第23回『サンキュー・スモーキング』

口先一つで浮世を生き抜け!!

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『サンキュー・スモーキング』
(Thank You for Smoking)
2005年:アメリカ
監督:ジェイソン・ライトマン


 世界規模となった禁煙ブームの嵐が吹き荒れる中、タバコ業界を代表する宣伝マン(ロビイスト)である主人公ニック・ネイラー(アーロン・エッカート)は、持ち前の天才的な話術を武器に、日々多勢を向こうに回しての論争をくり広げていた。

 「喫煙が体に悪い」という動かし難い事実を前に、毎度ながら圧倒的に不利な立場に立たされるわけだが、しかしニックは実に巧みに論点をすり替え、相手の矛盾を突き、様々なデータを引き合いに出して、最後には必ず相手を煙に巻いてしまう。大衆を完全に味方につけることは無理でも、この巧みな「情報操作」によって、瀕死状態のタバコ業界をどうにか守り抜いているのだ。

 世間一般に「大量虐殺者」と忌み嫌われるニックが、プライベートで気兼ねなく付き合える仲間はたったの二人。アルコール業界を代表するロビイストのポリーと、銃器業界を代表するロビイストのボビーだ。アメリカ社会を代表するこの三人の「死の商人」は、毎週同じ店に集まっては、タバコ、アルコール、銃に対する世間の風当たりの傾向と対策を話し合ったり、はたまた「タバコと酒と銃ではどの業界がいちばん人を殺しているか」を競い合ったりしている。

 しかしそんなニックも冷徹な極悪人というわけではない。別れた妻の元で暮らす息子ジョーイにはやっぱり弱いのだ。ジョーイは世間から嫌われる仕事に就いている父を疎ましく思いつつも、その卓越した議論のテクニックには一目置いている。日々多勢を向こうに回して論を戦わせているニックは、何事も「正しく議論すれば間違うことはない」ということを息子に教える。

 何が正しくて何が間違っているかなんてことは、究極的には誰にも分からない。だからこそ議論になる。世間一般に広く「間違っている」と認識されている事柄でも、正しい論理的テクニックに則って議論に臨めば、誰にでも勝算はあるのだ。そんな教えも手伝ってか、ジョーイは他のクラスメイトたちに比べて圧倒的に作文や弁論が上手い。やはり血筋は争えないということだろう。

 そんな口先一つで数々の逆境を乗り越えて来た百戦錬磨のニックの前に、今回また新たな試練が立ちはだかる。ニックを目の敵にする禁煙運動の急先鋒、フィニスター上院議員が新たな策を発表したのだ。その策とは、アメリカ国内で販売されている全てのタバコのパッケージに、「POISON」とでかでかと書かれたドクロマークのロゴをプリントするというもの。このままではタバコ業界は確実に敗北を喫すると危ぶんだニックの上司は、さっそく緊急の対策会議を開く。

 「このままでは未成年の喫煙者は完全にいなくなってしまう!! 未成年者は我々タバコ業界にとっては金脈だってのに!! 何か良い案はないか!?」

 と、ここですかさずニックが手を挙げる。

 「1910年から1930年にかけてタバコの売り上げが急増したことがある。なぜか? 答えは三つ。一つは第一次大戦、もう一つはダイエットブーム、そしてもう一つは映画」

 1927年にトーキー映画が誕生してから、役者はセリフの合間を埋めるためにタバコを吹かした。銀幕の向こうで紫煙をくゆらすケイリー・グラントやボギー、ベティ・デイヴィスの姿に人々は魅了されたのである。かつて「世紀のロマンスがタバコの火で始まる」時代があったのだ。

 というわけで、タバコのイメージ回復(というよりは未成年者へのイメージ戦略)に最適なのはハリウッド映画で決まり!! ということになり、「フォレスト・ガンプにもタバコを吸わせよう!!」と意気込んだニックは早速ハリウッドへ飛び、大物エージェントに掛け合って、ハリウッド映画におけるタバコのイメージ戦略への協力を確約する。

 さらには、肺癌になりタバコ業界を訴えようとしている「初代マルボロ・マン」ことローン・ラッチという男を多額の賄賂で黙らせるよう、タバコ業界最後の大物であるキャプテン(ロバート・デュバル)から命を受けるニック。プライドの高いラッチは当然この賄賂を拒否するが、ニックは持ち前の話術と説得力で粘りに粘って、どうにかラッチを説き伏せることに成功する。

