第31回『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』

アートの沙汰もカネ次第


『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』
(Exit Through the Gift Shop)
2010年:アメリカ、イギリス
監督:バンクシー


 たしか小林秀雄の文章だったと思うが、芸術にとっての社会性なんてものは、結局それでメシが食えるかどうかでしかない、というようなことを何かの本で読んだ記憶がある。これは当たり前といえば当たり前の話なのだが、しかし素直には受け入れ難いシビアさも感じる。

 もちろんカネにならない芸術がダメだなんて私は微塵も思わないし、本当に自分が面白いと感じたものにこそ真価があって、世評なんてものは全然当てにならないのだ……なぞと常日頃からうそぶいてはいるのだが、しかしそれでもアートとビジネス、もっと言ってしまえばアートとカネの関係性というやつは、どうしたって無視出来るものではない。

 世が資本主義というシステムで成り立っている限り、どんなアートも「売れてなんぼ」というシビアな現実の中で消費されていく運命にある。ブランド化した作家のネームバリューがその作品の経済的な価値を左右するのだ。本作は、そんなアートとカネにまつわる複雑怪奇な関係性を、アーティスト側の一視点で捉えたドキュメンタリーである。

 しかもそのアーティストというのが、本来「カネにならない」ことが大前提であるストリート・アーティスト(グラフィティー・アーティスト)なのだから、これまたひとくせあって面白い。本作の監督を務めた謎の覆面ストリート・アーティスト、バンクシー自らが語るように、本作はまさに「感動大作じゃないけど、為になる映画」であると思う。

 ところで、本作の主人公はそのバンクシーではなく、ロサンゼルスで小洒落た古着屋を営む妻子持ちのフランス人、ティエリー・グエッタである。彼は原価からは考えられないような法外な値段を付けた古着をお洒落好きな若者相手にバンバン売り捌き、そこそこに潤った生活を送っている(この何でもない物に付加価値を付ける上手さが、後々彼に大変な成功をもたらすことになる)。

 そんなティエリーには一風変わった趣味がある。どこへ行くにも常にビデオカメラを持ち歩き、これといった目的もなくただただ撮りまくるのだ。自分の家族はもちろんのこと、知人だろうが見ず知らずの他人だろうがお構いなし。何でもかんでもとにかく撮って撮って撮りまくる。

 ある時、休暇で故郷のフランスへ帰省したティエリーは、スペース・インベーダーの名でストリート・アーティストの活動を行っている従兄弟に感化され、ストリート・アートの世界にハマってゆく。彼はその持ち前の素人カメラマン根性を活かし、数々の大物ストリート・アーティストの路上活動に同行しては、彼らのスリリングな作業過程を次々とカメラに収めてゆく。

 そしてそれだけでは飽き足らず、ティエリーはアーティストたちの活動そのものを全身全霊でサポートするようになる。彼のこの献身的な姿勢にアーティストたちも次第に心を許し、これまで謎の多かったストリート・アートの世界の貴重な映像もどんどん増えてゆく。

 しかし彼のこの記録行為には、クリエイティヴな目的意識は全くない。撮り貯めた映像を編集するでもなく、ただ無目的に撮り続けるだけなのだ。ティエリーは自分がエキサイティングなアート活動の場に居合わせているということを、刹那的に楽しんでいるだけなのである。

 そんな中、ティエリーにもどうしても出会うことの出来ない大者ストリート・アーティストが一人いた。それが後に本作の監督となったバンクシーだ。

 主にイギリスで活動しているバンクシーだが、街中での落書きに留まらない彼のエキサイティングかつ社会的示唆に富んだ風刺的なパフォーマンスは各方面で物議をかもし、彼を世界的な大者アーティストに押し上げた。しかしその名声とは裏腹に、彼は未だに公の場で素顔を見せたことがなく、プロフィールも一切明かしていない謎だらけのアーティストなのである。

 「どうしてもバンクシーだけは撮っておかなくては……」

 ティエリーは、どうにかしてこのストリート・アート界最大の大物にして最大の謎であるバンクシーの姿をカメラに収めたいと思っていたが、どのアーティストを通してもバンクシーへつながる糸口を見つけ出すことが出来ないでいた。

 そうして月日は過ぎ去り、もはやバンクシーと出会うことは不可能かに思われたが、ひょんなことからロサンゼルスでバンクシーをエスコートする役がティエリーに回ってくる。

 ティエリーはこのまたとないチャンスをフルに活かし、それまでに知り合ったアーティストたち同様、バンクシーの活動に昼夜構わず同行し、そして全身全霊で彼をサポートする。かくしてティエリーは、世界最高のストリート・アーティストの信頼を得るまでになる。バンクシー自身、基本的に一過性であるストリート・アートの記録をそろそろ残しておく時期ではないかと考えていたので、この熱心な崇拝者の記録活動を了承したというわけである。

 そして「撮り貯めた映像をそろそろ作品にしたらどうだ?」とバンクシーに勧められ、一念発起したティエリーは、膨大な量のテープを丸一年かけて編集し、とうとう映画を完成させるが、出来上がったのは、膨大な数の映像を何の脈略もなくグチャグチャに繋ぎ合わせただけの代物で、狂ったようなザッピング映像が延々と垂れ流されるばかり。ティエリーには完全にクリエイターとしての才能が欠けていたのだ。このあまりにも酷い代物(作った本人はそう思っていないようだが)を見せられたバンクシーは、ティエリーが「精神に問題のあるカメラオタク」に過ぎないと悟る。

