第241回『首』(2023年)

残酷風雲たけし城

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『首』
2023年:日本
監督:北野 武


 暴君信長とその配下にある武将たちの暴虐と裏切りの天下争奪戦を、ドライでシニカルなブラック・コメディー的暴力映画として描いた戦国アウトレイジ大作。

 前作『アウトレイジ 最終章』(2017年)は、「もう暴力映画はやりたくないのかな?」と思わせるような、暴力表現に対する作り手の老境のフェードアウト感を作品全体に感じたが、それから6年の月日を経て、『アウトレイジ』シリーズを上回る規模の残酷暴力絵巻を、過去の北野作品にも出演している豪華俳優陣総出で放ってきた。構想自体は大分前から練っていたようで、映画より先に、まず2019年に小説という形で本作を世に出している。

 荒木村重(遠藤憲一)による織田信長(加瀬亮)への謀反の戦が長引いている惨状を見せるところから物語は始まり、そこから次第に信長の跡目を狙う武将たちの政治的策略と裏切りの抗争劇が展開され、その抗争が最終的に「本能寺の変」へと雪崩れ込んでゆく。

 私は戦国時代の歴史は全くの不案内だし、戦国武将たちには何の思い入れもないのだが、前もっての予習などは特にせずとも、『アウトレイジ』シリーズのような抗争劇として分かりやすく話がまとめられているので、戦国時代や当時の武将たちのことをよく知らなくても充分に楽しめる。

 暴君信長を政治的ピラミッドの頂点として、その配下の羽柴秀吉(ビートたけし)、明智光秀(西島秀俊)、徳川家康(小林薫)、そして配下にいながら謀反を起こした荒木村重、彼ら武将たちの間をフィクサー的に立ち回る千利休(岸部一徳)などが物語の本流に絡むメインキャラクターたちだが、意外にも出ずっぱりな活躍を見せる曽呂利新左衛門(木村祐一)が準主役と言える立ち位置で、武将たちの天下争奪戦を冷めた目線で外側から見ている狂言回し的なキャラクターだ。

 新左衛門は元甲賀の抜け忍で、ハッキリとは組織に属さない日和見的な流れ者として、今は日本一の芸人を目指して話芸を磨いている。元忍者なので戦闘能力も高く、スパイ活動のようなことも得意なので、流れ者であった身をフィクサー的な立ち回りの千利休に拾われ、そこから秀吉の下でも偵察などの任務を任されるようになる。

 上は有名武将から下は難波茂助(中村獅童)のような貧乏百姓まで、多くの男たちが立身出世と天下取りに夢中になる動乱の世を、「みんなアホか……」と呆れた目線で見ているのがこの新左衛門というキャラクターなのだ。まさに狂言回し的な立ち位置なのだが、しかしそんな彼にも、「口は災いの元」という話芸を磨く者としての因果応報の皮肉な結末が待ち受けている。

 抜け人の新左衛門、般若の佐兵衛(寺島進)、服部半蔵(桐谷健太)、刺客のくノ一といった忍者キャラだけはなぜか皆かっこよく描かれているが、暴君信長をはじめ、天下取りに躍起になる武将たちの誰一人として名将や英雄としては描かれておらず、残虐で狡猾な政治屋・独裁者・ヤクザ者という感じで、ブラックな笑いと共に道化た存在として描かれているのが本作のいちばんの特色だ。

 たけし演じる秀吉も狡猾で腹黒いが切れ者としては描かれておらず、いつも横でヘラヘラしているだけの腰巾着である秀長(大森南朋)に当たり散らし、策士の黒田官兵衛(浅野忠信)に「お前が全部上手いことやっとけ!」と政治的策略に関しては丸投げする醜態が滑稽に描かれる。

 秀吉が文盲である点も強調されているし、また自ら「俺は百姓出身だから分かるわけねぇだろ!」と、武士の本懐や武士の契り(男色)といったものを尽く否定する言動が目立つ。そんな元百姓がカネや策略を巧く使い、周りの武将たちの裏をかいてどんどん天下に近付いてゆく。文字通り「敵の首を取る」ことが象徴化された戦国武士道の天下争奪戦の果てに、「俺は首なんかどうだっていいんだ!」とギャグみたいなサッカーボールキックでストンと落とすカリカチュアは見事だ。

 ブラックで風刺的な笑いの要素には満ちているが、それは当然ながら軽喜劇的な笑いではなく、命に一銭の値打ちもないかのように老若男女関係なくバンバン人が殺され、ポンポン首が刎ねられる動乱の世を描く暴力大作としては、かなり残酷な仕上がりである。

 本作は死の描き方からエモーショナルさが徹底的に排除されている。他人の命は刃先一つで簡単に奪える程度のものだし、死体はただの物体であり、タイトルにもなっている「首」も、天下を取るための象徴的な存在であるはずが、結局は無価値なゴミのように扱われる(ここが本作最大の作為的皮肉である)。また、「武士の契り」「武士のたしなみ」として男色を扱っている流れで、ブロマンス的なロマンチシズムに話が流れそうなものだが、そこも冷酷にバッサリ切り捨てる。

 戦国ロマンなど欠片もなく、「いざとなりゃ人間こんなもんだろ」という冷め切った黒い笑いが横溢している。そういう意味では、北野作品で過去に何度も描かれてきたヤクザの世界よりも遥かに残酷で、ヒューマニスティックな救いなど微塵もない。これは北野流の戦争映画とも言え、このくらいの規模の大作で徹底的にドライで冷淡な暴力絵巻を描けるのは、何だかんだ今の日本では北野武くらいなのかもしれない。久々にきちんと面白く仕上がった日本産の暴力映画の新作を見た。

 

(2024年1月8日)

プロフィール

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わがままコブラ
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1984年5月2日
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