第3回『北国の帝王』

泣く子も黙るオヤジたち


『北国の帝王』
(Emperor of the North)

1973年:アメリカ
監督:ロバート・アルドリッチ

 

 端から見て、「男の意地」というものほど馬鹿げたものもないだろう。それがいい年こいたオヤジの意地であればなおさらだ。頑固一徹、人の意見にゃ耳を貸さず、自分のこだわりに関してはテコでも動かない。ナウなヤングからすれば、これほど面倒臭い相手もいないだろうが、まぁ当節はそんなオヤジもほとんど絶滅してしまったようだし、草食系だ何だとヤング側も比較的おとなしい。

 そんな時代となれば映画だって例外ではなく、屈強なオヤジたちが活躍する映画なんてのはほとんど見かけなくなった。そばにいれば暑苦しくて面倒なオヤジたちだって、いざいなくなってみるとやはり寂しいものである。

 そら今どきの映画にだって「渋いオヤジ」的ポジションはあるにはある。がしかし、そこにいるのがトミー・リー・ジョーンズや渡辺謙じゃ何だか物足りない。やはり我々人類にはジョン・ウェインや三船敏郎が必要なのだ。

 トミリーやナベケンが果たして荒くれ者のインディアンや野武士とガチで渉り合えるだろうか? 早撃ちや居合いでサクサクッと相手をやっつけてキマる風格があるだろうか?

 こんな「オヤジ不在」な今だからこそ、私は声高に叫びたい。

 「リメンバー・オヤジ!!」と。

 かつて屈強なオヤジたちが「男の意地」をかけて闘うような映画がわんさとあった時代、それら数ある傑作の中でも、群を抜いて骨太な存在と言えるのが本作『北国の帝王』であろう。なんたってタイトルが凄いではないか。

 北国の帝王!!

 エンペラー・オブ・ザ・ノース!!

 仰々しいにもほどがある。

 しかし一体、何をもってして「帝王」なのか?

 時は1930年代初頭、未曾有の大不況に喘ぐアメリカには、「ホーボー」と呼ばれる浮浪者たちがいた。彼らは列車に無賃乗車しながら、あっちへこっちへ移動する無法者である。いくら「自由の国」とはいえ、そんな無法者らをただ指をくわえて見ているだけのアメリカではない。

 オレゴン州はウィラメット・バレーを走る19号列車の車掌シャック(アーネスト・ボーグナイン)は、そんなホーボーたちを見つけては情け容赦ない鉄槌を下す地獄のぽっぽや。

 職務に忠実なのか根っからの殺し屋気質なのかは分からないが、のっけからホーボーの頭をトンカチでかち割ったりする凶暴さを見せる(線路上へ落っこちたホーボーは、腰のあたりからザックリ轢断されて真っ二つに……)。

 そんな鬼のようなシャックは、巷のホーボーたちから恐れられていたが、しかしホーボー界きってのヒップスター「Aナンバーワン」(リー・マーヴィン)だけは、鬼車掌シャックの裏をかいて19号列車にまんまとタダ乗りすることに成功し、巷のホーボーたちから崇められる。

 そう、何を隠そう、このAナンバーワンこそが「北国の帝王」なのである。要は「無賃乗車の帝王」というわけだ。

 いやいや、何も馬鹿にしているわけではない。銀幕の向こうにいるオヤジたちはいつだって本気だ。Aナンバーワンは文字通り命を懸けて無賃乗車しているのである。これを「男の意地」と言わずして何と言おう。というか、こんな話が一本の映画として立派に成り立つ時代というのも凄い。

 この映画、時間にして約2時間ほどあるわけだが、その2時間がほぼ「無賃乗車の帝王 vs 鬼車掌」の戦い(という名の意地の張り合い)に割り当てられる。

 最初はちょっとした嫌がらせ合戦だったのが、終盤に向かうにつれ、本格的な血みどろの肉弾戦へと突入してゆく。もう完全な殺し合いである。と同時に、タダ乗り以外に命を懸けるものがない男と、タダ乗りした者への天誅以外に生きがいを見い出せない男との、孤独な頑固オヤジどうしによる激しい恋愛劇であるとも言えよう。

 それはそれは壮絶な恋愛だ。世界は二人のために、である。

 途中、この「大人の真剣勝負」に割り込んでくる若造(キース・キャラダイン)もいるが、リー・マーヴィンとアーネスト・ボーグナインという二大怪獣を前にしては、もはや手も足も出ない。出るわけがない。せいぜい虚勢を張るのが精一杯だ。

 端から見れば下らないことこの上ない「男の意地」(しかも、いい年こいた「オヤジの意地」)というものを、ここまで真摯に描き切った作品はそうないだろう。

 

(2009年6月23日)

プロフィール

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わがままコブラ
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生年月日
1984年5月2日
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