第225回『高地戦』

韓国映画がハリウッドに追いつくとき

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『高地戦』
(고지전)
2011年:韓国
監督:チャン・フン


 『シュリ』(1999年)や『シルミド』(2003年)あたりから、絵空事ではない本格的な「ハリウッドに追いつけ追い越せ」の高度な映画作りを始めて、その世界照準の実力を着実に伸ばして行った韓国映画が、ある一つの到達点に達したと思える一本がこの『高地戦』だ(その後の10年でさらに洗練された作品を作り続けて今に至るのは、多くの人が知るところだろう)。

 朝鮮戦争末期の最前線の一つ「エロック高地」を舞台に、日々北朝鮮軍との死闘を繰り広げる韓国軍「ワニ中隊」の兵士たちの、血みどろの戦いと人間ドラマを描いた戦争大作である。

 『ハンバーガー・ヒル』(1987年)をメインに、『フルメタル・ジャケット』(1987年)や『プライベート・ライアン』(1998年)といった戦争大作、あるいは『独立愚連隊』(1959年)や『特攻大作戦』(1967年)や『戦争のはらわた』(1977年)といったアウトロー集団が活躍する戦争アクション、そして最終的には『西部戦線異状なし』(1930年)のような反戦的名作の要素に至るまで、古今東西の大小様々な戦争映画の傑作・名作の良いところを抽出し、それを最高度の技術と斬新なオリジナリティーで再構築することに成功している。

 その圧巻の戦場描写と濃厚なドラマは、ハリウッドの名作にも負けないクオリティーを持つと同時に、ハリウッドをはじめとする欧米諸国の作品には出せない、韓国映画特有のクセの強いユーモアや容赦のない暴力表現にも満ちている。

 手に汗握る戦争アクションとしての戦闘シーンの凄まじさを映し出しながら、同時に戦争という残酷な悲劇に破壊された人間たちの心も描き出す。また、二重スパイ的な疑惑のサスペンスを展開しながら、そこから敵も味方も関係なく「同じ人間が殺し合う」ことの不条理を問う人間ドラマへと拡げてゆく。一本の戦争映画の中に、多角的・重層的なジャンル要素やテーマ性を散りばめ、同時に普遍的な反戦意識や南北統一の願いも織り込み、一本の娯楽作品として丁寧に編み上げている。

 演出、カメラワーク、編集、衣装、小道具、セット、そして若手からベテランに至る役者たちの演技のクオリティーまで、「ハリウッドに追いつけ追い越せ」の映画作りがまさに「追いつき、追い越したとすら思える」地点に到達した瞬間が、この一本の映画には詰まっている。

 人間ドラマの部分に「泣かせ」の要素が強いのは否めないが、とはいえ、きれいごとだけでは決して生き残れない戦場の地獄(まさに「地獄」以外の何ものでもない、血と肉片と憎悪と狂気に満ちたそれ)をどこまでもストレートに叩きつけてくる容赦のなさに関しては、ハリウッド以上の凄まじさを持っていると言える(これは犯罪映画などにおいても顕著な韓国映画の特徴だ)。

 メインキャラとなるワニ中隊の面々のキャラクターの濃さ・面白さも素晴らしいが、さらには「敵」である北朝鮮側の兵士たちにもしっかりとしたキャラクターを持たせ、南北の境界線を超越した人間ドラマをそこに展開させていく様は戦争映画としてかなりフェアな描き方であると思うし、善悪や美醜で分け隔てぬ「人間の弱さ」を南北の両サイド共にしっかりと描き出しているという意味で、このバランス感覚こそが本当のヒューマニズムなのではないかとも思えてくる。

 偏ったプロパガンダではない反戦意識を示し、戦争の悲惨さに真摯に向き合うと同時に、それをハイクオリティーな娯楽作品として作り上げることは創作においては可能である、と私は常々思っているが、本作『高地戦』こそまさにそれを一本の映画作品として結実させている。ゼロ年代初頭から本格的に世界照準の映画作りに徹してきた韓国映画が、その一つの到達点に達した作品として、そして現在にも続く一つの指標として、『高地戦』は現代韓国映画を代表する傑作である。

 

(2023年2月13日)

プロフィール

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わがままコブラ
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1984年5月2日
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