ合流しては居なかった。
この目前の城だけは、ラマーンが自力で落とさねばならないのだ。
明日になれば皇帝側の軍勢が到着する。
攻略に成功しようとも失敗しようとも今夜中には陣を引き払い、ニヒトフォーフェン城に後退して防備を固めなければならない。
アリーニ=アウグウェルツ公爵勢五万も共に篭城すれば、十万。
まず陥落する事は無いだろう。
早く城を落とさなければと焦るラマーンの気持ちに影響されて、朝靄の中を突き進んでくる貴族連盟軍の動きにも何処となく性急さが滲み出ていた。
城攻めは通常、焦ったものが負ける。
じっくりと腰を据え、互いに相手を騙す奇手を繰り出し、じっくりと戦うべきなのだ。
兵力で勝っているのならば、力攻めではなく、兵糧攻めの方が自分側の被害も少なく勝利することが出来るのだ。
しかし、兵糧攻めにはどうしても時間が掛かり、そして貴族連盟側にはその時間が無かったのだ。
「兵力ではこちらが勝っているんだ!城門への一点突破を図る!騎馬隊、前へ!その後に歩兵隊、弓隊は展開して続け!敵の反撃に怯むな!押し潰せ!」
若い貴族の指揮官が叫び、雄叫びを挙げて貴族連盟軍はまるで一本の鋭利な錐のようになって、城門への突撃を図る。
城壁の上には人影もまばらで、まだ皇帝側は気づいていない。
指揮官は心中密かに奇襲が成功する事を期待した。ならば兵たちの雄叫びを抑えるべきであった。
こんなに鬨の声をあげて突進していてはどんなに眠りの深い敵だって起きてしまうだろう。
しかし戦争の経験も少なく、己も興奮の坩堝の中にある青年貴族の指揮官はまったくその点に気づかなかった。
しかし、ある意味、彼の過ちは意味を成さない。
何故ならば―――。
彼らの先頭が城壁からの弓攻撃の範囲に飛び込んだ次の瞬間、指揮官は信じられない光景を見る事になる。今までまばらだった城壁の上に人影が現れたのだ。
しかも一人や二人と言う人数ではない。千人以上もの人間が整然と現れたのだ。
明らかにそれは予め城壁の上に潜んでおり、合図によって立ち上がった動きだった。
その千人もの兵が皆、それぞれ弓を構えていた。
その突然の伏兵の登場に声も無く、手綱を引き絞ることも忘れ、馬上で揺られながら、指揮官はただただ呆然と城壁の上の兵達が弓を引き絞るのを見ていた。
奇襲のつもりだったが、既に敵に見破られていた。
このとき、もし彼が豪胆な指揮官ならば茫然自失などにはならず、奇襲を強襲に切り替えるだけで、兵の動揺を抑えることには成功しただろう。そして明確な目的を部下に示し、先程の彼の言葉どおり怯む事なく城門への一点集中突破を画す突撃を敢行すれば或いは今後の戦況を大きく覆すことができたかもしれない。城門を破り、郭内に飛び込めば確かに兵力で劣る正規軍は不利な戦闘を余儀なくされたかもしれない。無論、それを成功させるには他にも多くの条件を満たす必要があっただろうが。
しかし彼にはその豪胆さも、それを補う経験も無かった。
指揮官が呆然としている為に、下級の指揮官も兵達も動揺した。
進むのか、退くのか、その覚悟も定まらぬままに、ただ単に先ほどの突撃の慣性力に引きずられるように、死神に魅入られたかのように、彼らは城壁の上の弓兵隊の攻撃範囲に飛び込んで行った。
「放てぇぇっ!!」
城壁の上で、指揮官が叫ぶ。戦場で鍛えた銅鑼声が、殷々と朝焼けの空に響く。
