第38回『ソナチネ』

虚実皮膜のキタノ・スタイル

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『ソナチネ』
1993年:日本
監督:北野 武


 最近、『Kitano par Kitano : 北野武による「たけし」』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)という本を読んだのだが、これがかなり面白かった。フランス人ジャーナリストが、なんと5年に渡ってたけしに肉薄した超ロング・インタビューをまとめたものなのだが、たけしがここまで自身についてストレートに語りつくしているものも他にあまりないのではなかろうか。

 私がビートたけし/北野武という存在に特別に興味を持つようになったきっかけは、テレビではなく映画の方。中学生の頃に見た『HANA-BI』(1998年)が最初であった。この映画で私は、テレビの向こうで黙って座っているだけの大者司会者といったイメージしかなかった彼の表現者としての感性に初めて触れ、「あぁ、これだからこの人は大物なのか」と子供ながらに納得したのだ。

 独自のストイックな暴力表現に驚いたのはもちろんだが、それと同時に、日本を代表するコメディアンとしての彼の笑いのセンスの独自性についても、この時から意識し始めたように思う。

 完全なる北野映画ファンになったというわけではなかったが、それからはちょくちょく意識的に北野映画を見るようになった。全作品を見たわけではないので、あまり知ったようなことは言えないのだが、今まで見てきた北野作品の中では、個人的には監督第2作目の『3‐4x10月』(1990年)がいちばん好きな作品である。本当は以前もこの作品をご紹介しようと思ったのだが、何となく気分的に初監督作の『その男、凶暴につき』(1989年)を採り上げた。で、今回もまた何となく気分的に、監督第4作目の『ソナチネ』をご紹介したいと思う。

 先述した著書を読んで、今回実に10数年ぶりに見てみようと思ったのだが、実は今まではあまり好きな作品ではなかった。『その男~』や『3‐4x~』と違って、この作品は中学生の頃にたった1回こっきり見ただけなのだ。『3‐4x10月』における暴力と笑いの狂気的な混淆ぶりに熱狂させられた当時の私には、北野作品の初期の完成形とも言える『ソナチネ』の全体的に洗練された感じが、どうも物足りなく思えたのである。

 がしかし、先の著書でたけしの新たな面をいくつも見せられたこともあり、北野作品の代表作とも言える本作を今一度しっかり見てみようと思ったわけだが、いやはや、当時の私はやはりまだまだ子供だったとしか言いようがない。物事の特異な部分や表面的な歪曲表現にばかり目を奪われ、もっと深いところで作品を味わうということが全く出来なかったのである。

 まぁ今でも生来の感性の鈍さに変わりはないが、とはいえ、この10数年で少しばかりはマシなものの見方が出来るようになったのか、今回、「アレレッ?」と思うほどにこの作品の良さ(つまりは本作が北野映画の代表作と呼ばれる所以)が理解出来たように思う。こりゃ本作をナンバーワンに挙げる北野映画ファンも多いわけだわなぁ、と今さらながら思い知らされた。

 ヤクザ稼業に嫌気が差している村川(ビートたけし)は、親分の命で沖縄での抗争に子分数人と助っ人として駆り出される。抗争と言っても当初は「すぐ手打ちになる」程度のものと聞かされていたが、いざ沖縄に着いてみると何やら話が違い過ぎる。村川たちは早々に派手なドンパチに巻き込まれ、その「手打ちになる」というはずの抗争で子分数人の命をあっさり失ってしまったのだ。

 そして抗争はさらに激化し、村川たちが助っ人として草鞋を脱いだ組の事務所が白昼堂々爆破されるに至ったので、彼らは人里離れた海辺の隠れ家に身を潜める。

 村川たちはここで束の間の休息を満喫しながら、手打ちになるのを待っていたが、しかし敵の殺し屋がこの隠れ家を嗅ぎつけ、村川の側近までもが殺されてしまう。さらには、東京の親分が村川の与り知らぬところで彼を破門にしていたという事実を知る。

 実は村川の親分は、自身の利益のために敵対しているはずの組と手を組もうとしており、そればかりか、何かと反抗的であった村川を、このどさくさにまぎれて厄介払いしようと画策していたのだ。これを知った村川は、自分を騙した姑息な古狸どもに落とし前をつけるべく、この裏切り者どもが集う場所へ、マシンガン片手にたった一人で殴り込みをかける……。

 ストーリーだけで言えば、ごくごくオーソドックスなノワール作品といったところだが、この遥か昔から繰り返されている裏社会の裏切りと復讐の古典的な題材を、我らが天才たけしは、デビュー作から培ってきた虚無的な暴力表現と、その同線上に描かれる独自性の強い笑い、そして終始、非映画的とも言えるような独特の間でもって解体・再構築し、現実と非現実の境界線をいとも容易に溶解させてしまう、白昼夢的な映像作品として作り上げてみせたのである。

 デビュー作『その男、凶暴につき』の時から既に顕著なこの独自の非映画的なスタイルをヘタウマと言ってしまえばそれまでなのだが、全くのデタラメであるかと言えばもちろんそうではなく、この方法論はたけしなりの秩序に基づいたブラッシュアップが繰り返され、監督第4作目にして、早くも「キタノ・スタイル」とでも呼べそうな一つの完成形に到達したと言える。

