第280回『ヒンド・ラジャブの声』

密室の戦場/非情の銃弾に引き裂かれる肉体と精神

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『ヒンド・ラジャブの声』
(The Voice of Hind Rajab)
2025年:チュニジア、フランス
監督:カウテール・ベン・ハニア


 事前にラストまで全て内容を把握している状態で見たのだが、それでも本編を見終わった後にめまいがするような凄まじい作品だった。イスラエル軍による攻撃が続くパレスチナのガザで2024年に実際に起きた凄惨な市民虐殺を、ドキュメンタリー・タッチの劇映画として告発的に描いたもの。

 作品の形式としては劇映画であるが、劇中で使われる銃撃を受けた少女からの通話音声は当時実際に録音されたもので、一部動画も当時の惨状を伝えるために実際のものが(特に終盤に)使われている。本作にあっては虚実皮膜的な劇的効果を狙うようなものではなく、反人道的な蛮行を世界に知らしめるための、かなりストレートな告発的意図として用いられていると捉えてよさそうだ。

 2024年1月29日、パレスチナの人道支援組織「赤新月社」のオペレーターが緊急通報を受ける。最初はドイツ経由で男性から「ガザにいる姪たちが戦闘に巻き込まれた」との内容で、オペレーターがすぐさま教えられた姪のスマホ番号に電話をかけると少女が出るが、激しい銃撃音と共に音声は途切れてしまう。混乱状態の中、市民の一般車両がガソリンスタンドでイスラエル軍の攻撃を受け、乗車していた複数名が無残にも死亡し、しかしまだ6歳の少女だけが生き残っていることが判明する(最初の電話に出たのはこの6歳の少女の姉だが、通話中に銃撃を受け死亡してしまった)。

 激しい銃撃を受けた車内で、唯一生き残ったこの幼い少女の名前が、本作のタイトルにもなっているヒンド・ラジャブだ。姉や親戚たちの血まみれの死体に囲まれた狭い車内に身を隠した6歳の少女が、たった一人で死の恐怖と向き合わされている状況は想像しただけで気が遠くなる。

 「ひとりぼっち」「恐い」「早く助けて」と力なく懇願する少女に対し、オペレーターたちは絶えず声をかけ続け、安心させ励まし続けるが、現地の救急隊員を向かわせればたった8分で着くはずの道のりも、戦闘状態とあっては簡単に隊員たちを向かわせるわけにはいかない。事実、これまでも多くの隊員たちが戦闘地域での活動中に命を落としているからだ。

 「赤新月社」の調整役はあらゆる方面に協力を仰ぎ、隊員たちが少女の待つ車両まで安全に向かえるルートを確保するよう尽力するが、時間ばかりが無情に過ぎ去ってゆき、その間も電話口からは激しい銃撃音と少女の恐怖に怯えた悲痛な叫びが聞こえ続け、電話越しに少女を励ますことしか出来ないオペレーターたちも精神的にどんどん追い詰められてゆく。

 そして少女にとってもオペレーターたちにとっても地獄のような数時間が経過し、ようやく関係筋から安全なルートを確保したとの連絡が入る。「赤新月社」はすぐさま現地の救急隊員を少女の元へ向かわせるが、しかしそこには血も涙もない戦争の現実が待ち受けていた……。

 先述したように、本作はかなりストレートな告発的意図によるドキュメンタリー・タッチの作風である。おそらく事件当時の再現性にも強くこだわっているように思われるが、しかしながら映画作品としての形式は完全なるドキュメンタリーではなく、あくまで劇映画だ(作り手によるフィクショナルな要素がどの程度入り込んでいるかは、私には明確に判断しようがない)。

 たまたま本作を見る直前に、『SOSタイタニック/忘れえぬ夜』(1958年)という作品を見ていたが、両作の作り手の製作意図はもちろん大幅に異なるであろうが、現実に起こった凄惨な出来事を、ドラマ性と劇的(エモーショナルな)盛り上げを一切用いずに、出来得る限り冷徹に作り込んでいるというところで、『ヒンド~』と『SOS~』には通底する作品性があるように思った。

