第210回『ハンター』(2011年)

静謐さと渋さの極致

img_20231228-160326.jpg
『ハンター』
(The Hunter)
2011年:オーストラリア
監督:ダニエル・ネットハイム


 軍事関連のバイオテクノロジー企業から、絶滅したとされながらも密かに目撃情報がある(おそらく地上で最後の一頭かもしれない)タスマニアタイガーを探し出し、その生体サンプル(臓器や血液など)を手に入れてほしいとの依頼を受けた孤高の凄腕ハンターが、依頼した企業の真の目的のために危険なトラブルに巻き込まれていく……というハードボイルド・サスペンス。

 派手なアクションも、複雑に入り組んだ(二転三転するような)展開も、大仰に感情を煽るようなドラマチックさもない。およそ娯楽映画としての安全パイと言えるような演出は徹底的に削って、極限までシンプルに仕上げており、ここまで娯楽的味付け(派手さ)を削ぎ落としたタイトな作風でも、丹念に作り込めば質の高い娯楽作品に仕上がることを見事に示した逸品だ。

 内容が似ているわけではないが、その静謐さと渋さという点で、『ウィンターズ・ボーン』(2010年)や『ウィンド・リバー』(2017年)といった作品に漂うハードボイルドさと通ずるものがあり、また、『ヒトラーを殺し、その後ビッグフットを殺した男』(2018年)という作品には、本作『ハンター』に影響を受けているのではないかと思わせる部分もあり、興味深い。

 本作は何より主演のウィレム・デフォーの抑えに抑えた燻し銀の演技が素晴らしく、寡黙で人を寄せ付けないような孤高の凄腕ハンターの仕事ぶりを、オーストラリアの大自然を背景に淡々と見せてゆくのだが、そんな孤独な人生を歩んで来たであろう主人公が、「最後の一頭」と思しき標的に自らの生きざまを重ねる姿が何とも切なく、まさにハードボイルド然とした男の哀切さがそこに匂い立つ。しかし本作はそんなハードボイルドな男の孤独な闘いだけをストレートに描くのではなく、そこに擬似的な「家族の再生」ドラマも絡ませ、これがまたなかなかに見せるのである。

 主人公は仕事の間、ある家に逗留する。母と幼い子二人(姉・弟)の生活で、最近になってこの家の父親は謎の失踪を遂げている(この失踪が実は、主人公の今回の仕事に深く関わっていることが後に判明する)。孤独を好む人間嫌いな主人公は、最初はこの家の子供たちを煙たがっていたが、生活を共にするうちに次第に打ち解け、自然と擬似的な「父親」としての役割を担うようになる。

 本作は、孤高に生きる男のハードボイルド然とした作品であるが、孤独なハンターとしての自身の姿を「最後の一頭」と思しき標的に重ねながら、最終的にはその標的を仕留めることと孤独に生きる自分の生きざまを葬ることが同義的になってくる。つまり、自分と似た生きざまの標的を仕留めることが、そのまま自分の孤独な生き方との決別にもなる。孤高なハンターとしての仕事を全うする男の姿と、そんな生き方を捨てた先にある擬似的な「家族の再生」ドラマが巧妙に絡まっていく。

 作品全体としては非常にシンプルな構成でありながら、一人の男の心境の変化と人生のターニングポイントを、丁寧に一本の劇の流れの中に落とし込んでいるのは見事である。

 最終的に「男の世界」「父と息子」の話になってくるので、「犠牲になるのはいつも家で男の帰りを待つ女たち」「父権の不在が弱い女子供に不幸をもたらす(強い父の存在がどうしても必要だ)」という流れになる点は現在の価値観では批判される要素もあろうが、それはそれで片手落ちの欠点として踏まえつつ、静謐さと渋さの極致とも言えるハードボイルド作品として、また、そんなハードボイルドな生き方を捨てる男の疑似的な「家族の再生」ドラマとして、本作が群を抜いた傑作であることは確かだ。ハードボイルド要素を多分に含む擬似家族的な再生の物語としては、『ディーパンの闘い』(2015年)という作品とも通ずるところがあるので、こちらも併せてお薦めしたい。

 

(2022年6月18日)

プロフィール

プロフィール画像
ニックネーム
わがままコブラ
性別
生年月日
1984年5月2日
QRコード
携帯用QRコード
アクセス数
ページビュー数