第279回『カルロス・カイザー』

稀代の詐欺師か天性の人たらしか ~虚と実のあわいを生きる男の物語~

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『カルロス・カイザー/サッカー史上最も奇妙な成功者』
2018年:イギリス、ブラジル
監督:ルイス・マイルズ


 サッカー大国ブラジルで、1980年代~90年代にいくつものサッカー・クラブ・チームを渡り歩き、実に26年もの間、「サッカーをしない(ボールに触れない/ピッチに立たない)プロサッカー選手」としてサッカー界に居座り続けた男、カルロス・カイザーの素顔に迫るドキュメンタリー作品。

 監督はテレビや広告の世界で数多くのスポーツ関連作品に携わってきた、イギリス人のルイス・マイルズ。彼がプロデューサーからカイザーの存在を教えられ、この人物のことを映画にしてみないかと提案されたのが本作の製作に至る経緯だそうである。

 



マイルズ監督インタビュー記事
https://www.cinema-factory.jp/2026/08/08/111492/

 



 まず何よりも重要な点は、カルロス・カイザーという男にサッカーの才能は微塵もない、ということだ。では、そんな彼が一体どうやって26年もの間、プロのサッカー選手を生業とすることが出来たのか? しかも世界最高峰のサッカー大国であるブラジルで。

 本作はそこをカイザー本人をはじめとする、当時の関係者多数(サッカー選手やサッカー業界に携わっていた人々)へのインタビューから明らかにしていく。

 そもそも、どうやってプロのクラブ・チームに入団するのか? 最初の決め手は彼の「履歴書」だ。既にこれまで他のクラブ・チーム(海外など)での実績があるように偽って自分を売り込む。この時点でかなり怪しいが、彼はそれなりの「証拠」(選手としての証明書やユニフォーム、練習時の写真など)と嘘八百の巧みな話術で、この最初の難関をいともたやすく乗り越えてしまう。

 彼の用意する「履歴書」も「証拠」の数々もいくらでも偽造出来るわけだが、80年代当時は現在のようにインターネットで世界中の情報を調べられるわけでもなく、おそらくサッカー業界自体にもそれなりのユルさや隙間があったのだろう(そもそもクラブ・チームのオーナーに裏の顔を持つ大物マフィアがいたような時代だ。彼らは裏稼業で儲けた大金をサッカー事業に注ぎ込んでいた)。

 しかし当然ながら、練習の時点でカイザーにサッカーの才能がないことなどすぐにバレてしまう。監督や周りの選手は一流のプロばかりなのだ。それでもカイザーは図々しくプロ選手として所属し続けた。体調不良や怪我を装って練習をサボり、試合にもやはり怪我や病気を装って出場しないように逃げ続ける。とにかく「ボールに触らない」「ピッチに立たない」ことを徹底するのだ。

 クラブ・チームに入団した時点で契約金は手に入るので、彼はそうやってのらりくらり「サッカーをしない」選手生活を続けながら、潮時と思うと数週間や数ヶ月で今いるクラブ・チームを辞め、また別のクラブ・チームに同じ要領で入団する。こうして、各地のクラブ・チームを渡り歩けば歩くほど、彼の履歴書には華々しい「過去の実績」が増えていくという寸法だ。そしてそれがそのまま、新たなクラブ・チームへ入団するための足掛かりとなる。

 また、彼はとにかく口が達者で、天性の人たらしとしての才能が備わっていたため、クラブ・チームの他の選手たちともすぐ仲良くなり、特にスター選手やクラブ・チームのオーナーといった大物に取り入ることも朝飯前であった。嘘八百の「騙し」のテクニックとも言えるが、人の懐に入るための明るさや親しみやすさを、生まれながらにして持っていたと言えるだろう。褒められた生き方ではなかろうが、彼の根っこにある性質がある種の(特殊な)「人徳」を伴っていることは確かだ。

 インタビューで当時のカイザーのことを振り返る当事者たちが、皆一様に(半ば呆れ返る感じで)笑いながら彼のことを話しているのが印象的である。「あいつは完全な詐欺師で、ブラジル・サッカー界の面汚しだ」と全否定しながらシリアスに語るジーコがむしろ異例な存在に思えるほどだ(ジーコの言っていることも何ら間違ってはいないのだが)。

 カイザーはあるクラブ・チーム在籍時、同じチームにいた正真正銘の実力を持ったストライカーの(ハンサムで女たらしで人気者でテレビでも活躍していた)スター選手であるレナト・ガウショと仲良くなり、たまたま顔の雰囲気もお互いに似ていたため、カイザーはガウショの髪型や服装を真似て、自らも「スター選手」であるかのように夜の街に繰り出すようになる。

 サッカーの才能は皆無のカイザーだが、夜の街を遊び歩くことにかけては天才的であった。ここでもやはり天性の人たらしを大いに発揮し、夜の盛り場のVIPルームに入り浸っては、様々な有名人や美女たちと交流を持ち、「スター選手」としての顔を売って歩きながら遊びまくった。こうして夜な夜なナンパした美女たちを、同じチームの若い選手たちやオーナーなどに夜のお相手として斡旋するという、ほとんどポン引きまがいのことまでしているが、こういった「サービス」精神も、彼がサッカーをしないままプロのクラブ・チームに居座り続けることを可能にしていたのである。

