第276回『陪審員2番』

ハリウッド至高の職人監督、イーストウッドの尽きぬ底力

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『陪審員2番』
(Juror #2)
2024年:アメリカ
監督:クリント・イーストウッド


 『クライ・マッチョ』(2021年)の監督(兼主演)時で既にイーストウッドは90歳を超えていて、それでもここまで達者な映画作りをするのかと驚かされたが、そこからさらに3年を経ての次作がこの『陪審員2番』だ(こちらは監督業のみに徹している)。『クライ・マッチョ』は割と牧歌的なヒューマン・ドラマという印象が強かったが、こちらの『陪審員2番』はまたガラリと変わって、重厚で堅実な作りの法廷劇に、「真犯人はまさかの陪審員(しかも主人公)?」というかなり変化球的なサスペンス要素を絡ませた、現代のヒッチコック作品とでも言えるような逸品である。

 ある殺人事件の裁判に陪審員として参加することとなった主人公ジャスティン(ニコラス・ホルト)。現在妊娠中の妻と2人で慎ましく暮らす典型的なオネストマン(誠実な善人)タイプの好青年だが、彼にはアルコール依存症の過去があり、長年に渡る断酒生活を送っている。今回、陪審員として参加することとなった殺人事件の概要を初めて聞かされたジャスティンは愕然とする。

 ある日、山間の小さな橋の下で女性の死体が発見された。警察の調べでは、鈍器のような物で撲殺された後、橋の上から落とされたということになっている。ある晩、そのすぐ近くのバーで、被害者女性とその恋人の男が激しく言い争っている姿が目撃されており、この男が今回の裁判の被告人である。多数の目撃情報によれば、土砂降りの雨の中、夜道を一人で歩いて帰ろうとする被害者女性の後を、被告人の男が車で追いかけたということだが、当の被告人は「自分は彼女を追いかけずに、そのまま車で帰宅した」と否定している(もちろん殺人に関しても完全に否定している)。

 実はジャスティンもこのバーに事件と同じ時刻に居合わせていた。精神的に辛いことがあり、ついついバーで酒に手を出しかけてしまっていたのだ。酒を口にするのはどうにか思いとどまり、精神的にかなり不安定な状態で雨の夜道を車で帰宅し始める。すると橋の上で「何か」を撥ねてしまう。激しく動揺しながら車の周りを探すが何も見当たらず、橋の下を覗き込むも、夜なので何も見えない。橋には「鹿注意」の看板があり、彼は鹿を撥ねたのだろうと思い、その場を去った。

 あくまで状況証拠でしかないが、全てのタイミングがこの「殺人事件」とジャスティンの夜道での「事故」とを結び付けてしまう。もしジャスティンがこの被害者女性を「轢き逃げ」していたのだとすれば、被告人は全くの無実の罪で裁かれることとなってしまうが、ジャスティンが正直に名乗り出れば、事件当時の状況から「飲酒運転での轢き逃げ」と判定されることは目に見えており、そうなれば、ジャスティンと妊娠中の妻の人生は完全に破綻することとなる。「酒は飲んでいなかった」「鹿を撥ねたのだと思った」で言い逃れ出来る状況ではまずないだろう。

 本作はこの「ジャスティンの秘密」をサスペンス的な軸(大きな仕掛け)として、堅実な法廷劇を進行していく。「ジャスティンの秘密」が打ち明けられぬまま裁判は進み、その中で、ジャスティンの葛藤や、彼と妻の間の複雑な過去、他の陪審員たちの過去、そしてこの事件を担当する女性検事フェイス(トニ・コレット)の葛藤などを複雑に絡み合わせながら、何ともシビアで重厚な人間ドラマを丁寧に紡ぎ出してゆく。「真犯人は誰か?」というところがメインの推理もの(探偵もの・調査もの)ではなく、善悪の二項対立だけでは裁き切れない人間の因果や業を深く掘り下げている点が本作の根本的な面白さ、作品性の高さと言え、この点に関しては、マーティン・マクドナー監督の『スリー・ビルボード』(2017年)と並ぶ傑作である。娯楽サスペンスとしての出来の良さに、さらに人間ドラマとしての深みと奥行きを丁寧に付与している格調高い作品だ。

 「非政治的(打算的ではない)善人」(ジャスティン)と「政治的(冷徹で打算的な)悪人」(フェイス)という単純至極な善悪の二項対立に見えていた(こちらの単純な色眼鏡でそう見てしまう)序盤から、どんどん話が掘り下げられてゆくにつれ、「正義」「真実」というものを軸にしたそれぞれの葛藤から、最終的にはその立場や見え方が逆転していくような構図転換の流れを持たせていく語り口が絶妙である。「真犯人は誰か?」ということよりも、今現在、そこにある「疑惑」「隠し事」「(自分たちの幸せのために他人を不幸に追いやる)エゴイズム」「自己欺瞞性」といった生身の人間が生み出してしまう不誠実さに対して、個々のキャラクターがどんな「行動と選択」を取ってゆくのか、を描くことそれ自体にドラマ性を持たせ、作品の質とする……ここに大ベテラン、イーストウッドの枯れぬ底力のようなものを感じる(今作は脚本の出来もかなり良いのだろうと思える)。

 人間、どうしても善悪の二項対立で物事を見て、さらにその善も悪も主観的・恣意的な経験則と感情論から導き出してしまいがちである、ということを改めて痛感させられる作品だ。

 サスペンス的な仕掛けとしては、この事件に関しては全てが状況証拠のみしかない、という設定がシンプルながらかなり巧妙に活きており、ジャスティン自身ですら「本当に自分が真犯人かは分からない(その確証がない)」という状況で終始葛藤するしかなく、ここが最後の最後までスリリングな緊張感を作品全体に持たせている(この点はやはり脚本の良さではないかという気がする)。

 撮影や編集に関しては、派手なこと奇異なことは一切やらず、極めてシンプルな二者あるいは複数人の間で交わされる会話の切り返しを地道に積み重ねていく作りで、ここまで単調でありながらも、無駄なカットは一切なく、また話運びのテンポも小気味良いので、冗長さも退屈さも全く感じない。この点に関しては相変わらずイーストウッドの腕の良さに脱帽する(師匠シーゲル譲りの職人的腕前と言えるのではなかろうか。しかし90歳過ぎてもこの腕の衰えなさ……本当に恐れ入る)。

 90歳をとうに過ぎても、「まだあともう一本見たい」「まだもう一本……」と期待をさせられてしまう映画監督なんて、イーストウッドぐらいのものだ。

 出来ることなら100歳過ぎても撮っていてほしいとすら思ってしまうが、これをあながち無茶振りとも思わせないのは、我らがイーストウッドの凄味と存在感ゆえである。現役の巨匠、二つの世紀を跨いで活躍する現代最高の映画人の一人として、素直にリスペクトを捧げたい。

 

(2026年3月19日)

プロフィール

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わがままコブラ
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生年月日
1984年5月2日
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