第221回『ロード・オブ・ウォー』

国家と戦争の表と裏、そして世界の裏の裏

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『ロード・オブ・ウォー』
(Lord of War)
2005年:アメリカ
監督:アンドリュー・ニコル

 崩壊前の旧ソビエト連邦ウクライナから一家でアメリカへと渡った主人公ユーリ(二コラス・ケイジ)。「自由の国」へと移り住んだはいいものの、貧乏な移民としての冴えない日々を送る彼は、どうにかしてこの生活から抜け出し、一旗揚げたいと燻っていた。ある日、彼は治安の悪い地元でロシアン・マフィアの銃撃戦に巻き込まれ、目の前の光景に衝撃を受ける。それは血みどろの暴力への恐怖以上に、「これはカネになる!」という人生を切り拓くための閃きのようなものであった。

 世の中には常に人々の争いごとが絶えず、大小様々な暴力が渦巻き、その暴力の効率的な行使のためには必ず武器が要る。ならばその武器を売る側に回れば、売り方次第では成功者になれる。非常にシンプルな考えだが、彼のこの読みは間違ってはいなかった。彼はさっそく手始めに一丁のサブマシンガンを手に入れ、これをギャングへと転売する。彼は元より口が達者な男であったため、その巧みなセールストークで見事に交渉は成立。この初っ端からの成功体験が彼の野心に火をつける。

 銃社会のアメリカに銃砲店など星の数ほど存在する。そんなチマチマした商売では真の成功者になどなれるはずがない。武器商人としての商機は国家規模の取引にある。しかしそれも合法的な領域では競争相手も多く、でかい儲けにはならない。ならば非合法の闇取引で勝負をかけるしかない。こうして、1980年代~90年代の混迷を極める世界情勢の波に乗る形で、政治的立場も人としての倫理観も全てかなぐり捨てたユーリは、世界各地の血生臭い戦場に乗り込んでは、右も左も人種も宗教も関係なく、あらゆる大組織や政府に武器・兵器を売って売って売りまくる。

 米ソの二大大国が冷戦期の軍備増強で量産した武器・兵器は世界中のどこかに眠っており、それを大量に安く買い付け、あらゆる戦地や紛争地へと売り付ける。ここまで手荒に非合法に、そして相手を選ばず、倫理的な躊躇も一切せずにドライなビジネスに徹することが出来るユーリは、いつしか世界トップクラスの「死の商人」として成り上がってゆくが、彼のその人道を外れた悪魔的所業は、彼の周りからあらゆる大切なものを奪い去り、彼自身を地獄の底へと追い詰めてゆく……。

 本作は基本的には弱者の視点や人道的立場に拠った反体制的・反戦的な社会派ドラマであるが(その点は同監督の過去作『ガタカ』(1997年)に通底する作風と言えるが)、そこをエモーショナルな善意として提示するのではなく、残酷な社会的現実を下敷きにしたドライな(皮肉なブラック・コメディー的要素を有した)エンターテイメント作品として仕上げている。

 そういう意味では、『オール・ザ・キングスメン』(1949年)、『エルマー・ガントリー/魅せられた男』(1960年)、『スカーフェイス』(1983年)、『サンキュー・スモーキング』(2005年)、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(2013年)、『ファウンダー/ハンバーガー帝国のヒミツ』(2016年)といった作品群と同じ系譜の作品であると言える。

 いずれも主人公が非合法的あるいは非人道的な商法によって成り上がってゆき、その頂点を極めると同時に人間としての大切なものを尽く失ってゆく、という人間の業を高度にエンターテイメント化した傑作ばかりで、『ロード・オブ・ウォー』もまさにこの流れを汲む傑作である。

 本作の主人公ユーリは、決して生まれついてのサイコパスでも血の気の多い獣でもなく、家族に対する愛情もあり、それなりの良心も人間的弱さも持ち合わせている。がしかし、彼の不幸はそれを上回る商魂と商才があるという点だ。最終的に彼は、彼の非人道的商売を非難する妻に対し、「カネのためにやってるんじゃないんだ。これが俺の(唯一の)才能なんだよ」という本音を吐き出す(ユーリの妻は「容姿が美しい」ということ以外に何の才能も持ち合わせておらず、彼女自身、そのことに悲嘆し自虐的になっている、というキャラ設定が何とも残酷な対比として描かれる)。

 ユーリは「死の商人」として完全に割り切って生きられているわけではなく、自分の幼い息子の部屋にあったオモチャのピストルはそっとゴミ箱に捨てる。しかし彼が売る本物のカラシニコフで、貧しい国の少年兵たちは毎日のように殺し合っているという現実がある。ユーリは「俺はただ武器を売っているだけで、この手で人を殺してるわけじゃない」と自身に言い聞かせるように言い訳するが、中盤、かなり分かりやすく実際の人殺しに加担させられる(残酷な選択肢を迫られた状態で、彼は商売敵である人間を殺す方を躊躇いながらも自ら選ぶ、という何とも皮肉なシーンだ)。

 ユーリと対照的に描かれるキャラとして、良心的で人間的弱さがある弟ヴィタリー(ジャレッド・レト)と、常に合法的であることを重んじるインターポールの捜査官ジャック(イーサン・ホーク)が登場する。端的に言えば、ヴィタリーは本作における「良心」であり、ジャックは本作における「正義」だ。当然ながら、自分を誤魔化しながら「死の商人」を続けるユーリとこの二人は対立的な関係性となる(敵対的というよりは対立的な関係性と言った方が的確だろう)。

 ヴィタリーは最初は兄ユーリの「死の商人」としての仕事に同行するが、その良心的弱さゆえにドラッグ漬けになったり、取引の場で感情的になり、取引自体をご破算にしようと暴走する。商売人としては完全に失格であるが、人間としてはこちらの方が遥かにまともである。ジャックは己の正義感に忠実だが、頑ななまでに法に順ずるその姿勢が常にユーリの後手に回ってしまう。そして最終的には、ユーリにとって最大の顧客が、ジャック自身が所属する法の側(つまり国家的・軍事的・警察的立場)の上層部の人間だと知り絶望する羽目に陥る。国家という最大の武器商人の下請けセールスマンが、つまるところユーリのような「死の商人」たちなのである。

 個人的な「良心」や「正義」だけではどうにも太刀打ち出来ないレベルの、強大な国家間のパワーバランスの下に常に世界各地で戦争や紛争が起こり、その合間を縫うようにユーリのような絶対的必要悪が暗躍することとなる。これはもはやユーリ本人ですらコントロールすることの出来ない絶望的現実であり、この仕事によって自身にとっての大切な存在の尽くを失ってもなお、一度この裏の世界に足を踏み入れてしまった以上はもはや抜け出すことなど出来ず、ユーリは今日もまた世界各地の戦地に赴き、誰彼構わず「殺し」を売って歩くのである。

 ユーリの商魂と商才は人類の平和にとっても彼自身にとっても邪悪な呪いそのものであるが、しかしこの邪悪な呪いは、常に世界中の国家や大組織にとっては必要不可欠な存在なのだ。人類が人類としての殺し合いを続ける限り、ユーリのような人間とその才能は絶対的必要悪として所望され続ける。「世界を受け継ぐのは武器商人だ。他は殺し合いで忙しい。生き残る秘訣は戦争に行かないこと。特に自分からは……」というユーリのモノローグで、この映画は静かに幕を閉じる。

 

(2022年12月11日)

プロフィール

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ニックネーム
わがままコブラ
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生年月日
1984年5月2日
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