弓兵隊が一斉に弓を放ち、空を黒い影が覆う。
影は瞬く間に黒い雨と化し、貴族連盟軍の頭上から降りかかった。
叫喚を挙げて、騎士が矢に貫かれて落馬する。
馬も体の各所に矢が突き立ち、棹立ちになって主人を振り落とす。
百騎近くの騎兵が体の何処かしらを射られ落馬し、それに倍する騎兵が矢傷を受けた馬に振り落とされ、後続の部隊の馬蹄に掛けられた。
ただでさえ動揺していた貴族達は突然眼前に現出した地獄絵図に現在自分が置かれている状況も忘れて呆然としてしまった。隊列が乱れ、突撃の速度が鈍る。敵の攻撃に怯み、前進を躊躇う。
しかしそんな兵を叱咤激励して之を敵にむかわしむるべき責を負うはずの指揮官である貴族は眉間に矢を受け、既に世を去っていた。次席指揮権を持つ貴族は事態に混乱し、指揮官が戦死した事にも気付かなかった。指揮権の空白は兵のさらなる動揺を誘い、見る見る突撃の速度が鈍くなる。
彼らの突撃の速度が鈍る瞬間を待っていた者達が居た。このとき、彼らは城門まで僅か数百メートルと言う距離にまで接近していた。犠牲を恐れず、敵の攻撃に怯まず、果敢に突撃すれば或いは城門に取り付き、或いはこれを破る事ができたかも知れない。しかし、次席指揮官がようやく指揮官の死を知り、己が指揮権を掌握しようとした時には既にその時期を逸していた。突如として彼らの眼前に聳え、立ち塞がっていた城門が真一文字に開かれ、騎馬集団が飛び出してきたのだ。その騎馬隊は貴族連盟軍の統制の取れていないばらばらな突撃とは異なり、統制の取れた鋭い突進力で、向かってきた。これを見た貴族連盟側の反応は見事なまでに二つに分かれた。
すなわち、目前の敵に向かおうとする者と敵に背を向け後退しようとする者だ。
進もうとする者と退こうとする者が複雑に馬首を入り乱れさせ、隊列が大きく乱れた。
統制も何も無く、ただの烏合の衆と化した彼らは既に戦闘力を失っていた。
向かってくる騎馬集団の先頭を進む女騎士が、栗色の髪を向かい風に大きく靡かせながら槍を振り上げて、名乗りを上げた。
「私はパルディア王国女王レイシア=パルディアス!誇り高きパルディア騎士団の名誉に賭けて、貴様らを蹴散らす!―――汝の力によりて、我を光陰と成せ!《神速の腕輪-パルディアス》!」
『応!』
彼女の気魄の呼びかけに、彼女が腕に巻いている腕輪に封じられた精霊が答えた。
次の瞬間、彼女の姿は一条の光となって、貴族連盟軍の中に突っ込んだ。
精霊の力を借りて高速移動するレイシアが手当たり次第に槍を振り回せば、貴族連盟側将兵は自分の身に何が起きたのかもわからぬ内に打ち倒されていく。
まるで滅ぼされたパルディア騎士団の妄念が乗り移ったかのように、彼女の戦いぶりは凄まじい物だった。しかし、腕輪の力はそう長くは持たない。
その効力が切れたとき、レイシアは貴族連盟軍の奥深くにまで突出してしまっており、孤立していた。
(しまった―――!)
少しばかり功を焦ったためだろう。本来ならばある程度進んだところで引き返し、腕輪の効力が切れる頃には味方と合流していなければならなかったのだ。普段の彼女ならば決して犯さないような単純な失敗であった。パルディア王国の威を示すと言う一事に脳裏を支配されていた為だろう。
(これではまるで初陣の新米騎士ではないか………!)
