第54回『雨の午後の降霊祭』

死の棘

img_20231120-144541.jpg
『雨の午後の降霊祭』
(Seance on a Wet Afternoon)
1964年:イギリス
監督:ブライアン・フォーブス

 

 本作はタイトルからすると完全にオカルト・ホラーの領域だが、正味のところはすこぶるストイックなサスペンス映画だ。ドラマチックな派手さは一切ないが、細かな部分にまで行き届いた演出の妙と、主演の二人(妻役のキム・スタンレーと夫役のリチャード・アッテンボロー)の抑えの利いた絶妙な演技によって、かなり良質な仕上がりとなっている。

 ロンドン郊外に暮らす霊媒師のマイラ(キム・スタンレー)は、毎週水曜の午後、会員を集めて降霊会を行っていた。マイラは数年前に男の子を流産しており、以来彼女は霊媒にのめり込み、亡き息子の「声」を盲目的に信じ込んでいる。

 彼女は息子の「声」が自分を良い方向に導いてくれると本気で確信しているのだ。しかし傍からは、矛盾だらけの自身の言動を息子の「声」のせいにして無理やり正当化しているようにしか見えず、夫のビル(リチャード・アッテンボロー)はそんな彼女の精神状態を危惧し、恐れているが、生来の気の弱さからマイラの言いなりになっている。

 そんなマイラには予てからの腹案があった。それは良家の幼い一人娘を誘拐し、身代金をせしめた上で、娘の居所を霊媒によって言い当て、自分の霊媒師としての力を世間に認めさせようという危険過ぎるもの。当然ながら夫のビルはこれに反対するが、気の弱い彼は何だかんだとマイラに押し切られ、少女誘拐の実行犯という大役を背負わされる羽目に。

 そしてこの誘拐は計画通り実行されるが、素人夫婦が考えた犯罪計画など所詮は穴だらけ。おまけにマイラの矛盾だらけの言動によって、当初の予定もどんどん狂ってゆき、挙句は無傷で親元へ帰すはずだった被害者の娘を、亡き息子の友達にするために二度と返さない(つまりは殺してしまおう)とマイラが言い出すという状況に陥る。こうして、物語は最悪のラストへと突き進んでゆく。

 精神を病み、矛盾だらけの言動が目立つばかりか、ごくごく一般的な倫理観のタガまでもが完全に吹き飛んでしまう妻の狂気と、それをどうにか食い止めようと思いながらも、結局は妻の言いなりになってしまう夫の弱さ……。誘拐という犯罪を通して描かれているのは、普遍的な夫婦間の恐怖、もっと言えば倦怠期(セックスレス)の中年夫婦の心の溝ではなかろうか。

 子供を亡くしたショックから立ち直れず、霊的なものに救いを求める妻の精神状態を危惧し恐れる夫は、最終的に「子供は死んだんだ!! もう二度と帰ってこないんだ!! 現実を受け入れろ!!」と妻を叱咤する。これは『赤い影』(1973年)というオカルト・ホラー作品の主人公夫婦の関係性によく似ている。この作品も、ホラー映画の体裁をとりながらも、その実は夫婦間の問題(延いては絶対に相容れることの出来ない男と女の深い溝)について描いている。

 実際、『赤い影』にも、現実的な夫が霊的なものにハマる妻を「そんなことしたって死んだ子供は帰ってこないんだ!!」と叱咤するシーンがあるので、もしかしたら本作の影響を受けているのかもしれない(この『赤い影』の主人公夫婦もセックスレスの中年夫婦だ)。

 本作には最後の最後まで救いはない。直接的な残酷表現や暴力的なシーンが一切ないにもかかわらず、抑えの利いた巧みな演出技術と主演の二人の好演によって、全体的にかなり地味ながらも、ダレ場のない秀逸なサスペンス作品に仕上がっている。

 ちなみに、黒沢清監督が2時間もののテレビ映画『降霊』として、1999年に本作をリメイクしているが、こちらは黒沢作品らしい幽霊が出てくる心霊ホラー作品に改変されている。

 

(2012年10月2日)

プロフィール

プロフィール画像
ニックネーム
わがままコブラ
性別
生年月日
1984年5月2日
QRコード
携帯用QRコード
アクセス数
ページビュー数