第46回『極道黒社会 RAINY DOG』

雨と殺し屋と少年と犬

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『極道黒社会 RAINY DOG』
1997年:日本
監督:三池崇史


 たしか映画評論家のおすぎだったと思うが、三池作品に対して、「タランティーノには美学があるが、三池崇史には美学が無い」と批判していたのを何かで読んだ記憶がある。これはまぁ、ごもっともと言えばごもっともな意見で、むしろこの「美学の無さ」こそが、三池崇史最大の「売り」と言っても過言ではない。

 残虐至極の血みどろ人体破壊映画から、ファミリー向けの夏休み系アドベンチャー映画まで、はたまた超低予算のカルト作からメジャーどころの大作まで、とにかく「来るもの拒まず」の精神で、相当数の作品を休みなく撮り続けている。

 窪塚洋介との対談で、三池が「個性の押し売り」みたいなガチガチなところがある窪塚に対して、「窪塚君はもっと流れに逆らわないで流されちゃった方がいいんだよ。俺だったらむしろ流された方へ全力でクロールするけどね」というようなことを言っていたが、これこそまさに三池自身のスタンスを実に端的に言い表している。

 「下流へ流されたら下流へ向かって全力でクロール」という「三池流」の行き着く先には、中途半端な「個性」や「美学」といったものに縛られない表現の大海原が拡がっている。

 この「美学の無さ」「作家性の無さ」こそが、逆説的に三池にとっての強烈な「美学」や「作家性」へとつながってゆくのである。

 これを無節操と言えば言えなくもないが、しかしながら、己の偏狭な「美学」や「作家性」に縛られ過ぎてしまうよりは、メジャーな大作からカルトな小品まで、自ら築き上げたキャリアに邪魔されずに自由に撮り続けている方が、映画監督としての表現の幅が拡がるのは間違いないだろう。

 そんな、「作家性に縛られない作家性」を持ち、自由奔放で捉え所のない三池作品の数々だが、特に90年代中頃からゼロ年代初頭の作品群に関しては、一つ大きな特徴がある。それは常に風景が「アジア的」であるということだ。日本を舞台にした作品でも、そこに映し出される風景は、我々日本人が常日頃から見慣れている日本の風景ではなく、どこか「アジア的」なエキゾチシズムが色濃く匂い立つ風景なのである。

 それはまるで西洋人から見た「アジアのどこか」を思わせるような風景で、「無国籍」と言うよりは、やはり「アジア的」と言った方がしっくりくるように思う。もちろん、全作品を見たわけではないので一概には言えないが、少なくとも私が今まで見て来た90年代中頃からゼロ年代初頭の三池作品の風景には、いずれもそのような「アジア的」な匂いが強くあるように思う。

 では、そんな「アジア的」な三池が、日本以外のアジアの国で映画を撮ったらどうなるか?

 本作『極道黒社会 RAINY DOG』は、オール台湾ロケで撮られ、役者も哀川翔と田口トモロヲの二人を除いてみな台湾人。撮影スタッフもほぼ全て現地の人間で固められている。

 ごくごく地味なフィルム・ノワールで、かなりの低予算と思われるが、『RAINY DOG』のサブタイトルが示すとおり、全編に渡ってバシャバシャと激しく降りしきる「アジア的」な雨をメインにした、台北の貧民屈の風景が実に素晴らしく、やはり三池は「アジア的な風景」を撮らせたらピカイチだな、ということを改めて思い知らされた。役者たちの台詞は少なく、代わりにあらゆることを「風景」に語らせるような、寡黙にして奥深い作品である。

 主人公のユウジ(哀川翔)は日本を追われた一匹極道。今はこの雨が降りしきる台北で、しがない殺し屋稼業に従事している。ある日、名前も憶えていない昔の女がユウジの元を訪れ、「あなたの子よ」と口のきけない少年チェンを一方的に押し付け、逃げ去ってしまう。ユウジはチェンを自室に招き入れるでもなく、特別に面倒を見ることもしないのだが、かといってユウジの行く先々へ(殺しの現場にまで)ちょこちょこと付いて来る彼を追い払うでもない。本当に血がつながっているのかさえ分からぬ二人。寡黙な殺し屋と口のきけない少年の距離は縮まらない。

 「昔読んだ漫画に、こんなのがあった。独房に長く閉じ込められた囚人は、紛れ込んだ一匹のハエさえも愛おしく思った。そしてある日、そのハエがいなくなった時から、囚人は気が狂い始めた」

 ユウジの住むボロ家の軒先で、土砂降りの雨に打たれてずぶ濡れになりながらも、そこを動かずじっと座り込んで寒さに震えている少年。そしてその姿を窓から眺めるユウジ。

 「でけえハエだな……」

 ユウジは少年を戸口へ招き入れる。タオルと着替え用のシャツを手にしたユウジを見て、ニッコリ笑うチェンだったが、ユウジはそんなチェンに向かってキツイ顔でこう言い放つ。

 「媚びるな、お前は犬じゃねえんだ」

 ここで普通なら少しはこの二人の距離が縮まるところだが、三池作品はそう甘くはない。ユウジはここでほんの束の間の「やさしさ」を垣間見せるものの、それは父親としての愛情というところまでは全然達していないのである。この後も、終盤まではほとんど二人の距離は変わらない。この容易には縮まらぬ距離感というものが、本作の「重み」となって生きてくるのである。

 映画はこの後、ユウジの雇い主と敵対するグループの大物をユウジが暗殺したことにより、今度はユウジ自身が命を狙われる羽目に陥り、少年チェン、そしてこの雨の降りしきる街を抜け出そうとしている娼婦リリィ、日本からユウジを殺すために送られた刺客(田口トモロヲ)などを巻き込んで、ベタベタながらも男泣き150%なラストへとなだれ込んでゆく。

 白眉はやはり雨のシーン。崩れかけのオンボロ家屋がひしめき合うように建ち並ぶ貧民屈に、バシャバシャと激しく降り注ぐ雨、雨、雨、雨、さらに雨。しとしと降るんじゃなく、バケツをひっくり返したような土砂降りが全編を覆う。霧深いロンドンにはロンドン特有のしとしと降る小雨が似合うように、台北の貧民屈にはバシャバシャと降り注ぐ土砂降りの雨が実によく似合う。

 面白いのは、主人公ユウジの「雨の日には決して外へ出ない」というキャラ設定。雨の日に何かしようとするとロクなことがない、という祖母の教えを、ユウジは愚直に守っているのだ。本業の殺しも雨の日には絶対に決行しない。そしてこれが伏線となり、ラストの土砂降りの中での撃ち合いへとつながってゆくのである。

 ユウジに限らず、この街に暮らす人間は雨嫌いばかりなのだが、そんな雨嫌いの人間たちの運命の歯車が、土砂降りの雨に狂わされてゆく……という流れが実に秀逸。激渋なノワール作品としてはもちろんのこと、「雨」をモチーフにした映画作品としても、群を抜いて素晴らしい。雨好きの人にも雨嫌いの人にもお薦めしたい逸品だ。

 

(2012年8月5日)

プロフィール

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ニックネーム
わがままコブラ
性別
男
生年月日
1984年5月2日
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