第250回『残穢 -住んではいけない部屋-』

人間に染み付く業深き穢れ

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『残穢 −住んではいけない部屋−』
2015年:日本
監督:中村義洋


 残穢(ざんえ)とは、その部屋・家・土地・地域にかつて住んだ人間たちが残した、業が深い穢れ(けがれ)を意味し、私怨的な方向性とは異なるが、ある種の地縛的な怨念・呪い・祟りとも言え、それが幾時代にも渡って複雑に連鎖し、広範囲に拡大していきながら、その穢れに触れた人々を次々と無作為に祟り、時には無残に呪い殺してしまう……という恐怖を描いた一本。

 投稿者から送られてくる体験談を元に、実話怪談のようなものを書いている作家(竹内結子)が、ある投稿者(橋本愛)が暮らすマンションの一室で起こる怪現象に興味を持ち、作家と投稿者が共同でその怪現象の謎に迫っていく中で、それが次第に想像を遥かに超えた、幾時代にも渡る複雑な穢れの連鎖であることに気付き、彼女たちもいつしかその禍々しい連鎖に巻き込まれてしまう。

 本作で描かれる恐怖のジャンルは、地縛的な呪いの要素を多分に有しながらも、対象の定まった一方向的な呪いではなく、その穢れに触れた人間が媒介者となり、移り住んだ先でもまた穢れの感染を拡大させる(穢れに触れたことで狂ったり無残な死を遂げたりして、自らもまた新たな穢れとなり、元々の穢れにさらに上乗せされる形でどんどん感染を拡大させてゆく)という、ある種の霊障パンデミックもので、これは『リング』(1998年)、『呪怨』(2000年)、『回路』(2001年)といった、呪いやそれに伴う死が疫病のように伝播・拡散されてゆくタイプのJホラー作品の系譜に連なると言える(そのさらに源流をたどると『ビデオドローム』(1983年)に行き着くだろうか)。

 監督が、心霊ドキュメンタリーの元祖と言われる『ほんとにあった! 呪いのビデオ』シリーズ(1999年に始まり、2024年現在も続く長寿シリーズ)で有名な中村義洋ということもあってか、作品全体の構成が完全に心霊ドキュメンタリー特有の調査ものとしてのそれで(未読なので分からないが、もしかしたら原作に元々そのような要素があるのかもしれない)、フェイク・ドキュメンタリーではなく、あくまで劇映画のフォーマットでありながらも、ある怪現象に関する投稿を発端として、複数の主要キャラクターによる合同調査が始まり、謎多き点と点が次第に一本の線となって繋がってゆく……という流れは、心霊ドキュメンタリーの定番の展開である。

 また、劇映画としては若干不自然な演出かなとも思えるが、怪現象に関する調査をしていく中で、聞き取り調査に協力してくれる人たちの肩書と名前がテロップで示される、という点も完全に心霊ドキュメンタリーによくある(フェイク・ドキュメンタリー的な)演出だ。

 とはいえ、本作はあくまで劇映画のフォーマットで作られており、フェイク・ドキュメンタリーではないため、画作りや恐怖演出は劇映画としてのリアリティーラインに拠ったもので、派手さはないものの、腰の据わった丁寧さで無駄なくきれいに作り込まれていて、全体的に密度が濃い。

 派手なショック描写や大仰なジャンプスケアなどはほとんど皆無に等しく、全体的にかなりマイルドとすら言えるほどだが、しかしマイルドでありながら丁寧かつ的確なテクニックによる恐怖演出が絶妙で、このジャブ的、ローキック的な恐怖演出の積み重ねと、怪現象の原因を追求していく中で次々と明らかにされる業が深い人間たちの穢れの数々(狂った末に孤独死したゴミ屋敷の住人、若夫婦と幼い子供の無理心中、娘の結婚式直後に首吊り自殺した母親、嬰児殺し、座敷牢、炭鉱事故の際に見殺しにされた炭鉱夫たち……などなど)が、ジワジワとこちらの心根を侵食してくる。

 つまりは「うわっ!」とビックリするような恐さではなく、「厭だなぁ……」というドヨンとした気分をずっと引きずらされるようなタイプの作品で、その点で本作は、『回転』(1961年)、『たたり』(1963年)、『ヘルハウス』(1973年)、『チェンジリング』(1980年)といった、家ものホラーの傑作群に連なる一本ではないかと思う。いずれも派手さはないが、ジワジワと厭な気分を引きずらされるタイプの傑作ホラー作品で、本作『残穢』もまさにこのタイプの作品だ。

