第227回『ロープ』

成功と失敗の実験的教科書

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『ロープ』
(Rope)
1948年:アメリカ
監督:アルフレッド・ヒッチコック


 先達て、映画好きな人とヒッチコックの話題になり、「良い点も悪い点も含めて、50本以上の監督作を用いたサスペンス/スリラーの(延いては映画作り全般における)大実験を繰り返したのが彼で、その成功も失敗も共に偉大なる功績として、その後の映画人に多大な影響を及ぼした」というような内容だったが、本作『ロープ』はそんな実験精神溢れるヒッチコック作品の代表格だ。

 歪んだルサンチマン青年とその精神的支配下にある気弱な青年の二人が、共通の友人を絞殺し、その死体を隠した部屋に被害者の家族や友人知己などを集めてパーティーを行う「芸術的な完全犯罪」を決行するが、そこに切れ者の教授が招かれたことから、徐々に二人の犯行に綻びが生じ始める……という内容で、実在の事件を元にした舞台演劇を映画化したもの。

 「密室劇のワンシチュエーション・スリラー」と「倒叙ミステリー」(犯人や犯行のトリックなどが最初から観客側に提示された状態で話が進む推理もの)を掛け合わせた作品だ。

 本作の映画作品としてのいちばんの実験的ポイントは、上映時間の80分がそのまま劇中の時間進行とリアルタイムで同期している(つまり劇中の事件もわずか80分間の出来事である)点と、もう一つ、作品丸々一本が疑似ワンカットで撮られている点。今でこそ、(デジタル撮影が可能となったこともあり)全編ワンカットあるいは疑似ワンカット撮影の映画作品というのは何本もあるが、おそらくその草分け的大実験作がこの『ロープ』と言えるのではなかろうか。

 当時のフィルム撮影では80分丸々ワンカットでの撮影は不可能なので(撮影フィルム1巻で10分~15分くらいしか撮影出来なかった)、演者の背中にカメラが寄った瞬間や、死体の入った箱の蓋を開けて画面全体を隠した瞬間などにカットを割っている(演者が話している途中で、なるべく気付かれないようにカットを割っている箇所もあるが、これは実験精神からなのか、あるいは演者がワンカット中の長台詞を間違えたからなのか……)。

 まず結論から言うと、全編疑似ワンカットにした必然性は、正直ないように思える。これは後続のワンカット映画にも言えるが、それによって作品の質や面白さが底上げされているとは、どうしても思えない(そもそも映像作品においてカットを割らないことの必然性自体、現時点ではかなり疑問だ)。さらには、どういう意図でなのか、オープニング、カーテンが閉め切られた窓にカメラが寄るシーンでハッキリとカットを割ってしまっている。出だしでいきなりハッキリとカットを割ってしまっては、後の疑似ワンカット撮影の苦労も何だか報われない気がしてしまうが、どういう意図でいきなりハッキリとカットを割ってしまったのだろうか。

 本作のいちばんの実験的ポイントである全編疑似ワンカットに関しては、これはもうハッキリと失敗ではないかと思えるが、しかしながら、この作品自体が完全に失敗かというと、これがなかなか面白いから侮れないのだ。カットを割らない長回し映像がメインで、しかもそこに展開されるのはアクションではなく、9割方が会話劇なのだが、ここで凄いと思うのが、常に会話する者たちに「移動」を加えてカメラを休みなく動かすことで、密室での会話の画しかないにもかかわらず、そこに「冗長さ」や「停滞」を感じさせないのである。カットを割らない長い長い会話シーンに、役者の「移動」とそれに即したカメラワークを駆使することで、流麗さと躍動感を与えているのだ。

 否応なく「動き(アクション)」を封じられてしまうことになる密室劇・会話劇という形式の中で、いかに映像作品としての流麗な躍動感を生むか……ということにおいて、ここまで画期的に成功している作品はそうそうないだろう。冒頭に絞殺シーンをバーン! と持って来てしまい、後は9割方が非アクション的な会話劇で進むだけなのに、それでも最後まで飽きさせない。

 この映像的大実験の中での大きな失敗と、また同時に編み出される画期的な映像テクニック、そして「密室劇のワンシチュエーション・スリラー」×「倒叙ミステリー」としての面白さ。一本のシンプルな映画作品の中に、あらゆる映画的情報がぎっしりと詰まっている。

 ヒッチコックならではの神業的成功と、ヒッチコックならではの実験的大失敗……そのどちらも映画史にとっては重要な財産なのだ。

 

(2023年2月27日)

プロフィール

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わがままコブラ
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1984年5月2日
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