第59回『鬼哭 KIKOKU』

ベタで手堅い職人としての三池崇史の魅力

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『鬼哭 KIKOKU』
2003年:日本
監督:三池崇史


 三池崇史監督の作品というと、映画的な既成概念をとことんまで破壊し尽くすようなイメージが強い作品も多く、それはそのまま三池映画の大きな魅力でもあるのだが、しかし私はどちらかといえば、あまり派手さのない手堅い作品(言い換えればベタな内容の作品)の方が、より本質的な三池映画の魅力を感じることが出来るのではないかと思っている。

 本作『鬼哭 KIKOKU』もとことん手堅く、そしてベタを極めたような一本だ。

 映画人にとって、この「ベタな作品を手堅く撮る」ということほど難しいこともないだろう。ましてや時代遅れのヤクザ映画となると、時代背景を昭和に戻すか、あるいは北野武監督の『アウトレイジ』(2010年)のように、あえてヤクザたちにヒロイックさを出しにくい歯がゆい立ち回りをさせるような状況を設定せざるを得ないような気がする。

 「男心に男が惚れる」とか、あるいは「仁義のために命を張る」とかいったような男の美学を、現代の時代背景で描くことが相当に困難なのは明らかだ。時代遅れはどうあがこうと時代遅れであることに変わりはないのだし、今日日流行らんという事実ばかりはどうしようもない。

 本作『鬼哭 KIKOKU』は、そんな時代遅れな男の世界を真正面から描いている。

 主人公の国分誠治(竹内力)は伊達一家、武藤組の若頭。仁義に厚く、兄貴分や弟分のためなら己を犠牲にする時代遅れな極道である。そんな彼が若頭を務める武藤組は、「組」といっても組員がたったの三人しかいない。組長の武藤(岩城滉一)、若頭の国分、そして国分の弟分である岡本(曽根英樹)だけだ。ちゃんとした組事務所もないような貧乏所帯なのである。

 敵対する大組織との抗争が起こり、多額の軍資金が必要になった伊達一家は、武藤組にも軍資金を要求する。しかし貧乏所帯である武藤組にそんなものが払えるはずもない。そこで組長である武藤自ら、相手方のトップの「タマをとる」と宣言。金は出せぬが、身ひとつで一家の力になろうというわけである。もちろん若頭である国分は自分がその役を志願するのだが、すでに組のために十数年も刑務所に入っていた国分に、再び辛い思いをさせるわけにはいかないと言う武藤。

 「オヤジはマジでやる気だ……しかしオヤジにそんなことさせるわけにはいかねぇ」

 武藤の身を案じた国分は、武藤を拳銃所持で警察に密告し逮捕させる。そして「刑務所に逃げ込みやがって」と武藤のことを嘲笑する一家の上層部たちを尻目に、国分は弟分の岡本とたった二人きりで、敵対する大組織のナンバーワン(演じるは丹波哲郎)を襲撃。殺すまでには至らなかったが、しかし大組織のナンバーワンを重体にまで追いやったことで、とうとう全面戦争に発展してしまう。抗争は日増しに激化し、毎日のように血で血を洗う惨状が繰り返される。そして敵の送り込んだ刺客の銃口が、とうとう国分にも向けられる瞬間がやってくる……。

 自分のオヤジ(組長)のために命を尽くし、男の矜持を貫くために無謀な戦いに挑んでゆく寡黙な一匹極道の、その哀愁に満ちた生きざまを、どこまでも硬派なタッチで描いている。急場になれば組織に利用され、用が済めば組織に見放され、しかしそれでも自らの矜持を貫くために血を流し続ける男の哀しみ、その魂の慟哭を、どこまでもストレートに描破した逸品だ。

 「盃は約束ですよ。死ぬ時はアニキと一緒だっていう」

 いよいよ自分たちの命も危なくなってきた時、弟分の岡本に「お前だけでも逃げろ」と言う国分に対し、岡本がモソモソっとさりげなく吐くこのセリフに痺れさせられる。

 そして映画のラスト、敵対する組織の殺し屋(美木良介)が、最後の最後まで男の矜持を貫いた国分に対して投げつけるように言い放つ一言、「お前、かっこよすぎるぜ」にノックアウトされること必至。この「お前、かっこよすぎるぜ」は、男が敵を本物の男として認めた時に送るセリフの究極形ではなかろうか。男なら死ぬまでに一度は言われてみたいセリフである。

 

(2012年11月26日)

プロフィール

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わがままコブラ
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生年月日
1984年5月2日
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