第226回『巌窟の野獣』

ヒッチコック・バイオレンス

img_20231228-162850.jpg
『巌窟の野獣』
(Jamaica Inn)
1939年:イギリス
監督:アルフレッド・ヒッチコック


 ここ最近、何となくヒッチコック作品を立て続けにあれこれ見ている。特別に好きな監督ではないし、50本以上ある監督作を隅から隅まで見ているわけでもないが、最初期のサイレント作品から晩年の作品まで見て思うのは、渡米以後の作品は概ね尺も長めで冗長とさえ思える作品も少なくないが、それに比べてイギリス時代の作品は尺も短めで、無駄なくタイトに切り詰めたスピーディーな展開の作品が多いなということだ。もちろんイギリス時代にもアメリカ時代にも例外はあり、何より多作なので、当然ながら天才の巨匠監督とはいえ、50本以上に渡る作品群は玉石混交である。

 本作『巌窟の野獣』は1939年の作品で、1925年にイギリスで長編映画デビューしてから23本目の長編映画監督作にあたる。本作までがイギリスをメインに活動した時代で、翌1940年にはアメリカで『レベッカ』を撮り、以降はアメリカをメインに多くの監督作(長編映画では30本、他にテレビ作品の『ヒッチコック劇場』などもある)を残している(渡米後も何本かはイギリスに戻って撮っているようだ)。『巌窟の野獣』も『レベッカ』も原作は同じダフネ・デュ・モーリアで、ヒッチコックの代表作の一つである『鳥』(1963年)の原作者でもある。

 今まで私が見た限りでは、最も「ヒッチコックらしい」と思える作品での傑作は『三十九夜』(1935年)だ。ショックとスリルとサスペンス、巻き込まれ型の逃亡劇からの逆襲劇という展開、皮肉たっぷりの会話の応酬、危機的状況下でのブロンド美女との吊り橋効果的なラブロマンス、無駄がなくタイトでスピーディーな話運び……「ヒッチコックってどんな映画撮ってるの?」と訊かれたら、まずこの『三十九夜』を薦めれば、いちばん手っ取り早いのではないかとさえ思える。

 それに比べると、『巌窟の野獣』は先述したような「ヒッチコックらしさ」とは少し違う方向性の作品と言える。巻き込まれ型の逃亡劇からの逆襲劇で、主人公が美女とのコンビで危機に立ち向かうという設定は定番といえば定番だが、謎が謎を呼ぶようなサスペンス展開を最も得意とする「いつもの」ヒッチコック作品をイメージすると、そこから逸脱した意外性に驚かされる。

 本作は一言で言うと、潜入捜査官もののバイオレンス・アクションだ。

 舞台は海岸沿いの荒涼とした田舎町で、その海岸は波が荒く、そこを通る船が座礁しやすいのをいいことに、地元の荒くれた盗賊団が故意に船を難破させては金目の物を根こそぎ強奪し、その目撃者となる船員たちを口封じのために問答無用で皆殺しにしてしまう。

 この盗賊団のリーダーが表向き経営するボロ宿の名前が、原題にもなっている「ジャマイカ亭(Jamaica Inn)」で、荒くれた強盗団の手下たちの溜まり場にもなっている。

 この強盗団のリーダーの妻がヒロインの伯母で、最近母を亡くしたヒロインが、唯一の身寄りである伯母を頼って「ジャマイカ亭」へとやって来る。そして強盗団の中で新米のメンバーが強奪品の横流しを疑われ、吊るし首にされそうになっているところをヒロインが助け、ここから二人の一蓮托生の逃亡劇からの逆襲劇という定番の流れとなる(この「巻き込まれ型の男女二人の逃亡劇から逆襲劇へ転じる」という流れは、ヒッチコック作品によくあるパターンだ)。

 そしてここに潜入捜査官ものの要素と、「この強盗団を裏で操る黒幕が実は……」というサスペンス要素が加わるが、ここらへんの種明かしは序盤で早々に済ませてしまうので、最後まで謎が謎を呼ぶサスペンスとして展開する「いつものヒッチコックらしい」作品とは異なる。

 また、主人公男女が悪を討つ冒険活劇というほどの爽やかさとも違って、どちらかといえば主人公男女の活躍よりも、根っから下衆い悪党たちが、自ら破滅へと向かって突き進んでいく(ある種の)ノワール作品と取れなくもない。

 そして何より、徹頭徹尾凶々しく暴力的であることが、本作最大の魅力と言っても過言ではない。冒頭の荒波の中での船の難破シーンと、そこから強盗団たちによる強奪と殺戮のシーンへとなだれ込んでゆくシークエンスのその荒々しくも洗練された演出のショッキングさとスリリングさ、野蛮な暴力性の見事さには、一介の暴力映画好きとして感動すら覚えるほどだ。

 「船員を一人残らず殺せ」とリーダーが命令したにもかかわらず、最後に一人だけまだ息がある船員が見つかり、手下たちはリーダーの逆鱗に触れる。手下の一人がナイフ片手に「やれやれ」といった様子で画面の外に消える。そして画面の外から断末魔の悲鳴だけが聞こえてくる。

 時代的にまだそこまで直接的な暴力描写は描かれないものの、むしろこの「全ては見せない中での洗練さ」に、ヒッチコックの名人芸たるセンスが光る。本作におけるこの露悪的とすら言える暴力性・残酷性は、『サボタージュ』(1936年)にも通ずる点と言えるだろうか。

 また、美女のヒロイン(演じるはモーリン・オハラ)が猿ぐつわを噛まされ縛り上げられるシーンの舐め回すような変態性は、後年の『フレンジー』(1972年)に通ずる(『フレンジー』はヒッチコックの「サスペンス/スリラーの神様」としての技巧ではなく、その露悪性・変態性が極限まで押し出された問題作であると思う)。

 ヒッチコック作品に暴力性や変態性があるのは代表作の『サイコ』(1960年)などを見れば一目瞭然だが、しかしまさか暴力映画(バイオレンス・アクション)としてここまで自分のツボにドンピシャな作品が、ヒッチコック作品の中にあるとは思わなかった。

 

(2023年2月21日)

プロフィール

プロフィール画像
ニックネーム
わがままコブラ
性別
男
生年月日
1984年5月2日
QRコード
携帯用QRコード
アクセス数
ページビュー数