第72回『キラー・ジョー』

その男、鬼畜につき

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『キラー・ジョー』
(Killer Joe)
2011年:アメリカ
監督:ウィリアム・フリードキン


 毎度楽しく拝見している「コップのはらわた」という映画ブログで紹介されていて、是非とも見たいと思った一本。恥ずかしながら、ウィリアム・フリードキンがゼロ年代以降もまだ現役で映画を撮っていたなんて全く知らなかった。

 「戦慄の完全犯罪サスペンス・アクション!!」というデタラメもいいとこな宣伝文句をかました上に、邦題が『キラー・スナイパー』(スナイパーなんてどこにも出て来ない)。しかも日本版のDVDジャケはアクション映画風になっているが、正味のところは全く違う。さらに日本では劇場公開されていない上に、DVDもレンタルのみでセル盤なしという何とも酷い扱いだ。

 本作の原題は『Killer Joe(殺し屋ジョー)』。トリック満載のサスペンス・スリラーでもなければ、ドンパチ全開の痛快アクションでもない。

 アメリカ南部の「レッドネック」とか「ホワイト・トラッシュ」などと呼ばれるような貧乏白人たちが、完全なる見切り発車で保険金殺人を決行したことから、そのあまりの無計画性のために自滅の坂道を転げ落ちていく、という『ファーゴ』(1996年)的なブラック・コメディーの犯罪劇だ。

 本作の印象を一言で言うと、ずばり下衆い。コーエン兄弟の『ファーゴ』や『ノーカントリー』(2007年)に感じていた物足りない部分(アメリカの片田舎を舞台にした犯罪映画としての下衆さや厭さやキチガイっぷり、つまりはテキサス・チェーンソーな「アメリカの田舎はヤバイよ」感)が、本作においては充分過ぎるほど充分に描かれている。

 まず保険金殺人を思いつく主人公家族が、どいつもこいつも救いようのない無思慮さや下衆さを見せつけるので、見事なまでに観客側の感情移入をシャットアウトする。そしてこの家族ばかりか、本作には最後の最後まで、誰一人として感情移入出来るようなキャラ、あるいはコメディーリリーフ的な安心キャラは出てこない。ちょい不思議ちゃんキャラの娘が、少しはヒロイン的なまともさでもって、本作における唯一の救いを見せてくれるのかと思いきや、さすがは鬼畜フリードキン、観客に対するそのような手ぬるい気遣いは一切ない。

 男どもは男どもで、これまたとことん無思慮な甲斐性なししか出て来ないのだが、そんな中で唯一クールに見える殺し屋ジョーまでもが、その実は単なるド変態ときている。ジョーは主人公家族の娘を手篭めにするばかりか、最終的には継母に顔面パンチを喰らわせた挙句、フライドチキンでもって彼女に実に下衆い行為を強要する(ある意味、本作におけるハイライト的シーンだ)。

 ストーリー展開はとことん地味だし、暴力描写にも派手さは全くないのだが、しかしながらジョン・ウォーターズや三池崇史が、どれだけその鬼畜っぷりや下衆っぷりを銀幕の向こうにまき散らそうとも、フリードキンのこの超骨太な(燻し銀なのにとことん下衆い)演出力には到底敵わないように思う。やっていること自体はかなり地味なのだが、ジメジメェ~っとした重さを持った暴力描写や、主人公たちの剥き出しにされた下衆っぷりが圧倒的で、普段から暴力的・変態的な映画を見まくっている私でも、件のフライドチキンのシーンなんかは見事に引いてしまった。

 代表作『エクソシスト』(1973年)では、無垢な少女に悪魔を憑依させ、放送禁止用語をバンバン連発させた上にゲロまで吐かせるという、まさに鬼畜全開な仕事ぶりを見せつけたフリードキンだが、70歳を越えてもその骨太かつ鬼畜全開な演出力が健在なのはアッパレの一言である。

 

(2013年3月20日)

プロフィール

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ニックネーム
わがままコブラ
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男
生年月日
1984年5月2日
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