 もしかしたら予算的な問題などもあろうが、『ヒンド・ラジャブの声』は、作品の構成としては、ほぼ「赤新月社」のオフィス内のみで話が進行される密室劇だ。映画的ジャンルとしては戦争映画と言えるが、戦闘シーンが直接的に描かれることはなく、事件当時の実際のものが用いられた通話音声から聞こえてくる銃撃音だけが、本作における(間接的)戦闘描写である。この点における作り手の意図は私には分からぬが、この密室劇に徹した作りこそ、本作における肝だと私は思っている。

 直接的な戦闘シーンなしの密室劇でいかに戦争というものの悲惨さを伝えるか(見る者にそれを想起させるか)、というところを劇映画(形式上は完全なドキュメンタリーではない)として追求してみせたところに、本作の巧さと凄味とを感じる。先述したように、作り手の直接的意図としては、現在進行形で続くイスラエルによるパレスチナへの軍事攻撃(市民虐殺)に対する抗議・告発ということになろうし、もちろんその点が本作の存在意義として最も重要であることに間違いないが、そこにさらにプラスアルファとして、反戦意識の側から問う「戦争とは何か」という普遍的テーマを将来的に持ち続ける強度が、密室劇として描かれた戦争映画である本作にはある。

 直接的な戦闘の外側にいる人たち(人道支援組織のオフィス内にいるオペレーターや調整役たち)をメインに描きながら、戦争というものが、そこに関わった人間たちをどのように(肉体的にだけでなく精神的にも)ズタボロに引き裂いていくかを、本作は克明に描破している。反人道的に発射される非情の銃弾が、その標的となる人間の肉体を破壊すると同時に、そこに関わるあらゆる人間の精神も人生も粉々に破壊してしまう残酷さと恐怖を、本作は冷徹な筆致で描き切ってみせた。

 英雄譚でも感動作でもない、ひたすら冷徹な実録戦争ものとしての共通項を持つ映画として、近年では『ウォーフェア 戦地最前線』(2025年)があるが、戦闘現場の兵士たちの悪夢である戦闘シーンそのものの完全再現を目指した『ウォーフェア~』に対して、(直接的な)戦闘シーン皆無(電話越しの音声で聞こえる銃撃音のみ)の密室劇として描き切った『ヒンド~』はちょうど対照的な作りの傑作として興味深い。また、偶然だとしても、この混迷を極める2020年代の同時期に、ストレートに戦争の悲惨さ残酷さを突き詰めて描いた両作が作られていることもやはり興味深い。

 映画とは常にそれが撮られる時代性に沿う(強く反映/影響される)大衆心理的な映し鏡である。時代が残酷であればあるほど、映画の中でも多くの血が流れ、情け容赦ない残酷さが描かれる。『ヒンド・ラジャブの声』は見ていて正直かなりキツい残酷さがあるが、それはまさに今がそういう残酷さに満ちた時代であるからに他ならない(現イスラエルによる蛮行はその一部だ)。

 人類は進化しているようで、まだいくらでも野蛮に立ち返るという愚行を平気で行えてしまう。いくらテクノロジーが飛躍的に進歩しても、当の人間はごく短い周期で同じ蛮行や愚行を飽くことなく繰り返し続けている。ことに権力や富を独占し他者を支配・搾取したいという欲には尽く弱い。長い人類史の中で散々やり尽くされてきた野蛮な封建的社会にまた戻るのか、あるいはそういった過去の負の歴史から学んで別の社会を目指すのか、それは一握りの悪辣な権力者や金持ちではなく、世の大半を占める大衆側に属す人間たち一人ひとりがきちんと意識的に選択すべき事柄なのだ。

 

(2026年9月8日)

プロフィール

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ニックネーム
わがままコブラ
性別
男
生年月日
1984年5月2日
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