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2014年6月 アーカイブ

2014年6月28日 22時58分49秒 (Sat)

ひとりオペラ「与謝野晶子 みだれ髪」(仙道作三作曲)を聴く

2014年6月28日(土)午後2時から黒姫駅近くの浄土真宗「明專寺」本堂でオペラ「与謝野晶子 みだれ髪(仙道作三作曲)の演奏会が開かれた。
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このコンサートは明專寺が展開している「一茶の里 寺子屋」の一環として開催されたものである。
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当日は作曲者仙道作三氏自身の指揮で演奏された。
 明專寺は遠く戦国時代に創建されてから信濃町にない歴史を築いてきた名刹であり俳人小林一茶とは深い関連がある。
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 コンサート会場の本堂から庭を見る)。

   コンサート開始の30分前には大勢の観客で客席は一杯になり、補助いすなどを次々と用意して観客を誘導した。お寺にはこんなに沢山イスの用意が有るのかと驚いた次第である。襖を取り外した広々とした本堂で休憩を入れて2時間15分の素晴らしいオペラが展開された。
 初めに月原住職のご挨拶があり、続いて作曲者の仙道氏からわかりやすくユーモアあふれる解説があった。
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(月原住職のご挨拶)

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(作曲者・指揮者の仙道作三氏による解説)

演奏は与謝野晶子の歌集「みだれ髪」から31首の歌を持谷靖子氏が台本を作り、この台本の朗読を交えながら情緒豊かに、力強く藤原歌劇団員のソプラノ・山口佳子氏が見事に歌った。ひとりオペラであるが感動深く2時間を超える演奏会を聴くことが出来た。私が千葉県の我孫子市に在住していた時の仙道氏作曲による「手賀沼賛歌」以来の感動であった。
 鳴り止まぬ拍手の中に感動深い演奏会を終わった。信越線の列車を待つ間に黒姫駅前の瀟洒な喫茶店でコーヒーの香りを楽しみながら今日の充実したオペラ鑑賞の時間を反芻していた。

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(ソプラノ独唱の山口佳子氏)


























 

2014年6月11日 23時37分20秒 (Wed)

東京リーダーターフェル1925の台湾の演奏旅行と台湾の現状について

台湾の演奏旅行と台湾の現状について 2014年4月6日 
                        東京リーダーターフェル1925 T1 木村禧夫

東京リーダーターフェルの団員の内、50名で2014年3月14日から18日まで台湾演奏旅行に出かけた。羽田国際空港12時15発、台北の松山空港には15時着で丁度時差分の1時間、時計の針を戻した。空港では旅行社が前日の台湾銀行のレートで10000円を2850元に両替してくれた。後日ホテルでの両替では2500元にしかならなかった。
14日は、先ず台北ロータリークラブ主催の歓迎パーティが三軍軍官倶楽部で開催され、翌日、合同演奏会をおこなう台北のロータリークラブの合唱団と台北大学職員合唱団の方々の演奏等があり大歓迎を受けた。宿泊する康華大飯店には夜も更けての22時頃到着した。
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15日は午前中自由時間があり、伴野さん西尾さんと共にタクシーで今も台湾総統が使っている昔の台湾総督府をはじめ旧日本時代の建物を見学に行った。今でも使われているのが台湾らしいところである。司法省、高等裁判所、防衛省、三軍軍官倶楽部、2・28記念公園を回って喫茶店で休み、昼食はホテルの近くの7-11で北海道秋鮭のおにぎりやカツサンドを買った。カツはオーブンであぶってくれた。13時ホテルロビーに集合、専用バスで2000人収容の演奏会場「中山堂」に行き、ゲネプロを行った。19時から交歓演奏会である。我々の第一ステージは、「五つのラメント」、第二ステージの「斉太郎節」ではソリを歌わせてもらい、「ムシデン」・「最上川舟唄に」続くアンコール曲「つぐない」では、赤の楽譜バインダーを用いて歌い上げた後、これを台湾国旗に変換して50名全員でかざして見せたところ、大喝采が沸き起こった。台湾の人々は国旗が大好きなのだ。台北の2つの混声合唱団とは台湾語で「農村組曲」を歌った。後日、我々全員に、縦30センチ、横45センチもあるステージ写真をプレゼントして戴き、そのサイズはまさにサープライズだった。