 ティエリーによるストリート・アートのドキュメンタリー制作をあきらめたバンクシーは、ティエリーの関心を他へ向けさせるために、何の気なしにティエリー自身にアート活動をするように勧めるのだが、これがまたティエリーの俗物根性に火をつけることになる。

 世界的な大物アーティストに自分が本当にやるべきことを啓示されたと思い込んだティエリーは、またもや一念発起。しかも今度は成功している古着屋まで売り払って、全財産をかけたアート活動を開始してしまう。そしてここからのティエリーの暴走ぶりが半端じゃない。

 アーティストとしての経験が全くないにも関わらず、何を勘違いしたのかティエリーは美術スタッフを雇って自身の工房を立ち上げてしまうのだ。

 しかもティエリー自身は実質的な制作には手を出さず、ただ中身のないアイディアをスタッフに伝えるだけ。あとはスタッフが言われたとおりの作品をこしらえてくれるというわけである。ティエリーはこの安易な方式で次から次へと自身の作品を量産してゆく。
 
 バンクシーをはじめ、周りのアーティストたちはこのティエリーの暴走に苦笑することしか出来ないが、なにせ「世話になった」相手だけに頭ごなしに否定するわけにもいかず、頼まれた推薦文やコメントを仕方なく彼へ寄せる羽目に。

 そしてこの大物アーティストたちの推薦文を鵜呑みにしたメディアや俗物アート・ファンたちが、にわかにティエリーをアート界の大型新人として持て囃し始める。

 この憎めない変人のハッタリに惑わされ続けるアート業界の裏側を、今度はバンクシー自らがシニカルなドキュメンタリー作品としてまとめ上げたのが本作というわけである。

 すっかり時代の寵児となったティエリーの勘違いは留まる所を知らない。彼に関わったプロのスタッフたちは誰一人として彼に心酔していないのだが(というよりも完全に失笑しているのだが)、当人はそんなこととはつゆ知らず、完全なアーティスト口調で大言壮語を繰り返す。そしてそれを持て囃し、彼の作品の値段をガンガン釣り上げてゆくアート業界。

 ド素人のハッタリでしかない即席アートが、有名アーティストたちのお墨付き(それが本当の賛辞ではないにしろ)をもらったことにより、社会現象にまで発展してしまったのである。

 ティエリーの作品がアートとして面白いか否か、それは作品を見た人がそれぞれ独自で判断すればよいだけの話だが、しかしここで本当に問題だと思うのは、有名人が(あるいは有名な雑誌が)彼の作品を誉めただけで、アート・ファンたちが簡単にそれに乗っかってしまったということだ。そしてそれがそのまま、市場の大きなカネを動かすことにまで繋がってしまうのである。

 これはまさに冒頭でティエリー自身が営んでいた古着屋と同じからくりだ。作品(商品)そのものに価値がないのなら、後から付加価値を付け足して、もともと価値があったように見せて売り捌いてしまえば万事OKというわけである。

 「誰もがアートに関わるべきだと以前は思ってた……でも間違ってたね」(バンクシー)

 ティエリーがストリート・アートの世界に少なからず貢献したのは事実だが、しかしそんな彼自身がアートに手を出し、その人任せな即席アートが商業的に大成功してしまったことは、彼に関わったストリート・アーティストたちにとっては苦笑せざるを得ない出来事であろう。

 「ティエリーの成功は何を意味するのか……」

 さすがのバンクシーも、今回のティエリーの大成功には色々と考えさせられているようだ。

 「もしかしたらティエリーは本当の天才なのか、あるいは単なる運なのか……」

 商業的な成功という面においては、アートというものの在り方を根底から覆したティエリーはある意味でオリジネイターであり、革命家である。しかし肝心の作品制作は全部人任せ。スタッフたちがティエリー印の商品をせっせこ制作している傍らで、当のアーティストであるティエリーは商談の電話ばかりしている。どう見てもティエリー自身に作品制作に対する熱心さ、真摯な態度といったものは感じられない。ティエリーのアート活動の目的は、おそらく社会的・経済的に成功してセレブの仲間入りを果たすことにあるのだろう。

 その手の名誉欲自体はどのアーティストにだって多かれ少なかれあるものだとは思うが、しかし俗世間的なステータスとしての名声と、そしてそれに付いてくるカネが第一の目的になってしまっているようでは、何でもない古着を法外な高値で売り捌いていた頃と大差ない。古着よりはアートの方がカネになる、という程度の違いである。この映画においては(つまり「バンクシー目線」で見る限りでは)、ティエリーはアーティストというよりは、こすっからい商人だ。

 結局、ティエリーのような男はアート業界にとってどんな意味を持つのか? そもそも、「売れてなんぼ」の現代社会において、アートの存在価値なんてものはどこにあるのか?

 「もしかしたら、アートはジョークなのかも……」(バンクシー)

 もしアートがただのジョークであるなら、我々はただ単に、このティエリーという憎めない変人の、出来の悪いジョークに踊らされているだけなのかもしれない。

 

(2012年2月5日)

プロフィール

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わがままコブラ
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生年月日
1984年5月2日
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