 ラストは一件落着的なさっぱりした締め括り方を見せながらも、物事が明るい方向へ進むように見えるそのシークエンスに沿って、今回の調査に関わった人たちの生活の中に、残穢が尽くべったりと染み付いてしまっている(終わりなき呪いの連鎖がさらに蔓延している)……という様をチラチラっと垣間見せていく底意地の悪さでもって、最後の最後まで実に厭な気分を味わわされる。

 家に染み付き、土地に染み付き、人間に染み付き、多くの者を狂わせ、時に無残な死に追いやりながら、時代を超えて複雑に連鎖し拡大してゆく業深き穢れの恐ろしさを、良質な娯楽ホラー作品として見事にまとめ上げ、また、実話怪談と心霊ドキュメンタリーの旨味を、劇映画のフォーマットの中に巧みに落とし込んだ、2010年代のJホラーを代表するような傑作である。

 

(2024年5月16日)

 

 



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『残穢』(2012年)
小野不由美 著(新潮文庫)


 映画版を見た後に、こちらの原作小説を読んだ。まず何より調査ものとしての面白さは、この原作版が持ついちばんの特色で、映画版はそこをしっかりと踏襲している。話の本筋も基本的には映画版は原作版にかなり忠実で、主要キャラなどもそこまで大きな改変はない。

 細かな改変や話の順序を少し前後させて入れ替えたり、複数の人物から語られる内容を一人の人物の証言に集約させたり、文庫版で約350ページある長編小説としての分量を、映画版では大幅に削りつつも、それは濃縮化とすら言える巧みさで、原作版のボリュームたっぷりなエピソードと証言者となる多数の登場人物の取捨選択や省略化が映画版はとにかく巧い。

 映画版において削られた部分で最も大きいのは「岡谷団地」と「植竹工業」のエピソードで、離れた場所でも穢れが複雑に枝分かれし拡散していく、という要素を語るには重要なエピソードではあるが、劇場映画の尺でここまでカバーしていたら確実に話の転がりが悪くなってしまうだろう(長編小説というフォーマットだからこそ組み込めるサイドストーリー的要素だと言える)。

 キャラクターに関しては、主人公の作家の懐疑的な言及(自問の形で為されることが多い)が原作版の方が強く思える点、原作版ではさほど目立たぬサブキャラであった住職が、映画版だとそこそこのキーパーソンになっている点、実在の作家・平山夢明(映画版だと佐々木蔵之介が演じる平岡芳明)の出番が映画版の方が多い(目立つ)点などが、原作版と映画版での大きな違いか。

 先述したように、『残穢』という作品のいちばんの肝となる調査ものとしての(ある一つの怪現象を発端として、複数の主要キャラが合同でその謎に迫っていき、謎多き点と点が次第に一つの線となって繋がってゆく)面白さは、完全に原作の時点で確立された要素である。

 原作版はいわばフェイク・ドキュメンタリー的な調査報告のような文章で、ひたすら淡々としているため、ホラー作品としての恐さはかなり薄い。

 また、原作版の主人公の懐疑的思考が映画版よりも顕著であるため、「穢れの連鎖と思しきバラバラの現象を、尽く一つの線として結び付けてしまうのはいかがなものか?」という自問を常に繰り返しており、怪異との距離の置き方も映画版の主人公以上に顕著に思える。

 映画版はフェイク・ドキュメンタリーではなく、あくまで劇映画のホラー作品として作られているため、恐怖演出も娯楽的ケレン味や劇的な煽りが相応に為されており、同じエピソードの恐怖シーンでも原作版と映画版で雰囲気は全く違う(分かりやすい娯楽的な恐さは映画版の方が顕著だ)。

 ただしこれはあくまでフォーマットの違いによる差異と言え、どちらがホラー作品として優れているか、という話ではない。もし仮に原作版の雰囲気にもっと近付けるならば、フェイク・ドキュメンタリーのフォーマットでリメイク映画版を作ってみたら面白いかもしれない。

 原作版はまず何より「実話怪談」×「心霊ドキュメンタリー」を下地とした調査ものとして非常に優れた(ある種の)探偵小説と言え、映画版はそれを巧みにブラッシュアップし、さらには劇映画としての娯楽的ケレン味を付与した傑作ホラー映画である、ということが言えるだろう。

 


プロフィール

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わがままコブラ
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1984年5月2日
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