第48回『未知への飛行 -フェイル・セイフ-』

間違いだらけの抑止力

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『未知への飛行 −フェイル・セイフ−』
(Fail-Safe)
1964年:アメリカ
監督:シドニー・ルメット


 米ソ冷戦時代、哨戒飛行中のアメリカの爆撃機6機に、司令部から暗号による指令が下る。内容は「モスクワを爆撃せよ」というもの。この爆撃機に搭載されているのは水爆。つまりは即刻モスクワに水爆を投下しろという指令が下ったのだ。

 「核戦争でも始めようってのか?」

 我が目を疑うパイロットたち。

 しかし軍人にとって司令部からの命令は絶対。しかも敵国側からの妨害工作に惑わされぬよう、水爆投下の指令が下った後は、投下するまで一切の通信をシャットアウトしなければならない。

 もし大統領から無線による「作戦中止」の命令があったとしても、それは敵国の妨害工作だとして(つまりは偽物が大統領の声マネで作戦を妨害しようとしているのだとして)、その一切を無視するように訓練されている。

 だからGOサインが出たら最後。爆撃機のパイロットたちは何があろうとも確実に標的へ水爆を投下せねばならないのである。

 今回、そんな恐ろしいGOサインがついに出てしまったわけだが、しかし実際は米ソがドンパチを始めたわけではなかった。両大国が戦争へ突入したという事実はどこにもないのである。ではなぜGOサインが出てしまったのか?

 なんと原因は機械の故障による通信ミス。さらに運悪く、ソ連側の通信妨害も重なったらしい。誰一人として「指令」を出してはいないのに、そんなトンデモな原因から一国の大都市が消滅の危機に陥ってしまったのである。

 いや、一国の大都市だけで済むはずがない。もしモスクワに水爆が投下されれば、ソ連によるアメリカへの報復攻撃(つまりは核攻撃)は避けられない。そうなれば後はもう核戦争へ一直線。

 この異常事態に合衆国大統領(ヘンリー・フォンダ)は、すぐさまソ連側に今回の事態は機械の故障によるものであって、決して意図的な先制攻撃ではないということを伝え、アメリカ側への早まった報復攻撃をしないよう嘆願する。

 そして苦渋の決断ながら、自国の爆撃機6機を撃ち落とすよう、あらゆる手段を講じるが、アメリカ側の追撃もソ連側の攻撃も見事に切り抜けた任務に忠実な1機が残ってしまう。この1機がモスクワ上空へ到達するのはもはや時間の問題だ。

 もしモスクワへ水爆が投下されるような事態になれば、アメリカ側はそれを「意図的な先制攻撃ではない」ということを、どうにかして示さねばならない。さもなくばソ連との核戦争は避けられず、延いては地球規模の滅亡が待っているのだ。

 聡明で誠実で博愛的なリベラルさを持つ大統領が、この地球規模の滅亡を回避するために下した決断は、恐るべき犠牲を自国に強いるものであった。

 「もしモスクワが犠牲になった時は、意図的な先制攻撃でなかったことを示すために、即刻ニューヨークにも水爆を投下する。自らも同等の犠牲を払うのだ。戦争を回避するにはこれしかない」

 果たしてこの決断は、一国の長として、いや、一人の人間として正しい選択と言えるのか?

 そしてとうとう、アメリカの爆撃機がモスクワ上空へ到達する瞬間がやってくる……。

 ほぼ同時期に世に出たキューブリックの『博士の異常な愛情』(1964年)と、驚くほど似た筋書きである。各々違う原作を元にしていながら、映画の方は(筋書き的には)瓜二つ。『博士~』の方が一足先に世に出たため、こちらの『未知~』はキューブリック側から盗作だと訴えられてしまったようだ。確かに、筋書きからすれば盗作と言われても致し方ない気がするが、しかしながらその表現スタイルとなると、双方、似て非なるどころか完全に真逆。

 辛辣なブラック・コメディーとして「核の恐怖」を描いた『博士~』に対して、こちらの『未知~』は徹底してシリアスなリアリティーを追求しており、まさにシドニー・ルメットらしい重厚かつ切れ味鋭い社会派サスペンスに仕上がっている。

 ごくごく大まかに言ってしまえば、『博士~』はシニカルで『未知~』はシリアス。同じ「核の恐怖」を描いていながら、そのアプローチの仕方は双方真逆なのである。

 私的な好みの話だが、『博士~』の方はコメディーにしては辛辣すぎるし、かといって笑うに笑えないブラックさで「ゾッとさせる」というには、それはそれでまた「笑い」の方の悪ノリが過ぎているように思えてしまい、どうにもどっちつかずな印象が強く、未だに苦手意識が拭えない。

 対して『未知~』の方は、先述したとおり、徹底してシリアスなリアリティーを追求した、シドニー・ルメットらしい硬派一徹の社会派サスペンスに仕上がっており、最後まで変化球なしの直球勝負で攻め、「核の恐怖」を自ら有してしまった人類へのヘヴィな警鐘が、見る者のはらわたにズシンと響く。私としてはこちらの方が『博士~』よりも分かりやすい。

 ジョークらしいジョークひとつない堅苦しさは目立つが、ほんの一瞬の油断も許されぬ状況下におかれた人間たちの、あともう一歩で発狂してしまいそうなギリギリの緊迫感というものが、スクリーンを通してひしひしと伝わってくる。見ている方の喉がカラカラに干上がってしまいそうな、ルメットの圧倒的な演出力には舌を巻くばかりだ。

 内容が内容だけに、アメリカ軍の協力はもちろん得られず(そりゃそうだ)、爆撃機や戦闘機のシーンは他所から借りてきたフィルムを使用している。しかしこれが作品の質を下げているかといえばそんなことはなく、ネガ映像に反転処理されたそれらのシーンが、独特の緊迫感を持った不気味さを上手いこと作品に持たせている。

 激しい空中戦は全て司令部の巨大モニターに映るレーダー映像でさらっと処理されているが、これまた巧みな演出と編集の妙によって、安っぽく見えてしまうことを上手いこと回避している。ここらへんの「技あり」な感じは、ロバート・ワイズ監督の傑作ハードSF『アンドロメダ…』(1971年)に近いと思う。

 そして本作の最も瞠目すべき点は、全編に渡ってほぼ会話のみでつながれた密室劇であるということだ。先に挙げた空中戦などを含むアクション・シーンは皆無に等しく、地味ながらもテンポのよい編集と緊迫感溢れる会話で場面をつなげてゆく。ダレ場は一切なし。

 役者勢では、やはり大統領役のヘンリー・フォンダが素晴らしい演技を見せているが、個人的に面白かったのはタカ派の政治学者を演じたウォルター・マッソーだ。

 てっきりコメディー・リリーフ的な役回りかと思いきや、どこまでも非情で好戦的な人物を好演している。途中、この異常事態に乗じて、「今すぐ敵国ソ連へ先制攻撃を行うべきだ!!」などと猛り狂うナイスなヒールっぷりを見せる。

 先述したとおり、『博士の異常な愛情』と内容がモロにかぶってしまったことから、どうも『博士~』の陰に隠れてしまった感が否めない本作だが、もう少しちゃんとした名作扱いで世にフィーチャーされてもよいのではなかろうか。むしろ『博士~』と比較しながら見ると面白いと思う。

 個人的には、「核の恐怖」を描いた作品としては、今まで見てきた中では本作がダントツに恐い。

 

(2012年8月10日)

プロフィール

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わがままコブラ
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生年月日
1984年5月2日
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