第209回『ゾディアック』

事件の闇にのめり込む

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『ゾディアック』
(Zodiac)
2007年:アメリカ
監督:デヴィッド・フィンチャー


 1960年代末期~70年代前半にかけて起こった未解決の連続殺人事件「ゾディアック事件」を扱った実録犯罪映画だが、本作はゾディアック事件そのものを描くというよりは、謎多きこの事件の解明に取り憑かれた男、ロバート・グレイスミスの物語である。

 リアルタイムでゾディアック事件を体験しているグレイスミスは、未解決のまま事件がフェイドアウトした後も独自の調査を続け、その長年の成果をノンフィクション『ゾディアック』として1986年に出版し、ベストセラーとなった(映画版『ゾディアック』もこの本を原作としている)。

 映画の前半は、事件の起こりから、ゾディアックと名乗る愉快犯による連続殺人事件として世間を恐怖に陥れ、やがてフェイドアウトするかのように終息していくまでをテンポよく捌いてゆく。中心人物たちの会話を作品自体のリズムとし、会話から会話へ疾走するように繋げていく流れが見事で、これは『ファイト・クラブ』(1999年)でも顕著なスタイルだ。

 ゾディアックに襲われながらも生き残った被害者や、路上(タクシー内)での犯行を目撃した者などが複数いるので、その証言を基にしたと思われるゾディアックの犯行シーンも描かれるが、大仰に恐怖を煽りはせず、淡々とドライに見せる演出がかえって生々しいショッキングさを引き立てる。

 グレイスミス(ジェイク・ギレンホール)はもともと新聞社に勤める風刺漫画家で、記者ではないが、新聞社にいたということでたまたまゾディアック事件をかなり近い距離で体験することになる(ゾディアックは複数の新聞社に暗号化した犯行声明文などを送り付けていた)。事件担当の記者や刑事たちの話を間近で聞く機会も多く、興味本位で犯行声明文の暗号解読などをしているうちに、グレイスミスはいつしか謎多きゾディアック事件に誰よりも深くのめり込んでゆくこととなる。

 警察はそれらしい容疑者を絞り、かなりの状況証拠は揃えたものの、決定的な物的証拠もなく、ある時期を境にゾディアックのものらしき犯行も途絶えたため、事件は未解決のままフェイドアウトしてゆき、いつしか世間からもすっかり忘れ去られる。しかしそんな時代の移り変わりとはまるで関係なく、事件後もゾディアックの謎を追い続けるグレイスミス。

 捜査自体は(名目上)完全に打ち切られたわけではないが、実質的にはいわゆる「迷宮入り」となり、世間一般の興味だけでなく、当事者であった刑事や記者たちの手からも離れたゾディアック事件を、グレイスミスは仕事も家庭生活もそっちのけで、取り憑かれたように独自に調査し続ける。

 ドライな実録犯罪映画として、駆け足でテンポよくゾディアック事件が起こった当時の様子を描く前半とは打って変わり、後半は狂気的なまでに事件調査にのめり込んでゆくグレイスミス個人の物語となる。ある意味、ここからがこの映画の本番と言っても過言ではない。

 警察関係者でもなく記者でもない、完全なる事件の「部外者」でしかないグレイスミスが、どうしてここまでゾディアック事件の犯人探しに躍起になるのか。

 未解決事件なので、あまり深く踏み込めば、自身やその家族への危険性も当然ながら考えられる(実際、グレイスミスの家には無言電話や匿名の情報提供の電話などもかかってくる)。仕事も家庭もそっちのけで、家族の安全も考えずに事件調査にのめり込む夫に対し、呆れる以上に不安になった妻は「一体、何のためにこんなことをしているの?」と夫を問い詰める。これに対しグレイスミスは「他に誰もやってないからだ(だから自分がやるしかない)」と答える。

 正義感でも社会的義務感でも功名心でもない。何気ない好奇心を発端に一つの事件にのめり込み、そこから恣意的に増幅させた使命感に取り憑かれた男の、狂気的なまでの執念である。

 事件の当事者・関係者たちでさえ呆れるほどの執拗さで証拠・証言集めに奔走し、事件の真相に迫ろうとするグレイスミス。だがそれもまた状況証拠ばかりで、実際に犯人を捕まえ裁判にかけられるほどの物的証拠には結び付かない。結果的に彼は独自の調査を基にしたノンフィクション『ゾディアック』を発表し、ベストセラー作家となる。グレイスミスが容疑者として絞っていた人物には警察も何度も目をつけていたが、その人物は1992年に死亡し、事件の真相は今だ謎のままである(当然ながら、この容疑者がゾディアック事件の真犯人であるという決定的な証拠はない)。

 本作が面白いのは、ゾディアック事件そのものよりも、狂気的なまでに事件にのめり込んでゆく一人の男の物語を描いた点だ。刑事でも記者でもない一介の風刺漫画家が、ミステリアスな事件の虜になり、自身の人生を破綻させかねない勢いでその調査にのめり込んでゆく。

 グレイスミス当人からすれば真実一路の大仕事をしているわけだが、傍から見ればかなり危険な狂気的妄想とも捉え得る部分もある。そういう意味では、主人公が都市伝説的な謎(陰謀)の解明にのめり込む『アンダー・ザ・シルバーレイク』(2018年)を思わせるところも本作にはあり、サスペンスフルな探偵ものとしての面白さと同時に、誇大妄想的な闇に堕ちていく狂人の物語としての面白さもある。また、自身の家庭生活に目を背けながら、ある犯罪者の真相追求にのめり込む記者の姿を描いた『凶悪』(2013年)にも通ずるものがあり、『凶悪』では、主人公が妻に愛想を尽かされるだけでなく、残酷な事件の真相追求にのめり込むことの享楽性を断罪されるオチまでつく。

 謎の多い事件の闇(とその解明)に心惹かれるのは、もはや人間の性と言っても過言ではない。しかしそこにハマり込む度合が大きいほど、自身の人生におけるあらゆる大切なものを失うリスクも大きくなる。先達て見た『トゥルー・ディテクティブ』(2014年)というTVドラマの主人公たちが、まさにそういうリスクを抱えながら難事件の真相に迫っていたが、その姿を見ながら、ふとこの『ゾディアック』を思い出し、(おそらく10年以上ぶりに)再見してみたというわけである。

 血なまぐさい未解決事件の謎の解明に固執する人間の性とは、一体何であろうか。果たしてそこに自分の人生を懸けてまで固執する意味などあるのか。その答えはいくら考えても出てこないだろうが、世の中にそういった性分を持つグレイスミスのような人間が存在するのは確かで、そこに人間という生き物の不可思議さと、不可思議であるがゆえの魅力を私は感じるのである。

 

(2022年6月7日)

プロフィール

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わがままコブラ
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生年月日
1984年5月2日
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