 こうして、向かうところ敵なしに見えたニックだったが、そんな彼に人生最大のピンチが訪れる。取材を受けた女性記者ヘザーと、こともあろうか「夜のオフレコな関係」を結んでしまうのだ。ニックもひとりの男だったというわけだが、当然それは敏腕記者ヘザーによる策略だった。すっかりオフレコな付き合いだと思い込んでいたニックは、それをハニートラップとも知らずに、業界の様々な裏話をベッドの上でヘザーに話してしまう。

 悪いことは続くもので、過激派の嫌煙団体に拉致され、体中に無数のニコチン・シールを張られたニックは、急性ニコチン中毒で危うく命を落としそうになる。しかし悪運強く、愛煙家だったニックはニコチンへの耐性があったため、どうにか一命は取り留める。

 このことで一時は「被害者」として世間の同情を誘うかに見えたが、最悪のタイミングでヘザーがベッドの上でニックから仕入れたネタをひとつ残らず記事にしてしまい、今度は世間どころか身内のタバコ業界までも敵に回すことに。もちろんハリウッドの話も全てパーになってしまう。当然、ロビイストの職はクビになり、すっかり意気消沈したニックは、世間の目を逃れて家に引きこもる。

 これまでの人生を勝ち取って来た自分の口が、ここへきて大きな災いを招き寄せてしまった。もはやニックが立ち直ることは不可能のように思われた。

 がしかし、息子のジョーイがそんなニックに希望の光を当てる。

 ジョーイ 「なぜ隠れてるの?」

 ニック  「みんなに嫌われてるからだ」

 ジョーイ 「嫌われるのが仕事でしょ?」

 ニック  「もっと複雑なんだ」

 ジョーイ 「自分で複雑にして惨めさに酔ってる」

 すっかりクサっていたニックはこう息子に静かに叱咤され、さらに「ロビイストはいつも正しい。パパは最高だよ」と励まされる。これには見てるこっちも思わず泣けてくる。

 ジョーイ 「パパは情報操作の王だよ」

 ニック  「何それ?」

 ジョーイ 「ニューズウィークが書いてた」

 ニック  「…………」

 こうしてニックは、自己の尊厳を取り戻すべく再び立ち上がる。

 「マイケル・ジョーダンにはバスケ、チャールズ・マンソンには人殺し、そして僕にはしゃべり……誰にでも才能がある」

 物事の善悪を押しつけがましく説いたって意味がない。大事なのは「自分で考えて選択する」こと。ニックは決して世間とのゲームを楽しんでいるわけではない。あくまで自身の本分を全うしているだけなのだ。喫煙が体に悪影響なのは今や誰でも知っていること。それを吸うか吸わないかは個人の意思で決めるべきだ、というだけの話である。

 本作に出てくる禁煙運動の推進者・支持者たちは、ほとんど自己の利権のためにそれを行っているようにしか思えない。上院議員のフィニスターも、業界の裏側をすっぱ抜く女性記者のヘザーも、社会的な立場が違うだけで、その本質は無垢な未成年者から暴利を貪るタバコ業界の人間たちと何ら変わらない。表向きは「世のため人のため」だが、その実はあくまで「自分のため」なのだ。

 誰しも善悪を問うために働いているわけではない。劇中で仕事のモチベーションを訊かれたニックが、「ローンを払うため」と言っているが(もちろんこれだけがモチベーションでもないだろうが)、これが働く人間にとってのある種の本音と言っても過言ではないと思う。肺癌でタバコ業界を訴えようとしていたラッチも、結局はカネで自らの口を閉ざすのだ。

 単純な善悪で話が片付くのであれば、これほどラクなことはない。

 世の中で生きていれば、気づかないうちに世間一般で悪とされている物事に加担していることもあるだろう。もちろんそれを偉そうに開き直るべきではないが、しかしそういった世間一般で悪とされているような物事に、一切関わることなく(あるいは完全否定しながら)生きていくことが、果たして我々に出来得るのか?

 人間、どうあがこうと、結局死ぬまでは(どんなことをしても)生きていくより他に道はないのだ。現実は厳しく時に残酷だが、それでもどうにか自分なりに生きていかざるを得ない。そうなれば当然、傷つくのは自分ばかりというわけにはいかない。本人がそれを望む望まぬに関りなく、多かれ少なかれ人は人を傷つけながら生きていく運命にあるのだ。

 本作『サンキュー・スモーキング』は、単純な善悪では割り切れない人間たちの悲喜こもごもを、シニカルながらも暖かい視点で描いた傑作である。

 

(2011年8月20日)

プロフィール

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ニックネーム
わがままコブラ
性別
男
生年月日
1984年5月2日
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