第50回『ザ・タウン』

明日を掴むために街を出ろ!

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『ザ・タウン』
(The Town)
2010年:アメリカ
監督:ベン・アフレック


 タイトル地味、出演者も地味、台詞だって地味。だけどグッと胸に迫るものがある。心にジィーンと沁みるものがある。いつだったか、映画館で本作の予告編を見て、何となく気になってはおり、今時分になって何となく見てみようと思ったわけなのだが、しかしまさか主演のベン・アフレックが監督まで務めていたとは知らなかった(本作がベン・アフレックの監督2作目)。

 舞台は米国ボストン。ここは銀行強盗や現金輸送車の襲撃が世界一多い街。その一角にあるチャールズ・タウンは、強盗たちの温床になっている。父親が名うての銀行強盗であれば、息子もその「家業」を継ぐなんてのはよくある話。そんな「タウン」に生まれ育った主人公ダグ(ベン・アフレック)とその仲間たちは街一番の腕利き強盗団だ。実に手際のよい犯行で、次から次へと銀行や現金輸送車を襲い、FBIにも目をつけられている。

 ダグの父親はその昔、現金輸送車を襲い、運転手2名を殺害したかどで逮捕され、そして仲間を売らなかったことから懲役30年……今もまだ服役中だ。母親はダグがまだ幼い頃に家を出て行った。こんな環境で育ち、案の定、自身も立派な強盗になってしまったダグだが、そんな彼は最近になって酒もドラッグもぴたりとやめた。もう自分も若くない、いつまでもヤンチャはしていられない、という心境の変化があるのだろうか。

 ある日、ダグはまたいつものメンバー4人で銀行を襲う。銃は脅し用(使うとしてもパトカーのエンジンを撃つため)で、殺しはおろか負傷者も出さないスマートな仕事を貫徹するのが本当のプロ。ダグは自分の父親の二の轍を踏まないように心がけ、「プロの仕事」に徹している。犯行後の現場には漂白剤を撒き、指紋もDNAも残さない。逃走車両には必ず火を放ち、徹底的な証拠隠滅を図る。

 そして今回もまたいつものように、スマートに仕事を片付けるはずだった。ところがここで誤算が生ずる。ダグの幼馴染でもあるメンバーのジェム(ジェレミー・レナー)が、勝手に銀行の女性支店長クレア(レベッカ・ホール)を逃走用の人質に取ってしまったのだ。

 どうにか追手も振り切り、クレアも無傷のまま解放したが、ジェムのとった行動はプロとは言い難い。しかもクレアは彼ら強盗団と同じチャールズ・タウン在住であることが分かった。強盗犯と人質がご近所どうし……これはマズイ、マズ過ぎる。顔は見られていないが、声はバッチリ聞かれている。同じ地元の人間であれば、日常生活でのニアミスがないとも限らない。血の気の多いジェムは、「いざとなれば、あの女を始末するしかない」と言い出すが、そんなことをすれば事を荒立てるだけだ、とダグは何とかジェムをなだめる。

 「そこまでする必要はない、俺に任せとけ」

 ダグは自分たちの正体がバレていないかを確かめるため、クレアの後を付け回す。するとコインランドリーで、偶然にもクレアの方からダグに声をかけてくる。

 「小銭持ってない?」

 これをきっかけに、ダグとクレアはちょくちょく食事やデートを重ねるようになる。

 ダグは最初、クレアが何か犯行の証拠を握っていないかを探るつもりで彼女に付き合っていたのだが、ダグたちの犯行時に受けた精神的ショックが原因で、クレアがひどいトラウマに苦しめられていることを目の当たりにし、彼は重い罪悪感に苛まれる。そしてそれでも健気に生きようとするクレアの姿に、だんだんと心惹かれていくダグ。クレアの方も、何かと親身になって相談に乗ってくれるダグの優しさにすっかり心を許し、いつしか2人は恋仲に……。

