第253回『密輸 1970』

痛快骨太! 海女ハードボイルド

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『密輸 1970』
(밀수)
2023年:韓国
監督:リュ・スンワン


 過去作では『相棒/シティ・オブ・バイオレンス』(2006年)や『モガディシュ/脱出までの14日間』(2021年)がかなり面白いと思いつつ、一方で『血も涙もなく』(2002年)や『生き残るための3つの取引』(2010年)はイマイチと思っていたので、まだあまり自分の中ではハッキリとした評価が定まらなかったリュ・スンワン作品だが、現時点(2024年7月現在)での最新作『密輸 1970』は、「完璧な傑作」と言えるレベルの、痛快で骨太な女たちのハードボイルド映画であった。

 舞台は1970年代半ばの韓国の田舎町、クンチョン。化学工場からの廃水による水質汚染のために、クンチョンの海一帯の海産物は大打撃を受け、ジンスク(ヨム・ジョンア)をリーダーとする地元の海女グループは全く仕事にならない状況に陥っていた。このままでは路頭に迷うのも時間の問題だ。彼女たちは生活のために海女として密輸ビジネスに関わることを決意する。密輸ブローカーたちは、税関の目をすり抜けるために、人目に付かぬポイントで海上の貨物船から密輸品を一旦海底に沈めて隠しておき、それを後から海女たちに引き上げさせて密かに陸へと持ち込んでいたのだ。

 ジンスクたちは背に腹は代えられぬと密輸品引き上げの仕事に精を出すが、当然ながら犯罪にはそれ相応のリスクが伴う。あるとき、金塊を引き上げる大仕事の最中に税関の船に見つかり、死者まで出す修羅場の逮捕劇となってしまう。この騒ぎの中で、同じ海女でジンスクの長年の親友でもあったチュンジャ(キム・ヘス)だけがひとり泳いで逃げ延び、クンチョンからも忽然と姿を消したため、ジンスクたちはチュンジャが税関に自分たちのことを密告したのではないかと疑う。

 二年後、ひとり逃げ延びたチュンジャは大都会ソウルの片隅で密かに密輸ビジネスを続けていた。持ち前の度胸と地頭の良さで裏社会をしたたかに生き延びていたが、ベトナム帰りの屈強で冷酷な密輸王、クォン軍曹(チョ・インソン)に目を付けられてしまい、彼の縄張りで勝手に密輸ビジネスを行っていたチュンジャは、手を切り落とされたくなければ大金を払えと脅される。

 追い詰められたチュンジャは、政府の取締り強化のためにソウルや釜山といった大都会ではやりづらくなった密輸ビジネスを、かつて自分が海女として密輸品の引き上げに関わった田舎町、クンチョンを拠点に新たに展開してみてはどうか? とクォンに提案する。クォンがクンチョンで仕事をするとなれば、その土地や人脈に詳しい(顔が広い)チュンジャが必要になるからだ。上手くいけば、チュンジャは命拾いするだけでなく、密輸ビジネスでの大きな後ろ盾も出来る。

 こうして、自身の密告者としての悪い噂が残るクンチョンに再び戻ってきたチュンジャは、まだ彼女のことを裏切り者と疑って憎んでいるジンスクら海女グループをどうにか説き伏せ、水商売で成功してクンチョンの裏事情にも詳しいかつての妹分オップン(コ・ミンシ)、元々意気地のない男だったが今や地元のチンピラのリーダーとなって一帯の密輸を仕切っているドリ(パク・ジョンミン)、密輸業者に一切容赦のない地元税関のジャンチュン(キム・ジョンス)、そして密輸王のクォンらを巻き込んで、裏社会での生き残りをかけた壮絶な騙し合いのゲームを展開してゆく。

 70年代韓国歌謡・韓国演歌のようなBGMをバンバン流しながら、ハイスピードでポンポンポンと軽快に話を転がし、最初から最後までダレ場や冗長さを一切感じさせない。コミカルな軽妙さを保ちつつも、人間ドラマや犯罪ものとしてのシビアさ、そして現代韓国映画のお家芸とも言えるバイオレンス・アクションの容赦のなさなどは徹底しており、毎度ながらその軽重のバランスの良さに感心させられる現代韓国映画の中においても、本作は群を抜いていると言っていいだろう。コミカルさとハードさをここまで違和感なく一本の作品の中に共存させて描けることに、心底驚かされる。

 劇中の舞台が70年代半ばというだけでなく、作品それ自体の画作りや雰囲気もまるで70年代東映アウトロー作品のような見事な不良性感度に満ちており、中島貞夫の『狂った野獣』(1976年)を髣髴とさせ、そのざらついた娯楽性・見世物性の中で、どこまでもカラッとしていて、同時に渋く骨っぽく磨き込まれた、珠玉のシスターフッド・ハードボイルドが展開される。