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16日は新幹線台北駅を9時36分発、台南駅に11時21分に到着した。新幹線の駅から成功大学まではバス時間が結構かかった。正宗台南料理「府城食府」での昼食時、結婚披露宴に50人全員で飛び入りして「野薔薇」を歌い、喜んでもらえた。13時に成大会館にチェックインし、休憩後、徒歩で成功大学の演奏会場に行き、14時から単独と合同のゲネプロを行った。夕食後、19時から交歓演奏会が始まった。成功大学教職員混声合唱団の出番が前半で東京男声合唱団の出番は後半に集中していた。このため出番を待つのに随分とくたびれてしまった。ここでは台南市青少年合唱連盟のvicky女史のお世話により、学長夫妻や市長、国会議員も来賓として聴きに来られたようだ。演奏会後に成功大学内の会場でパーティがあり、終了後、会場から徒歩で7-11に寄ってから、宿舎の成大会館に帰った。
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17日は、新幹線で台北にもどり、「金品茶楼」で小籠包の昼食をとり、午後に専用バスで台北市内観光に出かけた。まず民芸館に寄ってから、英霊33万人の眠る忠烈祠で衛兵の交代式を見た。その後、世界四大美術館の一つである故宮博物院を見学した。押すな押すなの超満員の為、有名な「翠玉白菜」は見れなかった。孫文の国父記念館には行けなかったが、蒋介石の業績展示した巨大な中正記念堂や参拝客でにぎわう龍山寺は見学できた。
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18日は、13時まで自由時間であったので、康華大飯店の最寄りの行天宮駅から地下鉄に乗り、東門で乗換えて、台北101世界貿易ビルに出かけた。コイン25元で切符ならぬ樹脂製の電車チップを購入して、改札口に投入してホームに入るのである。台北101は混雑していたが、最上階から眼下に広がる街の写真を撮り、宝飾品やサンゴ類などを見物し、昼食をとって、混雑した中、エレベーターで1階まで下りて、今度は、この貿易センタービルを見上げて写真をとり、宿舎の康華大飯店に戻った。ここを14時に専用バスで松山空港に向かい16時にエバー航空190便で松山空港を出発、19時55分に羽田に着いた。

台湾の人口の87%を占めるのは元来の台湾人であり、台湾は世界一親日的と言われている。
日清戦争の結果、下関条約によって台湾は日本に永久割譲され、1895年から1945年まで
の50年間、日本は台湾を統治して、この間に台湾近代化の基礎をつくった。第二次大戦後
蒋介石政権に台湾は占領され、1947年2月28日に、蒋介石国民党軍による数万人の台湾
人虐殺が引き起こされる。これが「2・28事件」である。当時の台湾人は日本国籍を有して
おり、これは中国人による日本人大量虐殺事件でもあった。外来政権であるもある蒋介石
政権は戒厳令を敷き「白色テロ」と呼ばれる恐怖政治によって台湾人に沈黙を敷いてきた
のである。李登輝元総統に代表されるように、旧世代の台湾人は日本語が流暢な人が多い
し、戦後生まれの世代にも、日本は人気がある。2011年3.11の東日本大震災に対して、台
湾は200億円もの義援金を日本に対して贈ってくれた。
さて、この台湾は日本と国交がないばかりか、国際連合のメンバーにもなっていない。日本は1951年48ケ国とのサンフランシスコ平和条約で、日本は、朝鮮の独立を承認したが、台湾とぼう湖島に関しては、領有権を放棄すると宣言し、一旦放棄した領土については、その帰属先については言及するいかなる権利も持っていないと主張した。
台湾の国際法上の地位が未定であることの意義は誠に重大である。中華民国はすで滅んだ国家であると国連に認識されているのであるから、台湾の人民が中華民国という名称を捨てて、台湾共和国という名称を採用すれば、領土があり、国民がいて、政府があるのだから国連としてもその加盟を承認せざるを得ないのが、本来である。
ところが、1971年のニクソン訪中の前提条件として、キッシンジャーは周恩来に「今後、アメリカは台湾の地位未定に言及しない事」を約束してしまった。
日中正常化交渉においても、中国は日本に対して台湾の地位未定に言及しないような約束を強要している。台湾人の李登輝総統が1996年に初の国民による選挙で総統に選ばれて台湾の民主化が本格化したが、今日でも中華民国体制は継続しており、馬英九政権は「台湾は日本が中華民国に返還した」という虚偽の宣伝をつづけており、中国共産党の求めに応じ、中台の統一を追求するかの如き方向に傾いている。
 

2014年6月8日 20時59分11秒 (Sun)

S会の講習会に出る

 6月8日(日)朝10時から午後3時まで長岡市のアオーレ長岡で開かれたS会の講習会に出席させて頂いた。妙高高原に移住して以来、毎日が旅行気分の環境で、月1回程度東京方面に帰る以外は殆ど旅行する必要が無いくらいの気分だった。今回この講習会にバッハの音楽を聴く会のOさんに誘われたのを機会に会場のある長岡市まで往復約5時間のバス旅行を家内と共に楽しむこが出来た。
 綺麗な観光バスに乗って講習会参加者を次々と乗せてバスは上越市高田を過ぎて一路海沿いの道を走った。

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  ↑海を見渡せる米山の休憩地にあった芭蕉の句碑

途中柏崎市の刈羽を通過した。ここにある原発が万一事故を起こした場合は人が他県は避難先の一つに妙高を予定しているが、そんな恐ろしいことは絶対に起こってもらいたくないと思った。
 長岡アオーレの広い会場に並べた一杯のパイプ椅子を埋めた人々と一緒に講習を受けた。
 講習の中で原発について講習の方針は無くすことだった。その根拠は
① 放射線は生命全体に有害である。
② 人と自然を分離する。
③ 資源となるウランは枯渇する。
④ 核兵器に使われる危険がある。
⑤ 地球温暖化を推進する。
⑥ 中央集権を推進する。
である。もともと過去の推移をみても電力は水力発電と火力発電で殆ど賄えていた。原子力を使うために火力発電等の施設をわざわざストップして来た経緯がある。従って原子力発電を止めても困らないのであ
る。
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 このような講習を受け十分満足して再びバスで帰途についた。途中海辺にある有名な「日本海鮮魚センター」に寄り、獲りたて新鮮な魚を安く買いこんで帰宅することができた。
 誘って頂いたO氏に感謝したい。
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