第267回『Cloud』(2024年)

行きずりの無感情ハードボイルド

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『Cloud』
2024年:日本
監督:黒沢 清


 公開時に見たときはハッキリつまらないと思ったが、同時期に見ていた『Chime』(2023年)の方にかなり心が引っ張られていたこともあり(こちらは公開時に4回見に行った)、また落ち着いてから再見すれば感想も変わるかなと期待し再見してみたら、これが案の定、けっこう面白かった。

 劇場での初見時は、中盤までのスリラー展開から終盤のハード・アクションへと移っていく流れにイマイチこちらの気分が乗らなかったが、かつて黒沢清が哀川翔とのコンビで何本も撮っていた、90年代Vシネマ的ハードボイルドの再構築をしたのだろうと思えば、すんなりと納得がいく。

 転売屋をする主人公・吉井(菅田将暉)が、それまで勤めていたクリーニング工場を辞め、転売屋一本で大きく稼ごうと新生活を始めるが、そこから彼の周りで不審な出来事が起こり始め、恋人の秋子(古川琴音)、転売屋のアシスタントとして雇った若者の佐野(奥平大兼)、そして吉井に恨みを抱いて集まった男たちを巻き込んだ、血みどろの暴力沙汰へと発展していく。

 不条理で難解な作風も少なくない黒沢作品にあって、本作は改めて見ると極めてシンプル(ストレート)な内容だ。先述したとおり、序盤から中盤までは、転売屋をする吉井の生活をめぐる不穏なスリラーとして話が進み、終盤は吉井に恨みを持って集まった男たちの襲撃をきっかけに、銃撃戦がメインのハード・アクションとしての大きな山場が展開される。

 そこにはもちろん、黒沢作品らしい独自性の強い画作りや演出が随所に見られ、アクションであってもやはり、あの黒沢作品独特の「ドライで体温を感じない暴力」が描かれている。

 どこまでも乾いた、無慈悲で救いのない話の中で、主要キャラクター全員が破滅の坂道を真っ逆さまに転げ落ちていくのだが、そんな中で最終的に吉井と佐野による「男二人の行きずりのハードボイルド」が展開される点が何より面白い。中盤までは謎の多い不穏な存在である佐野が、終盤では文字どおり「吉井のアシスタント」として最高の仕事ぶりを見せる。

 吉井と佐野の関係性は最終的に、間違いなく「男×男のハードボイルド」と呼べるものになっていくのだが、しかしながら「仁義」「矜持」「友情」といった要素でこの二人が繋がることにならないのが、これまた何とも黒沢作品らしい捻れた独自性に満ちている。

 吉井は悪人というよりは、ただただ「人の気持ちが分からない」あるいは「人の気持ちに全く興味がない」人間で、常に自分の中の合理性と損得勘定だけに基づいて動いている。つくづく転売屋に向いていると言えるが、当然ながらその性分はあらゆる人間たちから顰蹙や恨みを買いやすい(そこで吉井が「なぜ自分が他者から顰蹙や恨みを買いやすいのか」を全く自覚出来ていないあたり、やはり徹底して他者の気持ちを理解出来ない人間なのだということがよく分かる)。

 彼に恨みを持って集まった男たちに襲撃されてしまうのも、完全に自業自得と言えるが、ここで佐野が重要な存在となってくる。この謎めいた青年もまた、「気持ち」「感情」「欲」といった人間らしいウェットな感覚が尽く欠落したような、徹底的に合理的な行動のみを主体として動くロボットみたいな男なのだ。吉井は他者に対して人間らしい優しさや気遣いを欠いているがゆえに、常に関わった相手から顰蹙や恨みを買うが、佐野だけは、はなから人間らしい優しさや気遣いなど他者に全く求めていない。佐野が欲しているのは、おそらく「目的」を与えてくれる存在だけである。

 佐野は謎めいていて腹の内の読めない男だが、与えられた仕事・任務・役割を全うすることに関しては間違いなく有能な人間だ。彼は過去に謎の組織に属していたらしいことも描かれるが、この組織を離れた今もまだ組織の人間から信頼されており、この組織内でもかなり有能な人材であっただろうことが窺い知れる。ただ、佐野は最高のプレイヤーではあるが、おそらく自ら「目的」を持ったり、あるいは自身が参加する「ゲーム」を自ら始められる(生み出せる)人間ではない。

 だからその「目的」や「ゲーム」を与えてくれる存在が不可欠で、それさえ与えられれば、あとはまさに水を得た魚のごとく最高のパフォーマンスを発揮する。佐野が過去に属した謎の組織から、今現在なぜ距離を置いている(直接的な仕事を請け負わないようになった)のかは不明だが、彼が自身のパフォーマンスを最大限に発揮出来る場や機会を常に求めているのは確かだ。そしてそこに、たまたま吉井という「目的」と「ゲーム」を与えてくれる存在が現れた。

 佐野からすれば、「目的」と「ゲーム」を与えてくれる存在であれば、別に誰でも構わないのだろう。おそらく吉井という存在が特別なわけでもないのである。「仁義」「矜持」「友情」といった人間臭いウェットな要素ではなく、他者の感情など意に介さぬロボットみたいな男二人の共依存のような関係性を、そのままハードボイルドとして描いてしまう捻れた特異性が何とも面白い。

 そしてそんな佐野からすれば、ゲームに参加する気も、自らゲームを思案する才能も全くない(タダ乗りの欲だけが唯一の原動力である)秋子のような人間が、最も必然性のない無駄な存在ということになるのだろう(ゲームの駒としての「敵」にすらならない存在と言えるだろうか)。

 つまるところ、佐野に必要なのは(少なくとも現時点では)吉井だけであり、ここでやはり、ハードボイルド然としたホモソーシャルな関係性が必然的に成り立つ。実に無感情・無感動な一蓮托生というか運命共同体であるが、最終的には、この二人なら案外と上手く行くんじゃないか? と思わされるような、ある種のバディものとしての摩訶不思議な味わいすら漂い始める。

 ラスト、拍子抜けしたような情けない声色で吉井が放つ、「ここが地獄の入口かぁ……」というボヤキのような台詞に何ともたまらぬ魅力を感じるが、主人公がここまで無自覚な(自分が単なる被害者だと思い込んでいるような)ピカレスクものもめずらしい。他者の気持ちなど全く意に介さない男二人が出会ったからこそ、そこに共依存的な強い関係性が生まれてしまう面白さ。こんな誰の心にも寄り添わないような映画が、もっとこの世の中に増えてほしいと切に願う。

 

(2025年9月2日)

プロフィール

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ニックネーム
わがままコブラ
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生年月日
1984年5月2日
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