第228回『裏窓』

映画は人生の裏窓

img_20231228-163509.jpg
『裏窓』
(Rear Window)
1954年:アメリカ
監督:アルフレッド・ヒッチコック


 取っ付きやすいライトなタッチの極めてシンプルなワンシチュエーション・スリラーとして、ヒッチコックらしい見事な匠の技を堪能させてくれる逸品。

 1930年代(イギリス時代)の代表作群のスピーディーさやソリッドさに比べると、渡米後の1940年代以降のヒッチコック作品には冗長さの目立つものが多く、この『裏窓』にもやはり若干の間延び感を覚えるものの、しかしそれを補って余りある面白さに満ちた傑作スリラーである。

 撮影中の事故で片足を骨折し、自宅療養の身となったカメラマンの主人公が、退屈しのぎに中庭を挟んだ向かいのアパートの窓々から見える他人の生活を覗き見して楽しんでいるうちに、ある一組の夫婦の妻の方の姿が急に見えなくなったことに気付き、その直後から夫の方の不審な行動も目立っていることから、「この夫が妻を殺したのではないか?」との疑念を抱き、裏窓探偵と化して疑惑の夫の行動を逐一監視しながら、次第にその事件の闇に深くのめり込んでゆく様を描く。

 まず何より本作の面白いところは、犯罪者ではなく、こちら側観客と同じ立場(視点)となる主人公が、安全圏から他人の生活を覗き、延いては犯罪者と疑った相手に執着し監視するに至るという、まさに映画を見ることそれ自体の窃視性をメタ化したような作品である点だ。

 劇中の季節の設定はおそらく夏で、そのため主人公の部屋の裏窓から中庭を挟んで見える向かいのアパートの住人たちも各自の部屋の裏窓を常時開け放っており、そこには老若男女、多種多様の人生模様が垣間見え、主人公がその景色を退屈しのぎに楽しむ行為自体がある種のPOV的な主観となり、我々観客がそれを追体験する形となる。これはまさに我々が映画を見る行為それ自体をメタ化した視点であると言える。映画を見ることはいわば人生の裏窓から他人の(自分とは別の)人生を覗き見る行為だからだ。安全圏から覗き見る他人の人生こそは劇であり見世物なのである。

 そしてそんな見世物を楽しむ主人公(=我々観客自身)が、安全圏から見るには最高の見世物である殺人事件と思しき疑惑の目撃者(観劇者)となる。主人公は知人の刑事にもすぐにこのことを知らせ、そこには理性や正義感や道徳的義憤などが伴うわけだが、しかしこの主人公はそれ以上に、犯罪の疑惑を目撃しそれを監視する探偵行為と、その絶対的な証拠を掴むまでのゲーム性に明らかに夢中になり、のめり込んでいる(当人の無自覚的な領域では「楽しんでいる」とすら言える)。

 ここで見事に活きてくるのが、主人公がカメラマンであるという設定だ。

 冒頭、台詞一切なしで主人公の素性や気質や骨折の理由までもがわずか数十秒で観客に伝わる、極めて合理的な「説明」シーンとしての卓越したワンカット撮影がある。

 まず車椅子でうたた寝する主人公を映し、片足のギブスから骨折していることが分かり、そこから壊れたカメラ、次いで撮影者の眼前にクラッシュしたレーシングカーが飛び込んでくる瞬間のスリリングな写真が映り、ここで彼がカメラマンの仕事をしており、その仕事中に骨折したことが一瞬で分かるようになっている。そしてここからいくつかの写真を見せていきながら、彼が世界中を飛び回ってスリリングな写真を撮っている、好奇心旺盛で刺激好きなカメラマンであることが分かる。

 主人公が好奇心旺盛で刺激好きなカメラマンで、危険とは無縁の落ち着いた生き方が出来ないことは、彼の安定を望む恋人との意識のすれ違いを見せる会話シーンからもよく分かる。そしてそんな彼が、自宅療養の車椅子生活で狭い部屋に閉じ込められているのだから、人並み以上に他人の生活を覗き見たがる(事件となれば、なおさらのめり込む)という設定にも自然な説得力がある。

 ヒッチコックはとことん「仕掛け」にこだわる職人監督だと思うが、本作『裏窓』は作品の中にあれこれ細かな仕掛けを仕込ませるのではなく、作品それ自体が巨大な箱庭的セットという一つの大仕掛けになっており、この箱庭の中だけで全てがコントロールされ展開される、ある種の密室劇だと言える。この巨大セットの仕上がりは見事だが、本作は骨折で動けない主人公の(裏窓からの)主観に限定して話が進んでゆくPOV的な密室劇であり、中庭を挟んだ「向こう側の世界」での殺人事件(疑惑)は主人公にとってはあくまで他人事で、彼は常に安全圏から探偵行為に夢中になれる。そしてこれは犯罪スリラー映画を見る我々観客の立場とメタ的にシンクロしている。

 さらにヒッチコックは、このメタ的状況を利用した「恐怖」を終盤に展開させる。

 あくまで部屋の中からの監視行為しか出来なかった主人公だが、最初は彼の事件への執着のし方に異を唱えていた恋人と訪問看護婦の二人が、次第に彼の探偵ごっこに感化され、ついには彼の手足となって、疑惑の夫の部屋に忍び込んだりする危険な行為に出てしまう。この終盤も視点はあくまで主人公主観なのだが、それまでは「向こう側の世界」の出来事でしかなかった殺人事件の恐怖が、主人公にとっての現実的な距離にまで縮められてしまうわけである。

 そして、安全圏であったはずの「こちら側」に犯罪者が現実の脅威となって侵入してくる……という最高のスリラー的展開をラストに持ってくる。これは、「安全圏から他人の不幸を見世物として楽しむ主人公=我々観客」の主観で話が進むメタ構造を利用した、かなり高度な恐怖演出だ。

 殺人を疑われる疑惑の夫の側には特に目立ったドラマ性はなく、そこはあくまでスリラーとして機能させるための駒の一つでしかない。

 本作での本質的な犯罪性はむしろ主人公側の窃視性にあり、それを(ある種の主観型POVとして)追体験する我々観客自身が内包する、映画という見世物に対する覗き行為の危うい快楽性へとメタ的に繋げてゆくところに、本作の最も面白く、最も重要なポイントがある。ヒッチコック作品特有の「仕掛け」とそこに演出される「恐怖」は、本作においてはついにスクリーンを突き抜け、安全圏にいると思い込んで油断している我々観客自身をも襲うのである。

 娯楽作品としてのライトな感覚と、極めてシンプルなストーリー展開の中でメタ的な大仕掛けをやり、最後はシニカルなジョークでストンと爽快なオチをつける。その卓越したテクニックと娯楽的な取っ付きやすさが最良の形で一本の作品へと結実した傑作が、この『裏窓』なのだ。

 

(2023年3月2日)

プロフィール

プロフィール画像
ニックネーム
わがままコブラ
性別
生年月日
1984年5月2日
QRコード
携帯用QRコード
アクセス数
ページビュー数