第85回『キッズ・リターン』

淡く苦い青春の挫折

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『キッズ・リターン』
1996年:日本 監督:北野 武



 「おれたち、もう終わっちゃったのかな……」

 「ばかやろう、まだ始まっちゃいねぇよ」


 挫折した若者二人がチャリンコに2ケツしながら何気なく交わすこの会話。何度見てもグッとくる名シーンだ。落ちこぼれの若者たちの淡く苦い青春の挫折を描いた映画は星の数ほど存在するが、このベタベタなテーマを北野タッチで描くと、やはり一味違った趣の作品になる。

 高校生のマサル(金子賢)とシンジ(安藤政信)は絵に描いたような落ちこぼれ。授業をサボってはタバコを吸ったり酒を飲んだりカツアゲをしながら、その日その日をダラダラとやり過ごしている。もともと不良気質なマサルに比べ、シンジの方はあまり主体性がなく、どちらかといえばマサルの舎弟のような立場にいる。

 ある日、彼らがカツアゲをした相手がボクサーの友達を連れて仕返しにやって来る。いつもの気勢でケンカを買うマサルだったが、相手に指一本触れることも出来ずにボコボコにされてしまう。この敗北をきっかけに、ボクシングジムに入門するマサル。そしてシンジもいつものように、マサルに無理やり付き合わされる形で同じジムに入門させられる。

 こうして、落ちこぼれだった二人は初めて真剣に打ち込めるものに出会ったわけだが、しかしここから「二人は共に切磋琢磨しながら世界チャンピオンを目指すのだった……」みたいなスポ根的な流れにならないところが北野流。

 意外にも主体性のなかったシンジの方がボクサーとしての資質を持っていることが判明し、不良としては恐いもの知らずだったマサルが、ボクサーとしては舎弟分であるシンジにグングン差をつけられてしまう。ここでもまた、マサルは落ちこぼれになってしまったのだ。プライドが高く、実はシンジ以上にナイーブなマサルは、スパーリングでシンジに負けてしまったことをきっかけに、あっさりとボクシングの道をあきらめ、いつしか極道の道へ。

 ボクサーとしての頭角をメキメキと現し、ジムの会長やトレーナーたちの期待通りの連勝街道をひた走るシンジ(故意なヒジ打ちやヘッド・バッティングも、ひとつの技術として向上させてゆくあたりが実に面白い)。一方のマサルもまた、生来の不良気質を活かして極道としての地位を上げてゆき、久しぶりに再会したシンジに「お前がチャンピオンになって、おれが親分になったら、またその時に会おうや」と約束する。こうして、それぞれの「道」の高みを順調に目指す二人だったが、しかし浮世の仮借ない現実は、この二人を人生の勝者に選ぶほど甘くはなかった。

 シンジはその主体性のなさが仇となり、若手の足を引っ張る落ちこぼれの先輩ボクサーに悪い習慣を植え付けられ、ボクサーとして節制すべきタバコや酒に浸る生活にズルズルと引きずり込まれてゆく。そしてマサルは生来の血の気の多さから、一般社会以上に厳しい「ルール」に縛られた極道社会で足を踏み外し、指の一本や二本では済まされないような失態をやらかしてしまう……。

 どの世界にも勝者と敗者が存在し、数の上では圧倒的に敗者の方が多いわけだが、本作はその敗者側のシビアで残酷な行く末を容赦なく見せつける。ほんのちょっとだけ人より高い才能を持ち合わせたくらいでは、完全なる勝者になることは不可能だということを思い知らされるわけである。

 己の才能をフルに開花させるための、その血の滲むような努力を惜しまぬ強い心、安易な欲をものともしない強靭なストイックさ、そして自分自身ではどうにもならぬ時の運……この全てを手に入れた者だけが、厳しい現実社会の中で勝者になることが出来る。

 生き馬の目を抜く芸能・芸術の世界で勝者になった北野武/ビートたけしは、それだけ敗者側がたどる残酷な運命も数多く目にしてきたに違いない。

 主人公の二人に限らず、本作には基本的に勝者側の人間は出て来ない(少なくともカメラの前に勝者がフィーチャーされることはない)。どの登場人物にも、基本的には堕ちゆく運命とでも呼べるようなものが待っている。しかしこれは悲観論というよりは、たとえ敗者としてでも、この厳しい現実社会で生きてゆくより他に道はないのだ、という北野流のヒューマニズムではないかと思える。

 それは被写体との独特の距離感を保ったヒューマニズムだ。

 登場人物たちの感情に肉薄し過ぎることは決してなく、しかしそうかといって完全に突き放しているというわけでもない。例えばこれが三池崇史の作品であれば、もっと登場人物たちに肉迫したヒューマニズムが滲み出てくる。北野映画の距離感に比べると、三池映画の方はもっと登場人物たちの生々しい息遣いを感じるところまで踏み込んでいる。この被写体との独特の距離感は、北野映画を特徴づけるものとしてはけっこう分かりやすい要素ではないかと私は思う。もちろん同じ北野映画でも、その時々で微妙に被写体への距離感は変わってくる。

 若者たちの淡く苦い青春の挫折を描いた映画としては、本作も実にベタベタな展開であるとは思うが、しかしながら、被写体とのその独特の距離感をはじめ、やはり北野映画でしか味わえない趣や匂いというものが作品全体に横溢している。

 とはいえ、テーマ的にもプロット的にも、北野映画の中ではかなり普遍的で取っ付きやすい作品だと思うので(暴力描写も極めて少ない)、まだ北野映画を見たことがないという人や、あまり北野映画が肌に合わないという人にもお薦めしやすい一本ではないかと思う。

 

(2013年8月19日)

プロフィール

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わがままコブラ
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1984年5月2日
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