第35回『ハロルドとモード/少年は虹を渡る』

自殺少年とアナーキー婆さん

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『ハロルドとモード/少年は虹を渡る』
(Harold and Maude)
1971年:アメリカ
監督:ハル・アシュビー


 芸能界をはじめ、何かと「年の差婚」が話題に上る昨今であるが、本作は19歳の少年と79歳の老女による恋愛を描いている。「いくら何でも無茶な……」と見る前は思ったが、最初は奇を衒ったシチュエーション・コント風に仕掛けておきながらも、最終的には生や死や愛といった普遍的テーマを軸にした、じわりじわり胸に迫るような真っ当な人間ドラマに帰結させている。

 『チャンス』(1979年)なんかもまさにそうだが、ハル・アシュビーという監督は、こういった異色なストーリー展開から普遍的な人間ドラマを引き出すのがすこぶる上手い(90年代以降の監督では、デヴィッド・フィンチャーなんかも、この手の才があるんじゃなかろうか)。

 本作の主人公ハロルドは、大豪邸に母と二人で暮らしている。何不自由ない生活だが、お高くとまった社交生活にしか興味のないこの母親からは、傍目にも親らしい愛情というものが感じられない。それゆえか、ハロルドはいつも感情のない青白い顔をして、生きることにこれといった喜びも見出せず、毎日のように「自殺ごっこ」に身をやつしている。

 ある時は首吊り死体を、またある時はプールの溺死体を演じ、挙句はバスタブの中に全身血まみれで横たわってみせたりする。もちろん実際には何一つ傷を負ってはいない。あくまで「ごっこ」なのである。母親は彼のこの奇行に慣れっこになってしまっているので、「あんた、いい加減そんなつまんないことすんのやめてよね」くらいの小言を言うだけだ。

 それなりに心配らしい心配をしてみせたりはするものの、しかし親身になって息子の話に耳を傾けようとはせず、ただ不肖の息子を精神科医のカウンセリングに通わせるだけである。息子の奇行の原因を考えようともしないのだ。

 ハロルドのこの「死」に対する執着は、家庭内での自殺ごっこに留まらない。

 彼は愛車の霊柩車で見ず知らずの他人の葬儀に駆けつけては、何食わぬ顔でその葬儀に参列し、悲しみに暮れる人たちの中に静かに佇む。まったく、どこまでも陰気な趣味であるが、そんな彼と同じく、人さまの葬儀に何食わぬ顔で参列している老女を見つけるハロルド。彼女の方でもハロルドのことが気になったらしく、「私たち仲良くなれそうね」と気さくに話しかけてくる。

 モードという名のこの老女は、廃車になった一両列車を住みかにして一人で暮らしている。彼女は町に出れば人さまの車を勝手に乗りまわし(しかも無免許)、ペットショップのカナリアを勝手に“解放”し、排気ガスにさらされてかわいそうだと、街路樹を勝手に引っこ抜いて山へ植えに行く。

 パトロール中の白バイ警官に止められようものなら、警官の隙を突いて白バイを拝借し、アクセル全開でブッ飛ばすアナーキーぶりを見せる。傍から見ればただのキチガイ婆さんだが、世間の常識にとらわれずに自由奔放に人生を謳歌するモードの生き方に、ハロルドは次第に心惹かれてゆく。

 「動物園も刑務所も定員オーバー……なぜ世の中は未だに檻が好きなのかしら?」

 「国境や国家や愛国心に、一体どんな意味があるの?」

 自由と権利と正義は必要不可欠だと話すモードは、どうやら若い頃に反体制運動に積極的に参加していたようである。彼女は気の違ったトラブル・メイカーなどでは決してなく、年老いてもなお自分なりの方法で世の常識という名のまやかしに抗い続けていたのだ。

 自然を愛し、芸術を愛し、歌いたいように歌い、踊りたいように踊る。モードのような虚栄心のない大人は、ハロルドの周りには今までいなかった。

 肩書きだけで選んだような相手と結婚しろと迫る母、軍隊へ入れば輝かしい未来が待っていると言う叔父(かつてマッカーサーの右腕だったというこの叔父には右腕がない)……ハロルドにとっては、どれもこれもが信用できない言葉ばかりだ。

 そんな嘘で塗り固められたような大人たちとは全く違う生き方をするモードを、ハロルドはいつしか本当に愛するようになる。そしてとうとう二人は男と女として結ばれ、ハロルドはモードとの結婚を決意する。

 がしかし、モードの80回目の誕生日を二人で祝っている時、彼女から「さっき睡眠薬を飲んだから、あと一時間もすればお別れよ」と告げられてしまう。おそらくモードは自身の死にも「自由」を求めたのだろう。つまりは“自分の死は自分で決める”という選択をしたのではなかろうか。

 ハロルドは何とかしてモードを助けようとするが、時すでに遅し……彼女は帰らぬ人となる。

 悲しみに暮れたハロルドは愛車の霊柩車をブッ飛ばし、断崖絶壁からダイブする。しかし大破したのは車だけ。崖の上でしばらく佇んでいたハロルドは、モードからもらったバンジョーをポロンポロンとつま弾きながら、どこかへ向かって歩き出す。足取りは軽い。おそらく彼は全てのしがらみを断ち切って、これからは自分なりの生き方で「自由」に生きていくに違いない。

 このラストシーンでのバンジョーのポロンポロンという音色が何とも言えず、胸の奥にじぃ~~んと沁み込んでくる。

 疑似的な「死」をくり返し、自分の生きる道を完全に見失っていたハロルドが、愛する人の本物の「死」を乗り越えたことで、やっと自分らしい生き方を見つける……かなり異色なストーリー展開でありながら、正味のところはかなりオーソドックスな悲恋もの、普遍的な人間ドラマだ。

 しかしこれは凡庸ということでは決してなく、かなりクセのある反骨的でブラックな笑いが作品全体を覆っているので、ヒネクレた映画ファンでもお腹いっぱいになること請け合いだ(日本映画だと川島雄三とか岡本喜八あたりの作品に近いだろうか)。

 

(2012年3月16日)

プロフィール

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ニックネーム
わがままコブラ
性別
男
生年月日
1984年5月2日
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