第204回『震える舌』

闘病 × 看病という病室内「密室アクション」

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『震える舌』
1980年:日本
監督:野村芳太郎


 昔からやたら「恐い、恐い」と評判の本作、確かにホラー映画的な恐怖演出が随所に見られるが、正味のところは骨太な医療(闘病)ドラマである。破傷風にかかり死の淵をさまよう少女の闘病と、付きっきりの看病で我が子が悶え苦しむ姿を見ながら、身も心もズタボロになっていく両親の姿を描くことに一点集中した作品で、そのほとんどは薄暗い病室内で展開される密室劇だ。

 破傷風は光や音に敏感に反応して発作・痙攣が起こるため、陽光をシャットアウトし、電灯もほとんど点けない閉ざされた病室内での絶対安静の治療体制となる。

 確実な治療法はなく、繰り返される激しい痙攣をその都度の応急処置でどうにか鎮めながら、病状が確実に悪化していく様を見守り続け、いわゆる「峠を越す」状態になるのを待つしかない。病院側に出来るのは先述した応急処置のみで、両親に至っては我が子が苦痛に悶える姿をただ見守ることしか出来ない。致死率も高く、全ては幼い少女自身の生命力に委ねられる。自発呼吸すらままならぬ状態で病魔と闘い続ける娘を見守りながら、激しい痙攣が起こる度に担当医を呼びに走ることしか出来ないという絶望的な状況下で、両親は次第に精神をすり減らし狂っていく。

 主要キャラが能動的に問題解決に向かって行かないと、なかなか物語というものは前に進みにくいと思うが、本作の場合、主要キャラが受動的にボロボロになっていくことしか出来ない状況(の悪化)だけを見せ続け、それをそのまま「劇」として成立させている点が非常に面白い。

 幼い少女の病状が悪化していくのを、大人たちは必要最低限の応急処置のみでただ見守るしかない……という設定の中では、ストーリーテリングの妙では面白くさせようがなく、この場合、ただ受動的に圧し潰されていく両親の苦悶それ自体が「アクション」となり「劇」となる。

 娘の闘病が主軸にありながらも、見せ場を作って主として物語を引っ張って行くのは、渡瀬恒彦と十朱幸代が演じる両親の「アクション」なのだ。娘役の若命真裕子も恐ろしく芸達者な子役であるが、基本的には苦痛に悶え呻く演技で台詞はほとんどない。代わりに両親役の渡瀬と十朱がどんどん精神をすり減らし狂っていく演技で、それ自体を見せ場として作品全体を引っ張って行く。

 本作は地獄と絶望の果てに救いと光明を見せるヒューマン・ドラマであるが、しかしながら決して安易なお涙頂戴にはしていない骨太さが良い。

 愛する我が子が死の淵をさまよう中で、両親は「子供のためなら何だってする」という意気込みで看病に臨むわけだが、その絶望的な状況下でどんどん精神をすり減らし疲弊していきながら、時には夫婦間で醜く責め合う様が描かれ、さらには、我が子が患った死に至る病気が自分たちにも感染するのではないか? という恐怖に一旦さらされると、愛する我が子のオムツを取り替えたり、ついには病室に立ち入ることにすら躊躇いを覚えてしまう……という、我が子への愛だけではどうにも出来ない恐怖心と、その極限状態にあって隠し切れない生々しい人間的弱さまでをも容赦なく描いている。

 娘の病状がどんどん悪化し、いよいよ死が顔をのぞかせる地獄の入口が見えたとき、夫婦は明らかに「もうダメだ」と愛する我が子の命を諦めてしまう、という底の底まで描いているのもこれまた凄まじい。諦めかけた瞬間もあったけど……というのではなく、「お前が死んでも夫婦で新しい子を作ることはせず、死ぬまでお前だけを愛し続ける」などと恐いことを言い出すのだ。

 まだ完全に娘の死が決定付けられる前に、親の方が完全に心が折れ切って娘の死を受け入れてしまうのである。これは悲しさや切なさを通り越してハッキリと恐いシーンだ。

 「最後まで決して諦めない」「希望は捨てない」というようなきれいごとでは済まされない状況にまで両親が追い込まれる。この追い込み演出が何より恐ろしい。この恐ろしさは、同じ野村芳太郎監督作の『鬼畜』(1978年)で追求された恐ろしさに通ずるだろうか。

 そうしてそこまで主要キャラたちを追い込みに追い込んだ果てに、病魔を克服し地獄の底から生還した娘に言わせる第一声が「チョコパン食べたい」とうセンスの良さに心底シビレる。ほとんど死の世界に足を踏み入れていた幼い子供が確かに生命を取り戻した様子を「チョコパン食べたい」の一言で表す。この一言だけで、そこによみがえった生命を確かに感じさせる見事な演出だ。

 死の淵から生還した我が子を眺めながら、父親は「この子の病気の苦しみを自分は何一つ理解していなかった。この子はたった一人で病魔と闘っていたのだ」と静かに内省する。

 本作は終始地獄のような陰惨さに貫かれているが、少女の担当医役である中野良子の存在感が一つの光明・救いとして機能している。決してピリピリした感じを表には出さず、しかし常に毅然とした態度を崩さずに職務を全うする。この芯の強さとクレバーさと品の良さを兼ね備える風格を持ったキャラクターに、中野良子というキャスティングはぴったり当てはまっているように思う。

 少女が心肺停止状態に陥り、いよいよもうダメかという瀬戸際で、それでも諦めずに毅然と蘇生処置を続け、ついに少女の心肺蘇生に成功した後、医療チームの他のメンバーが早々に引き上げた誰もいない夜の廊下を、安堵と疲労感に満ちているであろう体を引きずりながらゆっくり歩いて行く担当医のその後ろ姿が、孤高の侍のように見える。自らは誇示せぬ静かな強さと小さな命に対する慈悲を湛えたその姿に、どこか神々しさすら覚える素晴らしいキャラクターだ。

 本作は医療ドラマをホラー風に撮るというスタイルではあるが、その点の恐さや特異さだけではなく、闘病・看病というものをある種の密室アクションとして展開していく娯楽映画としての面白さもあり、また、その地獄のような陰惨さの中にも命の尊さという普遍的テーマを有しており、キワモノ作品としてだけでは評価し切れぬ骨太な医療(闘病)ドラマの傑作と言える。

 

(2022年2月4日)

プロフィール

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ニックネーム
わがままコブラ
性別
男
生年月日
1984年5月2日
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