自分の不甲斐なさに唇を思い切り噛み締めるが、それで事態が改善されるわけではない。
彼女の働きによって加速されていた混乱はもう一歩のところで彼女の速度が元に戻ったため、沈静化してしまった。
「あの女を討ち取れ!」
「あの女は敵だ!」
貴族側の将兵が騒ぎ出す。今までとは異なり、彼らの眼前には『敵』と言う明確な目標が存在していた。動揺する事無く、彼らはその目標に向かうだけで良かったのだ。
「くっ!」
レイシアは繰り出されてきた槍を馬を半回転させてやり過ごし、逆にその貴族の胸に槍を突き刺した。
肉を裂き、骨を砕く感触にかすかに顔をしかめ、槍を手元に引く。
が、抜けない。
どうやらあばらの間に引っかかってしまったようだ。
レイシアの周りには数人の歩兵が群がっており、寸刻の判断の迷いも許されない。
「おのれっ!」
レイシアは吼え、槍から手を放すと歩兵が繰り出してきた斬撃を上体をひねってかわしざま、腰に差していた太刀を引き抜き、その歩兵を斬り殺した。
さらに休む事無く太刀を振るい、瞬く間に数人の歩兵を切り伏せる。
「まるで鬼神だ!」
このレイシアのあまりの強さに歩兵達は意気を挫かれ、一歩退く。と、そこへ、一人の貴族が進み出てきた。まだ十代と思しき青年貴族は剣を拝むように構え、馬を寄せてきた。
「ラルバール伯ギロイ、推参!」
名乗りざま繰り出されてきた斬撃をレイシアは冷静に弾いた。
ギロイとやらの太刀筋は早いながらも鋭くは無かった。
剣術とはいえ、貴族の道楽程度にしか習わなかったのだろう。
それでは実戦では物の役には立たない。レイシアは一片の同情も無く、ギロイの首を刎ねた。
青年貴族の首がおのれの身に起きた事態を理解できていない、不審そうな表情のまま宙を飛び、歩兵達の前に落ちる。元々忠誠心があるわけでもなく、戦意が高いわけでもない彼らは顔色を変え、退いた。
「鬼神だ!パルディアの鬼神だ!殺される!!」
兵士と言うのは生命の危機にその身を置いているためか、存外に信心深く、迷信も信じやすい。
一度恐怖に取り付かれるとその士気は一気に落ちてしまうのだ。
「女を狙うな、馬の足を狙え!忘れるな、この戦いに勝てば恩賞が下されるのだぞ!」
そこへ中隊長からの指示が下る。『恩賞』の二文字に、歩兵達は生気を取り戻した。
女ではなく、その馬を狙えば良いと言うのも彼らにとっては救いであったろう。
「うおおおおっ!!」
「喰らえぇぇぇぇっ!!」
吶喊の声をあげ、歩兵達が突っ込んでくる。
《神速の腕輪-パルディアス》を使うのは体に大きな負担を強いる。
その上、太刀を振り回しての奮闘。
限界とまではいかないまでも、既にレイシアの体力は底が見えている状態だ。
その剣捌きも手綱捌きも先ほどまでの鋭さは感じられない。
敵もそんなレイシアの様子に気付いているのだろう、一気呵成に仕掛けてくる。
「舐めるなぁっ!!」
一人目の首を刎ね、二人目の腕を斬り飛ばしたが、三人目によって馬の前足を払われた。
馬は甲高い悲鳴をあげ、棹立ちになった。レイシアは振り落とされまいと必死にしがみついたが、四人目が馬の後ろ足を斬り、遂には横倒しになった馬の背から放り出された。
地上を転がりながら器用に立ち上がったときには、既に眼前に敵が迫っていた。
振り落とされたときに剣も落としており、今の彼女は丸腰状態だった。
「うおおおおっ!!その首、貰ったぁぁっ!!」
吼えながら、剣を振り上げる敵兵。
レイシアはぎっと歯を食い縛った。
(こんなところで―――!)
