第89回『ウェストワールド』

恐怖の血みどろウェスタン村

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『ウェストワールド』
(Westworld)
1973年:アメリカ
監督:マイケル・クライトン


 作家マイケル・クライトンの映画監督デビュー作。B級の近未来SFと言ってしまえばそれまでだが、地味ながらかなり面白い作品だ。

 舞台は近未来の巨大娯楽施設「デロス」。「古代ローマ」「中世」「開拓時代の西部」の三つの中から好きなシチュエーションを選び、そこで当時の生活を追体験出来るという、簡単に言えば日光の「江戸村」「ウェスタン村」みたいな施設なのである。しかしさすがは娯楽大国アメリカで、ここでの売りはずばり「セックスと暴力」(劇中では、そうハッキリとは言っていないが)。

 客を迎える過去の時代の住人たちは、皆コンピューター制御された人間そっくりのロボット(なぜか手のひらだけは未完成なので、そこで本物の人間か否かを判別出来る)なので、例えば「中世」だったら騎士の決闘で相手のロボット騎士を刺し殺すことも出来るし、「西部劇」の世界でなら早撃ち対決で敵のロボット・ガンマンを撃ち殺すことが出来る。また、気に入った相手(もちろんロボット)を選んで、アバンチュールな一夜を過ごすこともOKという、まさに「娯楽とは何ぞや」ということを最も分かりやすく体験出来る大人の「夢の国」なのである。

 リアルさを追求するために、ガンマンの銃なども本物(弾も本物)を使っているが、生身の人間に対しては無力になるように制御されている。そしてもちろん、喧嘩を吹っ掛けてくる悪役の騎士ロボットやガンマン・ロボットは必ず負けるように設定されている(ついでに言うと、セクサロイド系のロボットは、セックスを所望するお客さんの誘いを絶対に断らないようになっている)。

 このような大人向けの「夢の国」なので、滞在費は1日1000ドルと少々お高め。合法的にセックスと暴力を堪能するには、やはりそれなりの出費が必要というわけである。

 ピーター(リチャード・ベンジャミン)とジョン(ジェームズ・ブローリン)は、週末に男二人で「大人の西部劇ごっこ」を楽しむために「デロス」にやって来る(やはりどこか「お忍び」感覚があるよだ)。ジョンはすでに一度この「ごっこ」を体験しているので、かなり余裕を持って楽しんでいるが、初体験のピーターは、もともとジョンに比べて生真面目な部分もあり、最初はロボット相手とはいえ、銃で人型ロボットを撃つことにかなりの抵抗を覚える。

 本作は人間ドラマの要素は薄いが、この主人公二人の対照的な描き分けはけっこう面白い。人殺しであれ何であれ、あくまで「カネを払った上での娯楽」として割り切って楽しんでいるジョン(性格的にもかなりC調寄り)に対して、いくらロボットが相手とはいえ、本物の銃弾で相手を撃ち殺すことにビビりまくってしまうピーター。この生真面目なピーターが、酒の力も手伝って、段々とこの「ごっこ」の世界の魅力にハマってゆく様がなかなかよく描けている。

 子供の頃、誰もが憧れた早撃ちガンマンの世界。その世界を「セックスと暴力」という大人のリアルさまで加味した上で楽しめるのだから、これは楽しいに決まっている。ピーターも次回来る時には、ジョンと同じようにすっかりこの「大人のごっこ」に慣れ、傍から見れば悪趣味とも言えるこの「セックスと暴力」の世界を、心ゆくまで堪能するに違いない。

 しかし残念ながら、ピーターとジョンに「次回」はなくなってしまう。この主人公二人を中心に、「大人のごっこ」世界を満喫するブルジョアたちの姿をユルユルと描いていた前半から一変、後半(というか終盤)は、中央システムが原因不明の故障を起こしたことにより、施設内の全てのロボットが制御不能となり、生身の人間たちを容赦なく殺し始めるのだ(ここらへんは後に書いた『ジュラシック・パーク』の元ネタだろうか)。

 決して殺されないと思っていた客たちは大パニックを起こし、制御室の職員たちも主電源を切ったりするが、もはや手遅れ。「夢の国」は一瞬にして血みどろの地獄絵図と化す。

 「心のスキマお埋めします」的娯楽産業界の過剰なサービスと、コンピューター管理社会への警鐘とも言える内容だが、しかし社会派的な説教臭さ堅苦しさはなく、あくまで「夢の国でのサバイバル」というシチュエーション一点集中型の娯楽作品として楽しめる。暴力描写なども乾いていて、あまり大仰に騒ぎ立てることなく、サラッと人が殺される演出は個人的にはかなり好みだ。

 ちょっとネタバレになってしまうが、ジェームズ・ブローリンが殺されるシーンの、あのどこか拍子抜けした感じも、あまりにも唐突で呆気ない分、映画内での暴力が「フィクション」から「リアル」に一変する恐怖と混乱がよく伝わって来る好演出だ。

 話の展開も全体的にかなりタイトにまとまられ、約90分程度の尺の中に、起承転結がきっちり無駄なく収められている。

 白眉はやはりロボット・ガンマン役のユル・ブリンナーだろう。過去に『荒野の七人』(1960年)などで西部劇のガンマンを好演している彼を、まるで蝋人形館に置かれた過去の遺物のようなガンマン・ロボットとして登場させてしまうのだから恐れ入る。しかしさすがはユル・ブリンナー。ガンマンとしての立ち姿がめちゃくちゃキマっているのはもちろんだが、ロボットゆえの独特の無感情さ、そしてその不気味さを、どこまでも抑制された無駄のない演技で実に巧いこと演じ切っている。

 作品としては全体的にかなり地味だし、突っ込みどころも少なくないのだが、しかしながら、ユル・ブリンナーのこの圧倒的な存在感のおかげで、本作の質がグンと底上げされているのは間違いない(ターミネーターの元ネタは、本作のユル・ブリンナーではないかと言われている)。

 

(2013年9月8日)

プロフィール

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わがままコブラ
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1984年5月2日
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