第232回『交渉人』

頭脳戦のデッドヒート

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『交渉人』
(The Negotiator)
1998年:アメリカ
監督:F・ゲイリー・グレイ


 『ストレイト・アウタ・コンプトン』(2015年)のF・ゲイリー・グレイ監督による、スリリングな頭脳戦を主軸としたサスペンス・アクション。脚本には『パージ』シリーズ(2013年~2020年)で監督、脚本、製作などを担当しているジェームズ・デモナコが参加している。

 公開当時から本作の存在は知っていたが、何となく食指が動かず、食わず嫌い的にスルーしていた。同時期の『エグゼクティブ・デシジョン』(1996年)、『ブレーキ・ダウン』(1997年)、『フラッド』(1998年)などといった作品と同じく、「実はかなり出来が良く面白いのに、どことなく地味なイメージが先行してスルーしてしまいがちな傑作」の部類に入る一本だと言える。

 凄腕の人質交渉人(ネゴシエーター)である刑事のダニー(サミュエル・L・ジャクソン)は、ある日、同僚で親友のネイサン(ポール・ギルフォイル)から、署内で巨額の横領が行われているという話を聞かされる。犯人は不明だが、署内の人間たちの誰かであることは確かで、どうやら内務調査局の上層部までがこの横領に絡んでいるらしい。下手に嗅ぎ回れば命すら危うい状況だ。

 署内の誰が横領に関わっているか分からないため、家族ぐるみの親友であるダニーにだけこのことを伝えたネイサンだが、危険な領域に踏み込み過ぎた彼は、何者かによって暗殺されてしまう。

 さらに、横領犯たちの罠にはめられたダニーが、ネイサン殺しと巨額横領の濡れ衣を着せられ、裁判にかけられることに。周到に捏造された状況証拠から、ダニーが裁判で身の潔白を証明出来るチャンスはない。もはや署内の人間は誰も頼れず、誰も信用出来ない状況に追い込まれたダニーは、横領犯の一人ではないかと睨んだ内務調査局長ニーバウム(J・T・ウォルシュ)と、その場に居合わせた関係者数名を人質に取り、内務調査局のオフィスに立て籠もる。ニーバウムから何としてでも真犯人たちの正体を聞き出し、自身の潔白を証明しようと最後の賭けに出たのだ。

 そして署内の誰一人として信用出来ない状況であることから、ダニーは別の署の(つまりは自分と繋がりのない)人質交渉人クリス(ケヴィン・スペイシー)を自身との交渉役に指名する。こうして、極度に緊迫した状況下で、凄腕の交渉人どうしによる命がけの頭脳戦が始まる。

 約140分と長めの尺だが、タイトで無駄のないスピーディーな展開で、端的な導入から本題への移行を20分程度でスムーズに捌き、メインの籠城劇が開始されてからも冗長さやダレ場は一切ない。切れ者二人によるスリリングな頭脳戦、何度となく突入を強行しようとするスワット部隊とダニーの激しい攻防、そして物語の主軸である横領の真犯人に迫ってゆくサスペンスとしての面白さ……最良の脚本と最良の職人監督が最良のバランスで出会ったことによる見事な娯楽的結実がここにある。

 まず何より素晴らしいのは、見せ所のメインとなる切れ者二人による頭脳戦だ。熱っぽくまくし立てながらガンガン攻めるタイプのサミュエル・L・ジャクソンと、常に一歩引きながら冷徹に相手の隙を突いていくようなケヴィン・スペイシーの、その「喋り」対「喋り」のスリリングな頭脳戦それ自体を「アクション」へと昇華させていく演出は見事である。

 この「喋り」による頭脳戦の面白さは、『サブウェイ・パニック』(1974年)におけるウォルター・マッソーとロバート・ショウのそれを思わせる。

 ここで本作『交渉人』が巧いと思うのは、「喋り」の応酬を「アクション」に見立てる見事さもさることながら、停滞を感じさせぬよう、「喋りのアクション」の合間合間に、絶妙なタイミングで「物理的なアクション」(スワット部隊による突入劇など)も挟み込み、作品自体の緊迫感や熱を冷めさせぬよう最後まで引っ張ってゆくそのバランス感覚だ。

 交渉人二人の頭脳戦がメインとなると、どうしても地味な画が続くことは避けられないが、そこに程よく銃撃戦や爆破といった派手な物理的アクションも挟み込まれるので、最後までハラハラさせられ、途中でダレたり飽きることもない。

 そしてそんなハードでスリリングな頭脳戦や銃撃戦などを展開させながら、話の主軸となる横領の真犯人探しのサスペンスも置いてきぼりにすることなくしっかりアクションと平行させ、事の真相へと向かって着実に物語の歩を進めてゆく。

 本作はいわば、正義感や義侠心で悪を討つ作品ではなく、論理的な状況の把握と整理によって「事実」を追究してゆくタイプのサスペンス・アクションだ。

 同じ署内の長年付き合ってきた同僚たちを誰一人として信用出来ない、という最悪の状況下で、ダニーが全くの赤の他人(余所者)であるクリスを選び、クリスの方も「なぜ自分が選ばれたのか」を徐々に理知的に(同情や友情ではなく、あくまでダニーの高い頭脳に対して自身の高い頭脳で呼応し)理解していく、というその過程が何より面白い。ダニーもクリスも家族や友人とは心(情)で通じ合っているが、同じプロの交渉人どうしとしては、彼らはあくまで情ではなく頭脳(とそこから導き出される客観的事実)によって互いを理解しようと努める。

 序盤、クリスがダニーとの会話の中で、「本を読むときは何冊もの本から客観的事実と思える箇所を抜き出して集積し、それを元に自分の中で考えを組み立てる」というようなことを話すが、これがまさに、「ダニーがどういう人間で、今どういう状況に追い込まれているか」ということをクリスがダニーとの会話の中から紐解いてゆく過程(その方法論)を間接的に説明している。

 最初は敵対する二人の高度な頭脳戦によるデッドヒートが展開され、そこから次第に、「本当の敵は誰なのか?」というところで二つの高度な頭脳が共闘の方向性を模索し始める。つまるところ、この二人が求めるものはただただ純粋な「事実」だけなのだ。そしてその「事実」を求める論理的追究は、時に友情や愛情を超える相互理解や共闘意識にまで達するのである。

 頭脳戦で掛け合ってきた二人の男が、ラストでは西部劇的な決闘シーンへと雪崩れ込み(序盤で交わされる西部劇『シェーン』(1953年)に関する会話がこのラストシーンへの伏線となっている)、ここでも二人は切れ者の頭脳的戦術を敵に対して仕掛けてゆく(ダニーに対しては通じなかった大胆なハッタリ戦術を、ラストで再度別の敵に仕掛けるクリスのその咄嗟の判断が面白い)。

 最後の最後まで純度の高い娯楽として楽しませてくれると同時に、どこまでもクールで渋い決着のつけ方に心底シビレる。こんなとんでもなく面白くカッコイイ傑作を、その存在を知りながら、みすみす四半世紀も見逃していたとは、自分のアンテナの感度の鈍さを悔やむばかりである。

 

(2023年3月29日)

プロフィール

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わがままコブラ
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生年月日
1984年5月2日
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