彼女が死を覚悟し、それでも戦おうと拳を握り締めた次の瞬間、彼女を包囲する人垣の一方が崩れ、複数の人影が飛び出してきた。その人影が彼女に襲いかかろうとしていた歩兵を薙ぎ倒す。
「おまえたち!」
レイシアがいつもよりも少し高い上ずった声で呼びかける。
だが、人影達は群がる敵と交戦中で、答えるどころではない。
その人影達はパルディア騎士団の誉れ高き六騎士の面々だった。
その勇猛さはさすが武で以って鳴るパルディアの騎士らしく、敵の歩兵や騎兵を瞬く間に討ち倒していく。先ほどのレイシアの声への答えは彼女の背後から投げかけられた。
「ったく、一人で突っ込むなんて面倒な姫様だな」
振り返ったレイシアは先ほど馬に投げ出されたときに落としていた剣を彼女の方に差し出してきながらにやにや笑っている蜂蜜色の髪をした青年を見た。途端に張り詰めていた肩の力が抜けた。
「レッセ、早かったな」
「うわ。尊大な物言いだな」
「ふふっ。だが助かった。ありがとう」
「礼はここを切り抜けてからだ」
「ああ」
レイシアは頷き、レッセフェルトの差し出す剣を取った。新たな活力が全身に漲っていた。
と、レイシアの方を見ていたレッセフェルトの死角から一人の騎兵が槍を繰り出してきた。
「戦場で余所見とは愚か者め!」
彼の繰り出した槍は見事にレッセフェルトの胸を背中側から突いた。
「なっなんだ、今の手応えは―――!?」
驚愕の声をあげたのは、レッセフェルトではなく、貴族の方だった。
彼の手元に帰ってきた手応えは人間を貫いたものではなく、まるで大きな鉄板を突いたようなものだったのだ。あまりの衝撃に、貴族の腕は痺れてしまった。
そこでゆっくりと振り返ったレッセフェルトはにやりと笑い、言った。
「惜しかったな。素直に心臓を狙うんじゃなく、もっと別のところを狙えば良かったのにな」
そして抜き身のまま持っていた剣で、貴族の足を払った。
「あっ!」
激痛に貴族が馬の上で伸び上がり、その拍子に体勢を崩し、落馬した。
その首を一歩動いた彼自身の愛馬が踏み潰した。
レッセフェルトの能力―――体内の金属を随所に集中して局所的に防御力を高める―――には大きな欠点がある。
彼の能力は金属を一点に高密度に集めれば集めるほど防御力が高まるのだが、これは逆に言えば金属が体内に広く拡散している状態ではさしたる防御力は望めないと言うことに繋がる。
となれば、敵が攻撃してくるであろう場所を的確に予想し、その一点に金属を集めなければならないわけで、もしその予想が外れれば生身の体で攻撃を受けざるを得ないのだ。
だからこその彼の台詞、『惜しい』なのだ。
実は六騎士とレッセフェルトも仲間の本隊から大きく先行―――無論、レイシアを救い出すために―――しているので、彼らの周りは敵だらけだ。
しかしパルディア騎士団の誉れ高き六騎士の面々やレイシア、それにレッセフェルトの獅子奮迅の戦いにより、彼らの周りには数十人分の遺骸が積み重なると言う状態だった。
その間にも城から出撃した騎兵連隊の突撃は続き、およそ一時間の戦闘の後、朝靄が晴れると同時に貴族連盟側は退いた。四万もの兵で攻めておきながら僅か一千の騎兵連隊の前に退却を余儀なくされたのだ。レイシア達がどれほど勇猛に戦ったかが知れると言うものであろう。皇帝側も兵をまとめ、城へ引き上げる。無論の事ながら、レイシアもレッセフェルトも誉れ高き六騎士の面々も皆無事であった。
朝靄の中で戦われた戦いによって、貴族連盟側は数百の死者を出し、同数程度の負傷者を出した。
両陣営による睨み合いが再開されたが、時間的に余裕のない貴族連盟側は昼頃と夕刻にも総攻撃を仕掛けてきたが、その度に打って出る騎兵連隊の活躍によって、結局城は落とせなかった。
レイシアやレッセフェルトも三度の戦いに三度とも出撃し、活躍した。
その日、闇の帳が降りた頃に、ラマーン=オルド侯爵は遂に城攻略を断念。