 



 彼(※カイザー)はいつも、相手が好きなものに焦点を当てました。それが、彼にとってのいわば「担保」だったんです。そうすると、こちらは何か借りがあるように感じる。それが、彼の人間関係を動かす仕組みでした。彼は盗みも強盗もしませんでした。その代わりに、相手に特別な体験を与え、後で自分が頼み事をする時に、お返しをしてもらう。それが彼のやり方でした。
 

( ルイス・マイルズ監督 インタビューより )

 



 偽サッカー選手あるいは稀代の詐欺師として、もはや向かうところ敵なしに思えたカイザーだったが、そんな彼にも最大のピンチが訪れる。彼がある時期に在籍していたクラブ・チームのオーナーは裏の顔を持つ大物マフィアで、練習を怠けている選手などを見つけた際は、その足元にいきなり銃で威嚇射撃をして無理やりにでも練習をさせる、という超危険人物であった。

 カイザーはこの超危険人物のオーナーの懐にも見事に入ってみせ、可愛がられていたが、しかしオーナーから絶対に試合に出るよう厳命されたとき、カイザーの逃げ道はとうとう完全に閉ざされてしまう。試合に出ればサッカーの才能など全くないことがバレ、そんなことになれば、彼に多額の契約金を払っている大物マフィアのオーナーが黙っているわけがない。下手をすれば殺される可能性すらある。絶望的な気持ちで試合のピッチに立ったカイザーは、野次っていた観客を見つけると、瞬時に客席に飛び込み、この客を殴りつけて乱闘騒ぎを起こす。案の定、カイザーはそのまま退場させられ、とりあえず試合には出ずに済んだ。大胆な奇策を成功させたが、問題はこの後だ。

 当然ながらカンカンに怒ったオーナーに問い詰められたカイザーは、「あの客がオーナーの悪口を言ったから許せなくて殴ったんです!! あの野郎はオーナーのことを麻薬の売人だとか、そんなことまで言いやがった!! 俺はそれが許せなかったんです!!」と口から出まかせにまくし立てた。するとこの真っ赤な嘘が見事にオーナーの心を打ち、なんとカイザーの契約期間をさらに延長するとまでオーナーが言い出す始末であった。これには周りの選手も「なんじゃそりゃ?」と呆れ果ててズッコケるしかない。詐欺まがいの生き方も、ここまでくるともはや芸術である。

 このような、にわかには信じがたい珍エピソードの数々が、当のカイザー本人と当時の関係者たちの口から次々と語られ、その再現VTRも交えながら、まるで『シティ・オブ・ゴッド』(2002年)のようなファンキーな疾走感で、「サッカーをしないプロサッカー選手」という前代未聞の人生劇場が展開されてゆく。まさに実録犯罪映画を見ているようなスリリングな面白さだ。

 しかしここからさらに凄いのが、このどこまでもラテン的で能天気なテンションで突っ走りながら、最後の最後で、とある「疑惑」を作り手側からカイザーに突き付けると、それまでのカラッとした作風から一気にシリアスな重さを持った山場へと話が急展開する。この終盤の追い込みで、それまでサングラスを外さずに意気揚々とあることないこと喋りまくっていたカイザーが、とうとうサングラスを外し、自身の虚構的人生についての心情を涙ながらに震えながら語り始めるのだ。稀代の詐欺師による、この涙ながらの心情吐露自体が本当か嘘なのかも分からなくなってくる。

 この終盤の突然の展開によって、嘘に嘘を重ねる稀代の詐欺師の人生をドキュメンタリーで語ること自体が、メタ的な虚実皮膜の「劇」と化すことに気付かされる。サングラスを外したこの顔が彼の本当の「素顔」なのだろうか? 一体、どこからどこまでがこの男の「ペルソナ」なのだろうか? そもそもカイザー自身が、己の虚と実の境い目を明確に自覚し切れているのだろうか? そんな疑問と衝撃が押し寄せて来るような強烈なワンパンチを、本作は最後の最後でかましてくるのだ。

 ドキュメンタリーで被写体の虚と実のあわいを探る内容という点において、本作は『全身小説家』(1994年)、『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』(2010年)、『虚空門 GATE』(2019年)といった作品に通底するものを感じる。嘘で塗り固めた人生に脆さと儚さを覚えつつ、それでもこの「嘘」「虚構」をどこまでも追い求める我々人間の性とその不可思議さに魅了される。

 カルロス・カイザーという男は、己の人生そのものを用いて、この「嘘」「虚構」を求める人間の性の底知れぬ不可思議さを体現してみせたと言えるだろう。


 



 ホントより、ウソの方が人間的真実である、というのが私の人生論である。なぜならホントは人間なしでも存在するが、ウソは人間なしでは、決して存在しないからである。
 

                                寺山修司

 



 

(2026年8月20日)

プロフィール

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ニックネーム
わがままコブラ
性別
男
生年月日
1984年5月2日
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