第220回『みな殺しの拳銃』

ハードボイルド・アクションの教科書

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『みな殺しの拳銃』
1967年:日本
監督:長谷部安春


 ヤクザ組織の幹部である主人公、黒田(宍戸錠)は、組織のボスの命令で自分に惚れていた女を殺す。それを知った黒田の弟(三男)、三郎(岡崎二郎)は、このボスが所有するジムに所属するボクサーであったが、兄に非情な殺しをさせたボスへの反発から自らジムを去る。しかしこの態度がただで済むはずもなく、二郎は二度とリングに上がれなくなる怪我を両手に負わされる。これをきっかけに黒田は組織を去るが、この黒田の態度もやはりただで見逃されるはずもなく、黒田のもう一人の弟(次男)、英次(藤竜也)が経営するクラブの店内を滅茶苦茶に破壊されてしまう。

 この度重なる組織からの圧力に対し、最初こそおとなしく黙っていた黒田だったが、ついには弟たちと共に反撃の狼煙を上げ、組織への逆襲を開始する。しかし、組織には黒田の古くからの相棒である白坂(二谷英明)がおり、お互いに殺し合いになることだけは避けたいと願うが、黒田たちと組織の抗争が激化する中で、いつしか黒田と白坂の殺し合いは避けられなくなってゆく……。

 ハードボイルドというジャンルにおけるベタ(定石)要素を丁寧に丁寧に突き詰め、どこまでもシンプルかつストレートに、しかし抑えるところはしっかり抑え、最後までピリッと引き締まったクールさを崩さない、正統派ハードボイルド・アクションの傑作である。

 和製ハードボイルド映画の最高峰ではないかと思えるほど素晴らしい仕上がりで、もはや「ハードボイルド・アクションの教科書」と言っても過言ではない。クールで渋いハードボイルド・アクションを撮ろうとするとき、最も基本的で最も美しいお手本があるとしたら、それは本作だ。

 非情な暴力の世界でしか生きていけない男たち、その男たちを一歩引いたところから見つめるクールな女たち、そしてその世界には踏み込めない優しい男たち……情感の煽りに頼らぬ人間ドラマのバランス感覚が非常に良い。

 特に三郎に関わるドラマパートは、三郎が兄二人と違って「非情な暴力の世界では生きていけない男」というキャラ設定もあり、泣きの人情ものにグッと寄ってしまいそうなところなのだが、そこもどうにか抑えに抑えて、ピリッと引き締まったクールな空気を崩さないようにしている。

 やたらアクションを詰め込むことはせず、メリハリある見せ場・山場として、少しこちらを焦らすくらいの待たせ方をするが、それも冗長ということではなく、アクション(暴力の発動)へと至るまでのピリッと引き締まったやり取りの見せ方は無駄がなくクールである。そしてここぞという見せ場として、「みな殺し」のタイトルそのままに苛烈な銃撃アクションが展開される。タメにタメてからの「みな殺し」アクションなので、その静と動の対比的な効果がよく表れている。

 あくまでハードボイルドとしてのベタを徹底的に貫いているので、何か変則的な驚きや新鮮味があるわけではない。しかしながら、ここまでハードボイルドとしてのベタを丁寧に追求している(そしてそれが見事に成功している)作品というのも、なかなかお目にかかれない。

 ほんの一点だけ(本当にほんの少しなのだが)不満点があるとすれば、最後の最後で三郎が「みな殺し」の惨劇が終わった現場に感情をあらわにして走り込んで来るところだろうか。その直前の、「男二人の死闘の果ての儚いくたばり方」でビシッとドライに終わらせた方が、ハードボイルドとしての苦みばしったラストカットとしては完璧であったように思える。

 血と暴力の非情な世界、ニヒルでクールでキザなやり取り、出来得る限り湿っぽい情感を廃したドライなタッチ、己の矜持を貫く男たちのビターな生きざま、そして言葉少なに交わされる男と男の兄弟仁義……古典的とも言えるこれらのハードボイルド然とした要素を過不足なく丁寧に敷き詰め、そのベタを徹底的に追及し、それをハイクオリティーに結実させた和製ハードボイルド映画の最高峰と呼べる一本。世に数多あるハードボイルド・アクションの中でも、本作ほどに正統派な「教科書」と呼べる映画作品はそう多くはないだろう。「型」としての美しさを極めた見事な作品だ。

 

(2022年12月9日)

プロフィール

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わがままコブラ
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生年月日
1984年5月2日
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