彼の居城であるニヒトフォーフェン城への撤退を指揮下の各貴族に指示した。
その会議の場においてまったく異議を唱える声が出なかったと言うのが、貴族連盟側の士気の低さを物語っている。また皇帝側においても、レイシアやレッセフェルトはニヒトフォーフェン城へと撤退する貴族連盟軍の追撃を再三に亘って主張したが、師団長はこれを容れなかった。
彼は貴族連盟側の総攻撃の折にも全軍での出撃を提案したレイシアらを退け、一個騎兵連隊のみの出撃に抑えたのだ。歩兵連隊は出撃させず、僅かに弓隊を以って騎兵の援護をさせたのみ。
とかく彼はリスクを犯すことを好まないようであった。
もし全軍で出撃し、部隊移動に習熟していない大部隊が必ず引き起こす撤退時の混乱を突いて攻撃すれば、貴族連盟側は皇帝側の主力部隊の到着を待たずに壊滅していた可能性が高い。
しかし、その戦いは起こらなかった。レイシアにとっては憤激の内に、そしてラマーン=オルド侯爵にとっては敵の追撃が無い事への安堵の内に、その日の夜は深まっていった。

4 陣中
帝国暦三三二年十月七日。
大方の予想を裏切って、皇帝側の進撃は緩やかな物であった。
帝都からニヒトフォーフェン城間の距離と言うのは出撃した翌々日の朝には到着していてもおかしくないほどの近距離でありながら、その朝をラインハルトはルーガとニヒトフォーフェン城の中間地点であるエイルロールと言う街の傍の平原に敷いた野営で迎えた。
その後彼はゆっくりと食事を取り、そして徐に主だった武将に集合を掛けたのだった。
出陣の時の勇ましい言葉とは裏腹なこの皇帝の行動に、実戦部隊を率いる各級指揮官は皆首を傾げる思いだった。
所謂猛将型であるアレク=ハーベスト第一軍第一歩兵師団長やカーン=オルベニー第一軍第一歩兵師団第一歩兵連隊長、アミリア=ホーン近衛騎士団長などは猛進撃を進言するつもりで、この軍議に望んだ。
軍議の場にはまだ皇帝の姿は無く、武将達はそれぞれ談笑していた。
戦陣とは思えない長閑さだ。しかし、彼らは皆、戦場に立てば勇猛果敢に戦う猛将、勇将、知将なのだ。
アレクとカーンの赤髪コンビとアミリアは、軍議の場の前の方で手を振る青い髪の青年士官を見つけると一度顔を見合わせた後、そちらへと進んで行った。
その青い髪の青年士官は近頃、帝国の二大公爵家の一つ、ペンドラゴン家の爵位を継いだメイ=ペンドラゴン公爵夫人との交際がひそやかに噂されている第一軍第一騎兵師団第三騎兵連隊長のオットー=セルバンだった。
階級で言えばアミリアの中将を筆頭にアレクは少将、カーンとオットーは大佐と軍の中でもかなり重要な地位に就いている人物達が揃った事になる。だが、皆若い。最も年長のアミリアでも二十三歳。次いでカーンとオットーが二十一歳、アミリアに次ぐ階級でありながらアレクはまだ若干十七歳に過ぎない。
「席、取っておいたよ。少将、どうぞ」
「それは嫌味か?」
「まさか。敬意を表したつもりですけど」
オットーはそう言って、邪気の無い笑みを浮かべてみせる。
アレクはそんなオットーを一瞬睨んでから、勧められた席に座った。
隣にはアミリア=ホーンが座り、その隣にはカーン=オルベニーが座った。
カーンは自分の隣に座ったアミリアの方を見て、
「なあ、何で陛下はこんなにゆっくり行軍してるんだ?」
「私が知るわけないだろう。陛下に直接聞け」
「なんかつれないなぁ。こうやって話すのも久しぶりだってのに」
「別におまえが居なくとも、なんとも思わなかったぞ」
「そんなぁ、俺はアミリアと会えなくてどれほど枕を涙で濡らしたか」
「なっ………」
カーンの言葉に顔を高潮させるアミリア。
「馬鹿な事を言うな、そ、そのような事を―――」
かなり動揺しまくっている。
と、そこで彼女は笑みを含んで自分を見ている周りの男達の視線に気付いて、
「なんだ、おまえら、その顔は!」
