第273回『ウェポンズ』(2025年)

児童集団失踪事件の謎を追え!!

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『ウェポンズ』(Weapons)
2025年:アメリカ
監督:ザック・クレッガー


 ある夜、同じ学校の同じクラスに通う児童17人が、同時刻に突然各々の自宅を飛び出し、そのまま夜の闇の中へ走り去って忽然と姿を消してしまう……という奇怪な事件が起こる。町中が騒然となり、警察も捜査を開始するが、何の手掛かりも得られぬまま、無情にも時間だけが過ぎてゆく。果たしてこの事件の裏には何があるのか? そして子供たちはどこへ消えたのか?

 典型的なアメリカ郊外の町で起こったこの怪事件を物語の主軸として、失踪児童たちのクラスの担任の女教師、ある失踪児童の父親、町の警察署に勤める警官、コソ泥の薬物中毒青年、失踪児童たちが通う学校の校長、そして同じクラスの中で唯一失踪しなかった一人の少年、という複数の主要キャラによる多視点でのエピソードがリレー形式で紡がれてゆき、バラバラだった点と点が最後はきれいな一本の線となって繋がる、サスペンス要素とスリラー要素の色濃いホラー作品だ。

 正味は至極シンプルなオカルト・ホラー(魔女譚)であり、物語自体に複雑さがあるわけではないが、ある種のグランド・ホテル形式のような多視点での複数のエピソードを、時間軸を前後させつつ、リレー形式で展開させてゆく構成それ自体にサスペンス性が色濃く宿る仕組みになっており、全体的に派手さはないものの、カメラワークや編集も抜群に良く、ゴアな人体破壊も盛り込まれたハードさを持ったホラー作品として、かなり丁寧に作り込まれた傑作である。

 また、ジュブナイル要素を持った郊外型ホラー作品としても、近年の同系統の『IT/イット "それ"が見えたら、終わり。』(2017年)、『サマー・オブ・84』(2018年)、『クローブヒッチ・キラー』(2018年)、『ブラック・フォン』(2021年)といった作品に連なる傑作でもある。

 このような郊外を舞台にしたホラー作品は、都市や田舎を舞台にしたホラー作品以上に、アメリカ映画のホラー枠におけるある種のお家芸とも言え、古くから『キャリー』(1976年)、『ハロウィン』(1978年)、『ポルタ―ガイスト』(1982年)、『エルム街の悪夢』(1984年)といった有名どころの傑作も多い。ジャンル的にはホラーというより犯罪ものだが、『ブルーベルベット』(1986年)もまさに、郊外生活の真裏に潜むグロテスクな暗部を描いた傑作と言える。

 表向きの明るさ健全さの真裏に潜む郊外生活特有の(都市生活や田舎生活にはない)暗さや寂しさや閉塞感、あるいは表向きには見えない個々の家庭内事情や学校生活でのイジメ等の問題、普段は優しく健全に見える隣人の裏の顔などといった要素は、そのままホラー作品に組み込みやすく、またその中流的普遍性が多くの観客の共感を誘いやすいのだろう。

 本作『ウェポンズ』もまた、そのような郊外を舞台としている点が大いに活かされており、物語を進行する主要キャラとなる人物たちも、皆どこか不完全で後ろ暗い部分を持った人間として描かれている。やはり表向きには「ごく普通の素朴で善良な町の生活」がありながら、その日常の真裏に巣食うアルコール依存、不倫、職務怠慢、イジメ、ドラッグ中毒、(隠喩的な描かれ方としての)地域社会の目が届かぬヤングケアラー問題等々、陰鬱で救いのない厭さがそのままホラー的要素へと結び付けられ、それらが非日常的なオカルト・ホラー(魔女譚)へとドロドロと溶け込んでゆく様は、まさに郊外型ホラー作品然とした恐ろしさと面白さに満ちている。

 特に大人側の登場人物が尽くダメ人間やポンコツに描かれており、危機的状況に陥った子供たちが大人の庇護によって救われる、という流れにならない点が本作の特徴的な面白さではなかろうか。大人たちの悪意や怠慢や無力さによって窮地に立たされた子供たちが、最終的に子供たちだけの力で危機を乗り越えるしかなくなる(本作の場合は大人側からの無慈悲な暴力に対する、子供側からの無慈悲な暴力の逆襲によってそれが為される)。

 話の構成として、序盤から終盤までは大人側の目線で事件の謎を追う形で話が進められるので、大人たちが主体の(大人目線の)物語なのかと思わされるが、終盤からのラストスパートは、子供目線によって事の真相が観客側に伝えられる形となり、この物語の本当の主体が子供側にあったことが分かる。大人たちは危機的状況に翻弄されるばかりで、事件解決に向けて具体的に歩を進めて行く役割をほとんど担っていない(事件の震源地に迫る謎解きパートは部分的にあるが)。

 つまるところ、本作においては常に事の真相は子供たちが把握しており、ここでもやはり大人たちの頼りなさというものが浮き彫りになってくる。この点からも、やはり本作がジュブナイル要素を多分に伴ったタイプの(物語の主体が子供側にある)郊外型ホラー作品だと言うことが出来る(作品の冒頭と最後に、事件の俯瞰的概要を語るモノローグが挿入されるが、このモノローグもやはり子供の声で、大人たちの無能さを批判的に揶揄するような内容でもある)。

 ラストで描かれる「大人」対「子供」の形勢逆転劇がコメディー的で笑えるとの評も多数見聞きするが(実際に作り手側の意図であろうコミカルさも見て取れるが)、それは完全なジャンル的スライドとしてのシリアスからコメディーへの転調あるいは転換というよりは、「強者」対「弱者」の形勢が逆転する際の、陰から陽への移行という印象が強く、その暴力性による逆転劇という点も相まって、『ブラック・フォン』におけるラストの逆転劇にも通じる面白さだ。

 そこで描かれる逆転劇それ自体には陽の雰囲気が多分にありながらも、それでもどこか不穏さと事件の傷痕を引きずった余韻を残すラストがこれまた絶妙に良い。肉体的・精神的に深手を負った子供たちが、そのまま明るいハッピーエンドで寛解を成すような終わり方にしなかったのは、ジュブナイル要素を伴ったホラー作品の余韻の残し方としては、非常に良い選択だと思った。

 

(2025年12月2日)

プロフィール

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わがままコブラ
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生年月日
1984年5月2日
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