第219回『マッドゴッド』

地獄を生み出す神の業

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『マッドゴッド』
(Mad God)
2021年:アメリカ
監督:フィル・ティペット


 長年に渡りハリウッドの第一線で活躍してきた特殊効果・視覚効果の名匠フィル・ティペット。そんな彼がおよそ30年もの月日をかけ(構想期間・中断期間なども含む)、自身の持てるヴィジョンとイマジネーションの全てを注ぎ込んだ監督作がこの『マッドゴッド』だ。作品の大半はストップモーション・アニメだが、一部は生身の役者を用いた実写シーンもある(この実写シーンには、映画監督であり俳優でもあるアレックス・コックスが出演している)。

 設定としての大まかなストーリーはあるようだが、本編には冒頭の聖書の引用文以外には台詞もキャプションも一切出てこないので、外側の情報に触れずに作品そのものだけに臨む限りは、ストーリーらしいストーリーを観客側が把握することはまず不可能であろう。ではそれで困るかといったらそんなことは一切なく、名匠と凄腕スタッフたちによる、神業的技量に裏打ちされた映像叙事詩の洪水にただただ圧倒され、ついには魂ごと飲み込まれてしまう。

 80数分の劇中に映し出されるのは、ずばり地獄そのものである。我々観客は幸運にもカメラという神の視点を借りて、地下世界に拡がるこの壮絶な地獄絵巻を追体験する役割を仰せ付かる。

 血と内蔵と糞尿と奇形と死と破壊と腐敗と暴力がグチャドロに混ざり合って激しい爆発を繰り返す様を、執拗なまでに丁寧に丁寧に作り込んだ残酷で美しい映像詩へと昇華し、その研ぎ澄まされた刃先で我々観客の心臓をグサグサと突き刺してくる。支配的なクリーチャーの拷問的暴力によって、被支配的なクリーチャーの苦痛と苦悶と呆気ない死が無限に再生産され、悪夢そのものであるはずのその光景に、いつしか甘美さすら覚えている己の内なる残酷性に気付かされる。

 ゲームやミュージック・ビデオや短編のアート・アニメではなく、長編映画としてこんなとんでもない地獄絵巻を30年もかけて作り上げたことに、ただただ驚き感動する。ひたすらグチャドロの残酷地獄絵巻ではあるが、そこに暗さや重さを感じるよりも、超一流の職人がストレートな地獄を創出することに自身の才能を振り切った、というその豪快さと執念に舌を巻くばかりである。

 正直、見る前はストップモーション・アニメだからと少しばかり侮っていたが、これは完全にこちらの思い上がりであった。本当に誇張でも何でもなく、『2001年宇宙の旅』(1968年)に勝るとも劣らない映像体験が待っていたからだ(実は劇中に『2001年~』へのオマージュもある)。

 私は元より完全な娯楽主義なので、長編映画として最初から最後まで前衛やシュールといった表現を貫かれるのは非常に苦手で、そういう作風には苦痛を感じやすい根っからの俗物なのだが、本作はストーリーらしいストーリーもないのに(というより、ストーリー的なものがあっても、劇中でそれが分かりやすく説明されることは一切ないのに)、最後まで全く飽きずに夢中になれた。

 一流のベテラン職人が頭の中の創作的ヴィジョンを出し尽くす、というとんでもない作品だが、それを短期でバババッと駆け抜けたのではなく、30年かけてじっくりじっくり頭の中身を絞り出すように積み重ねているので、スピード感のある若々しい狂気性ではなく、奥行きと重厚さを持った狂気性が作品を貫いている。例えば『鉄男』(1989年)という作品には、若々しいスピード感ある狂気性で一気呵成に突っ走る面白さがあるが、『マッドゴッド』はちょうどその対極にある作品と言えるのではなかろうか。勢いだけでは決して生み出せない、圧倒的技量に裏打ちされた狂気性なので、どっしり腰が据わっていると同時に、きめ細かい丁寧な美しさ・滑らかさにも満ちている。

 今年(2022年)は自分にとっては例年になく新作映画が不作の年であったので、この年の瀬に来て『マッドゴッド』のようなとんでもない作品にガツンとかまされ、「もう自分が夢中になれるような新作になど出会えないのだ……」などとしょげていた我が魂が、一気に息を吹き返したようである。自分が愛すべき映画作品がまた一本増えたことに、純粋な歓びを感じている。

 

(2022年12月6日)

プロフィール

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ニックネーム
わがままコブラ
性別
男
生年月日
1984年5月2日
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