「いやあ、団長も女なんだなぁと思って」
彼女の部下である近衛騎士が嬉しそうに頷く。
年長の近衛騎士などは何度も頷いて、
「団長は俺にとっては娘みたいな存在だからな。嬉しいと思うと共に切ないな」
アミリアはそんな部下達の言葉に拳をわなわなと震わせて、
「きさまらぁ、好き放題言いおって!」
腰の剣を抜こうとする。
「まあ、落ち着けよ、アミリア」
そんな彼女を押しとどめたのは、カーンだった。
アミリアは一瞬、肩を落とし、しかしすぐさま再び怒らせて、カーンに殴りかかった。
「貴様が元凶だろうが!」

ラインハルトはこの陣中にアルンヘルを伴っていた。
彼の立場は皇帝直属の幕僚と言うことになっているので、これは別におかしな事ではない。
「一体どうするつもりなんだい、アルンヘル?君の報告書には貴族の主だった者だけを殺すとあった。でも彼らは城内に篭っているんだよ?」
アルンヘルは大を救うために小を犠牲にすると事前に言った。
だが、少々死者が出すぎている感はあった。
だが、アルンヘルは全く動揺していなかったし、ラインハルトもそれを責める事はしなかった。
しかし、たった三万五千で十万の敵を相手に戦えば、数千人、或いは数万人の人間が死ぬ事になる。
それだけは防ぎたかった。
ニヒトフォーフェン城内部には暁の諜報員も数人入り込んでいる。
その諜報員からの報告によれば、今日中にもアリーニ=アウグウェルツ公爵一派の軍勢が城内に入ると言う。
ラインハルトはそれを待つため、わざと行軍を緩やかにさせていた。
これもみな、アルンヘルの考えた事だった。
アルンヘルは灰色の瞳をラインハルトに向け、かすかに頭を下げた。
「すべて、私の考え通りに進んでいます。陛下は貴族側の軍勢と戦う事にはならないでしょう。私はこれから城内に入り、貴族の主だった者を殺します。合図をしますから、陛下は降伏勧告の使者を送ってくだされば結構。貴族側の将兵の罪は不問に伏して頂ければ、元々戦意に乏しき者達ですから、命ずる者がなくなった後まで陛下に歯向かおうとはしないでしょう」
「それは君の報告書にも書いてあったよ。余が聞いているのはどうやって君が城内に入り、どうやって貴族達を殺すのかって事だよ」
「それならば問題はありません。城内には私の息の掛かった者も居りますから」
「そうなの?………いや、だとしてもたった一人と言うのは」
「みだりに人数を増やせば、無為な戦をする事にもなりかねません。そうすれば貴族を皆殺しにする事にも支障が出るでしょう。大丈夫です、お任せください」
ラインハルトはしばしの間、黙ってアルンヘルの瞳を見つめた。
アルンヘルも黙って、ラインハルトを見返してくる。
その瞳に後ろめたさはなかった。
すべてがうまくいくという自信に満ちている。
ラインハルトは頷いて、言った。
「わかった。君を信じて、君の言うとおりにしよう」
「御理解頂き、ありがとうございます。それでは私はこれで」
「気をつけて」
「はっ。陛下がニヒトフォーフェン城を目にする頃には尖塔に白旗が掲げられているかもしれません」
「それは楽で良いね。それに、兵も死なずに済む」

彼らは皇帝ラインハルト=シーザーが輝く黄金の髪を揺らしながら軍議の場に現れると揃って立ち上がり、敬礼した。
ラインハルトが席に座ると早速、カーンが立ち上がった。
「突撃はまだなのですか、陛下!」
ラインハルトはそのカーンを見て、目を細める。
「どうしたの?その青痣」
カーンの右目の周りが青黒く変色している。
皇帝の指摘に騎士達の間から失笑が沸き起こる。
「な、なんでもありません………それより、どうしてこんなに緩やかな進軍をしてるんです!」
「待っていたんだ」
「待っていた?………何をですか?」
アミリアが聞く。
ラインハルトは頷き、部屋の隅に視線を送った。
と、部屋の隅で立ち上がる人物が居た。
