第215回『鮫肌男と桃尻女』

寺島進の照れ笑い

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『鮫肌男と桃尻女』
1998年:日本
監督:石井克人


 望月峯太郎の原作漫画を実写映画化したもの。組のカネを持ち逃げした鮫肌黒男(浅野忠信)と、それを追うヤクザたちの山中での攻防劇を描いたシンプルな作品で、そこにヒロインの桃尻トシコ(小日向しえ)が巻き込まれ、鮫肌とトシコの淡い恋愛劇と逃亡劇が折り重なってゆく。

 Vシネマ的なハードボイルド映画であるが、CMディレクター出身の石井監督によって、血生臭く男臭い世界観を主軸としながらも、カラフルで漫画チックな衣装とミュージック・ビデオのような映像捌きで、いわば日本版『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』(1998年)のような軽妙洒脱な犯罪映画に仕上がっている(ガイ・リッチー監督のデビュー作である『ロック~』とほぼ同タイミングで、日本でもこのような作品が世に出て来たというのは何とも興味深い)。

 今回、中学生の時分にレンタルVHSで見て以来の(実に二十数年ぶりの)再見であったが、当時と変わらず楽しめた。90年代終盤、映画でもTVドラマでもCMでもお笑いでも、やたら流行っていたような記憶があるシュール&オフビートな笑いの感覚は当時も今も苦手で、その点だけは本作においても全く好きではないが、ハードボイルドな犯罪映画としての渋さもそれなりにあって、暴力描写も思った以上にしっかり骨太な流血と死を見せてくれる。

 暴力描写(特に感情や熱のない銃撃戦やジャンプカットを用いた暴力ギャグ)に関しては明らかに北野武作品の影響が見て取れるが、全体的に軽いノリの割には死の見せ方がさらっと冷酷で、ついさっきまで漫画チックな立ち回りをしていたキャラが、殺される瞬間は一転してリアリズム表現に変わり、生き生きと動き喋っていた人間が一瞬にして即物的な「モノとしての死体」に変わり果てる演出は見事だ。そこに「ドラマチックな死」はなく、生命活動をしていた生き物がただの冷たい物体に変わる、という冷めた(突き放した)演出に徹しており、この点に関しては、能天気で漫画チックな演出との落差がとても活かされているように思える。この漫画チックなアクションと冷たく突き放したような死の落差が、独自性の強いショック・バリューを生み出している。

 支配的な保護者である叔父から逃げ出そうとしているトシコが、組のカネを持ち逃げしている鮫肌と共に逃避行型の恋に落ちていく流れはかなりベタだが、ここで感心するのは、互いに惹かれ合いながらも「好きだ」というようなことは一切台詞で言わない点だ。何かから逃げている男女が偶然出会い、行動を共にするうちに自然と惹かれ合う。この必要最小限の「情報」さえ伝われば、余計な心情吐露の台詞など不要なのだ。トシコが鮫肌に一目惚れするところでメロウな「恋のテーマ曲」のようなものがうっすら流れるくらいで、それ以上の特別な演出はない。

 本作は自分にとって100点満点の映画作品ではないが、しかしながらエピローグ的に加えられたラストだけは100点満点と思える良さがあり、このラストシーンがあるおかげで(終わりよければ全てよしという感じで)、本作の総合評価が自分の中で高くなっていると言える。

 本作のラストを飾るのは主人公の鮫肌ではなく、鮫肌の兄貴分である沢田(寺島進)だ。沢田とトシコのやり取りが本作のラストとなるのだが(ネタバレになるので詳細は控えるが)、トシコが立ち去り際、屈託のない笑顔で沢田に「ありがとう」と礼を述べると、それまで無表情だった沢田が軽くうつむいて子供みたいな照れ笑いをする。この照れ笑いの演技が絶妙なのだ。

 90年代末当時の日本映画のベテランから若手までけっこうな面子が揃った本作だが、ほとんどのキャラが漫画チックにデフォルメされている中で、寺島進だけは寺島進らしいナチュラルな飄々とした演技でヤクザに向かない優男を好演しており、おそらく監督も本作においては寺島進をかなり推している(寺島進と我修院達也のことを他の役者以上にフィーチャーしているように見える)。

 北野映画などで幾度も見ている寺島進はもともと好きな役者であったが、本作のラストでその味わい深い名演技(台詞よりも静謐な間と絶妙な表情の演技)をたっぷりと見せてくれ、改めて「こんなにイイ役者だったのか!」と感嘆させられた。こういうシーンをたった一つでも生み出せれば、それはもう映画作品としては圧倒的な「勝ち」だと言える。こういう「勝ち」は小気味よい。

 

(2022年10月21日)

プロフィール

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ニックネーム
わがままコブラ
性別
男
生年月日
1984年5月2日
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