第217回『「みな殺しの歌」より/拳銃よさらば!』

虚しさだけが残る皆殺しの狂騒曲

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『「みな殺しの歌」より/拳銃よさらば!』
1960年:日本
監督:須川栄三


 『野獣死すべし』(1959年)、『野獣狩り』(1973年)、『野獣死すべし/復讐のメカニック』(1974年)と須川栄三作品を見たが、やはりドライなタッチのハードボイルド作品を撮るのが得意な監督だなと思う。この時代の監督には多いが、須川栄三もおそらく生粋の職人肌で、どんなジャンルも幅広く手掛ける作り手なのはフィルモグラフィーを見るとよく分かるが、今回この『拳銃よさらば!』を見て、改めてドライなタッチのハードボイルド作品の名手であることを実感した。

 一年前に銀行強盗を決行した七人の男。もともとカタギの男たちだが、それぞれに生活が逼迫しており、どうしてもカネが必要であったため、七人で共謀して犯行に及んだ。犯行後の一年間は、事件のほとぼりが冷めるのを待つためにカネには手を着けなかったが、一年後に再び七人が集まると、なんと隠し場所からカネが全て消えていた。七人の中の誰かがやったことは間違いない。

 男たちの間に疑心暗鬼と怒りと焦燥が渦巻き始める中、七人の中の一人である衣川(平田昭彦)が犯人不明の轢き逃げによって死亡してしまう。

 衣川の弟・恭介(水原弘)は刑務所から出たばかりで、昔から何かと自分に優しく接してくれた兄を頼ってシャバへと戻って来たが、その矢先に兄が死んで絶望する中、兄が関わった銀行強盗とその仲間たちの存在を知り、自分の兄は強盗仲間六人の内の誰かに殺されたに違いないと推測する。そして兄が密かに隠していた拳銃(銀行強盗に用いたもの)を手に入れたことから、若さゆえの底知れぬ暴力衝動と復讐の情念を燃え上がらせながら、標的の男たちを次々と襲い始める。果たして彼はこの血みどろの復讐の果てに、兄の死の真相と大金の行方を知ることが出来るのか……。

 先に挙げた三本のハードボイルド作品を見る限り、須川栄三自身は謎が謎を呼ぶようなサスペンス要素にはあまり興味がなさそうに思えるが、本作『拳銃よさらば!』では、「誰が大金を隠したか」というサスペンス要素が物語の展開の中心となる点が意外で興味深い(脚本は寺山修司)。

 また、銀行強盗を決行した七人の男たちが、れっきとした犯罪者ではなく、それぞれごく一般的な仕事や家庭生活を持った「普通の男」であるという点もなかなか面白い(丹波哲郎が演じるキャラだけはヤクザ者風ではあるが)。せっかく手に入れた大金が隠し場所からなくなったときも、カネそれ自体への執着よりも、事が面倒になって「カタギとしての生活」に悪影響を及ぼすことを心配する者の方が多く、こういう展開は犯罪映画としてはけっこうめずらしい部類かと思う。

 刑務所帰りの主人公・恭介にしても、根っからの悪党ではなく(刑務所に入った理由も自身の落ち度ばかりではなさそうだし)、どちらかといえば純情で不器用な、自分の兄を清廉潔白な真人間として信じて疑わないような青年である。そしてその純情ゆえにエモーショナルな衝動に突っ走りやすい性分が、拳銃を手に入れた瞬間、ストレートな暴力衝動と情念的な復讐心へと転化される。

 しかしながら、主人公がいくらエモーショナルなキャラクターであっても、作品全体としては徹底的にドライなシャープさに貫かれているあたり、やはり須川栄三という作り手の性質がよく表れたハードボイルド作品であると言える。実際、劇中において、主人公のエモーショナルさは他の登場人物たちから「坊や」的なものとして揶揄される。

 基本的には善人らしい善人など一人も出てこない潔さで、特に善も悪もなく常にあっけらかんとドライで楽観的な女たちの描き方は最高だ。対する男たちは皆、弱みと苦悩の中で這いずり回り、他人のことなどどうでもいいから自分だけは助かりたい、という下衆さも一切隠そうとしない。そしてそんな人間たちの犯罪狂騒曲の果てに、誰一人として得をすることがない、実にドライで皮肉っぽく突き放した虚無のラストに到達する。

 本作より先に見ていた『野獣死すべし』『野獣狩り』『復讐のメカニック』においても、全く同じようなドライで虚無的な突き放しの感覚をラストの描き方に強く感じた。そしてそこが何より素晴らしく、犯罪映画とはこうあるべきだとすら思える。しかしそこにあまり厭な重々しさを感じさせない独特の軽やかさがあり、それは決して物足りないという意味ではなく、作品全体をタイトにまとめ上げる職人的な腕の良さだと思える。須川栄三は実に興味深いバランス感覚の映画監督だ。

 

(2022年11月9日)

プロフィール

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わがままコブラ
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生年月日
1984年5月2日
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