 男社会の重圧に容赦なく圧し潰された女たちの復讐劇となると、愛する夫を殺された海女の復讐を描いた『人魚伝説』(1984年)などがまさにそうだが、往々にしてドロッとした女の情念を絡ませたレイプ・リベンジものなどになりやすく、それだとドライなハードボイルドとしてのかっこよさに結び付きにくいように思える(『女囚さそり』シリーズや石井隆の作品などもそうだろう)。

 もちろん、それはそれで一つの立派な「型」だとは思うが、『密輸 1970』が女たちのハードボイルド映画として素晴らしいと思うのは、そういったドロッとした女の情念に拠った復讐劇ではなく、犯罪ビジネスの中で男たちに煮え湯を飲まされた女たちが、「だったら同じ犯罪ビジネスできっちりペイバックして落とし前をつけてやろうじゃないの」というドライなゲームを仕掛けていく点で、情念による怨み節ではなく、頭脳と度胸と意地で自分たちの当然の分け前を頂く、という犯罪劇にカラッと仕上げているのが何とも粋なのだ。つまるところ、湿っぽさや野暮ったさがない。

 本作の主人公たちには、心底から味方になってくれる男も、安心して頼れる男もいない。また、彼女らが惚れて心を許してしまうような男もいない。誰かのためにというよりは、あくまで自分たちの意地や分け前(犯罪ではあれ、仕事をした分の当然の対価)のために、彼女らはヤクザ者や税関の男たちに、命懸けのゲームのようなペイバックを仕掛けてゆく。そこには男臭いハードボイルド作品にありがちな、破滅の美学のような刺し違えの特攻精神や犬死に覚悟といった辛気臭さがない。「あんたらが先に踏みつけてきたんだから、こっちからも容赦なくやり返させてもらうし、もちろん分け前はきっちり頂くよ」という意地を通す姿勢だけが明確に描かれる。

 中盤、本作における大きな山場・見せ場の一つである、大掛かりな血みどろバイオレンス・アクションが展開されるが、これは従来の韓国産ハードボイルド作品でも山ほど描かれてきた、いわば「男たちの闘い」「男だけの闘い」である。実際にこのシーンでは、ものの見事に「女は引っ込んでな」という状況になる。これはこれで物凄く良く出来たハードなバイオレンス・アクションで、見応えは充分だし、どこまでも刺激的で興奮させられる名アクション・シーンだ。

 しかし本作は中盤でこれをやっておいて、ラストにはもっと見事な「女の闘い」を持ってくる。酸素ボンベやフィンを装備し、ナイフを手にした手荒いヤクザ者たちが、何も持たずに素潜りする海女たちに襲い掛かるのだが、地上での殺し合いでは圧倒的に勝ち目の低い海女たちが、海の女としての肺活量と泳ぎの巧さと知り尽くした海底の地の利を活かした「殺しのテクニック」でもって、襲い来るヤクザ者たちを返り討ちにしていく。この海中での戦闘シーンが圧巻で、中盤でのあの韓国映画お得意の「男たちの殺し合い」よりもさらに熱っぽい興奮を呼び覚ます(しかもこのラストの水中戦に、『ジョーズ』(1975年)よろしくなシャーク・アタックのスリリングさまでブチ込んでくるのだから、これはもう娯楽性・見世物性としては最高度の山場に到達する)。

 終始テンポ良く話が進み、ラストも一切の無駄なくスパッときれいに終わるので、エンドロールに入ってからの「実はあの人が生きてました」というサービス的後日譚(台詞なしのほんの短いシーンだが)は不要かなとも思ったが、主人公サイド(女)が搾取サイド(男)から常にイニシアチブを取られる形であった立場の逆転劇(主従関係の下で「おこぼれ」をもらう立場だった者が、それを与える側に回るという関係性の変化)を端的に見せる、という意味では悪くないとも思える。

 『エイリアン』シリーズ(1979年~1997年)、『グロリア』(1980年)、『人魚伝説』(1984年)、『ゼイラム』シリーズ(1991年~1994年)、『GONIN 2』(1996年)、『ロング・キス・グッドナイト』(1996年)、『バウンド』(1996年)、『ジャッキー・ブラウン』(1997年)、『エクス・マキナ』(2014年)、『REVENGE リベンジ』(2017年)、『透明人間』(2020年)等々、女主人公が骨太なペイバックを見せる映画は昔から大好きだが、本作『密輸 1970』もまた、この系譜に連なる最高の進化系作品として、私の心に深く刻まれる一本となった。

 

(2024年7月16日)

プロフィール

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ニックネーム
わがままコブラ
性別
生年月日
1984年5月2日
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