第86回『ブラック・サンデー』

テロリストの憂鬱

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『ブラック・サンデー』
(Black Sunday)
1977年:アメリカ
監督:ジョン・フランケンハイマー


 巨大スタジアムの観客を大量虐殺しようと企むテロリストとの戦いを描いた……なんて映画をハリウッドで撮るとなれば、その大半がアメリカ万歳的な作品になってしまいそうなものだが、しかし1970年代には、そんなアクション大作でありながら、アメリカ万歳では決して終わらぬ骨太な傑作を生み出せるような、気骨ある作り手たちが確かにいた。

 本作『ブラック・サンデー』もまた、そんな気骨ある燻し銀のアクション大作を代表する一本である。監督は骨太なアクション映画職人ジョン・フランケンハイマー。

 ベイルートに潜伏するパレスチナの過激派グループ「黒い九月」のアジトを急襲したイスラエル特殊部隊のカバコフ少佐(ロバート・ショウ)は、そこで彼らの声明文が録音されたテープを発見し、その内容から、彼らがアメリカ国内での大規模なテロを企てていることを知る。イスラエル当局はさっそくカバコフをアメリカへ送り、合衆国政府の協力の下に捜査を開始する。長年の経験を活かし、わずかな情報からじわじわと実行犯を追い詰めてゆくカバコフ。

 自らの命を狙われ、さらには長年連れ添った相棒を殺されながらも、執念の捜査でついにテロの実行犯を突き止め、そして彼らの狙いがスーパーボウルの大観衆、8万人の命であることを知る。果たしてカバコフはこの大規模なテロを阻止することが出来るのか……。

 話の筋はいかにもありがちなパニック・アクション大作という感じだが、本作が凡百のアクション大作と違うのは、テロリスト側の視点(実情)もしっかりと手を抜かずに描いている点だ。本作におけるテロの実行犯は二人。一人は「黒い九月」の女性メンバーであるダリア(マルト・ケラー)、もう一人は心に深い傷を負ったベトナム帰還兵のマイケル(ブルース・ダーン)。

 ダリアは度重なる中東戦争によって幼い頃に住む場所を失い、親を殺され、姉を強姦された経験を持つ。元は完全なる戦争被害者なのだ。そしてもう一方のマイケルもまた、ベトナムで6年間捕虜になり、恐怖のどん底を味わったが、そんな地獄から帰還した彼を待っていたのは、妻の裏切りと祖国の冷たい対応という、この世の地獄であった。彼もやはり戦争被害者の一人だったのである。元々は善良な市民であったこの二人が、いかにして超大国アメリカ(あるいはイスラエル)を憎むようになり、残忍な無差別テロを企てるに至ったのかを、本作はしっかりと描いている。

 そして彼らを追うカバコフもまた、単純至極な正義のヒーローというわけではない。彼はイスラエルの特殊部隊員として20年以上も政敵にあたる人間を殺し続けてきたが、そんなことをしても結局世の中の情勢は何ら改善しなかった、という虚無感に苛まれており、自分のしてきた仕事に意味を見出せなくなった今は、密かに引退を考えている。「自分は何のために戦ってきたのか?」「何のために敵を殺し続けてきたのか?」という疑問が終始彼を苦しめているのだ。

 カバコフがパレスチナ側の要人からダリアの正体を聞き出す際、この要人から「彼女はつまりお前らイスラエル人が生み出したテロリストなのだ」と言われてしまうが、この憎しみの連鎖しか生み出さない民族的・政治的闘争の終わりなき悪循環に、長年その身を投じてきたカバコフの心境はかなり複雑に違いない。本作はこの追う者と追われる者、両者の実情をドキュメンタリー・タッチのリアリズムでじっくりと描きながら、同時にテロ実行までのスリリングな攻防戦を骨太なアクションとしてしっかりと結実させている。社会派の人間ドラマとしての面と骨太な娯楽アクションとしての面を、実にバランスよく織り交ぜることに成功した作品だ。

 痛快爽快だけでは終わらぬ重厚で骨太なアクション映画の傑作として、本作『ブラック・サンデー』もまた、アクション映画史における重要作の一つであると言える。

 

(2013年8月20日)

プロフィール

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わがままコブラ
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1984年5月2日
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