 しかし2人の関係はあくまで「犯罪者」とその「被害者」。もちろんクレアはダグが自分を人質に取った銀行強盗だとは夢にも思っていない。ダグの中で、犯罪者としての自分の生き様に対する煩悶がどんどん強くなってゆき、そして彼は心に誓う。

 「俺は彼女と一緒に街を出る。犯罪者でない生き方が、きっと俺にもあるはずだ」

 犯罪者としての生活からきっぱり足を洗い、真人間として生きてゆこうと固く心に決めたダグだったが、しかし生まれ育った街の呪縛からは容易に逃れられない。

 いつもダグたちに仕事を斡旋している裏社会の顔役<花屋>から、今度は大リーグ・スタジアムの売上金を強奪するという、危険極まりない大仕事を依頼される。ダグは当然、このヤバ過ぎる仕事を断ろうとするが、一度足を突っ込んだ裏社会の掟はそう甘くはない。<花屋>は「この仕事を断れば、クレアの葬式の花をお前に送ってやる」とダグを脅す。

 抗う術なく、ダグはこの仕事を引き受ける。

 「これが最後だ。この大仕事を最後に、俺はきっぱり足を洗う」

 準備万端、ダグはいつものメンバーとスタジアムに乗り込み、売上金の強奪を決行するが、しかしこの手の犯罪映画における「最後の大仕事」が首尾よく成功した例はまずない。タレ込みにより情報を得たFBIの大部隊が、すでにスタジアムを完全包囲していたのだ。どうやら血まみれの銃撃戦は免れそうにない。果たしてダグたちはこの修羅場を乗り切ることが出来るのか。そしてダグはこの街から出てゆくことが出来るのか……。

 ベタ過ぎると言えばベタ過ぎる話ではある。このネタなら、いくらでも甘々な故郷脱出系青春ラブストーリーに仕立て上げることも出来ようが、本作はこれをかなり硬派なタッチの犯罪映画に仕上げて来た。一歩間違えば完全に泣かせオンリーのメロドラマに走ってしまいそうなこの素材を、手に汗握るクライム・アクションとしての面白さと、切実な人間ドラマとしての重さを絶妙なバランスで共存させた、実に真っ当な娯楽作品として仕上げてみせたのである。これは監督2作目にしてかなりの手腕を発揮したと言えるだろう。

 泥臭い「男気」「男泣き」要素はやや希薄だが、その分、いつも「男の世界」に振り回され、いいように利用されてしまう女たちの不幸は割合にしっかりと描かれており(この手の犯罪映画では手薄になる部分だ)、これは作り手のヒューマニスティックな感性がよく表れていて面白い。

 白眉はやはり強盗シーンと銃撃戦。大仰なカタルシスはないが(抑え所をよく心得ている)、銀行や現金輸送車を襲撃するシーンのリアリティー重視のタイトさには惚れぼれする。銃撃戦も地味ながら重厚さがあり、「銃を撃てば誰かしらの血が飛ぶ」という惨状をしっかりと描いている。

 「男気」「男泣き」要素はやや希薄と書いたが、あまり目立たなかったドライバー担当が、最後の最後に男気溢れる自己犠牲の精神を見せつけて好感度を急上昇させたり、主人公たちの足元を見る裏社会の顔役に対して、ダグがきっちり東映三角印な落とし前をつけるという溜飲下がりまくりなシーンがあったり、要所要所ではしっかりとハードボイルドな男臭い要素も味わわせてくれる。

 そしてダグとクレアの顛末も、もっと甘々なオチをつけるのかと思いきや、意外と骨っぽい落としどころに持って行ったのは好感が持てる。「晴れた日には人が死ぬ気がする」というクレアのジンクスを伏線にした、ダグとクレアの「最後の会話」にはかなりグッときた。

 安易な泣かせに走らぬ硬派でストイックなクライム・アクションとしては、本作はかなりハイレベルな成功例だ。ベン・アフレック、監督としては、もう少し年を重ねて渋みが増せば、マイケル・マンのような作り手になっていきそうな気もする。

 

(2012年8月22日)

プロフィール

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わがままコブラ
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生年月日
1984年5月2日
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