 以後、このスタイルに様々なアレンジを施しながら作品を撮り続け、「世界のキタノ」と呼ばれるに至ったわけである。

 10数年ぶりに本作を見て、以前見た時と同じ印象を受けた部分と、そうでない部分とが一つずつあった。以前と同じ印象を受けたのは、村川たちが海辺の隠れ家で束の間の休息を満喫するシーン。これは当時も今も、本作におけるハイライトではないかと私は思っている。

 人里離れた隠れ家で、危険はなくなったものの、今度は退屈で仕方ない。やることといったら街で買ってきた酒を飲むくらい。派手なアロハシャツに着替え、すっかり締まりのなくなったヤクザたちは、いつしか子供じみた遊びに興じるようになる。

 いい年こいたヤクザたちが紙相撲でトントコ遊んだり(このシーンでの「舞の海」ギャグが最高に笑える)、今度はそのまま砂浜で人間紙相撲ごっこに興じたり、ロケット花火を互いに向けて撃ち合ってキャッキャはしゃいだり、弟分たちを落とし穴に落っことしてゲラゲラ笑ったり、ほとんど中学生の夏休みみたいなことをして暇をつぶすのである。

 で、この「暇つぶし」のくだりがけっこうダラダラ続くのだが、これが何んともユーモラスな味わいがあり、こういう遊び心はたけしならではの感性だなぁとつくづくそう思う(『キッズリターン』なんかにもこの手の遊び心がよく表れている)。

 先述したとおり、このシーンは今回あらためて見た時も、中学生の頃に見た時と同じように楽しめた。ほとんどこの「暇つぶし」のシーンばかりが記憶に残っていたと言っても過言ではない。では逆に、以前見た時と違う印象を受けたシーンはどこかというと、それは銃撃シーン全般である。

 もともとストイックで熱のない、ひんやりとした暴力表現が北野作品における大きな特徴の一つでもあるのだが、そんな中でも本作の暴力描写、ことに銃撃シーンはもはやシュールの領域に達していると言っても過言ではない。ビシャビシャと飛び散るその血糊の量に反して、アクションの方はほとんど静止画に近いような抑えに抑えた演出が為され、肉体的な躍動感というものが全くもって欠如しているのだ(もちろん意識的に削ぎ落としているのである)。

 男たちは実に無防備に体を開いたまま、棒立ちの状態で銃を撃ち合い、完全なるコミュニケーション不全のままバタリバタリと倒れていく。銃撃戦で撃ち殺されたというよりは、流れ弾に当たって無感動に死んでいくといった感じだ。

 中学生の時分にこれを見たときは、このあまりの熱のなさ・無感動さに、何だかいまいち物足りないような印象を受けたのだが、今回改めてこの摩訶不思議な銃撃シーンを見てみると、意外や意外、かなり面白い。思った以上にツボにハマった。

 風変りな銃撃シーン数あれど、ここまで肉体的な興奮や恐怖感とかけ離れた、まさに白昼夢のような銃撃シーンは見たことがない。もしかしたら何かしら元ネタがあるのかもしれないが、それにしてもここまでヘンテコな銃撃シーンは、同じ北野作品においてさえなかなかお目にかかれない。

 暴力や死というものを不条理そのものとして表現し、それを突き詰めてゆくと、もしかしたらこういう映像表現にたどり着くのかもしれない。このような不可避的な不条理として死を突き詰めてゆくスタイルもまた、北野映画(特に初期作品)における大きな特徴の一つだ。

 映像表現としても他に類を見ない摩訶不思議な独自性を持つ北野映画であるが、キャスティングにおいても、これまた一筋縄ではいかない絶妙なセンスを持っている。最も意表を突いたキャスティングは、やはり『3‐4x10月』におけるたけし軍団(特に主演の柳ユーレイ)の大胆な起用だと思うが、『ソナチネ』においてもその絶妙なセンスが光っている。

 まずは北野映画を代表すると言ってもいい寺島 進と大杉 漣。二人とも主人公・村川の子分・弟分を好演している。この2人は本当に北野作品の映像にぴたりと合う顔をしていると思う。そして沖縄のヤクザを好演している渡辺 哲と勝村政信。どちらも絶妙な配役だと思うが、特に渡辺 哲に関しては、私はこの映画での彼がいちばん好きである。

 他にも、まだ駆け出しの頃の津田寛治がチンピラ役で出ていたり、最近よくテレビで見かける神田瀧夢がヒロインを犯そうとする役で出ていたり、こういった細かな配役を見ているだけでもかなり楽しめるのだが、本作における最も絶妙な配役は、やはり殺し屋役にチャンバラトリオの(ハリセンを考案したことでも有名な)南方英二を持ってきたところだ。

 チャンバラトリオのメンバーはもともと東映の斬られ役出身だそうで、そこを買ったかどうかは知らぬが、こういうキャスティングはやはり、たけしならではと言えるだろう。

 やはり、こうやって一つひとつ挙げていくと、北野映画というものは、世界の映画史においてもかなり特異なところに位置しているのではないか、と改めてそう思わされる。しかしそれでいてカルトに埋もれなかったところが、我らがたけしの凄いところだ。

 

(2012年5月1日)

プロフィール

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わがままコブラ
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生年月日
1984年5月2日
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