騎士達がざわめく。今の今までまったくその気配に気づいていなかったのだ。
彼らの目にはそこには誰も居ないように映っていたのだ。
只一人、金髪の巻き毛をした少女だけが、格別驚いた様子も無くこの男を見つめていた。
口元に笑みを浮かべ、隣に座る紫色の髪と紅色の瞳をした武将に何事かを話しかけている。
レフィナ=フュークルとギルギッド=ルメイだ。
レフィナが何を言ったのかは不明だが、ギルギッドは微かに苦笑のような物を浮かべて頷いた。
軍議に集まった人々を驚かせて立ち上がった人物は珍しい白髪をした目つきの鋭い男だった。
「彼は暁の頭領、エシュアだ」
「暁………って、なんだ?」
カーンが小声でオットーに聞く。
「確か皇帝直属の諜報組織だよ。僕も頭領を見るのは始めてだ」
(まったく気配を掴めないなんて………すごい)
オットーはそのエシュアと言う暁の頭領を見て、一種の恐怖を感じた。
「で、その諜報組織の頭領がなんでここに出てくるんだ?」
ざわめきを静めたのはアレクの言葉だった。
「余が待っていたものについてだよ」
「アリーニ=アウグウェルツ公爵以下の軍勢がニヒトフォーフェン城に入城しました」
「なにっ!?」
エシュアの報告に、アレクが表情を変える。
「ってことはニヒトフォーフェン城には今、十万余の軍勢がひしめいているって事か!?」
「そういう事になります」
「こっちは三万五千なんだぞ。各個撃破するものだとばかり俺は思っていたんだが、どういうことだ?敵を城に入れちまったら、長期戦になるぞ」
アレクの危惧はもっともだった。
アミリアも立ち上がって、エシュアではなく、まっすぐラインハルトを見つめて言った。
「もし陛下が他の軍団の戦備が整うのを待っていらっしゃるのだとすればわかりますが、我々が苦戦していると見ればさらに多くの中立派が貴族連盟側に靡く物と考えますが」
(う~ん………)
そこまで理路整然と説明されるとラインハルトとしても困る。
まさか、『アルンヘルが全部うまくやるはずだから大丈夫』なんて曖昧な事は言えるわけもない。
そんな事を言ってもアルンヘルを信用していないアレクやアミリアを納得させられるとは思えない。
ラインハルトは救いを求めるような目をこの中では唯一作戦の詳細を知っているエシュアへと向けた。
彼には彼がルーナ帝国から帰還した後にアルンヘルと一緒に説明したのだ。
今回の作戦ではアルンヘルをうまく城内に潜入させなければならず、そのためにも城内に有能な間者を潜伏させる必要があった。有能な間者と言えばやはり、暁なのだ。
アルンヘル自身の手回しによって既に城内には数人の内応者を作り上げてあるらしいが、それらは間者としての特殊訓練を積んでいる訳ではない。
ラインハルトの助けを請う眼差しに気づいたエシュアが、口を開く。
「貴族連盟、反乱軍と言えば結束しているようにも聞こえますが、実際にはラマーン=オルド侯爵とアリーニ=アウグウェルツ公爵の二人を中心とする二つの別々の派閥のようなもの、つまり烏合の衆に過ぎません。それぞれが別個に行動しているのであれば、格別問題は起きないでしょうが、城内と言う限られた空間内に二つの派閥からなる十万人もの人間がひしめいていれば、当然さまざまな問題が起こります。また、我々暁の工作員が両派閥を反目させるための工作も行っていますので、両派閥の信用関係は無く、互いに互いの足を引っ張るだけの存在と成り果てるでしょう。この工作には後一両日の時間が掛かるため、私より陛下にお願いいたしまして、行軍を遅らせて頂きました。諸将に事前に何の相談も無かった事は謝罪いたしますが、御理解いただくしかありません。すべては勝利のため、相手方の間者にこちらの作戦を知られる訳にはいかなかった為です」
エシュアの説明に、騒いでいた武将達がさっと静まる。
「だったら、何で今話すんだ?この中に貴族連盟の間者が居ないとは限らないだろう?」
アレクの一言に武将達はそれぞれ顔を見合わせる。それはそうだ。
この中には貴族出身の騎士も多く、また貴族連盟側に親類縁者が加わっている者も少なくは無いのだから。しかし、そんなアレクの危惧に対しても、エシュアはまったく表情を変えようとしなかった。
この問いも彼の予想の範疇なのだろう。
「それは問題ありません。この中にいる皆様の中に間者は居ません。皆様の身辺はここ数日間、暁によって監視していましたが、なんら怪しい行動をお取りになりませんでしたので。もっとも、間者が一人も居なかったわけではありませんが」
「そう言えば数名、欠席しているようだな」
何席か、空席になっている席があった。
この場には中隊長以上が集まっているが、空いている席のうち一つは連隊長の物だった。
アレクは眉間にやや皺を寄せていた。それは隣のアミリアも同じで、表情が険しい。
「―――それで、その間者はどうした?」
「処分しました」
「っ、貴様!俺に無断で、俺の部下を殺したってのか!?」
アレクが途端に殺気立つ。アレクほど直情的ではないものの、アミリアも腰の剣に手を当てている点では同じだった。間者と目され、殺されたものは皆、アレクかアミリア、そのいずれかの部下だった者なのだ。アレクとアミリア、現在の帝国軍の中で凄腕と言っても良い将軍達の殺気を孕んだ視線を向けられても、やはりエシュアの鉄仮面のような顔は崩れなかった。
むしろ、挑むかのように、普段以上に鋭い眼差しでアレクの顔を見据える。
「それが我々の仕事です」
「その者達が間者だったと言う証拠はあるんだろうな?」
アレクの声は低く、凄みがある。ラインハルトは緊張した面持ちで、対峙する三名を交互に見つめていた。しかし、声は掛けない。ここで両者の言い争いを止めても、遺恨を後に残すだけなのだ。
エシュアはそれも厭ってはいないようだが、配下の武将が反目しあうのはあまり皇帝としてもうれしい事態ではないのだ。部下の統御法の一つに、部下同士を反目させて結束させないと言うのもあるにはある。これは部下が結束して皇帝に対抗するのを防ぐと言う意味では大きな効果を持ち得る。
しかし、将軍同士が結束しなければ外敵に勝つ事は出来ない。
それにそもそも、ラインハルト自身がそう言った疑心暗鬼を元にした統御を嫌っていた。
「無論、あります。皆、貴族連盟側の者と接触し、こちらの部隊の構成などを教えていました。ただし、口頭でしたので、文書などでの証拠はありません」
「どうして、部隊構成を教えていたとわかる!」
「捕らえ、拷問しましたから」
「俺の部下をか!上官である俺に一言の断りも無しにか!」
「アレク=ハーベスト少将閣下の部下も、アミリア=ホーン中将閣下の部下も、そして彼らが接触していた貴族連盟側の者もです。また暁が内応者を尋問するのに、その所属機関の上司の許可を求めなければならないと言う規定は暁の隊規にも、他のいかなる法にも明記されていません」
「それで、吐いたってのか」
「そうです」
短い言葉の応酬の間、アレクの殺気はどんどん膨れ上がっていた。
しかし、エシュアがまったく動じず、淡々と述べるのにつれ、その殺気は急速に萎んで行った。
「あいつは………何か言っていたか?サティスナは?」
「………。いえ、特には」
「あの馬鹿野郎、嫁さんが何年か前に死んで、息子が一人居るってのに、なんで間者なんか………」
「閣下。人にはそれぞれ定めがあり、事情があります」
「定め、か………なんか事情があったんだろうな。でなければあいつは………いや、他の誰一人、味方を裏切るような奴じゃない」
呟いて、アレクは力無く席に腰を落とした。
それに釣られたわけでもないだろうが、アミリアも席に座る。
そして、何処となく暗い雰囲気の中、その日の軍議は終わった。

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